第54話 ゴールへの道は一日にしてならず
狩造ダンジョンへ入って最初に見えた飛び石を前に、佳奈子が言った。
「今日はそっち行かない」
前に来たときは、入ってすぐに真っ先に飛び石へ向かった本人である。
浅い水の向こうには、前回と変わらず大小の中洲が点々と浮かび、その間を細い水路が走っていた。背の高い葦、半分だけ水に沈んだ石造物、根を張り出した木や倒木。そのさらに向こうには、ゴールのある方向がぼんやりと見えている。
「前、そこ行きたがってたじゃん」
千尋が飛び石を指すと、佳奈子はクイーバーの位置を直しながら、右手に広がる葦原を見た。
「だから。そこはもう行ったから今日はこっち。せっかく二回来たのに、同じところ通るのもったいなくない?」
「分かる」
みつみは即答して、佳奈子が見ていたほうへ向きを変えた。
志帆も少し先の地形を眺める。葦の間には水面が見え、その奥でいくつかの小さな中洲が途切れ途切れにつながっていた。
「前より遠回りにはなりそうね。でも、今日は別に最短でゴールへ行く必要もないし」
みつみが、遠くに見えるゴールの方向へ目をやった。
「ゴールは行くよね?」
「それは行きたい」
千尋はそう答えてから、前回通った飛び石と葦原を見比べた。
「前に『通ってないところいっぱいある』って言ったし。今日はなるべく前と違う道で行って、最後はまたゴールまで行こうよ」
それで決まった。
四人は飛び石を横目に、葦の生える浅瀬へ入っていった。
◇
足首より少し上まで水に浸かりながら進むと、前回より歩く速度はかなり遅くなった。
水底は見えるところと見えないところがあり、同じ深さに見えても一歩ごとに沈み方が違う。千尋が少し先で足を止め、右へ避けた。
「そこ、なんか嫌」
後ろを歩いていたみつみが、千尋の避けた水面を覗き込む。
「深い?」
「分かんない。深いって感じじゃなくて、なんか――」
千尋が最後まで言う前に、避けた場所の水面が揺れた。
透明に近い青色の塊が、水の中からぬるりと形を現す。
「あ、アクアスライム」
みつみが杖を持ち直す。
千尋自身も少し驚いた顔をしてから、腰の《黒月》へ手を伸ばした。
「いたんだ」
志帆は千尋が避けた場所とアクアスライムを交互に見る。
「今の、エクストラセンス?」
「たぶん。でも『スライムがいる』とは全然分かんなかった。踏みたくない感じがしただけ」
アクアスライムはもう姿を見せている。佳奈子が弓を構え、みつみも杖を上げた。
浅瀬では千尋が走り回れる場所が狭い。そこで無理に前へ出ず、水から出ようとしたアクアスライムへ佳奈子の矢が刺さる。続けて《マジックボール》が当たり、最後に千尋が水際から一歩だけ踏み込んで《黒月》を振った。
光の粒が水面へ散り、何も残らない。
佳奈子が弓を下ろしながら、足元の水を見た。
「こういうのがいるなら、水の中ずっと見ながら歩くの疲れそう」
千尋はさっき避けた場所をもう一度見た。
「全部分かるわけじゃないけど、変だと思ったら避けるくらいには使えそう。むしろ何か分からないから、毎回立ち止まりそうだけど」
みつみが千尋の隣まで来て笑う。
「それはそれで千尋らしくないね。前だったらとりあえず踏んでたかも」
「踏まないよ」
千尋が即座に返すと、みつみは顔を覗き込んだ。
「今ちょっと考えたでしょ」
「考えてないって」
二人が言い合っている横で、志帆は別の方向へ進み、浅瀬の先にある倒木を見ていた。
「こっち、渡れそうよ」
太い倒木は水路を斜めにまたぎ、反対側の中洲まで届いている。ただし表面は濡れていて、途中には水面すれすれまで沈んでいるところもあった。
佳奈子が近づき、倒木の先を見る。
「これ行こ。さっきから水の中歩いてるし、ちょっと陸っぽいところ歩きたい」
みつみが倒木を見上げる。
「それ陸ではないよ」
「水の中じゃなければ今はだいたい陸」
佳奈子はそう言って、もう倒木へ片足を乗せていた。
四人は倒木へ向かった。
最初に乗った佳奈子は、弓をハーネスへ固定し、両手を空けてゆっくり進む。前回より装備の扱いに迷いがなく、途中で身体を低くしても矢筒が大きく揺れない。
「これ、やっぱ便利。前だったら絶対どっか引っかけてる」
後ろから見ていたみつみが頷く。
「それ選んで正解だったね」
みつみも続こうとしたところで、佳奈子が振り返った。
「待って。ここ滑る」
示された場所を避け、みつみは少し横へ足を置く。二人が向こう側へ着いたあと、千尋は倒木ではなく水路のほうを見た。
「私、こっち歩けそう」
向こう側から佳奈子が振り返る。
「また別で行くの?」
「だって浅いじゃん。倒木より早いか試したい」
志帆も水路を覗き込んでから、そのまま千尋の隣へ下りた。
「私はこっちにする。さっきから倒木ばかり見てたから、水深のほうが気になる」
佳奈子が倒木の向こうから手を振る。
「じゃ、向こうで」
同じ中洲を目指して、みつみと佳奈子は倒木、千尋と志帆は浅瀬を進む。
結果だけなら、ほとんど同時だった。
先に中洲へ上がった佳奈子が、浅瀬から上がってくる二人を見て言う。
「引き分け」
その直後、千尋と志帆のすぐ横で葦が大きく揺れた。
飛び出してきたリードフロッグが、二人のいる浅瀬へ落ちる。水しぶきがまともにかかった。
「またカエル!」
千尋の声に、前回のことを思い出したのか、みつみが笑う。
「千尋、狩造来ると濡れるね」
「今それ言う?」
千尋が振り返ったところで、リードフロッグがもう一度跳ねる。
「右!」
志帆の短い声で千尋が動き、着地点を外した。
倒木側にいる佳奈子は、足場を確かめてから弓を構える。千尋と志帆が近いため、みつみは《ファイアボール》ではなく《マジックボール》を選んだ。
佳奈子の《ダブルショット》が一発目でリードフロッグの向きを変え、二発目が身体へ入る。その横から魔力弾が当たり、千尋が浅瀬を蹴って距離を詰めた。
リードフロッグが千尋へ向きを変えた瞬間、志帆が《プロテクション》を飛ばす。
千尋は浅瀬を蹴って攻撃をかわし、そのまま一気に距離を詰めた。《黒月》が振り抜かれ、リードフロッグが光になって消える。
中洲へ上がってきた千尋と志帆は、揃って袖や髪についた水滴を払った。
みつみが二人を見て笑う。
「やっぱり濡れたじゃん」
「今回は志帆もだから。私だけじゃない」
千尋が隣を指すと、志帆は濡れた袖を軽く絞った。
「私は千尋の近くにいただけなんだけど」
佳奈子が弓を戻しながら二人を見る。
「それを巻き添えって言うんだよ」
志帆が佳奈子へ顔を向ける。
「前もそんな濡れ方したの?」
千尋が大きく頷いた。
「した。だから狩造のカエルは信用しない」
その言い方がおかしくて、四人で笑った。
◇
中洲をいくつか越えたところで、四人は少し早めの休憩にした。
前回と違い、今日はゴールの方向へ一直線に近づいている感覚があまりない。水路を一本越えるたびに進めそうな場所が変わり、気づけば最初に見えていた方向から少し横へずれている。
佳奈子はペットボトルを飲みながら、スマートフォンで現在地の感覚を確かめるように周囲を見た。
「これ、進んでる?」
千尋が遠くを指す。
「たぶん。ゴールはさっきより少し近い。でも前回より横にいる。前はあのへんの中洲通った気がする」
みつみが、千尋とは少し違う場所を指した。
「あそこ、カニいたところじゃなかった?」
志帆は二人が指した先を見比べてから、少し考えた。
「シェルクラブなら、もう少し手前だったと思う。大きいほうと戦った場所はもっと先」
「カニの位置で地図作れそう」
みつみが言うと、佳奈子が笑った。
「嫌だな、その地図」
前回来た場所なのに、座って見える景色はかなり違った。
四人とも一度クリアしているから、遠くに見えるゴールを急いで目指す必要はない。それでも今日は、最後にはそこまで行くつもりで来ている。
休憩を終えて立ち上がったところで、千尋が自分のスマートフォンを見た。
「……十一になってる」
三人が千尋の周りへ寄る。
最初に画面を覗き込んだ佳奈子が聞いた。
「何か増えた?」
千尋はスキル欄を下まで見て、首を振った。
「増えてない。レベルだけ」
佳奈子は画面を見たまま言う。
「じゃあ十一」
千尋が佳奈子を見る。
「十一だけ、みたいに言わないでよ」
「でも十のときはエクストラセンスあったじゃん。今回は数字だけでしょ?」
「数字だけでも上がったら嬉しいから」
千尋は言いながら、少しだけ笑って画面を閉じた。
「まあ、次のスキルが何レベルかも分かんないし。今はこれでいい」
そのまま先へ歩き出す。
みつみもすぐ後ろについていったが、数歩で別のことに気づいた。
「千尋、十一なら今日の中で一番上?」
「今はね」
みつみが少し声を改める。
「じゃあ先輩」
千尋は振り返りもしなかった。
「やめて」
「千尋先輩、あっち浅そうです」
みつみが指差した先を見て、千尋が笑う。
「それ普通にみつみが行きたいだけでしょ」
少し先で、佳奈子が笑いながら二人を追い越した。
◇
午後になるころには、ゴールのある方向がかなり近くなっていた。
ただし、その手前を幅の広い水路が横切っている。
安全そうなのは、少し離れたところから大きく回り込むルートだった。足場も見えやすく、急いでいなければそちらで困ることはなさそうだ。
けれど四人の視線は、自然と別のほうへ向いていた。
佳奈子が見ていたのは、水面からところどころ頭を出している半水没の石だった。
「たぶん、これ行ける」
一直線ではない。途中で右へずれ、最後だけ少し間隔が広い。その先には太い木の根が水面へ張り出し、中洲へつながっている。
みつみが最後の石と木の根の間を覗き込む。
「最後のところ、ちょっと遠くない?」
千尋は別の石へ片足を乗せ、靴底を軽く動かした。
「飛べないほどじゃないけど、滑ったら普通に水だね」
志帆は迂回路と石の列を見比べた。
「戻るほどではないけど、失敗すれば膝くらいまでは入りそうね」
佳奈子は石の列をもう一度見たあと、先へ進む側へ身体を向けた。
「それなら行く。前は安全なほう回ったんだし、今日はこっち来たんだから、ここでまた同じ道に戻るのもったいない」
みつみもその場で頷く。
「私も行く」
千尋が石へ乗りながら、三人を見た。
「じゃあ、落ちた人は笑われるってことで」
佳奈子が千尋を見返す。
「助けてから笑って」
「そこは助けるよ」
四人は一人ずつ進んだ。
佳奈子は両手を空けるため弓をハーネスへ固定し、石から石へ慎重に渡る。最後の少し広い間隔だけは一度止まったが、勢いをつけて飛び、向こう側の木の根へ無事に乗った。
「いける!」
その声を聞いて、みつみも続く。
三人目の志帆は途中まで問題なかった。だが最後の石へ乗った瞬間、靴底がわずかに滑った。
木の根まで渡っていた佳奈子が手を伸ばす。
「志帆!」
その手が届くより先に、志帆は身体を立て直した。
「《フィジカルブースト》」
短く発動し、踏み切る。
いつもより少し強く跳んだ身体が木の根へ届き、両足で着地した。
佳奈子が思わず笑う。
「……今の便利」
志帆も少し息を吐きながら、自分の足元を見る。
「私もそう思う。地味だけど、こういうときはかなり好き」
最後の千尋が渡ろうとしたところで、その背後の水面が揺れた。
アクアスライムが二体、石の近くから姿を現す。
佳奈子がすぐ弓を外す。
「千尋、そのまま来て!」
千尋は振り返らず、最後の石から木の根へ飛んだ。
四人全員が中洲側へ集まったのを見て、みつみが杖を上げる。
「今なら離れてる。《ファイアボール》!」
狙ったのは、二体の間にある浅瀬だった。
火球が水面近くで爆ぜ、炎と熱、衝撃が二体をまとめて巻き込む。水しぶきが上がり、アクアスライムの形が大きく崩れた。
それでも一体は残り、こちらへ向かってくる。
佳奈子が弓を引きながら言う。
「一発で全部は無理か」
「分かってる!」
みつみはすぐ《マジックボール》へ切り替える。
佳奈子の矢とほぼ同時に当たり、最後のアクアスライムも光になって消えた。
何も残らない。
四人はしばらく水面を見ていたが、佳奈子が弓を戻した。
「今のファイアボール、前より使い方慣れた?」
みつみは、さっき火球を落とした水面を見ながら頷く。
「ちょっと。みんながこっちにいるって分かってたから撃ちやすかった」
佳奈子が渡ってきた石の列を振り返る。
「それなら、私が先に渡ったのも役に立ったことにしとこ」
千尋が笑った。
「最初から渡りたかっただけでしょ」
「それはそう」
佳奈子もあっさり認めた。
誰も否定しなかった。
◇
そこからゴールまでは、思っていたより近かった。
見覚えのある半水没の石造物が増え、少し先に、青白い光をたたえた石の門が見えてくる。
「あった」
みつみが足を止める。
千尋も隣で石の門を眺めた。
「前と違う側から見ると、ちょっと変な感じ」
初めてここまで来たときは、ジャイアントシェルクラブと戦ったあとで、全員かなり疲れていた。今日は泥や水で汚れてはいるものの、戦闘そのものより、どの道を通るかで何度も立ち止まった日のほうが近い。
佳奈子が来た道を振り返る。
「結局、前回覚えてる道、ほとんど通らなかったね」
遠くには、今歩いてきた中洲と葦原、水路が重なって見えた。そのどこを通ったのか、ここからではもうよく分からない。
志帆は石の門と、その向こうに見える青白い光を見た。
「それでも同じところに着くの、いいわね。正解が一つじゃないって、こういうことなんだと思う。前回の道を知ってるからこそ、別の道を選べるのも面白い」
みつみはもう一度、来た方向へ目を向けた。
「次来たら、また違うとこ行けるかな」
佳奈子はすぐに、途中で分かれていた別方向を指した。
「あるでしょ。私、途中で左のほうも気になってた。今日は千尋が『ゴールあっち』って言ったから曲がったけど」
千尋が佳奈子を見る。
「私のせいみたいに言わないで。今日は最後まで行くって決めてたじゃん」
「だから曲がったんだって。次なら行ける」
千尋は少し笑ってから、石の門へ向き直った。
「じゃあ狩造、まだ終わってないね」
みつみがすぐ隣から返す。
「前に一回クリアしてるけどね」
「遊ぶところが、って意味」
四人で門の前まで歩く。
前回と同じゴールだった。
でも、そこまで来た道はほとんど違っていた。
青白い光へ入る直前、佳奈子がスマートフォンを取り出した。
「待って。一枚だけ」
千尋が振り返る。
「またゴール写真?」
「同じ写真はいらない。今日はこっち」
佳奈子がカメラを向けたのは、四人ではなく、泥と水で汚れた四人分の靴だった。
みつみが自分の足元を見る。
「何で足?」
「今日いちばん頑張ったの、たぶん靴だから」
志帆も自分の濡れた靴を見て、少し笑う。
「それはある」
四人分の靴だけが並んだ写真を一枚撮り、佳奈子は満足そうにスマートフォンをしまう。
「よし。帰ろ」
そのまま四人は、見慣れた青白い光の中へ入った。
同じゴールへ来たのは二度目だった。
次に来たら、たぶんまた違う道を選ぶ。




