第60話 入口と出口
水辺での話は、結局そのあともまとまらなかった。
春休みにどこへ行くかという話をしていたはずなのに、途中から「朝は何時まで寝ていていいのか」になり、そこから今度は、休みの日に昼まで寝るのは得か損かという話になっている。
「得とか損とかじゃなくない? 休みなんだから寝たいだけ寝ればいいじゃん」
佳奈子はそう言いながら、レジャーシートの真ん中に残っていた菓子へ手を伸ばしかけた。
その直前に、千尋の指が最後の一個をつまむ。
「あ」
佳奈子の声に、千尋の手が止まる。
「食べたかった?」
「いや、最後だったなって思っただけ。いいよ、食べて」
千尋はそのまま菓子を口へ入れた。佳奈子も気にした様子はなく、空になった袋を取ってゴミ袋へ入れる。
みつみはペットボトルを逆さにしてみたあと、もう一度口をつけた。
「なくなった」
「逆さにして増えたら怖いわよ」
志帆のボトルにも少しだけ残っていた。志帆はそれを飲み切ると、空のボトルを横へ置く。
「そろそろ片づける?」
みつみがスマートフォンで時間を確認した。
「まだちょっと早くない? 帰る時間まで三十分くらいあるよ」
「食べるものはもうないけどね」
千尋がシートの上を見回すと、みつみはそのままスマートフォンを膝へ置いた。
「じゃあ話すしかないじゃん」
「さっきからずっとそうでしょ」
佳奈子が笑った。
水の音は変わらず、岩場の端を細く流れている。四人が座っているシートの上だけが、来たときよりずっと散らかっていた。
千尋が膝を立てたまま、スマートフォンを眺める。
「春休み、一回くらいちょっと遠いところ行きたいな。日帰りで行ける範囲でも、まだ行ったことないダンジョンいっぱいあるし」
「遠いのは交通費もかかるよ。私、ダンジョンだけじゃなくてカラオケも行きたいし」
佳奈子は言いながら、ゴミ袋の口をゆるく結び直した。
「春休みなんだから、普通に遊ぶ日も欲しい」
「カラオケいいじゃん」
みつみが先にそちらへ食いつく。
「ダンジョンの話、一瞬で負けた」
千尋は笑ってから、スマートフォンをみつみの方へ向けた。
「でも、こっちも見て。ここなら電車で行けそう」
「待って、いくら?」
今度は佳奈子が画面を覗き込む。
「虎ヶ崎で稼いだ分、もう使った?」
「私はまだ残ってる」
「私も」
みつみだけ少し黙った。
三人の視線が集まる前に、みつみは自分から口を開く。
「全部じゃないよ」
「何に使ったの?」
千尋に聞かれ、みつみは一瞬だけ考えた。
「お菓子とか」
「何回分?」
「覚えてない」
佳奈子が声を上げて笑い、志帆も口元を緩めた。
「じゃあ、また毛皮?」
「それはもういいかな」
みつみの返事が思ったより早く、今度は千尋が笑う。
「金策しに行ったのに、普通にバイトしたほうが早いって結論だったもんね」
「でも、ダンジョンで稼げる方法を探すのは少し面白そう」
志帆が空のボトルを指先で転がしながら言った。
「毛皮以外にもあるでしょうし、私たちのレベルなら、前より選べる場所も増えてるはず。効率だけ考えるならアルバイトでしょうけど」
「遊びながら増えたら一番いい」
みつみがすぐ乗る。
「それ、前も同じこと考えて虎ヶ崎行かなかった?」
佳奈子の言葉に、四人の間でまた笑いが起きた。
結局、春休みに何をするかは決まらなかった。
遠くへ行きたい日もあれば、近場で遊びたい日もある。佳奈子は何もしない日とカラオケも欲しいと言い、志帆は一度くらい装備を見に行きたいと言った。千尋は行ったことのない場所を探し始め、みつみはその画面を横から覗いている。
春休みはまだ始まってもいない。話は決まらないまま、次の話題へ流れていった。
◇
「よし、今度こそ片づけよ」
先に立ち上がったのは千尋だった。
佳奈子がレジャーシートの上のゴミを集め、みつみは自分の鞄の横に落ちていた菓子の切れ端を拾う。志帆は置いていた装備を戻し、四人でシートを畳んだ。
来たときには食べ物で膨らんでいた袋も、帰りはずいぶん薄い。
「忘れ物ない?」
佳奈子が周囲を見回す。
みつみも岩場を一周見てから、さっきまで座っていた場所へ視線を戻した。
「ないと思う。ちゃんと見たよ」
千尋が笑いながら先に通路側へ出る。志帆も最後に足元を確認し、四人は水辺を離れた。
帰り道は、来たときと同じだった。
見慣れた岩壁と曲がり角を抜け、来たときと同じ道を入口へ戻る。急ぐ理由も、寄り道する理由も特になかった。
「なんか、本当に終わりっぽい。一年生最後のダン活」
みつみが歩きながら言うと、千尋が横目で見る。
「自分で最後って言ってるからじゃない? 別に、明日からダンジョン禁止になるわけでもないし」
「じゃあ言わなかったら終わりっぽくないのかな」
前を歩いていた佳奈子が振り返らずに笑う。
「明日になったら普通に別の話してるって。春休みの予定、まだ何も決まってないんだし」
「それはたぶん、そうね」
志帆も少し笑って返した。
施設へ戻り、いつもの手続きを済ませて外へ出る。
一年生最後のダン活は、それで普通に終わった。
◇
数日後。
終業式が終わって教室へ戻ると、いつもの教室なのに、朝より少しだけ落ち着かない空気になっていた。
担任から通知表や残りのプリントが配られ、あちこちで椅子を引く音や鞄のファスナーを閉める音がする。すでにかなり片づけていたロッカーにも、最後まで残っていたものが少しだけあった。
みつみは通知表を開いてしばらく眺めたあと、斜め前の千尋の手元を見た。
「千尋の見せて。私のはもう見たから」
「見たら次は人のになるのおかしくない? やだよ」
千尋は通知表をさっと閉じ、みつみから見えないように鞄へ入れた。
その横では、佳奈子が自分のものをさっさとしまっている。
「佳奈子は?」
「見せないよ。聞かれる前に言っとく」
「まだ何も言ってない」
「顔が言ってた」
みつみが志帆を見ると、志帆も自分の通知表をクリアファイルへ滑り込ませた。
「私も見せないわよ」
「全員ひどい」
「なんでみつみだけ見る側なの」
佳奈子に言われ、みつみは自分の通知表を胸元へ寄せた。
「じゃあ私も見せない」
「誰も頼んでないけど」
四人で笑っている間にも、教室の中では机を動かしたり、友達同士で写真を撮ったりする声が続いている。
みつみたちも自分の周りを片づけた。机の中を確認し、ロッカーに何も残っていないことを見て、鞄へ最後のプリントを押し込む。
今度は、ちゃんと入った。
「これで一年生終わり?」
鞄のファスナーを閉めながら、みつみが聞く。
佳奈子は椅子を机の中へ戻した。
「終わり。あとは春休み」
千尋が教室を見回しながら立ち上がる。
「次の登校日には、もう二年生じゃん」
「そうね。まだちょっと変な感じ」
志帆も鞄を肩へかけた。
「クラス替えもあるんだよね」
みつみの言葉に、佳奈子が「あるね」と返す。
「まあ、それは来てからでしょ。今考えても分かんないし」
「それもそうか」
教室を出る生徒が増え、四人もその流れに混ざった。
廊下を歩き、階段を下り、下駄箱で靴を履き替える。いつも何度も通った道なのに、一年生として歩くのは今日で最後だった。
だからといって、四人の話が特別になるわけではない。
「春休み、最初どこ行く?」
校舎を出たところで、みつみがまた言った。
「この前も結局決まらなかったじゃん。私は今日はもう決めないよ。帰ったら寝る」
佳奈子は笑いながら鞄を持ち直した。
「まだ昼だよ?」
「だから昼寝。休み前くらい好きに寝かせて」
千尋が二人の横でスマートフォンを取り出した。
「じゃあ候補だけ送っとく。暇なとき見て」
「私も気になるところがあったら送るわ」
志帆も鞄からスマートフォンを出す。
みつみはすぐ千尋の画面へ寄ったが、佳奈子は少し先を歩きながら「あとで見る」とだけ返した。
校門を出ても、話していることはいつもと大して変わらない。
高校一年生、終了。
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