第66話 不要のYO!
砂浜を歩き始めて、最初に足を止めたのは佳奈子だった。
「待って。あれ、ほんとにカニ?」
少し先の波打ち際を、横向きの大きな影が歩いている。食卓で見るカニとは比べものにならない身体の前で、白い泡がぶくぶくと揺れていた。
「バブルクラブ」
志帆が名前だけ告げる。
「前も最初の方にいたよね」
みつみが懐かしそうに言う横で、千尋はもう《黒月》へ手を掛けていた。
絵美里はタワーシールドを前へ出し、砂を一度踏み込んで足場を確かめる。
「一体ですね。私が受けます」
《プロボーク》
バブルクラブの向きが絵美里へ変わった。
大きな盾の前へ進んでくる間に、千尋が横へ走る。
《サイレントステップ》
反対側では佳奈子が弓を構えた。
「じゃ、こっちから」
《カーブショット》
矢が盾の脇を避けるように軌道を変え、甲羅へ当たる。
みつみも少し位置をずらした。
《マジックボール》
魔力弾が続き、バブルクラブの動きが鈍る。絵美里が盾で正面を押さえている間に千尋が側面へ入り、《ウィークポイント》を使って《黒月》を振った。
それでも一撃では消えない。
「やっぱちょっと硬いね」
「前もそうだった」
みつみが二発目の《マジックボール》を撃つ。
志帆も千尋へ手を向けた。
《プロテクション》
「そのまま行って」
「了解」
千尋の次の一撃でバブルクラブが光の粒へ変わった。
佳奈子は弓を下ろしながら、何もなくなった砂浜を見る。
「見た目の割に、消えると急に何もなくなるね」
「ドロップしないこともあるよ」
千尋が《黒月》を鞘へ戻した。
「前も最初の一体は何も出なかった気がする」
「そこまで覚えてる?」
「なんとなく」
絵美里は会話には入らず、盾を戻しながら四人の位置を見ていた。
骨橋のときほど驚いた顔はしない。
みつみがそれに気づいて振り返る。
「今日はスキル多いって言わないの?」
「多いとは思ってます。でも、骨橋で見ましたから。先輩たちはこういう使い方をするんですよね」
そこで絵美里は千尋がいた位置へ目を向けた。
「ただ、千尋先輩が出る方向はまだ読みづらいです」
「そこまで読まなくていいよ」
「一緒に戦うなら見ます」
即答して、絵美里は先へ続く海岸へ向き直った。
◇
砂浜から岩の多い場所へ入るころには、佳奈子は何度も海の方を見ていた。
「普通に景色いいね。ダンジョンじゃなかったら、海来たって感じしかしない」
「モンスターいるけどね」
「そこが普通の海と一番違う」
みつみが足元の砂を見ながら歩いていたかと思うと、急にしゃがみ込んだ。
「あった」
「何?」
佳奈子がすぐ隣へ寄る。
みつみの指先には、小さな貝殻があった。白っぽい表面が、傾けるたびに青や緑へ淡く色を変える。
「虹色貝殻。前も拾ったやつ」
「これか。ちょっと見せて」
受け取った佳奈子は、海から来る光へかざすように角度を変えた。
「写真で見るよりいいじゃん。これ持って帰れるんだよね?」
「採取アイテムだから大丈夫。ポーションの材料になるのよ」
志帆が答えながら近づいてくる。
「具体的に何の種類へ使うかまでは、前に調べきれなかったけれど」
「じゃあ拾う」
佳奈子は迷わず自分のバッグへ入れた。
少し先を歩いていた絵美里も立ち止まっている。
「それは採取対象として価値があるんですね。それなら、ここで足を止める理由は分かります」
絵美里の答えに、佳奈子が貝殻をしまいながら笑った。
「価値なくても、きれいだったら拾うかもよ」
「……持ち帰れるなら、ですか?」
「持ち帰れなくても写真くらい撮る」
絵美里は一瞬だけ黙った。
何か言い返すのかと思ったが、佳奈子のバッグと足元の砂浜を見比べただけだった。
「行きましょう。ボスはまだ先ですよね?」
「まだ先」
千尋が先へ歩き出す。
その直後、今度は佳奈子が別のものを見つけた。
「これ?」
砂と岩の境目に、太い流木が横たわっている。
みつみが見た瞬間に笑った。
「あ、それ重いやつ」
「重いやつって何」
「前に千尋が持ってみて、私もやったの。見た目より全然重いよ」
「じゃあちょっとやる」
「やるんだ」
佳奈子は弓を邪魔にならない位置へずらし、流木の端を両手で掴んだ。
「……重っ」
「でしょ?」
「何これ。ほんとに木?」
少し浮いたところで諦めて手を離すと、流木が砂の上へ戻った。
志帆が笑いながら表面を見る。
「装備素材に使われるくらい硬いのよ。前も同じことしたわね」
「三人とも?」
「千尋とみつみが」
「私は見てたわ」
「志帆だけ賢い」
佳奈子が手についた砂を払う。
絵美里は流木へ一度目を向けてから、四人を見た。
「持ち帰るんですか?」
「持ち帰らないよ」
みつみが答える。
「重いし」
「では、今のは何の確認だったんですか?」
「どれくらい重いか?」
佳奈子が首を傾げる。
「前に二人がやったって聞いたら、ちょっと持ってみたくならない?」
絵美里は流木を見る。
それから佳奈子を見る。
「……私は、先に持ち帰るかどうかを考えます」
「絵美里ちゃんはそうだろうね」
千尋が笑った。
今度は絵美里も否定せず、そのまま歩き始めた。
◇
磯へ入ると、足元の形が複雑になる。
千尋が少し先を見に行き、残る四人は歩きやすい場所を選びながら進んだ。
「前、ここででっかいヤドカリ出たよ」
みつみが言った直後、岩の向こうから巻貝が動いた。
「言ったそばからじゃん」
佳奈子が弓へ手を掛ける。
殻の下から脚と鋏が見える。
「シェルハーミットね」
志帆が確認すると、絵美里が前へ出た。
「ここは足場が狭いので、私の後ろへ固まりすぎないでください。動ける場所を残してください」
《フォーメーション》
絵美里を基点に補助が広がる。
続けて《プロボーク》。
シェルハーミットが絵美里へ向いたところで、千尋が戻ってきた。
「右から行ける」
「お願いします」
千尋が岩の間を抜ける。
佳奈子はすぐには撃たず、射線が開くまで一歩ずつ位置を変えた。みつみは杖を構えながら足元へ視線を落とし、通り道にならない場所を選ぶ。
《マジックマイン》
設置を終えると、そのまま《マジックボール》を放った。
絵美里の盾へ意識を向けたシェルハーミットに魔力弾が当たる。
《ダブルショット》
佳奈子の矢が続いた。
千尋が反対側へ回り込み、《黒月》を入れる。
戦闘は長く続かなかった。
光の粒が消えたあと、岩場に巻貝の貝殻は残っていない。
「なし」
みつみが足元を見る。
「毎回出るわけじゃないからね」
千尋は気にせず先を見た。
絵美里は盾を下ろしながら、みつみが設置していた場所へ視線を向ける。
「今の《マジックマイン》、結局踏ませませんでしたよね」
「うん」
「それでも使うんですか?」
「通ってほしくない場所に置いたから、来なかったならそれでよくない?」
絵美里が少し考える。
「……攻撃ではなく、進路を限定するために置いたんですか?」
「そこまで大げさに考えてないよ。ここ来られたら嫌だなって思って置いただけ」
絵美里はまた少し黙った。
「分かるような、分からないような……」
「それ、最近よく言ってるね」
千尋に言われ、絵美里は返さなかった。
代わりに、少し先の岩へ目を向ける。
「何かいます」
岩の上に、ぬるりとした大きな軟体生物がいた。
佳奈子が足を止める。
「何あれ。ウミウシ?」
「私は最初ナメクジかと思った」
みつみが答える。
「インクスラッグよ」
志帆が言う。
千尋は進行方向を確認した。
「こっちには来てないね」
「倒さないの?」
佳奈子が聞く。
「前も倒さなかった。邪魔じゃなかったし」
「じゃあ私も別にいいや。でもちょっと見たい」
佳奈子はその場から動かず、岩の上のインクスラッグを眺めた。
みつみも隣で見る。
「やっぱウミウシっぽくない?」
「ナメクジも入ってるでしょ」
「どっちでもいいけど、見た目ちょっとすごい」
志帆まで視線を向けたところで、絵美里が一度だけ進行方向を見た。
「……進路から外れてますし、討伐する予定もないんですよね。じゃあ、何を確認してるんですか?」
「初めて見たから」
佳奈子が先に答える。
「私は前に見たけど、もう一回見てる」
みつみも続く。
志帆は少し考えた。
「私は、佳奈子が何て言うか気になっただけね」
「私?」
「前は三人で見た目の意見が割れたから」
「じゃあ私はウミウシ寄り」
佳奈子が即答する。
「二対一になった」
「何の勝負なのよ」
志帆が笑う。
絵美里は、その会話を止めなかった。
しばらくして佳奈子が満足したように立ち上がると、絵美里も何も言わず歩き始めた。
◇
そのあとも海岸線は続いた。
前に来た三人は、見覚えのある場所で足を止めることもあれば、そのまま通り過ぎることもある。
佳奈子は初めて見るものへ気づくたびに、自分から近づいたり、写真を撮ったりした。
絵美里は最初のうち、そのたびに進行方向と四人を見比べていた。
けれど、途中からは聞く回数が減った。
納得したわけではなさそうだった。ただ、誰が何を見つけたときに止まり、誰が興味を示さなければそのまま進むのかを、戦闘のときと同じように見ている。
磯を抜け、再び砂浜が長く続く場所へ出る。
先を歩いていた千尋が足を止めた。
「見えた」
その声で、みつみと志帆も前を見る。
三人にとっては二度目だった。
佳奈子と絵美里は初めて見る。
砂浜の先に、大きなヒトデのような身体が広がっている。表面にはいくつものトゲが突き出し、その向こうにも海岸線は続いていた。
「……でか」
佳奈子が小さく言う。
「ほんとにでっかいヒトデだったでしょ」
みつみが少し得意そうに答えた。
絵美里は笑わない。
スパインスターとの距離、周囲の砂浜、四人の位置を順番に確認し、タワーシールドを握り直す。
「前は、ここで帰ったんですよね」
「うん」
みつみも杖を持ち直した。
「今日は帰らないけどね」
五人は十分に距離を残したまま、スパインスターを見た。




