第73話 5人分の「行きたい」
「で、次どこ行く?」
さっき千尋がそう聞いてから、五人ともすぐには答えを出せずにいた。
答える代わりに、テーブルの上ではまた指が動き始める。さっきまで開いていた候補を戻す者、新しく検索条件を変える者、地図を広げる者。みつみの画面には、いつの間にかダンジョン情報のタブが五つ並んでいた。
「候補、もう五個あるんだけど」
みつみが画面を見せると、佳奈子が自分のスマートフォンから顔を上げた。
「あるだけで、一個も決まってないじゃん」
千尋も笑いながら、開いていた一件を閉じる。
「近い、面白そう、見たことないのが出る、景色もいい、帰りに何かある。全部入れたら、そりゃ決まらないって」
「全部大事じゃない?」
みつみが言うと、千尋は最後の条件だけ拾った。
「最後のはダンジョン関係ないでしょ」
「帰りまでダン活だよ」
「それはちょっと分かる」
佳奈子が乗ると、みつみは満足そうに頷いた。
「ほら」
「いや、佳奈子までそっち行くの?」
千尋に言われても、佳奈子は気にした様子もない。
「一日出かけるなら、帰りに何か食べるとか普通に大事じゃない? ダンジョンだけ行って即帰宅って、ちょっともったいないし」
「私は別に、それでもいいけど」
千尋が言いながら自分の画面をスクロールする。
「でも、帰りに何かあるなら寄る」
「結局寄るんじゃん」
佳奈子が笑う。
「あるならね」
志帆は三人の話を聞きながら、別の候補を見ていた。画面を少し拡大してから、首を傾げる。
「ここ、写真はかなりいいけれど、内部情報が少なすぎるわね。公式の案内もほとんど概要だけ」
「それ、行ってみたら面白いやつじゃない?」
みつみがすぐ反応する。
「面白い可能性もあるけれど、何も分からないこと自体を全部面白がるのは違うでしょう。アクセスも微妙だし」
志帆の最後の一言に、佳奈子が食いついた。
「遠い?」
「乗り換えが多い」
「じゃあ私はちょっと下がる」
「早いなあ」
みつみが呆れると、佳奈子は当然のように返した。
「だって移動で疲れたくないもん。朝から乗り換え三回とかだったら、その時点でちょっと嫌」
みつみは自分の候補へ戻り、五つあるタブを順番に開いていった。
「じゃあこれ。近い。写真いい。モンスターも見たことない」
画面を覗いた千尋が、すぐに気づく。
「さっき見たやつじゃない?」
「……見たっけ」
「見た。十分くらい前に」
「じゃあ消す」
迷いなくタブを閉じるみつみに、千尋が笑った。
「そこは迷わないんだ」
「一回見て忘れたなら、たぶん今そんなに行きたくない」
佳奈子が吹き出した。
「それ、候補の消し方としては分かりやすいね」
五人の前には同じ「次のダンジョンを探す」という目的があるはずなのに、見ているものはだんだんずれていた。
みつみは写真を行ったり来たりし、千尋は難易度よりも内部で何ができそうかを拾っている。志帆は気になる記述を見つけるたびに別のページを開き、佳奈子は場所を見てから所要時間を確認する。
絵美里だけはしばらく黙っていたが、やがて検索画面から顔を上げた。
「先輩たち、中級者向けは候補から外してるんですか?」
「ん?」
千尋の指が止まった。
「外してるっていうか、今まで見てたのがその辺だっただけ。そういえば、中級者向けも普通に見ていいか」
「今のレベルと編成なら、最初から除外する必要はないと思います。もちろん場所ごとの差はありますけど、難易度区分だけで候補から外すほどではないです」
絵美里の説明を聞いて、みつみも検索条件を変える。
「中級者向けかあ。なんか急に、ちゃんと攻略する人が行くところって感じする」
「今までだってちゃんと攻略してたでしょ」
志帆が笑う。
「してたけど。もっとこう、装備とか全部そろえて、朝から作戦会議してから行く感じ」
「それはみつみの中の中級者像でしょ」
千尋が言うと、みつみは素直に首を傾げた。
「違うの?」
「少なくとも私は毎回そんなことしない」
千尋は画面を見たまま続ける。
「行ってみて、無理そうなら帰ればいいんじゃない? 中級者向けに行ったからって、次からずっと中級者向けばっかり行くわけでもないし」
「それならいい。面白そうなら行きたい」
みつみが納得した横から、佳奈子も条件を足す。
「私は遠かったら中級者向けでも行かないけどね」
難易度より先にそこを気にする佳奈子に、絵美里が少しだけ眉を寄せた。
「遠いかどうかより、まず危険度を見た方がいいと思いますけど」
「危ない上に遠かったらもっと行かないよ」
「そういう意味ではなくて」
「でも間違ってはないでしょ?」
佳奈子に返され、絵美里は一瞬黙った。
「間違ってはいません」
それを聞いた千尋が笑う。
「じゃあ中級者向けも入れて探そ。候補増えるけど」
「もう五個あるのに?」
佳奈子がみつみの画面を見る。
「大丈夫。さっき一個消した」
「四個になっただけじゃん」
「これから増える」
「増やすなって言ってるの」
強くなったから次の段階へ進まなければならない、という感じはなかった。ただ、今まで見ていなかった一覧を開けるなら、それだけ遊びに行ける場所が増える。
みつみは中級者向けの一覧を開いてすぐ、また別の写真へ食いついた。
「これ何?」
みつみの声に、志帆が画面から視線だけを向ける。
「どれ?」
「ちょっと待って、名前見る」
その横で、千尋も同じ一覧を流していた。
「あ、これ塔だって」
みつみの「これ何?」より先に、四人の視線が千尋の画面へ集まる。
「塔?」
みつみが身を寄せると、千尋はスマートフォンをテーブルの中央へ滑らせた。
画面に出ていたのは、細長い塔を斜めから写した写真だった。建物というには妙に細く、高さだけが目立つ。名前の横には《通尾ダンジョン》、難易度区分には中級者向けと表示されている。
所在地は千葉県千葉市通尾区。千尋が概要を下へ送ると、塔の高さは約百三十メートルとあった。
「で、一階は施設。え、攻略するところ、地上百メートルくらいから始まるらしい」
「なにそれ」
みつみの顔が一気に画面へ近づいた。
「そんなところ行ったことない。行きたい」
「早い早い。まだ高さしか見てないじゃん」
佳奈子に止められても、みつみは画面から離れない。
「百メートルだよ? 学校何個分?」
「学校で数える意味ある?」
佳奈子が聞き返す。
「高いってこと」
「それは分かる」
そう言いながら、佳奈子も結局、千尋の画面を覗き込んだ。
「外から見たら普通に塔なんだ。これ、中に入ったらずっと階段とかじゃないよね?」
「それは嫌だな」
千尋が笑う。
「ダンジョン行って階段だけ上って終わりはさすがに嫌」
「百メートル分、階段だったら私行かない」
佳奈子が即座に言うと、千尋が肩を揺らした。
「まだ誰も階段だけって言ってないから」
志帆はもう自分のスマートフォンで通尾ダンジョンを検索していた。概要を開き、そこから別の情報ページへ移る。
「攻略エリアは上の方だけみたい。一階は施設で、そこから上へ移動するのね。ゴール到達型……それと、途中に鏡面区画がある」
「鏡?」
今度はみつみが志帆の画面へ寄る。
「壁面が鏡になっていて、反射で来た方向や分岐が分かりにくくなるらしいわ。構造そのものは通路型だけど、見た目で距離感まで狂いやすいみたい」
「それ絶対迷うやつじゃん」
佳奈子が言う。
志帆はむしろ楽しそうに、さらに画面を送った。
「そこが面白そうなのよ。ミラーレイスっていうモンスターも鏡のある区画に出るみたい。それとクラウドジェリー。こっちは浮遊型で――」
「志帆、もう行く前提で調べてない?」
千尋に言われて、志帆の指が一度止まった。
「……候補を判断するためよ」
「その割に楽しそうだけど」
「気になるものがあるんだから仕方ないでしょう」
そう言いながら、志帆の指はまた動き始めている。
みつみは今度はミラーレイスの名前に食いつき、千尋は塔内部の構造を見ていた。佳奈子は少し遅れて自分のスマートフォンへ戻ると、通尾区の位置を地図で確認する。
「場所、千葉市なんだ。これなら全然いい」
佳奈子の声に、みつみが振り向く。
「何が?」
「時間。これくらいなら朝から行って一日遊んでも、帰り遅くなりすぎないでしょ」
「帰りに何かある?」
みつみが即座に聞く。
「今それ見るから待って」
佳奈子が地図を動かしていると、絵美里が口を挟んだ。
「またそこですか」
「大事だよ?」
「ダンジョンを決める基準としては優先順位が低くないですか?」
「エミリンは、帰りにおいしいものあっても何とも思わない?」
佳奈子に聞かれ、絵美里はわずかに詰まった。
「それは……思いますけど」
「じゃあ大事じゃん」
「判断基準としては別です」
佳奈子は笑いながら地図を送る。
「じゃあエミリンは攻略見てて。私は帰りに寄れそうなとこないか見るから」
「分担するんですか、そこ」
「五人いるんだからいいでしょ」
絵美里は何か言おうとして、結局自分の画面へ戻った。
「中級者向け。クリア条件はゴール到達。ボス討伐型ではないんですね。今の五人なら、少なくとも編成の時点で無理がある感じではないです。前衛も後衛もいますし」
千尋が絵美里を見る。
「じゃあエミリンもあり?」
「ありです。初めて行くなら、どこまで進めるかも見たいですし。鏡面区画は事前にもう少し調べた方が――」
「それは行ってからでよくない?」
千尋が途中で口を挟む。
「全部何も知らずに行く必要はないでしょう」
「全部調べてから行く必要もないじゃん。迷うところなら、一回くらい普通に迷ってみたいし」
「迷うことを目的にする必要はないです」
「目的にはしないよ。結果として迷ったら、それはそれで面白そうってだけ」
絵美里は反論しかけたものの、千尋が本気で攻略を軽く見ているわけではないと分かったのか、口を閉じた。
「……最低限は調べます」
「うん、それはお願い」
千尋があっさり頼むと、絵美里が眉を上げる。
「そこはお願いするんですか」
「エミリン調べるの得意そうだし」
「得意だからやりますけど、先輩も見てくださいね」
「見る見る。行く前には」
「今見てください」
そのやり取りを聞きながら、みつみはまだ塔の写真を見ていた。少しして、画面を志帆の方へ向ける。
「これさ、外から見ると細いのに、中は普通に広いのかな」
志帆も写真を見る。
「ダンジョンなら外形と内部空間が一致しないことも珍しくないし、写真だけじゃ分からないわね。だから実際に見たいのよ」
「私もそれ見たい」
「みつみはさっき高さで決めてたでしょ」
志帆に言われ、みつみは平然と答えた。
「理由増えた」
佳奈子は経路検索から周辺地図へ移り、志帆は鏡面区画とモンスター情報を追う。絵美里は難易度とクリア条件を確認し、千尋は内部の写真を何枚か見たあと、自分のスマートフォンを置いた。
「なんか、同じところ調べてるのに全員見てる場所違うね」
「だって見たいところ違うし」
佳奈子が自分の画面を見せた。そこにはもうダンジョンの紹介ページではなく、最寄りまでの経路が出ている。
千尋がそれを見て笑う。
「佳奈子、それもうダンジョンのページですらないじゃん」
「ここ行くなら必要でしょ。みつみなんてさっきから写真ばっかりだし」
「だって百メートルの上から始まるんだよ?」
みつみが言うと、志帆も自分の画面を少し持ち上げた。
「私は、その百メートルの上で迷う理由を見てるの」
「私は先に、そこまで行って問題ないかを見ています。現地で『やっぱり無理でした』は避けたいので」
絵美里まで続けると、佳奈子が最後に千尋を見る。
「で、千尋は?」
「実際行けば分かるかなって」
「一番調べてないじゃん」
佳奈子が呆れる。
「だから行きたいんだって」
五人とも別の答えだった。
それでも誰かが別の候補へ戻る気配はない。
千尋が全員を見回してから、テーブルの中央に置いたスマートフォンを指先で軽く叩いた。
「じゃあ通尾でいいんじゃない?」
「行く」
みつみは即答した。
志帆も自分の画面から顔を上げる。
「私はいいわよ。鏡のところ、実際どう見えるのか気になる」
「私もあり。遠すぎないし、一日出かける場所として普通に楽しそう。帰りも何かありそうだし」
佳奈子の最後の一言に、千尋が笑う。
「最後の情報、もう見つけたんだ」
「まだ。ありそうってだけ」
佳奈子は悪びれない。
絵美里も画面を閉じた。
「私も異論ありません。中級者向けに行くなら、今の編成でどこまで通用するか確認できますし」
「じゃ、決まり。通尾」
千尋が言うと、さっきまで増え続けていた候補探しがようやく止まった。
みつみも自分の五つのタブを一つずつ閉じていく。最後に通尾の写真だけを残したところで、ふと別のページを開いた。
「ねえ、その前に用品店寄らない?」
佳奈子がすぐに画面から顔を上げる。
「今度は何」
「中級者向け行くって決めたら、なんか見たくなった」
「何を?」
「それは行ってから決める」
「決まってないんじゃん」
佳奈子が笑う。
志帆は少し考えたあと、自分のスマートフォンを伏せた。
「見るだけならいいんじゃない? 私も見たいものあるし」
みつみが志帆を見る。
「志帆、なにか買うの?」
「買うとは言ってないわよ。見るだけ」
千尋が横から笑う。
「その言い方、だいたい見るだけじゃ終わらないやつじゃない?」
「今回は終わるの」
そう言い切る志帆の横で、千尋も軽く手を上げた。
「私は行く」
絵美里だけが少し考えている。
「必要なものがあるなら、先に確認してから行った方が効率は――」
「必要なものがあるか見るために行くんだよ」
みつみに返され、絵美里は言葉を止めた。
数秒だけ黙ってから、ため息ほどでもない息を吐く。
「……見に行くだけなら、まあ」
みつみがすぐに笑った。
「じゃあ決まり」
「まだ私、行くとは」
「行かないの?」
みつみに聞かれ、絵美里は少しだけ間を置いた。
「行きます」
次に行くダンジョンは決まった。
けれど五人のスマートフォンで最後に開かれたのは、通尾ダンジョンのページではなく、ダンジョン用品店のページだった。




