第5話 ダンジョン行ったら、魔法使いたくなった
「どっち行く?」
みつみは、二つに分かれた道を交互に照らした。
右。
左。
どちらも少し先で曲がっていて、その向こうまでは見えない。
千尋はすぐには答えず、両方の道へライトを向けた。
「左かな。右より歩きやすそうだし、今日はそっちでいいと思う」
「じゃ、左!」
「待って」
歩き出しかけたみつみを、千尋が手で止める。
「なに?」
「私が先。こういうところ、曲がった先が見えないから」
さっきまでの声と少し違った。
千尋が前へ出る。
みつみもそれを見て、声を落とした。
「……なんかいる?」
「まだ分かんない。ちょっと待ってて」
千尋は少し先を見ながら、ゆっくり進んだ。
数歩。
さらに数歩。
みつみも、その後ろをついていく。
二回目だから、前ほど何もかもが怖いわけではない。
けれど千尋の様子が変わると、自分まで急に緊張する。
さっきまで気にならなかった自分の足音が、やけに大きく聞こえた。
千尋が止まる。
みつみも止まった。
「いる」
小さな声だった。
「どこ?」
「前。壁の近く」
言われてライトを向けかけたみつみを、千尋が手で制する。
「そのままでいいよ。急に動かないで」
「うん」
みつみは息を潜めた。
暗がりの中で、何かが動いた。
ライトの端に、低い影が入る。
大きなネズミのような四足の身体。
ダンジョンラット。
名前は知っていた。
けれど、自分の目の前で動いているだけで、その言葉の意味が変わる。
千尋がショートソードを抜いた。
鞘を滑る、小さな金属音。
みつみは思わずそちらを見る。
学校で一緒にお昼を食べている千尋が、剣を持っている。
見せてもらったときとは違う。
今は、使うために抜いた剣だ。
「そこにいて」
千尋が短く言った。
「うん」
みつみは、それ以上何も聞かなかった。
千尋が一歩前へ出る。
ダンジョンラットが低い姿勢のまま、地面を蹴った。
次の瞬間、千尋も動く。
速い。
みつみが思っていたより、ずっと。
踏み込み、低い位置から飛び込んできた相手の動きをかわし、ショートソードが走る。
ほんの短いやり取りだった。
ダンジョンラットの動きが止まった。
その身体が輪郭を失い、ほどけるように消えていく。
あとには何も残らなかった。
静かになる。
みつみはしばらく、何も言えなかった。
千尋が周囲を確認してから、剣を鞘へ戻す。
「大丈夫」
その言葉で、ようやくみつみは息を吐いた。
「……千尋」
「なに?」
「今の、めっちゃ速くなかった?」
「そう?」
「そう? じゃないよ。なんかシュッて行って、避けて、またシュッてやった」
「説明下手すぎ」
「だって、ほんとにそんなだったんだもん!」
さっきまでの緊張が一気にほどける。
みつみは千尋の横まで行った。
「すご。学校で見る千尋と全然違う」
「学校で剣振るわけにいかないでしょ」
「やってたら怖いよ」
「でしょ」
「でも、かっこよかった」
千尋が少し笑った。
「ありがと」
さらっと返されて、みつみは逆に少し驚いた。
「そこ否定しないんだ」
「褒められたのに、なんで否定するの」
「確かに」
二人で笑う。
それから千尋が、もう一度前を見る。
「まだ行けそう?」
「行く」
答えは早かった。
「怖くない?」
「怖いけど、帰りたいほどじゃない。むしろ今の見たら、もっと見たくなった」
「じゃあ行こっか。でも、勝手に前出ないでね」
「はーい」
今度は素直に、千尋の後ろへ入った。
◇
その日の探索は、前回より少しだけ長かった。
それでも、みつみにとってはあっという間だった。
知らない道を進み、千尋が止まれば自分も止まる。
足元が悪ければ、前より少し慎重に歩く。
分からないことがあれば聞く。
ただ、前回みたいに何歩進むたびに立ち止まることはなくなっていた。
途中で休憩を入れ、二人で壁際に腰を下ろす。
「チョコ食べる?」
「食べる」
「ほら、買って正解だったじゃん」
「別に反対してないけど」
「大袋多いって言った」
「多いとは思う」
みつみが袋を開ける。
「はい」
「ありがと」
千尋が一つ取った。
みつみも口へ入れる。
しばらく二人で黙って食べた。
「……うま」
「普通のチョコでしょ」
「ダンジョンで食べると二割増し」
「またその理論?」
「外で食べるのと違うって。今めっちゃ歩いたし」
「それ、お腹空いてるだけじゃない?」
「そういうこと言わないでよ」
みつみはもう一つ食べた。
さっきまでモンスターを前にして、あれほど緊張していた。
その少しあとで、同じ場所の壁にもたれて、友達とチョコを食べている。
危ない場所なのに、ずっと怖いわけじゃない。
静かな時間もある。
くだらない話もする。
その全部が同じダンジョンの中にある。
みつみはそれが、妙に楽しかった。
◇
GWが明けた。
休み明けの教室は、いつもより少しだけ騒がしい。
誰がどこへ行った。
何を買った。
ずっと家にいた。
宿題を忘れた。
そんな話が、教室のあちこちを行き交っていた。
「でさ、千尋ほんと速かったんだって」
「まだその話してるの?」
「だってすごかったし。私、もっとこう、モンスターと剣をガンガンぶつけ合うの想像してたんだけど、全然違った」
みつみは自分の椅子を少し千尋の方へ向けていた。
「避けて、すぐ近づいて、パッて終わったじゃん」
「パッて」
「ほかに言い方分かんない」
「動画見れば?」
「自分で見たのと違うじゃん」
千尋が笑った。
「それにさ、次は右の道も行ってみたくない?」
「また行く気?」
「行くよ」
「もう決定なんだ」
「だって気になるじゃん。右だけ見てないんだよ?」
「道は逃げないよ」
「そういう問題じゃないの」
そのとき。
「……あの」
少し離れたところから声がした。
二人が振り向く。
山花志帆がこちらを見ていた。
「なに?」
みつみが答える。
志帆は少しだけ間を置いた。
「二人って、ダンジョン行ってるの?」
「行ってるよ。私はまだ二回だけだけど」
「川咲さんは前から?」
千尋が頷く。
「中学の頃から、たまに」
「そうなんだ」
志帆の視線が、さっきまでより少しだけ二人へ向く。
「GWも行ったの?」
「行った。私、二回目」
「どこのダンジョン?」
みつみは千尋を見る。
千尋が答える。
場所を聞いた志帆が「ああ」と頷いた。
その反応に、みつみが引っかかる。
「知ってるの?」
「うん。初心者も多いところでしょ。設備も整ってるし、最初に行く場所として名前が出やすいところ」
「行ったことある?」
「……ない」
少しだけ間があった。
「ないんだ?」
「ない。興味はあるんだけど」
志帆はそう答えてから、少し言い足す。
「調べるのは好きだから、いろいろ見てはいるんだけどね。実際に一人で行くところまでは、なんとなく踏み切れなくて」
「じゃあ詳しいの?」
「詳しいってほどじゃ――」
言いかけて、志帆は止まった。
「……たぶん、普通よりは知ってる」
千尋が笑った。
「その言い方、結構知ってる人じゃない?」
「どうだろ」
志帆は少しだけ視線を逸らした。
みつみはもう興味を持っている。
「じゃあさ、千尋があんな速いのも、何か理由あるの?」
「あんなって何」
千尋が笑う。
「だから、モンスター見つけたとき。急に動き違ったじゃん」
志帆が千尋を見る。
「川咲さん、ジョブは?」
「スカウト」
「ああ」
志帆は納得したように頷いた。
「やっぱり」
みつみだけが、二人を交互に見た。
「待って」
「なに?」
「スカウトって何?」
今度は二人が、みつみを見る番だった。
千尋が口を開く。
「知らなかったの?」
「知らない。聞いてない」
「そういえば、ちゃんと話してなかったかも」
「ちゃんとどころか、一回も聞いてないよ!」
志帆が少し意外そうに言った。
「ジョブのこと知らないままダンジョン行ってたの?」
「行った」
「二回?」
「二回」
志帆がほんの少し考える。
「……勢いあるね」
「それ褒めてる?」
「半分くらい」
千尋が笑った。
みつみは机へ身を乗り出した。
「で、ジョブって何なの?」
千尋は少し考えてから答える。
「ダンジョンの中にある仕組みの一つ。私はスカウトっていうジョブ」
「スカウトだと、ああいう戦い方になるの?」
「別に全員が私みたいに戦うわけじゃないよ。私は前に出る方だから」
「前に出る方?」
「敵を見つけたり、先の様子を見たりするのが基本だけど、私は戦う方にも結構寄せてる」
志帆が頷く。
「だからアタッカー寄りなんだ」
「うん。そんな感じ」
みつみは、GWの千尋を思い出す。
暗い洞窟。
ショートソード。
自分より先に危険を見つけ、一気に間合いを詰めた姿。
「なるほど……」
今までただ「千尋はダンジョンに慣れているから」と思っていた動きに、少しだけ形が見えた気がした。
「ほかにもジョブあるの?」
今度は志帆を見る。
志帆が頷いた。
「あるよ。私も全部把握してるわけじゃないけど、調べてるといろいろ出てくる」
「どんなの?」
「戦い方が違うものもあるし、役割が全然違うものもある。それに――」
志帆が言葉を続ける。
「魔法を使うジョブもある」
みつみの動きが止まった。
「……魔法?」
「うん」
「今、魔法って言った?」
「言ったけど」
「ジョブで魔法使えるの?」
「魔法を使う人はいるよ」
志帆はそこで一度言葉を切った。
「ただ、細かいことはちゃんと調べた方がいいと思う。ジョブとか魔法って、ネットだと説明の仕方もいろいろあるから」
けれど、みつみはもう半分しか聞いていなかった。
「千尋」
「なに?」
「前、魔法あるって言ったよね」
「言ったよ」
「私、あのとき『へえ、あるんだ』くらいだった」
「うん」
「自分が使う方、全然考えてなかった」
「みたいだね」
「それ全然違うじゃん!」
「何が?」
「見るのと使うの!」
声が大きくなり、近くにいた何人かがこちらを見る。
「あ、ごめん」
みつみは少しだけ声を落とした。
でも顔はまったく落ち着いていない。
「え、じゃあ私も魔法使えるようになるかもしれないってこと?」
志帆は即答しなかった。
「そこは、どういうジョブがあるのかとか、どういう仕組みなのかを先にちゃんと調べた方がいいんじゃない?」
「調べる」
「早」
「今調べる」
みつみがスマホを出す。
千尋が笑った。
「授業始まるよ」
「まだ時間あるし」
「あと何分?」
みつみが時計を見る。
「……四分」
「四分で何が分かるの」
「入口くらい」
志帆が少し笑った。
「それなら、初心者向けにまとまってるページあるよ」
みつみの顔が上がる。
「ほんと?」
「うん。前にいろいろ見てたときに、分かりやすかったやつ」
「見せて」
みつみがすぐ近くまで来る。
志帆がわずかに身を引いた。
「あ、近かった?」
「ちょっと」
「ごめん」
みつみは半歩戻る。
千尋がそのやり取りを見ながら笑う。
志帆は自分のスマホを取り出し、少し操作した。
「これ」
画面をみつみの方へ向ける。
「ジョブについてざっくり書いてある。魔法のことも少し載ってたはず」
「ほんとだ」
みつみが画面を読む。
数行。
そのまま下へ。
「待って、これめっちゃ面白そう」
「早いなあ」
千尋が言う。
「だって今まで、ダンジョンって千尋について歩いてただけじゃん」
「だけって」
「楽しかったよ? すごい楽しかったけど」
みつみは画面から顔を上げる。
「でも、自分も何かできるなら話変わるじゃん」
千尋が少しだけ真面目な顔になる。
「そこはそうだね」
「でしょ?」
みつみはまた画面を見る。
「私、魔法がいい」
「もう?」
「だって魔法だよ?」
千尋が笑った。
「まだジョブのことほとんど知らないじゃん」
「それはこれから調べる」
志帆も少し笑う。
「決める前に調べるなら、まあいいと思う」
「山花さん、詳しいんだね」
千尋が言った。
「こういうの、調べるの好きだから」
「さっき普通よりちょっと知ってるくらいって言ってなかった?」
「ちょっととは言ってない」
「あ、逃げた」
志帆は何も言わずに画面へ視線を戻した。
でも少しだけ口元が緩んでいる。
みつみはそれに気づかず、画面に夢中だった。
「これ、あとで自分のスマホで見たい」
「送ろうか?」
「送って!」
「連絡先――」
そこで、みつみが顔を上げた。
「あ、そういえば山花さんと交換してない」
「私も」
千尋が言う。
志帆も一瞬止まる。
「……じゃあ、交換する?」
「するする」
みつみはすぐ自分のスマホを出した。
三人で連絡先を交換する。
それが終わると、志帆からすぐにリンクが届いた。
一つ。
少し間を置いて、もう一つ。
さらにもう一つ。
「待って」
みつみが志帆を見る。
「増えてる」
「最初のだけだと、たぶん途中で分からなくなるから。こっちは用語がまとまってて、もう一つは初心者向け」
また届く。
「四つ目きた」
「これは比較するとき便利」
千尋が笑った。
「山花さん、やっぱめっちゃ詳しいじゃん」
「まだ送れるけど」
「まだあるの!?」
今度はみつみが笑った。
さっきまで少し遠慮がちだった志帆の話す速度が、いつの間にか少し上がっている。
「じゃあ全部送って」
みつみが言う。
「全部?」
「うん」
「結構あるよ」
「いいよ。見る」
志帆がみつみを見る。
「ほんとに?」
「だって魔法使いたいし」
ほんの少し間があった。
それから志帆は、
「……じゃあ送る」
と言った。
また一つ、リンクが届く。
千尋がスマホの画面を覗きながら言った。
「今日、寝るの遅くなるんじゃない?」
「たぶん」
「明日眠いって言うやつ」
「それは明日の私に任せる」
「最低」
三人が笑ったところで、授業開始前のチャイムが鳴った。
「やば」
みつみがスマホを机の中へ入れる。
志帆も自分の席へ戻ろうとする。
その途中で、みつみが声をかけた。
「山花さん」
志帆が振り返る。
「なに?」
「これ、分かんないとこあったら聞いていい?」
ほんの一瞬だけ、志帆が目を瞬く。
「……分かる範囲なら」
「ありがと」
志帆は小さく頷いて、自分の席へ戻った。
みつみは机の中へ入れたスマホを、もう一度見たくなるのを我慢する。
ジョブ。
魔法。
まだ、ほとんど何も知らない。
どうやったら使えるのかも。
何を選べばいいのかも。
そもそも、自分に何が合うのかも分からない。
だから、調べる。
次にダンジョンへ行くまでに、少しくらいは分かるようになっておきたい。
さっきまで気になっていたのは、GWに行かなかった右の道だった。
今は、それにもう一つ増えた。
次にダンジョンへ行くとき。
自分も何かできるようになりたい。
そして今のところ、その第一候補は。
どう考えても、魔法だった。
次回、魔法を使いたいみつみに、新しい仲間が加わります!
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