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第4話 GWもダンジョン行く?

 カリッ。

 

 暗い曲がり角の向こうから、もう一度音がした。

 

 千尋は腰のショートソードへ手をかけたまま、じっと先を見ている。

 

 みつみも、言われた通り数歩後ろで立ち止まった。

 

「……何?」

 

 自然と声が小さくなる。

 

「たぶん、いる」

 

「モンスター?」

 

「たぶんね」

 

 千尋がヘッドライトの向きを少しずつ動かした。

 

 白い光が岩壁をなぞり、そのまま曲がり角の向こうへ入っていく。

 

「あ」

 

 みつみにも見えた。

 

 少し高いところに、黒い塊が張りついている。

 

 最初はただの影にしか見えなかった。

 

 けれど、その影が動き、身体を包んでいたものが左右へ広がった。

 

 翼だった。

 

「ダンジョンバット」

 

 千尋が小さく言った。

 

「……あれが?」

 

「うん」

 

 写真なら見たことがある。

 

 動画でも見たことがある。

 

 けれど今は、ほんの少し先の岩壁に、本物がいる。

 

 ダンジョンバットが爪を動かした。

 

 カリッ。

 

「あの音、あれだったんだ」

 

「みたいだね」

 

「ちょっと待って。ほんとにいるじゃん」

 

「いるって言ったでしょ」

 

「聞くのと見るの、全然違うって」

 

 そう言った直後、ダンジョンバットが岩壁から離れた。

 

「わっ」

 

「みつみ、しゃがんで」

 

 考えるより先に身体を低くする。

 

 ばさっ、と大きな羽音が頭の上を通り過ぎた。

 

 黒い影が二人の来た方向へ飛んでいく。

 

 みつみは頭を押さえたまま、その姿を目で追った。

 

 羽音はすぐに遠ざかり、やがて聞こえなくなった。

 

「……行った?」

 

「行った」

 

 千尋がショートソードから手を離す。

 

 みつみもゆっくり立ち上がった。

 

「倒さないの?」

 

「襲ってこなかったし」

 

「モンスターなのに?」

 

「見つけたの全部倒してたら疲れるよ」

 

「ああ……」

 

 言われてみれば、その通りだった。

 

 ゲームなら敵が出れば戦うけれど、ここではそうではないらしい。

 

「なんか思ってたのと違う」

 

「何が?」

 

「モンスター出た! 戦闘! みたいになるのかと思ってた」

 

「なるときもあるよ」

 

「今のは?」

 

「飛んでった」

 

「それは見た」

 

 千尋が笑う。

 

 みつみはもう一度、何もいなくなった岩壁を照らした。

 

「でも、すごかった」

 

「飛んだだけじゃん」

 

「初モンスターだよ?」

 

「あ、そっか」

 

「もっとこう、記念すべき感じ出してよ」

 

「初モンスターおめでとう」

 

「軽い」

 

「じゃあ写真撮っとけばよかった?」

 

「もういないじゃん」

 

「追いかける?」

 

「それはいい」

 

 即答すると、千尋がまた笑った。

 

 二人はそのまま奥へ進んだ。

 

 一度モンスターを見たあとでは、さっきまでと同じ洞窟が少しだけ違って見える。

 

 岩の陰や曲がり角の向こう、ライトが届かない場所に何かいるかもしれない。

 

 みつみは自然と千尋より前へ出なくなっていた。

 

「急に慎重になったね」

 

「だって、ほんとにいるって分かったし」

 

「さっきまで信じてなかったの?」

 

「信じてたけど、実感がなかったの」

 

「なるほど」

 

 道は少し広くなったり、また狭くなったりを繰り返している。

 

 壁から水がにじんでいるところでは岩の色が濃くなり、足元にも湿った場所が増えてきた。

 

 みつみは濡れた岩を避けながら歩き、ふと自分の足元を見る。

 

「あ」

 

「なに?」

 

「この靴、やっぱ正解だった」

 

「今?」

 

「だって普通のスニーカーだったら、これ滑りそうじゃない?」

 

「だから買ったんでしょ」

 

「昨日も言われた気がする」

 

「昨日も同じこと言ってたからね」

 

 店で履いたときは、ただ少しゴツい靴だった。

 

 遊歩道で試したときには、歩きやすい靴。

 

 でも今はちゃんと、ダンジョンを歩くための靴になっている。

 

「ねえ、千尋」

 

「ん?」

 

「こういうの、どこまで行ったら終わりなの?」

 

「今日は?」

 

「ダンジョン自体」

 

「ああ」

 

 千尋が前を照らした。

 

「もっとずっと先。今日はそこまで行かないよ」

 

「やっぱり?」

 

「初めてだしね」

 

「分かってるけど」

 

 みつみも前へライトを向けた。

 

 道はまだ続いていて、曲がった先は見えない。

 

 そのさらに先に何があるのかも分からない。

 

「……めっちゃ先あるじゃん」

 

「あるよ」

 

「今日全部見れない?」

 

「無理」

 

「即答」

 

「帰れなくなるまで歩く気?」

 

「それは嫌」

 

「ならほどほど」

 

「はーい」

 

 返事をしながらも、みつみは少し嬉しかった。

 

 今日だけでは終わらない。

 

 まだ先がある。

 

 しばらく進んだところで、千尋が足を止めた。

 

「この辺でちょっと休む?」

 

「休む」

 

 みつみは即答した。

 

 道の脇に、岩壁が少し窪んでいる場所があった。

 

 足元は比較的平らで、そのすぐ近くを細い水が流れている。

 

「ここ?」

 

「うん。前にも何回か休んだことある」

 

「千尋の休憩スポットじゃん」

 

「私のじゃないって」

 

 みつみはリュックを下ろし、平らな岩へ腰を下ろした。

 

「はー」

 

 歩くのをやめると、水の音が急に大きく聞こえる。

 

 千尋も隣へ座った。

 

「疲れた?」

 

「ちょっと。でも思ってたより平気」

 

「ならよかった」

 

 みつみは水筒を取り出して飲んだ。

 

 冷たいお茶が喉を通る。

 

「なんかいいね、ここ」

 

「そう?」

 

「うん」

 

 ライトに照らされた岩と、細く流れる水。

 

 少し冷たい空気。

 

 歩いているときは気になっていた暗さも、二人で座ってしまえばそれほど怖く感じなかった。

 

 みつみはリュックの中を探った。

 

「おにぎり食べよ」

 

「もう?」

 

「お腹空いた」

 

「まだお昼前だけど」

 

「いいじゃん」

 

 包みを取り出し、一つ千尋へ見せる。

 

「いる?」

 

「自分のある」

 

「何?」

 

「パン」

 

「普通」

 

「おにぎりも普通じゃん」

 

「ダンジョンで食べれば特別になるの」

 

「そういうもの?」

 

「今決めた」

 

 みつみは包みを開いて、一口食べた。

 

 少し塩気のある、ごく普通のおにぎりだった。

 

 それなのに、妙においしく感じる。

 

「うま」

 

「そんなに?」

 

「千尋も食べてみて」

 

「私パンあるって」

 

「一口」

 

「いらない」

 

「じゃああとで欲しくなってもあげない」

 

「大丈夫」

 

 二人で食べながら、しばらく水の音を聞いた。

 

 ダンジョンの中なのに、不思議と落ち着く。

 

「……これ、めっちゃいいじゃん」

 

「何が?」

 

「ダンジョンで休憩」

 

「そこ?」

 

「だってさ、もっとずっと緊張してる場所だと思ってた」

 

「ずっと緊張してたら疲れるよ」

 

「モンスターいるのに?」

 

「いるけど、ずっと目の前にいるわけじゃないし」

 

「そっか」

 

 みつみはもう一口食べた。

 

 モンスターがいて、暗くて、道の先には何があるか分からない。

 

 それなのに今は、千尋と二人で座って昼ごはんを食べている。

 

 そのことが、妙に面白かった。

 

「普通に楽しい」

 

「よかったじゃん」

 

「うん」

 

 今度は迷わず頷いた。

 

「あ、そういやさ」

 

「ん?」

 

「佳奈子、明後日のカラオケ何時集合って言ってたっけ」

 

「十一時じゃなかった?」

 

「あれ、十一時だっけ?」

 

「グループに来てたよ」

 

 みつみはスマホを取り出して確認する。

 

「ほんとだ。十一時」

 

「忘れてた?」

 

「時間だけ」

 

「それ忘れてたって言うんじゃない?」

 

「場所は覚えてた」

 

「危ないなあ」

 

「千尋は覚えてたんだ」

 

「一応」

 

 みつみはスマホをしまい、残っていたおにぎりを食べる。

 

「今日ダンジョンで、明後日カラオケかあ」

 

「そうだね」

 

「なんか、めっちゃ休み満喫してる感じする」

 

「まだGW入ってないけど」

 

「もうすぐだからいいの」

 

「適当」

 

「でもさ」

 

 みつみは周囲を見回した。

 

「こういうのも、普通に遊びに来てる感じなんだね」

 

「私は最初からそのつもりだけど」

 

「千尋は慣れてるからでしょ」

 

「まあね」

 

「私もそのうちそうなるのかな」

 

「また来るならね」

 

 その言葉を聞いて、みつみは少しだけ考えた。

 

 でも、答えはすぐに出た。

 

「じゃあGW、また来ない?」

 

「もう?」

 

「だって今日だけじゃ全然足りない」

 

「まあ、それはそうだけど」

 

「前半空いてる?」

 

「前半なら。後半は家の用事ある」

 

「じゃあ前半」

 

「決めるの早」

 

「空いてるんでしょ?」

 

「空いてるけど」

 

「じゃ決まり」

 

「日くらい相談しようよ」

 

「それはあとで決めればいいじゃん」

 

 千尋が少し呆れたように笑った。

 

「今度は今日より先まで行きたい」

 

「行けそうならね」

 

「絶対それ言うよね」

 

「大事だから」

 

 休憩を終え、二人はまた歩き始めた。

 

 来た道を戻るのではなく、もう少しだけ先へ進む。

 

 怖さがなくなったわけではない。

 

 それでも今は、暗さより、その先に何があるのかの方が気になっていた。

 

「こっちって何がある?」

 

「行けば分かる」

 

「そればっか」

 

「先に言ったらつまんないでしょ」

 

「まあ、それはそう」

 

 少し先で、道が二つに分かれていた。

 

 右は少し狭く、左は緩く下っている。

 

 みつみは両方へ順番にライトを向けた。

 

「どっち?」

 

「どっちでもいいよ」

 

「え、私が決めていいの?」

 

「危なそうだったら止めるけど」

 

「じゃあ……左」

 

「了解」

 

「千尋、どっちに何あるか知ってる?」

 

「知ってる」

 

「じゃあ言わないで」

 

「聞いてないよ」

 

「念のため」

 

 みつみが先に左へ一歩入った。

 

 すぐ横へ千尋が並ぶ。

 

 ただ分かれ道を選んだだけなのに、さっきまでより少しだけ、自分で探索しているような気がした。

 

「なんか今、探索してる感あった」

 

「分かれ道選んだだけだけど」

 

「そういうのでいいの」

 

 道は少しずつ下り、やがて緩く曲がり始めた。

 

 天井もわずかに低くなり、ライトを向けるたびに今まで見えなかった岩壁や細い隙間が浮かび上がる。

 

「こっち面白い」

 

「まだ何もないよ」

 

「初めて見る場所だからいいの」

 

 みつみは何度もライトを動かした。

 

 さっき休んでいた場所も、最初に見たダンジョンバットも、自分で選んだこの道も、全部今日初めて知ったものだった。

 

 少し進んだところで、千尋が時計を見る。

 

「そろそろ戻ろっか」

 

「えー」

 

「さっきより不満そうになってる」

 

「だって、まだ先あるじゃん」

 

「あるよ」

 

「見たい」

 

「GW」

 

 その一言で、みつみが止まる。

 

「あ」

 

「次来るんでしょ?」

 

「来る」

 

「じゃあ今日はここまで」

 

 みつみは少し先を照らした。

 

 道はまだ曲がった先へ続いている。

 

 今は見えない。

 

 でも次に来れば、その先へ行ける。

 

「分かった」

 

 今度は素直に頷いた。

 

 二人は来た道を戻り始めた。

 

 帰りは、来るときより少しだけ早かった。

 

 見覚えのある岩壁や曲がり角が増えたせいかもしれない。

 

 途中、ダンジョンバットを見つけた場所では、みつみがまた上へライトを向けた。

 

「もういないね」

 

「戻ってきてほしいの?」

 

「それは別に」

 

「どっちなの」

 

「見るだけならもう一回見たい」

 

「そのうち嫌でも見るよ」

 

「ほんと?」

 

「たぶん」

 

「じゃあ楽しみにしとく」

 

「楽しみにするものかなあ」

 

 そんな話をしているうちに、暗闇の向こうに入口の明かりが見えてきた。

 

「あ、外」

 

 みつみは少しだけ足を速める。

 

 人工的な通路へ戻り、そのまま外へ出た。

 

 明るさに目が慣れず、思わず目を細める。

 

「まぶし」

 

 ヘッドライトを外しながら、みつみは振り返った。

 

 ついさっきまで歩いていた洞窟が、入口の向こうに続いている。

 

「どうだった?」

 

 隣で千尋が聞いた。

 

「何が?」

 

「初ダンジョン」

 

 みつみは少し考えた。

 

 冷たい空気。

 

 水の音。

 

 初めて見たモンスター。

 

 途中で食べたおにぎり。

 

 自分で選んだ分かれ道。

 

 そして、まだ見ていないその先。

 

「楽しかった」

 

「そっか」

 

「思ってたのと全然違ったけど」

 

「どう違った?」

 

「もっと怖いだけの場所だと思ってた」

 

「怖くなかった?」

 

「怖かったよ」

 

「どっち?」

 

「怖いけど楽しかった」

 

 みつみはもう一度、入口の奥を見る。

 

 外から見ると、少し先はもう暗くて見えない。

 

 その向こうには、今日自分が途中まで歩いた道がある。

 

 さらにその先には、まだ知らない場所がある。

 

「だから、また来たい」

 

「GWね」

 

「うん」

 

 みつみは笑った。

 

「次は、今日の続きから」


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