第58話 鞄に入りきらない一年
三月に入ると、教室の後ろに貼られた予定表から、空いている日が急に減った。
授業そのものはまだある。それでも、使い終わった教材を持ち帰るように言われたり、ロッカーの中を片づけるように言われたり、年度末らしいことが少しずつ増えていた。
放課後、佳奈子は自分のロッカーから出てきた紙の束を机へ置き、その厚さを見て眉を寄せた。
「これ全部、今日持って帰るの無理じゃない?」
隣の机で鞄を開いていた千尋が、束の上から数枚めくる。
「いらないの混ざってない? 一学期のプリントとかあるよ」
「ある。なんで残ってるんだろ」
「佳奈子が残したからでしょ」
「そうなんだけど、今の私は去年の私に文句言いたい」
少し離れたところでは、みつみもロッカーの中身を机へ広げていた。教科書とノートの間から、いつ入れたのか本人も覚えていないらしい飴の包みが一つ出てきて、しばらく眺めたあとゴミ箱へ持っていく。
志帆は必要なものと捨てるものを分けながら、教室の後ろを見た。
「予定表も、もうほとんど残ってないのね」
その声に、佳奈子が振り返る。
壁に貼られた三月の予定は、今までよりずっと短く見えた。通常の授業が並ぶ日はもう多くない。その先にあるのは、一年生最後の日までの予定だった。
佳奈子は手にしていたプリントを机へ戻した。
「待って。もう一年生終わるじゃん」
みつみも予定表を見る。
「早くない? 入学したのこの前じゃん」
「それはさすがにないよ。夏休みも冬休みもあったし」
千尋が笑うと、みつみは予定表と自分の机を見比べた。
「でも、なんかそんな感じする。まだこの教室、来たばっかりみたいなのに」
志帆も自分の席へ戻りながら教室を見回した。見慣れてしまえば何でもない机の並びも、最初に入った日はもう少し広く見えた気がする。
「毎日来ていたから、途中は長かったのにね。終わるって分かると急に短く見える」
「それ。テストのときは全然早くなかった」
佳奈子が即座に返し、千尋が笑った。
「期末の前だけ時間遅くなってた?」
「絶対なってた。範囲表もらってからだけ一日長かったもん」
みつみは片づけ途中のノートを鞄へ入れながら、少し考える。
「一年生終わるなら、なんかしたいね」
その一言で、四人の手が止まったわけではない。
千尋はプリントの角を揃え、志帆は使わない紙をまとめ、佳奈子はロッカーからもう一冊ノートを引っ張り出している。片づけを続けながら、話だけが自然にそちらへ向いた。
「打ち上げみたいなの?」
佳奈子はノートの中身を確かめてから、机の端へ置いた。
「別に大げさじゃなくていいけど、ご飯でも食べる? 四人でどっか寄ってもいいし」
「学校帰りじゃなくてもいいんじゃない?」
千尋が鞄のファスナーを閉める。
「せっかくなら休みの日にどっか行きたい。遠くまで行かなくても、朝から出て夕方まで遊ぶとか」
それを聞いたみつみが、手にしていた教科書を鞄へ押し込みながら顔を上げた。
「じゃあダンジョンでやろうよ。ご飯持ってって、そこで食べればいいじゃん」
「打ち上げを?」
「うん。ダンジョンで」
佳奈子は一瞬だけ考え、それから笑った。
「それ、普通にありかも。店だと食べたら終わりだけど、ダンジョンならその前後も遊べるし」
今度は志帆が会話へ入る。
「それなら骨橋は? 前に行った、水が流れている広いところ。あそこなら四人で座っても邪魔になりにくいし、食べ物を広げる場所も取れそう」
「あそこか」
千尋もすぐ思い出したらしく頷いた。
「地元なら食べ物持って移動するのも楽だね。虎ヶ崎まで持っていくとかだったら、着く前に面倒になりそうだし」
「私、なると思う」
佳奈子は迷わず言った。
「朝から遠くまで行って、食べ物も飲み物も持って、帰りも電車って聞いた時点で、打ち上げより荷物のこと考える」
「じゃあ骨橋」
みつみはもう決まったような顔をしている。
千尋が笑って、机の上のみつみの教科書を指した。
「その前に、それ全部入る?」
みつみは自分の鞄を見る。さっき無理やり入れた教科書のせいで、まだ半分ほど残っているのにかなり膨らんでいた。
「入らない」
「一回、打ち上げより今日の荷物どうするか考えたほうがいいんじゃない?」
「明日も持って帰ればいい」
「最初からそうしなよ」
みつみは二冊だけ机へ戻し、何事もなかったようにスマートフォンを取り出した。
◇
四人の机が片づいたころには、話は「何かやろう」から「骨橋で何を食べるか」に変わっていた。
佳奈子がスマートフォンで近所の店を見ながら、候補をいくつか開いていく。
「お菓子だけだと打ち上げ感なくない? 昼ご飯ちゃんと持っていこうよ。パンでもおにぎりでもいいけど」
「途中でコンビニ寄ればよくない?」
千尋は椅子の背にもたれ、佳奈子の画面を横から見る。
「四人それぞれ食べたいの買ったほうが楽だし。誰かが全部決めると、当日になって別のもの食べたくなるでしょ」
「それはある」
みつみが頷いた。
「私、行ったら変わるかも」
「行く前から言わないで」
佳奈子は笑い、検索画面を閉じた。
志帆は少し考えてから、自分のスマートフォンにメモを作る。
「食べ物と飲み物は当日でいいとして、敷くものは持っていったほうがいいわね。あの辺、座れはするけど地面に直接は嫌でしょう」
「レジャーシート?」
「それで十分だと思う。あとはゴミ袋。食べたものを持ち帰るなら必要だし」
千尋が頷く。
「それくらいなら、荷物もそんなに増えないね」
みつみが志帆の画面を覗き込んだ。
「ダンジョンでピクニックみたい」
「打ち上げじゃなかったの?」
佳奈子が聞くと、みつみは少し考えた。
「打ち上げピクニック」
「名前はどっちでもいいよ」
千尋が笑う。
志帆はメモのタイトル欄へ指を置いたまま、三人を見る。
「じゃあ『一年生最後のダン活』でいいんじゃない? 何をするかは当日変わるかもしれないし」
佳奈子が少しだけ目を細めた。
「それ、なんかちゃんと最後っぽいね」
四人の間に、ほんの少しだけ静かな時間ができた。
終わると言っても、卒業するわけではない。学校へ来なくなるわけでもないし、四人で遊ぶことをやめるわけでもない。
ただ、「一年生の四人」でいられる日は、もう少ない。
みつみはその空気に長く浸るより先に、志帆のスマートフォンを指した。
「でも打ち上げは入れて。何も知らないで見たら、普通にダンジョン行く日だと思う」
「確かに。それなら――」
志帆が文字を打ち直す。
『一年生最後のダン活・打ち上げ』
「これでいい?」
「いいじゃん」
千尋が答え、佳奈子も頷く。
「それなら当日忘れない。たぶん」
「打ち上げの日を忘れることある?」
「予定入れたと思って、入れてないことはある」
「それはあるかも」
みつみが佳奈子側へ回ったことで、二人はそのまま互いのカレンダーを開き始めた。
◇
日程は思ったより簡単に決まった。
学校の予定と四人の予定を重ねて、次の休みに骨橋へ行くことになった。
みつみはグループの予定へ『骨橋・打ち上げ』と入れ、スマートフォンを机の真ん中へ置く。
「できた」
千尋が画面を確認する。
「今回は攻略しなくていいよね。水辺まで行って、食べて、あとはそのとき決める感じで」
「賛成。せっかく初心者ダンジョンなんだから、予定を詰める必要もないでしょ」
佳奈子はそう言いながら、机の上に残っていた最後のプリントを鞄へ入れた。
志帆も椅子を机へ戻す。
「久しぶりに骨橋へ行くなら、前と同じ道を歩くだけでも少し違って見えるかもしれないわね。最初の頃は、あそこへ行くこと自体がちゃんと探索だったし」
千尋が志帆を見る。
「そこまでしんみりする?」
「別にしんみりしてないわよ。そういうのも面白そうって言っただけ」
「それなら分かる」
みつみは二人のやり取りを聞きながら、もう一度予定表を見た。
骨橋へ行く日。その先に、一年生最後の日。
今度は「もう終わる」より、「その前にまだ遊べる」が先に見えた。
「じゃあ、次は骨橋ね」
みつみがスマートフォンを鞄へ入れる。
四人はそれぞれ、いつもより少し重くなった荷物を持って教室を出た。
廊下の先には、三月の夕方の光が長く伸びていた。




