第50話 朝から夜ふかし
東京都広戸区のベイエリアに着いたとき、空はよく晴れていた。
冬休みに入ったばかりの朝、狩造へ行った日のような午前七時集合ではなかったおかげで、佳奈子も今日は眠そうではない。
「これくらいなら朝って認めてもいい。狩造の七時集合は、私の中ではまだ夜の続きだったから」
「じゃあ何時から朝なの?」
みつみが聞くと、佳奈子は少し考えてから「八時半以降」と答えた。
「前に言ってたやつ、そのまま基準なんだ」
千尋が笑いながら、今年の入口が表示された地図を確認する。
駅から少し歩いた先に、クリスマスダンジョンのために設けられた仮設施設が見えていた。いつも行くダンジョンのような大きな常設施設ではなく、入口の周囲を囲うように受付や案内がまとめられている。
「ほんとに今年だけって感じする」
みつみが足を速めた。
「来年は入口が違う場所なんでしょ?」
「広戸区のベイエリアってところまでは同じだけど、場所は変わるみたいね」
志帆も案内を見上げながら歩く。
「施設まで毎年作るの、大変そう」
「そこ気になる?」
「ちょっと気になる」
佳奈子はそう言いながら、入口のほうへスマートフォンを向けた。
「とりあえず外も一枚撮っとこ。今年ここだったって分かるし」
「まだ中入ってないよ」
「中だけ撮るって決まりないでしょ」
受付を済ませると、千尋は共通保管庫から《黒月》を受け取り、腰へ下げた。佳奈子も借りた弓を確かめてから、背中のクイーバー・ハーネスへ矢を収めていく。
みつみはバッグの側面に固定していた自分の杖を外し、志帆は袖口から黒銀のバングルを覗かせた。
「準備いい? 佳奈子、夕方から予定あるんだよね」
「あるけど、まだ朝だし全然平気。それより早く入りたい。写真で見たのとどれくらい違うか気になる」
佳奈子が先に歩き出すと、「私も」とみつみが続いた。志帆もそのあとへ続く。
「千尋が最後になってるわよ」
「別に順番決まってないでしょ」
そう返して、千尋も三人を追った。
◇
入口を抜けた瞬間、空が夜になった。
「……うわ」
最初に声を漏らしたのが誰だったのか、みつみには分からなかった。
目の前には、雪の積もった街路が続いていた。
両側には建物が並び、その間を街灯の光が照らしている。さらに奥には赤や青、黄色の灯りが連なり、暗い空からは細かな雪が絶えず落ちていた。街路の上にも屋根にも白い雪が積もり、星や鈴を思わせる飾りが灯りの中に浮かんでいる。
写真で見た景色と同じだった。でも、画面で見るのとは全然違った。
「夜じゃん」
佳奈子が空を見上げる。
「外、普通に朝だったよね?」
「だった」
千尋も振り返って入口の向こうを見たが、そこから外の青空は見えない。
「ダンジョンの中なんだから、外と同じじゃなくてもおかしくはないけど……これはすごいね」
言いながら、千尋は一歩先へ出た。
靴が雪へ沈み、柔らかな音を立てる。
「あ、ちゃんと雪」
「それ私もやる」
みつみが隣へ並び、わざと強めに踏んだ。足跡が二つ並ぶ。
「冷たい?」
佳奈子に聞かれ、みつみはしゃがんで手袋越しに雪へ触れた。
「冷たい。普通の雪っぽい」
「っぽい、なのね」
志帆も足元を見ていたが、すぐに視線が街の奥へ移った。
色の違う灯りが雪へ映り、白い道のところどころが淡く染まっている。
「……いいわね」
いつもより少しだけ低い声だった。
「志帆、めっちゃ好きそう」
佳奈子が横を見る。
「好きそうじゃなくて、好き。こういうの」
志帆は否定せず、もう一度街路の先を見た。
「夜と雪と灯りに閉じられた街――」
そこで一度止まる。
「何?」
みつみが待っている。
「……今のは忘れて」
「まだ途中だったじゃん」
「だから忘れて」
佳奈子が笑いながらスマートフォンを持ち上げた。
「もう一回言って。動画撮るから」
「絶対嫌」
志帆が先に歩き出す。
その背中を追いながら、千尋も笑っていた。
「ダンジョン入って一分くらいで出たね」
「ここで出なかったらどこで出るのよ」
「それはそう」
みつみはまだ笑いながら、杖を持ったまま街の上を見回した。
外ならまだ朝なのに、頭上には夜空がある。雪が降り、灯りが点き、知らない街がどこまでも夜の中に続いているように見える。
「写真よりいい」
「それ、私が言おうとしてた」
佳奈子はスマートフォンを構えたまま言った。
「でも写真も撮る。みつみも撮ればいいじゃん」
「今は見る。佳奈子が撮ったの、あとで送って」
さっきまで写真を見たがっていた本人がもう撮ることを忘れている。
佳奈子は何も言わず、一枚だけみつみの後ろ姿も撮った。
◇
街路を進んでいくと、景色は少しずつ表情を変えた。
建物の間隔が広い場所では雪の白さが目立ち、灯りの多い場所へ入ると、今度は道全体が色づいて見える。飾りも同じものばかりではなく、星に見えるもの、鈴に見えるもの、何の形なのか分からないものが混じっていた。
「やっぱりクリスマスの街にしか見えない」
みつみが言う。
「人間が勝手にそう思ってるだけなんでしょ?」
佳奈子は撮った写真を確認しながら歩いている。
「そうなんだけど、ここまで揃ってるとね」
志帆も上を見上げた。
「向こうが何を意図しているのか分からない以上、似ているとしか言えないわ。でも――」
「でも?」
「クリスマスダンジョンって呼びたくなるのは分かる」
「でしょ」
なぜか佳奈子が満足そうに頷いた。
そのとき、撮った写真を確認していた佳奈子が画面から顔を上げた。
「ねえ、あれスノウスライムじゃない?」
街路の少し先では、雪の上をスライムが三体動いている。
「たぶん。写真で見たのと同じ」
みつみが杖を持ち直したところで、一体がこちらへ向きを変えた。
佳奈子が弓を構える。
「じゃ、普通に倒す?」
「普通にでいいんじゃない?」
千尋は《黒月》を抜いた。
三体が雪の上を跳ねるように近づいてくる。
最初の一体へ佳奈子の矢が刺さり、その動きが止まったところへ、みつみの《マジックボール》が飛ぶ。光を受けたスノウスライムが崩れるように消えた。
残る二体のうち一体は千尋が横から斬り、最後の一体も佳奈子の二本目の矢とみつみの魔法でほどなく消える。
「弱い」
佳奈子が弓を下ろした。
「私たちが前より強くなってるのもあるんじゃない?」
みつみは落ちたドロップ品のほうへ近づいた。
「スノウスライムの粘液。雪なのに粘液なんだ」
「スライムだからじゃない?」
千尋も《黒月》を鞘へ戻す。
「これ、何に使うのかしら」
志帆がしゃがみ込んだ。
「調べれば出てきそうだけど、今はいいか。帰ってから見よう」
「志帆が今調べない」
みつみが振り返る。
「私だってダンジョンの真ん中で毎回検索するわけじゃないわよ。それより先が見たいもの」
志帆は立ち上がると、もう街路の奥を見ていた。
「今日はそっちなんだ」
千尋が笑う。
「今日はそっち」
志帆はあっさり認めた。
ドロップ品をしまい、四人はまた歩き出した。
少し進んだところでは、建物の陰から飛び出してきたベルバットにも遭遇した。頭上を飛び回る相手を追っているうちに、みつみが街灯の光を背にした一体を見失い、逆に佳奈子が先に見つけて矢を放つ。
「そっち!」
「見えた!」
みつみの《マジックボール》が続き、ベルバットは雪の上へ落ちる前に消えた。
残った羽を佳奈子が拾い上げる。
「ベルバットの羽。こっちはまだ素材っぽい」
「粘液だって素材でしょ」
「見た目の話」
「羽も元モンスターだけどね」
千尋に言われ、佳奈子は手の中の羽を見た。
「それ言われると急に嫌なんだけど」
「自分で拾ったのに」
笑いながら歩いていると、やがて街路の先が不自然なところで行き止まりになっていた。
その先にも街並みは続いているのに、このままでは進めない。クリダンは、街の各所にある仕掛けを見つけたり動かしたりしながら先へ進んでいくタイプのダンジョンらしい。
「これが仕掛け?」
みつみが周囲を見回す。
「たぶん。何かすれば先に行けるんでしょ」
千尋も近くを調べ始め、志帆と佳奈子もそれぞれ気になるところを見る。
四人で目についたものを試し、違うと分かれば別の場所へ移る。途中でみつみが一度、関係なさそうな飾りへ夢中になり、佳奈子に「そっちじゃなくない?」と呼び戻されることもあった。
しばらくあれこれ試しているうちに、行き止まりだった街路に変化が起き、先へ進めるようになった。
「いけた?」
「いけたっぽい」
みつみが次の区画を覗き込み、佳奈子もその横から先を見る。
「まだ街、続いてるね」
「じゃあ行こ。今日は分かんないもの多いし、見てから考えればいいでしょ」
千尋が笑い、四人で次の区画へ入った。
◇
仕掛けの先は、さっきまでより灯りが少なかった。
暗いわけではない。街灯はあり、建物にも色のついた光がある。ただ、間隔が広くなったぶん、降っている雪がよく見えた。
「こっちのほうが好きかも」
千尋が歩きながら言った。
「さっきより静かだし」
「千尋、こういうの好きなんだ」
みつみが隣へ来る。
「うん。ずっと光ってるところも面白いけど、こっちのほうが歩いてて気持ちいい」
「私はさっきのほう」
佳奈子がすぐ言う。
「写真撮るなら灯りいっぱいあるほうが好き」
「私はどっちも捨てがたいわね」
志帆は少し前を歩きながら、建物の間に下がっている飾りへ目を向けた。
「比較するなら、もう少し奥も見たい」
「結局全部見るやつじゃん」
「来たんだから見たいでしょう?」
「それはそう」
千尋が笑う。
みつみは少し先へ行きかけて、街路脇に置かれたものを見つけた。
「箱ある」
雪のそばに、贈り物の箱を思わせる物体がいくつか並んでいる。
みつみが近づこうとしたところで、千尋が「あ」と声を出した。
「ちょっと待って。これ、試していい?」
「エクストラセンス?」
みつみがすぐ振り返る。
「うん。こういうところで使うんでしょ、たぶん」
千尋は《黒月》の柄へ軽く手を置いて立ち止まり、雪が落ちる気配や、少し離れたところを歩く別の探索者の足音、街灯の光、建物の輪郭、目の前の箱へ意識を向けていく。
見えているものが急に増えたわけでも、何かの音だけが大きく聞こえるわけでもない。
それでも、意識を集中させた瞬間、千尋の中に妙な引っかかりが残った。
「……なんか変」
佳奈子が弓へ手を伸ばす。
「どれ?」
「分かんない」
「箱?」
「それも分かんない。この辺、なんか変」
千尋自身が一番困った顔をしている。
「ほんとに『なんか』なんだ」
みつみは面白そうに箱を見るが、今度は近づかない。
志帆もバングルに触れた。
「なら、正体を当てようとしないほうがいいんじゃない? 何かある前提で警戒だけしましょう」
「うん。それがよさそう」
千尋が《黒月》を抜く。
佳奈子も弓を構え、みつみは杖を上げた。
四人で少しずつ距離を詰める。
一つ目の箱は動かない。
二つ目も動かない。
「全部ただの箱だったりして」
佳奈子が小声で言った、その直後だった。
三つ目の箱が突然大きく開いた。
「うわっ!」
みつみが後ろへ跳ぶ。
箱だったものが雪を蹴るように飛び出し、千尋へ迫った。
千尋は身体をずらして避け、その横を抜けざまに《黒月》を振る。黒い刃が側面を斬り、続けて佳奈子の矢が刺さった。
「ギフトミミック!」
志帆の声と同時に、みつみの《マジックボール》が当たる。
それでも止まらず向きを変えたギフトミミックへ、千尋がもう一度踏み込んだ。
「こっち!」
正面へ引きつけるように動いた千尋へ、志帆が《プロテクション》を飛ばす。
ギフトミミックが跳ねたところへ佳奈子の矢が入り、体勢を崩した隙に《黒月》が深く入った。
箱の形が崩れ、そのまま光の粒になって消えていく。
四人はしばらく、その場所を見ていた。
「……当たった?」
みつみが千尋を見る。
「何が?」
「エクストラセンス」
「当たったって言っていいのかな」
千尋は《黒月》を下ろしたまま、さっき立っていた場所を振り返った。
「ミミックがいるって分かったわけじゃないし、あの箱って分かったわけでもない。ただ、なんか変だった」
「でも止まったじゃん」
佳奈子も弓を下ろす。
「そのままみつみが箱開けに行くよりは、だいぶよくない?」
「私、開けるとは言ってないよ」
「近づこうとはしてた」
「それはしてた」
みつみは素直に認めた。
志帆は消えたギフトミミックの場所と、まだ残っている箱を交互に見ている。
「正体が分からないまま警戒できる、って考えれば面白いわね。分からないから使いにくいんじゃなくて、分からない段階で止まれる」
「でも、何もないところで『なんか変』ってなることもありそう」
千尋が言う。
「そこがまだ分かんない。今の感覚も、もう一回やれって言われたら同じようにできるか微妙」
「じゃあまた使おうよ」
みつみがすぐ言った。
「それは使う。私ももう一回やってみたい」
千尋は《黒月》を鞘へ戻した。
「なんか、思ってたより面白いかも」
「便利、じゃなくて?」
佳奈子が聞く。
「便利かどうかはまだ分かんない。でも面白い」
「千尋らしい」
みつみが笑う。
そのとき、少し先の街路を別の探索者たちが通り過ぎていった。
四人も立ち止まったままでいる理由はない。
「行こっか」
今度は佳奈子が先に歩き出した。
「まだ全然見てないし」
「次、もっと灯り多いところあるかな」
みつみが追いつく。
「さっき少ないほうもいいって言ってたじゃん」
「どっちも見たい」
「それ、志帆と同じじゃない?」
佳奈子に言われると、志帆が少し考えてから首を振った。
「私は比較したいの。みつみは?」
「私は見たい」
二人の答えを聞いた千尋が笑う。
「結局、二人とも全部見るんじゃん」
雪は変わらず降り続けていた。
スマートフォンの時計はまだ午前中なのに、頭上は夜のまま。街灯の先にはまた別の色の光が見え、その向こうにも雪の道が続いている。
クリアまでどれくらいあるのかは、まだ分からない。けれど四人とも、今はそれを急いで知ろうとはしていなかった。
次の街路へ足を踏み入れると、靴の下でまた雪が小さく鳴った。




