第70話 そうだ。ボス戦へ行こう
虎ヶ崎ダンジョンへ入ると、最初に広がっていたのは、以前と変わらない少し開けた野原だった。
その先から森が始まっている。入口付近はまだ日差しも多く、木々の間まで明るい。それでも、野原から眺めると森の中だけは少し色が深く見えた。
「久しぶりだね、ここ」
みつみが杖を肩に預けながら森を眺めると、隣で絵美里が首を傾げた。
「ダンジョン相手にも久しぶりって言うんですか?」
「何回も来た場所だし、なんとなく」
「みつみは前に行った店とかにも普通に言いそう」
千尋が《黒月》の位置を直しながら笑う。
「言わないよ」
「今ちょっと考えたでしょ」
「考えてないって」
志帆は二人のやり取りを聞きながら森の奥へ目を向けた。
「でも、前に来たときより小さく感じるのは少し分かるわ。最初は、この森を進むだけでも結構大変そうに見えたもの」
「今は普通に入るもんね」
みつみがそう言って歩き出し、三人も続く。
佳奈子は今日は来ていない。部室で話していた通り、別の予定があるらしい。それだけのことで、誰かが予定をずらそうとも、佳奈子がいないことを特別な出来事にしようともしていなかった。
今日は、みつみ、千尋、志帆、絵美里の四人で虎ヶ崎へ来た。
◇
最初のフォレストウルフは二体だった。
茂みの奥で葉が大きく揺れたときには、千尋がもう《黒月》へ手をかけていた。
「二体。右の方から来るよ」
低い姿勢で飛び出してきた一体へ《マーキング》を使い、そのまま正面には残らず《サイレントステップ》で横へ抜ける。
残った一体には、みつみが杖を向けた。
《マジックボール》
魔力弾を受けたフォレストウルフが一瞬足を止めた。その間に志帆がみつみとの距離を詰め、絵美里は二人の前寄りへ入って《フォーメーション》を使う。
千尋がさらに外へ回ったのを見て、絵美里が口を開きかけた。
「千尋先輩、もう少し――」
戻ってください、と言う前に、千尋がフォレストウルフの横へ入った。
《ウィークポイント》
相手の弱点を捉え、そのまま《黒月》を振り抜く。
もう一体には、みつみが二発目の《マジックボール》を当てた。
戦闘は長く続かなかった。
二体が光になって消えたあと、絵美里は少し離れた場所にいる千尋と、自分のすぐ後ろにいるみつみ、志帆を順番に見た。
「……今のは、戻ってもらわなくてよかったですね」
千尋が剣を鞘へ戻しながら振り返る。
「戻った方がよかった?」
「いえ。むしろ戻すために動いてもらう方が無駄です。ただ、毎回それでいいとは限りませんからね」
「分かってるよ」
千尋は軽く返して、もう先へ歩き始めた。
以前、骨橋で初めて五人で戦ったときの絵美里なら、千尋が自分の作った形から外れるたびに、どう戻すかを考えていた。
今は少し違う。
千尋が外へ出ることで戦いやすくなるなら、最初からそこを含めて考えればいい。
そう判断するまでの時間が、前より短くなっていた。
◇
森の中は、進むほど少しずつ暗くなっていった。
木々の間を歩いている途中で、今度はオークが一体現れた。
「来るよ」
千尋が言ったときには、みつみはもう杖を向けていた。
《マジックマイン》
オークが進みそうな位置へ魔法を設置する。
それを避けるように進路を変えたところへ、千尋が回り込んだ。
絵美里は《プロボーク》でオークの注意を自分へ向けると、タワーシールドを正面へ構えた。
《ガード》
重い一撃を盾で受ける。
「絵美里ちゃん、大丈夫?」
「これくらいなら平気です。次も来ます」
その返事を聞いて、志帆が《プロテクション》を使う。
「なら、もう一度受けてもらうわ。みつみ、右から撃てそう?」
「いける」
次の攻撃を絵美里が受け止めるのとほぼ同時に、千尋がオークの側面へ入った。
みつみの《マジックボール》も続く。
以前の虎ヶ崎では、オークが出るたびに少し構えていた。
どう動くかを確認し、距離を取って、なるべく失敗しないように戦っていた。
けれど今は、誰もオーク一体を相手にわざわざ作戦を立て直そうとはしない。
必要なことだけを声に出して、それぞれが普通に動く。
オークが光になって消えたあと、みつみは何となくその場所を見た。
「前って、オーク出るともうちょっと嫌じゃなかった?」
「嫌というか、面倒だったかな」
千尋が答えると、志帆も小さく頷いた。
「今も面倒ではあるけれど、前ほどではないわね」
「ですよね」
絵美里が少し意外そうに三人を見る。
「前はもっと苦戦してたんですか?」
「最初に来た頃はね。脱初心者ダンジョン自体が初めてだったし」
みつみはそう答えると、すぐ森の先へ視線を戻した。
「まあ、今は普通に倒せるけど」
それ以上、その話を広げる者はいなかった。
強くなったことを確かめ合うより、まだ森の先の方が気になっていた。
◇
フォレストホークが姿を見せたのは、さらに奥へ進んでからだった。
最初に気づいた千尋が、頭上へ目を向ける。
「上にいる」
その声で、みつみと志帆も枝の間を見た。
大きな影が一度横切り、そのあと少し離れた枝の上に止まる。
「飛行型ですか」
「うん。急降下してくるから、降りてきたところを狙う感じ」
千尋はそれだけ言うと、《黒月》を抜いた。
絵美里も盾を構える。
フォレストホークが枝を蹴るように飛び立ち、木々の間を旋回したあと、一気に高度を落とした。
狙われたのは千尋だった。
「千尋先輩、戻って――」
絵美里が言い終わるより先に、千尋が動く。
《サイレントステップ》
爪が届く直前で横へ抜け、急降下してきたフォレストホークをかわした。
相手が低い位置に残った瞬間、みつみの杖が向く。
《マジックボール》
魔力弾を受け、フォレストホークの上昇がわずかに遅れた。
その隙に千尋が追いつく。
《ウィークポイント》
狙いを定めて《黒月》を入れるが、フォレストホークは大きく羽ばたいて再び距離を取った。
絵美里は千尋の位置を見て、一度だけ《フォーメーション》の範囲を意識する。
千尋を戻した方が安定する。
以前なら、そう考えたはずだった。
けれど千尋自身は、戻る気配をまるで見せていない。みつみも志帆も、それを問題だと思っている様子はなかった。
絵美里はすぐに考えを切り替えた。
「みつみ先輩と志帆先輩は、こっち寄りでお願いします。千尋先輩は、そのままで」
「了解」
千尋が前を向いたまま答える。
フォレストホークがもう一度上昇する。
志帆も空を見ながら、みつみとの距離を調整した。
「次、みつみを狙ったら前へ入れる?」
「はい。今の距離なら届きます」
「千尋は?」
「千尋先輩は、自分で避けられるならそっちの方がいいです」
「扱いの差」
「必要なところへ使ってるだけです」
絵美里が答えたところで、フォレストホークが再び急降下した。
今度は、みつみへ向かっている。
《インターセプト》
絵美里が一気に間へ入り、盾で攻撃を受けた。
みつみはその背中に隠れたまま待つのではなく、すぐに横へずれて杖を向ける。
《マジックボール》
志帆の《プロテクション》が絵美里へ入り、その間に千尋はもう低空へ下りてきたフォレストホークへ走っていた。
三人とも違う場所にいる。
それでも、絵美里にはもう崩れているようには見えなかった。
「千尋先輩、そのまま行ってください!」
「言われなくても行く!」
千尋の《黒月》がフォレストホークを捉える。
光になって消えたあと、絵美里はしばらく三人の立ち位置を見ていた。
「どうしたの?」
千尋が聞くと、絵美里は少し考えてから答えた。
「千尋先輩まで《フォーメーション》の範囲に戻そうとしない方がいい場面、思ってたより多いですね。前は、全員をある程度まとめた方が安定すると思ってました」
「今は違う?」
志帆に聞かれ、絵美里は頷いた。
「はい。先輩たち、位置はかなり自由ですけど、誰も何も見ずに動いてるわけじゃないので。千尋先輩が外へ出ることも含めて、この形なんだと思います」
少し先で剣を収めていた千尋が振り返る。
「やっと分かってきた?」
「そこまで偉そうに言われると訂正したくなります」
「じゃあまだ分かってない?」
「分かってます」
絵美里は少しだけ眉を寄せたが、千尋を戻そうとはもう言わなかった。
◇
その後も何度か戦闘があった。
森スライムやコボルト、もう一度現れたフォレストウルフを相手にしながら、四人は森の奥へ進んでいく。
みつみは相手や位置に応じて《マジックボール》と《マジックマイン》を使い分け、ときには《マジックシールド》も使った。千尋は前へ出たり戻ったりを繰り返し、志帆も後ろの一か所へ留まるのではなく、回復や支援を入れやすい位置を選んで動く。
絵美里も、三人を自分の周りへ集めることにはこだわらなくなった。
千尋が外へ出るなら、そのまま。
みつみが射線を取るために動くなら、それを邪魔しない。
志帆が支援しやすい場所へ移れば、自分が守る方向を少し変える。
少なくとも今日の三人と組むなら、それが一番やりやすかった。
少し開けた場所へ出たところで、みつみが水を飲みながらスマートフォンを取り出した。
時間を確認するつもりだったらしいが、途中で指が止まる。
「あ、十一になってる」
志帆が自分のスマートフォンをしまいながら、みつみの方を見る。
「LV?」
「うん。今見たら十一だった。いつ上がったんだろ」
千尋も横から画面を覗いた。
「今日じゃない? 結構戦ってるし」
「でも、尾洗町のあと見たっけ?」
「そこ覚えてないなら、もう分かんないじゃん」
「そうなんだよね」
みつみはLV11の表示を眺め、それから新しく何か増えていないかも確認した。
「新しいスキルは増えてない」
「そりゃ十一だし」
「分かってるけど、ちょっと期待するじゃん」
志帆も念のため自分のステータスを開いた。
「私はまだ十ね」
「私も七のままです」
絵美里も確認する。
そこで千尋が少し得意そうに自分のスマートフォンを出した。
「じゃあ今のところ、私が十二で一番上」
「中学からやってるんだから、むしろ一個しか違わないじゃん」
「そこは先輩としての経験が出てるってことで」
「絶対いま思いついたでしょ」
みつみに言われ、千尋が笑った。
絵美里もそのやり取りを見ていたが、LVの差について何か評価することはなかった。
みつみ自身も、十一になった画面をもう一度見ただけでスマートフォンをしまう。
「じゃ、行こ。まだ時間あるよね」
LV11になった話は、それで終わった。
◇
さらに森を進むと、三人には見覚えのある場所へ出た。
千尋が少し先の木々を見ながら足を止める。
「この先、ボスの方だよね」
「そうだね」
みつみも周囲を見回し、志帆は時間を確認した。
「まだ余裕はあるわよ。今からなら行っても大丈夫そう」
少しだけ間が空いた。
それから、みつみがいつもの調子で聞く。
「じゃあ、ストームオウルも行く?」
「せっかくだし、行こうか」
千尋がすぐに答え、志帆も頷いた。
「私はいいわよ。ここまで来たなら見ていきたいし」
絵美里だけが、少し驚いたように三人を見る。
「今、決めるんですか?」
「うん」
「ストームオウルって、ここのボスですよね。今日は最初から討伐目的で来たわけじゃなかったと思うんですけど」
「そうだけど、まだ時間あるし」
みつみは、ごく普通のことのように答えた。
「前に戦ったこともあるしね」
千尋も特に気負った様子はない。
絵美里にとって、ボス討伐はもっと明確に目的として設定するものだった。装備や進行時間を考え、そこへ向かう前提で一日の動きを組み立てる。
この三人は違う。
森を歩いて、普通に戦って、時間が残っているから、その先にいるボスにも行く。
絵美里は少しだけ考えたあと、タワーシールドの固定を確認した。
「……分かりました。行くなら、ちゃんと行きましょう」
「ちゃんと行くって何?」
「先輩たちの場合、そこから確認しないと不安なんです」
「大丈夫だって」
千尋が笑いながら先へ進み、みつみと志帆も続く。
絵美里もそのあとを追った。
やがて、木々の隙間の向こうで大きな影が動いた。
三人が自然に足を止める。
絵美里もタワーシールドへ手をかけた。
枝葉の向こうで、大きな翼がゆっくりと広がる。
ストームオウルが、そこにいた。




