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第7話 ダンジョンといえば、魔法使い

 五月後半の日曜日。

 

 駅の改札を抜けると、みつみは少し先に志帆を見つけた。

 

 長い髪を下ろしたまま、壁際に立ってスマホを見ている。

 

 学校で見る制服姿とは違って、今日は動きやすそうなパンツに薄手の上着。

 

 足元には、この前一緒に選んだトレッキングシューズがあった。

 

「志帆、おはよ。それ履いてきたんだ」

 

 声をかけると、志帆が顔を上げた。

 

「おはよう。せっかく買ったんだから履いてくるでしょ。昨日も少し歩いてみたけど、靴ずれもしなかったし、たぶん大丈夫そう」

 

「昨日も履いたの?」

 

「いきなり今日履いて、途中で痛くなったら困るでしょ。家の近くを一時間くらい歩いてみた」

 

「一時間?」

 

 みつみは志帆の足元をもう一度見た。

 

「そこまでやるんだ。私、最初のとき普通に新品で来たよ」

 

「それで大丈夫だったからって、新品で来るのが正解にはならないからね」

 

「でも大丈夫だったよ?」

 

「結果の話をしてるんじゃなくて――」

 

「おはよ。何の話?」

 

 後ろから声がして、二人で振り返った。

 

 千尋が片手を上げながら歩いてくる。

 

「志帆が昨日、一時間も靴の練習したんだって」

 

「練習じゃない。慣らしたの」

 

「ちゃんとしてるね。リュックも大丈夫?」

 

 千尋に聞かれると、志帆は背中のリュックを少し揺らした。

 

「それも昨日、今日持っていくものを全部入れて背負ってみた。重さは平気だと思う。ただ、実際に中を歩いたらどう感じるかは分からないけど」

 

「そこまでやったなら大丈夫そう。最初はそんなに奥まで行かないし、きつかったら途中で言ってね。別に予定どおり進まなきゃいけないわけじゃないから」

 

「うん。それは分かってる」

 

 三人で駅前を歩き出す。

 

 みつみはもう、この道を知っていた。

 

 最初に千尋と来たときは、駅を出たところからずっと周りを見ていた。大きなリュックを背負った人も、武器ケースを持った人も、店の看板も、何もかもが珍しかった。

 

 今日はそこまでではない。

 

 代わりに、隣の志帆が時々あちこちへ視線を動かしている。

 

「あの人のリュック、見てたでしょ」

 

「え?」

 

「今すれ違った人。ずっと見てた」

 

「ずっとは見てない。あれ、たぶん四十リットルくらいあるのに、外付けがほとんどなかったから、中どうなってるのかなって思っただけ」

 

 みつみは千尋を見る。

 

「見てるよね?」

 

「見てるね」

 

「だから、見てないとは言ってないでしょ。ずっと見てないって言ったの」

 

「そこなんだ」

 

 志帆が少しむっとした顔をする。

 

 その顔を見て、みつみは笑った。

 

 教室で初めて話したときは、もっと近寄りがたい人だと思っていた。

 

 今はもう、そんな感じはほとんどしない。

 

「何笑ってるの?」

 

「なんでもない」

 

「絶対なんかあるでしょ」

 

「ないよ。ほら、着いた」

 

 みつみが前を指差す。

 

 ダンジョン施設の建物が、道路の先に見えていた。

 

 志帆の視線が、そちらへ移る。

 

 さっきまでリュックの話をしていた口が閉じた。

 

「……ここか」

 

 小さな声だった。

 

「うん。ここ」

 

 みつみは少しだけ得意な気分で答えた。

 

     ◇

 

 受付を済ませている間も、志帆は忙しそうだった。

 

 手続きそのものではない。

 

 案内表示や料金表、壁に貼られた注意書き。人が出入りするたびに、その装備にも目が向く。

 

「志帆、受付終わってるよ」

 

「分かってる。これ見てただけ」

 

「何?」

 

 みつみが隣から覗き込む。

 

 そこにはジョブ登録の案内があった。

 

「あ。これだ。ジョブ登録」

 

「みつみ、今日やるんでしょ?」

 

「やる。メイジ出てほしい」

 

「私は候補見てから決める」

 

 千尋が横から案内を見る。

 

「二人ともやるなら、私は待ってるよ。もうスカウト取ってるし」

 

 みつみは頷いた。

 

「今日こそ魔法使いになる」

 

「メイジが候補に出ればね」

 

 志帆が言う。

 

「そういう怖いこと言わないでよ」

 

「何が出るかは適性次第なんだから仕方ないでしょ」

 

 みつみは財布を取り出しながら、少し考えた。

 

「志帆は何が出たら嬉しい?」

 

「まだ分からない。候補見てから考える」

 

「前で剣持って戦うの出たら?」

 

「それはたぶん選ばない」

 

「なんで?」

 

「私が千尋みたいに動けると思う?」

 

 みつみは志帆を上から下まで見る。

 

 背が高くて、立っているだけなら強そうにも見える。

 

「見た目は強そう」

 

「見た目で戦えないでしょ」

 

「でも剣は似合いそう」

 

「似合うかどうかでジョブ決めたくないんだけど」

 

 千尋が笑った。

 

「まあ、候補見てからでいいんじゃない? みつみもメイジがなかったら、そのとき考えればいいし」

 

「あるよ」

 

「さっきメイジ出てほしいって言ってたじゃん」

 

「あるって信じることにした」

 

「早いなあ」

 

 二人で登録を済ませ、料金を支払う。

 

 みつみは財布を閉じながら、小さく息を吐いた。

 

「これでメイジなかったら、ちょっと立ち直れないかも」

 

「そのときは、ほかの候補をちゃんと見ればいいでしょ。意外と面白そうなのがあるかもしれないし」

 

「志帆はそういうの平気なの?」

 

「何が出るか分からないのも含めて面白いと思ってるから。私はゲームでも最初に攻略サイト見て最強職を選ぶより、出たものでどうするか考える方が好きだし」

 

「え、そうなの? 志帆、絶対最初から全部調べる人だと思ってた」

 

「調べるよ。でも調べるのと、そのとおりにするのは別でしょ」

 

「難しい」

 

「何が?」

 

「志帆の楽しみ方」

 

「別に理解しなくていい」

 

 そんなことを話しているうちに、みつみの順番が来た。

 

     ◇

 

 専用の設備の前に一人で立つと、急に緊張してきた。

 

 案内に従って操作を進める。

 

 登録した情報が確認され、少し待つ。

 

 ほんの数秒なのに、やけに長く感じた。

 

 やがて、取得可能なジョブの候補が画面に表示される。

 

 みつみは上から順番に文字を追った。

 

 そして、途中で目が止まった。

 

「あ」

 

 メイジ。

 

 見間違いではない。

 

 自分の候補の中に、本当にその文字がある。

 

 みつみは思わず画面へ顔を近づけた。

 

「あるじゃん……」

 

 小さな声が漏れる。

 

 GWのダンジョンで、千尋が戦うところを見た。

 

 そのとき初めて、自分も何かしたいと思った。

 

 学校へ戻ってジョブを調べて、志帆にメイジのページを見せてもらった。

 

 魔法を使いたい。

 

 そう思っていたけれど、本当に自分の候補に出るかどうかは、今日まで分からなかった。

 

 今、そのメイジが目の前にある。

 

 すぐ押したくなった指を、一度止める。

 

 みつみはほかの候補も一通り見た。

 

 少し気になるものもある。

 

 それでも最後には、またメイジへ戻っていた。

 

「やっぱこれ」

 

 選択する。

 

 確認画面に表示されたメイジの文字を、もう一度見る。

 

 今度は迷わず押した。

 

 手続きが完了する。

 

 みつみは自分の両手を見た。

 

 もちろん、何も変わっていない。杖が突然現れるわけでもないし、服がローブになるわけでもない。

 

 それなのに、口元が勝手に緩んだ。

 

 早く二人に言いたい。

 

 待っていた二人のところへ戻ると、千尋がすぐにみつみの顔を見た。

 

「あったんだ」

 

 みつみは足を止めた。

 

「まだ何も言ってないんだけど」

 

「顔見れば分かるよ。なかった人の顔じゃないもん」

 

「そんな分かりやすい?」

 

 志帆もみつみを見ている。

 

「かなり。で、メイジがあったの?」

 

「あった。ちゃんと候補に出た。ほかにも何個かあって一通り見たけど、やっぱりメイジにした」

 

「ちゃんとほかも見たんだ」

 

「見たよ。志帆に絶対あとで聞かれると思ったから」

 

「私のため?」

 

「半分くらい」

 

「残り半分は?」

 

「ちょっと気になるのがあったから。でもメイジ見つけたあとだったし、結局そこに戻った」

 

 千尋が笑う。

 

「じゃあ今日からメイジだね」

 

 その言葉を聞いた瞬間、みつみはまた嬉しくなった。

 

「そう。私、メイジ」

 

 自分で言ってみる。

 

 それから、すぐに笑った。

 

「やば。ほんとに魔法使えるんだ。普通に学校通ってる高校生なのに、今日から魔法使えるんだよ?」

 

「ダンジョンの中だけだけどね」

 

「そこ今いらない」

 

「大事なところでしょ」

 

「もっと喜ばせてよ」

 

「十分喜んでるからいいでしょ」

 

 みつみが何か言い返そうとしたところで、志帆の順番が呼ばれた。

 

「あ、志帆。行ってらっしゃい。ちゃんと全部見てね」

 

「それ、今度は私が言われるの?」

 

「何選ぶか楽しみにしてる」

 

「まだ選ぶとも決めてないから」

 

 そう言い残して、志帆は設備の方へ向かった。

 

     ◇

 

 志帆が戻ってきたのは、それから少ししてだった。

 

 みつみはベンチから身を乗り出す。

 

「どうだった? 何あった?」

 

「一気に聞かないで」

 

 志帆は隣に座った。

 

 千尋が聞く。

 

「決めたの?」

 

「うん。ヒーラーにした」

 

「ヒーラー?」

 

 みつみは少し意外だった。

 

「志帆、回復する人になるんだ」

 

「回復だけじゃないみたい。支援系のスキルもあるし、状態異常にも対処できるジョブなんだって」

 

「へえ。なんでそれにしたの?」

 

「候補の中で一番気になったから。三人で行くなら千尋が前に出ることが多いだろうし、みつみはメイジにしたんでしょ。それなら私まで似たような役割にするより、違うことができた方が面白そうかなって」

 

 みつみは、志帆と千尋を交互に見た。

 

「私たちのことも考えて決めたの?」

 

「それだけじゃないよ。回復って実際どこまでできるのかとか、状態異常って何に対してどこまで対処できるのかとか、気になるし」

 

「やっぱり志帆だ」

 

「何が?」

 

「ヒーラーになって最初に考えるのが、どこまでできるかなんだもん」

 

「気になるでしょ。できることとできないこと分からないまま使う方が嫌じゃない?」

 

「私はとりあえず魔法使ってみたい」

 

「知ってる」

 

 千尋が二人の間で笑った。

 

「でも、ちょうどいいんじゃない? 私がスカウトで、みつみがメイジ、志帆がヒーラー。三人とも違うし」

 

「ほんとだ」

 

 みつみは指を折りながら確認した。

 

「スカウト、メイジ、ヒーラー……なんか急にパーティっぽくなったね」

 

 志帆が首を傾げる。

 

「今までは?」

 

「友達」

 

「今も友達でしょ」

 

「友達なんだけど、それプラス、パーティ」

 

「友達パーティ?」

 

 千尋が言う。

 

 みつみは少し考えてから笑った。

 

「なんか弱そう」

 

「自分で言ったんじゃん」

 

 志帆も笑う。

 

 みつみは二人を見た。

 

 前の二回は、千尋と二人だった。

 

 今日は志帆がいる。

 

 しかも、自分はメイジになって、志帆はヒーラーになった。

 

 たったそれだけなのに、何かが一段変わった気がした。

 

     ◇

 

 装備を整えて、三人でダンジョンの入口へ向かう。

 

 千尋はいつもどおりだった。

 

 みつみも、ここへ来るのは三回目になる。

 

 だから今日は、自分より志帆の方が気になった。

 

 入口が近づくにつれて、さっきまでジョブの話をしていた志帆の口数が少なくなっていく。

 

 みつみは横から顔を覗いた。

 

「志帆、緊張してる?」

 

「またそれ聞くの?」

 

「だってさっきより静かになった」

 

「中に入るんだから、ちょっと集中してるだけ」

 

「それを緊張って言うんじゃない?」

 

「違う」

 

「じゃあ怖い?」

 

「それも違う」

 

 前を歩いていた千尋が振り返る。

 

「別に怖くてもいいんだよ。初めてなんだし」

 

「二人とも、私を怖がらせたいの?」

 

「違うよ。私も最初はちょっと怖かったから」

 

 みつみが答えると、志帆がこちらを見る。

 

「みつみも?」

 

「うん。入口見たとき、思ってたより暗いなって思ったし。入ったらもっと暗かった」

 

「それ、安心させる説明になってないよね」

 

「でも楽しかったよ」

 

「そこ先に言って」

 

 三人で笑う。

 

 そのまま入口を抜けた。

 

 施設側の明かりが届く場所から、少しずつ奥へ進む。

 

 人工的に整えられた部分が終わり、岩肌が見え始める。

 

 空気が変わる。

 

 少し湿っていて、外よりひんやりしている。水滴が落ちる音が、暗い奥から響いてきた。

 

 そこで志帆が止まった。

 

 みつみも一緒に止まる。

 

 千尋は二歩ほど先へ行ってから振り返った。

 

 志帆は何も言わず、ライトを壁へ向けた。

 

 岩の凹凸を照らし、次に天井、足元、そしてまた壁へ光を戻す。

 

「……写真と全然違う」

 

 ぽつりと言った。

 

 みつみは少し笑う。

 

「でしょ?」

 

「もっと平らな岩壁だと思ってた。写真だと影が潰れてるからかな。実際は細かい凹凸がかなりあるし、ここなんて表面が濡れてる。ライト当てると反射も――」

 

 志帆が一歩、壁の方へ寄る。

 

 みつみはその横顔を見た。

 

 さっきまで少し硬かった顔が、もう違っている。

 

「志帆」

 

「なに?」

 

「楽しい?」

 

 志帆は壁を見たまま答えた。

 

「まだ入ったばっかりでしょ」

 

「でも楽しい顔してる」

 

「どういう顔よ、それ」

 

「なんか調べてるときの顔」

 

「今は調べてない。見てるだけ」

 

「同じじゃない?」

 

「違うって」

 

 千尋が笑った。

 

「二人とも、そこ前にもやってなかった?」

 

「何を?」

 

「見てるのと調べてるのは違うって話」

 

 志帆が少し考える。

 

「……したかも」

 

 みつみは覚えていなかった。

 

「まあいいや。行こう。前に行ったところ、志帆にも見せたい」

 

「前に話してたところ?」

 

「そう。分かれ道とか、休憩したところとか。実際に見ると全然違うと思うよ」

 

 志帆は一度、奥へライトを向けた。

 

 光の先は、すぐ暗闇に飲まれる。

 

「……うん。たぶん全然違う」

 

 千尋が二人の前へ出る。

 

「じゃあ今日はゆっくり行こう。志帆は初めてだし、二人ともジョブ取ったばっかりだから、試すなら安全なところでね」

 

 その言葉で、みつみは思い出した。

 

「そうだ、魔法!」

 

「忘れてたの?」

 

 志帆が驚いた顔をする。

 

「忘れてないよ。志帆見てたら一瞬だけ後ろに行ってた」

 

「一瞬でも忘れてたんじゃん」

 

「違うって。頭の中にはあったけど――」

 

 みつみは自分の手を見る。

 

 何も変わっていない。

 

 けれど、今はもうメイジだ。

 

「千尋、どこなら魔法試せる?」

 

「少し先に開けたところあるから、そこまで行ってから。いきなり何が起きるか分からないもの使わないでね」

 

「何が起きるか分からないって、そんな危ないの?」

 

「だから安全なところまで行くの」

 

 横から志帆が言う。

 

「私もヒーラーのスキル見たいし、最初は一個ずつ試してみない? みつみの魔法も見たい」

 

「じゃあ志帆からやる?」

 

「なんで私から?」

 

「詳しそうだから」

 

「初めてなのは同じなんだけど」

 

「じゃんけん?」

 

「そこ、じゃんけんで決めること?」

 

 また話がずれていく。

 

 千尋が前で笑っている。

 

 三つのライトが、暗い洞窟の中を並んで進んでいく。

 

 みつみにとっては三回目。

 

 志帆にとっては、初めてのダンジョン。

 

 そして今日は、三人で来た最初の日だった。


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