第52話 ソロとずんだと黒月と
年が明けて数日、千尋は父方の実家がある東北に来ていた。
初詣も済ませ、正月らしい予定がひと段落した日の午後、千尋はスマートフォンで近くを見ていて、それほど遠くないところに初心者向けのダンジョンがあるのを見つけた。
「へえ、こんな近くにあるんだ」
その日の残りの予定を確かめても、特に何も入っていない。考えてから、千尋は地図を閉じた。
「行ってみよっかな」
みつみたちと行く約束があるわけでもないし、一人で入るのも久しぶりだった。
行くと決めると、千尋は必要なものだけ確認して出かける準備を始めた。
◇
ダンジョン施設へ着いた千尋は、受付を済ませて共通保管庫へ向かった。
自分の武器を受け取ると、見慣れた黒い鞘が手元へ戻ってくる。
「ほんとに出てくるんだ」
全国の対応施設で受け取れることは知っていた。それでも、普段使っている自分の剣が東北の施設でも当たり前みたいに出てきたことが面白かった。
千尋は《黒月》を腰へ下げ、ほかの装備も整えて入口へ向かった。
中へ入ると、見覚えのない通路が先へ伸びていた。地元の初心者向けダンジョンと似ているところもあれば、道幅や曲がり方が違うところもある。
しばらく歩いても、近くにほかの探索者の姿は見えない。
千尋はそこで足を止め、腰の鞘へ手を掛けた。
黒い刀身を抜くと、表面が周囲の光を細く返す。刀身の根元には、小さな三日月の意匠が見えた。
「黒月……」
誰もいない通路に、自分の声だけが落ちる。
千尋は刀身を見たまま一拍黙り、それから口元を緩めた。
「……フフッ」
普段なら、名前を口にしたところを誰かに拾われるかもしれない。今日は完全に一人だった。
満足するまで一度だけ刀身を眺めると、《黒月》を鞘へ戻す。
「行こ」
千尋はさっきより足取りを速め、知らない道の先へ進んだ。
◇
最初の分岐では、千尋はすぐに左右を見比べた。
どちらへ行かなければならないという理由はない。先まで様子を見たあと、なんとなく右側の道を選んだ。
曲がり角へ近づいたところで《気配察知》に引っかかり、千尋は足を止める。
視界の先にはまだ何もいない。ただ、ごく近くに生き物がいることだけは分かった。
その場で待っていると、角の向こうからダンジョンラットが姿を現した。
「一体か」
千尋は《黒月》を抜いた。
向こうもこちらに気づき、低い姿勢から走り出す。千尋は正面で待たずに横へずれて勢いを外し、すれ違うところへ黒い刃を振るった。
短いやり取りでダンジョンラットが消える。
そのまま周囲を見回してから、もう一度《気配察知》を使う。近くに別の反応がないことを確かめ、千尋は剣を戻した。
「うん。使いやすい」
狩造でもクリダンでも使ってきた剣なのに、知らない場所で一人になると、軽さや振ったあとの戻しやすさをいつもより意識した。
その先では、分岐を見つけるたびに立ち止まり、気になったほうへ進んだ。進んだ先が思ったほど面白くなければ戻り、遠くに複数のモンスターが見えれば、わざわざ近づかず別の道へ回る。
しばらくして、通路の先に三体のモンスターが固まっているのが見えた。
千尋は足を止め、距離を測る。
「三体か……」
戦えない数ではないが、今日は倒すこと自体が目的でもなかった。
「まあ、いいや」
来た道を少し戻り、さっき通り過ぎた別の分岐へ入る。
別の道へ入ってしばらくすると、今度はゴブリンとホーンラビットが一体ずつ見えた。
距離はあるが、向こうもすぐに千尋へ気づいた。
「これはやろ」
千尋は《黒月》を抜き、先にホーンラビットへ《マーキング》を付けた。
ホーンラビットが横の通路へ走り込み、一度視界から消える。大まかな方向を意識したまま、千尋は正面から来るゴブリンへ身体を向けた。
《サイレントステップ》
足音を立てずに数歩分を一気に詰める。
ゴブリンが身構えるより先に、千尋はその脇へ抜ける。《ウィークポイント》で捉えた場所へ《黒月》を返すように振ると、黒い刀身が胴を捉え、ゴブリンが光の粒へ変わった。
ほぼ同時に、《マーキング》の感覚が近づいてくる。千尋が振り向くと、横の通路から戻ってきたホーンラビットが角を向けて走っていた。
「やっぱ来た」
今度は大きく距離を詰めず、直前まで待って身体をずらした。横を抜けたところへ一撃を入れると、勢いのまま先へ行きかけたホーンラビットの動きが鈍り、二撃目で消えた。
静かになった通路で、千尋は軽く息を吐いた。
「今の、いい感じ」
誰に言うでもなく呟き、《黒月》を鞘へ戻した。
先へ進んだところで、千尋は一度足を止めた。
《気配察知》で近くに反応がないことを確認し、壁際へ寄って飲み物を取り出す。四人で来たときの休憩なら、誰かが何かを食べ始めたり、さっきの戦闘の話になったりするところだが、今日は静かなままだった。
千尋はそれを気にせず、水を飲みながら今まで通った道を頭の中でなぞる。
右へ二回曲がり、途中で三体を避けて戻って、次の分岐で別の道へ入ったところで今の戦闘になった。
「次、あっち行ってみるか」
飲み物をしまい、先ほど見送った道へ向かう。
そこから何度か曲がりながら進んでいると、やがて前方に見覚えのある分岐が現れた。
「……あれ?」
左右を見て、後ろも振り返る。
間違いない。さっき通った場所だった。
「戻ってきたじゃん」
千尋は一人で笑った。
何かを見つけたわけではないが、この道が一周していることは分かった。なら、次に選ぶ道も決まる。
今度はまだ入っていないほうへ向かい、千尋はまた歩き出した。
その後も、見つけた分岐をいくつか試した。
初めての場所だから、どの道がどこへ続くのかは分からない。それでも、自分で選んだ先に何があるのかを確かめながら歩く時間は、千尋にとって十分に面白かった。
何度目かの分岐へ着いたところで、千尋はスマートフォンの時刻を確認した。
まだ先へ行く時間はある。目の前にも道は続いていた。
先を見てから、千尋はスマートフォンをしまう。
「……今日はここまでかな」
もう少し行けば何かあるかもしれない。それでも、今のところで折り返せば余裕を持って戻れる。
千尋は向きを変えた。
帰り道もただ同じところを戻るのではなく、覚えていた別の分岐を一つだけ覗いてから入口へ向かった。
施設へ出ると《黒月》を共通保管庫へ返し、荷物を整える。
もう一度ここへ来る予定は決まっていない。それでも、もし次があるならどの分岐を見たいかは、もう二つほど頭に浮かんでいた。
◇
帰りに立ち寄った土産物の売り場で、千尋は足を止めた。
菓子や土産が並ぶ中に、やたらと緑の目立つ一角がある。
「ずんだ……者?」
パッケージには、ずんだ餅を擬人化したキャラクターと一緒に、大きく『ずんだ者』と書かれていた。読み方は『ずんだもの』らしい。
「そのままじゃん」
思わず一人で言ってから、千尋は商品を手に取る。
中身はずんだを使った焼き菓子で、見た目は洋菓子そのものに近い。枝豆と焼き菓子の組み合わせは不思議だったが、近くには同じ『ずんだ者』の小物やグッズまで並んでいた。
千尋はグッズを一通り眺め、もう一度焼き菓子の箱へ戻る。
「これでいいか」
味だけなら、もっと無難なものもある。
けれど、三人へ持って帰るならこっちのほうが面白そうだった。
一箱を手に取り、そのままレジへ向かった。
◇
帰省から戻り、冬休みが明けた。
昼休み。いつものように四人で昼を食べている途中、千尋は思い出してバッグの中へ手を入れた。
「そうだ。これ、土産」
机の真ん中へ緑色の箱を置く。
最初に手を止めたのはみつみだった。
「何これ」
「ずんだ者」
「そのままじゃん」
千尋は思わず笑った。
「私も向こうで同じこと言った」
佳奈子が箱を手元へ引き寄せ、横からパッケージを見る。
「これ、『もの』って読むの? 『ずんだもの』?」
「そうみたい。者って書いて、もの」
志帆は会話を聞きながら箱の裏を見ていた。
「焼き菓子なのね。名前からもっと和菓子っぽいものを想像したわ」
「私も。見た目は洋菓子だったから買ってみた」
みつみはもう蓋へ手を掛けている。
「開けていい?」
「聞くなら返事待ってよ。もう開ける気じゃん」
みつみの手が止まった。
「じゃあ、いい?」
「いいよ」
箱を開け、四人で一つずつ取る。
みつみが最初にかじり、目を丸くした。
「普通においしい。もっと枝豆って感じするかと思ったけど、ちゃんとお菓子だ」
「お菓子として売ってるんだから、そこはちゃんとしてるでしょ」
佳奈子も一口食べてから、もう一度断面を見る。
「でも思ってたより合うね。名前でふざけてるのに味はちゃんとしてるじゃん」
「名前でふざけてるとは限らないでしょう」
志帆はそう言いながら、自分の分を食べた。
千尋も一口かじる。
枝豆の風味はあるのに、焼き菓子の甘さから浮いていない。売り場で見たときは半分くらい名前で選んだが、これなら土産としても当たりだった。
「で、千尋、向こうでもダンジョン行ったんでしょ? 一人で?」
みつみが二つ目へ手を伸ばしながら聞く。
「うん。近くに初心者向けのとこあったから。知らない場所だったし、けっこう楽しかったよ。《黒月》も向こうで受け取れた」
志帆が顔を上げる。
「共通保管庫、こういうとき便利ね」
「うん。ちょっと面白かった。東北まで来て、いつもの剣が当たり前みたいに出てくるの」
「黒月」
みつみが笑いを含んだ声で繰り返す。
「……何」
「別に?」
「その顔やめて」
佳奈子が横から千尋を見る。
「向こうでも名前呼んだ? 一人なら誰にも拾われないじゃん」
千尋の手が止まった。
「……呼んでない」
「今の間でだいたい分かった」
みつみまで笑い始める。
「絶対呼んだじゃん」
「呼んでないって」
千尋は残っていた焼き菓子を一つ取った。
「ほら、食べるなら食べて。なくなるよ」
「話そらした」
「そらしてない」
結局、ずんだ者の箱が空になるまで、黒月の話は完全には終わらなかった。




