第47話 午前7時のDUNGEON-GO-ROUND
「眠い」
午前七時。
駅前で顔を合わせた佳奈子は、挨拶より先にそう言って大きなあくびを噛み殺した。
「昨日、早く寝るって言ってなかった?」
千尋が笑うと、佳奈子は目元を擦りながら恨めしそうにそちらを見る。
「寝たよ。ちゃんと寝たし、ちゃんと起きた。そのうえで眠いの。千尋はなんでそんな普通なの?」
「もう起きたから」
「私だって起きてるって。ここまで来てるんだから」
「でも来たね」
横からみつみが笑いながら口を挟むと、佳奈子は今度はそちらを向いた。
「来るよ。早起きは嫌だけど、狩造には行きたいんだから」
肩に掛けたバッグを直した佳奈子の背中には、先日買ったばかりの黒いクイーバー・ハーネスがある。細いピンクのラインが入ったそれには、まだほとんど使用感がなかった。
「志帆は眠くないの?」
佳奈子に聞かれ、志帆は手にしていた飲み物を一口飲んだ。
「六時前には起きてたけど、昨日早く寝たから平気よ。佳奈子も次からそうすれば?」
「したってば。これ以上早く寝たら、昨日の夜がなくなるじゃん」
「今日の朝を取るか、昨日の夜を取るかね」
「両方欲しい」
佳奈子が即答したところで、千尋がスマートフォンを取り出した。
「まだ時間あるし、飲み物とか買うなら今のうちにしよ。向こう着いてから探すより楽でしょ」
「私買う」
みつみがコンビニへ向かうと、佳奈子もすぐその横へ並ぶ。
「私も。あとなんか甘いの欲しい」
「朝ごはんは?」
「食べたけど、それと甘いのは別」
二人が先に歩いていく。
志帆もそのあとを追い、千尋はスマートフォンをしまいながら三人の背中を見た。
「七時集合にした意味、ちゃんとあるよね?」
「あるある!」
振り返りもしないみつみの返事に、千尋も笑ってコンビニへ向かった。
◇
狩造ダンジョンへ着いた頃には、佳奈子の眠気もほとんど消えていた。
受付を済ませ、四人はそれぞれ装備を整える。
みつみの手には、鳴田南でもらった自分の杖。志帆の手首には黒銀のバングルがあり、佳奈子はハーネスの位置を何度か直して、矢が取りやすいか確かめている。
千尋も共通保管されていた黒いショートソードを腰へ下げた。
それを見たみつみが、何か言いたそうに口を開く。
「黒――」
「言わなくていいから」
千尋が先に遮った。
「まだ何も言ってないよ」
「昨日からその顔何回も見たから、もう分かる」
みつみが志帆を見る。
視線を受けた志帆は、黒いショートソードと千尋を順番に見てから口元を緩めた。
「随分と察しがよくなったわね」
「志帆までやめて」
「私は何も言ってないでしょう?」
「言おうとしてる」
三人がそんなやり取りをしている間に、準備を終えた佳奈子は一人だけ入場口のほうへ歩き出していた。
「その話まだやるなら置いてくよ。私、早く飛び石見たい」
「朝はあんなに眠そうだったのに」
みつみが追いかける。
「もう起きた。ここまで来たら眠気より狩造」
「さっき千尋も『もう起きた』って言ってたよ」
「一緒にしないで」
「なんで?」
「なんとなく」
みつみと佳奈子が先に入場口を抜け、千尋と志帆もそのあとへ続いた。
四人の前に広がった景色は、それまで潜ったどのダンジョンとも違っていた。
「うわ、広っ」
みつみが足を止める。
洞窟でも森林でも遺跡でもない。
足元から浅い水が広がり、その向こうに大小の中洲が点々と浮かんでいる。背の高い葦の群れの間を何本もの水路が走り、中洲同士を飛び石や木の根、倒れた木がつないでいた。
もっと遠くには、水に半分沈んだ石造物まで見える。
空は明るいのに、どこまでが地面で、どこから水が深くなっているのかは一目では分からない。
「写真より全然広いじゃん」
佳奈子はもうスマートフォンを出していた。
画面と実際の景色を見比べながら少し歩き、すぐに左手を指す。
「あれ。写真にあったの、ああいうやつじゃない?」
少し先の中洲まで、丸い石が五つ並んでいる。
みつみもそちらを見る。
「ほんとだ。佳奈子が行きたがってたやつ」
「ちょっと行ってくる」
佳奈子はスマートフォンをハーネスのポケットへしまい、そのまま最初の石へ片足を乗せた。
「いきなり行くんだ」
「これ見て狩造来たいって思ったんだから、そりゃ行くでしょ」
そのまま二つ目へ移る。
水面から出ている部分は、写真で見たより小さい。三つ目までは軽く進んだものの、四つ目へ移ったところで身体が少し傾いた。
「おっと」
両腕を広げて踏みとどまる。
後ろから見ていたみつみが思わず一歩出たが、佳奈子はそのまま最後の石へ移って中洲へ着いた。
「思ったより狭い。でもこれ楽しい!」
「じゃあ私も」
志帆が最初の石へ足を乗せる。
「志帆も行くんだ?」
「来る前から一度やってみたいとは思ってたのよ。佳奈子ほど楽しみにしていたわけじゃないけど」
「じゃあ私も行こ」
みつみまで続こうとしたところで、隣にいた千尋がその腕を掴んだ。
「みつみ、ちょっと待って」
「何?」
千尋は答えず、水面を見ていた。
さっきまで何もなかった飛び石の脇で、水の色がわずかに濃くなっている。
「なんかいる」
千尋が黒いショートソードを抜いた。
「《気配察知》」
その声を聞いた佳奈子は中洲で弓を構え、志帆も二つ目の石の上で足を止める。
「みつみ、右。水の中」
千尋に言われて、みつみが杖を持ったままそちらを向いた。
「右って――あっ」
水面が盛り上がった。
透明に近い青色の塊が、浅瀬からずるりと形を持ち上げる。
「アクアスライム!」
みつみの杖がすぐに上がった。
「《マジックボール》!」
青白い光弾が飛び、アクアスライムへ直撃する。水と一緒に半透明の身体が弾けたが、それでもまだ崩れない。
「まだいる!」
千尋が浅瀬へ踏み込み、水を蹴り上げながら一気に距離を詰めた。
「《ウィークポイント》!」
黒い刀身が横へ走る。
半透明の身体が大きく揺れ、そのまま光へ変わった。
「おおー、初アクアスライム!」
みつみが杖を上げる。
中洲から見ていた佳奈子は弓を下ろし、水面へ目を凝らした。
「思ったより分かんないね。あれ、千尋が気づかなかったら普通に踏んでたかも」
「私も最初から見えてたわけじゃないよ。気配察知使う前は、水の色がちょっと違うかなってくらい」
戻ってきた千尋の足元は、すでに膝下まで濡れていた。
それを見たみつみが、自分も浅瀬へ片足を入れる。
「じゃあ私、こっちから行く」
「飛び石渡らないの?」
中洲の佳奈子が聞くと、みつみは水の中をもう一歩進んだ。
「こっちもやりたかったから。水の中歩いて行く」
「じゃあ好きなほうで来れば? 志帆はもう半分来てるし」
佳奈子が志帆へ場所を空ける。
千尋も水へ入り、みつみとは少し違うところから中洲へ向かった。
結局、四人は同じ場所へ三通りの道で集まった。
◇
狩造には、思っていた以上にモンスターがいた。
「あ、カニ。ほんとにいるじゃん」
浅瀬の向こうを見つけた佳奈子が、少し嬉しそうに足を止める。
甲羅の横幅が三十センチほどあるシェルクラブが、二体並んでこちらへ向かっていた。
「写真で見たやつだ」
みつみが杖を向けようとすると、佳奈子がその前で背中へ手を回した。
「待って。今度は私やりたい。これも試したいし」
ハーネスから矢を一本抜く。
以前の矢筒より引っかかりが少なく、そのまま弓へ持っていけた。
「あ、いい。これ前より全然取りやすい」
佳奈子はそのまま矢をつがえ、迫ってくる一体へ狙いを定める。
「《パワーショット》!」
放たれた矢が甲羅へ当たり、硬い音を立てた。
シェルクラブの身体が少し押し戻される。
「うわ、硬っ。カニだから?」
「甲羅は避けたほうがよさそう」
千尋はもう走り出していた。
「《サイレントステップ》」
浅瀬を蹴り、一気に横へ回る。
水音までは消えない。それでも素早く距離を詰め、黒いショートソードを横から振った。
シェルクラブが鋏を上げる。
その動きを見た志帆が、すぐ千尋へ右手を向けた。
「黒き翼よ、我が友を守護せよ――《プロテクション》!」
淡い光が千尋を包み、振り下ろされた鋏を受ける。
「ありがと!」
「そっちは任せる。みつみ、もう一体来てる!」
「こっちね!」
みつみが杖を振る。
「《マジックマイン》!」
浅瀬に小さな光が残った。
横歩きで迫るシェルクラブがそこへ踏み込んだ瞬間、魔法が弾け、水しぶきと一緒に身体が浮く。
「佳奈子、今!」
「それなら甲羅関係ない!」
すぐに二本目の矢を取り出す。
「《ダブルショット》!」
二本の矢が続けて飛び、浮いたシェルクラブの腹側へ突き刺さった。
一体目が光へ変わる。
「やった!」
佳奈子が声を上げた直後、反対側でも千尋の黒い剣が二体目を斬り抜いた。
光が収まると、水際に小さなドロップが二つ残った。
「カニなのに、カニは落とさないんだ」
佳奈子はしゃがみ込み、拾ったドロップを手のひらへ乗せる。
「食べられそうなものでもないね。ちょっと期待してたのに」
「本気で食べるつもりだったの?」
志帆が横から覗き込む。
「食べられるなら食べてみたくない? ダンジョンのカニだよ」
「それを聞くと逆に食べたくなくなるわね」
「私はちょっと食べたい」
みつみが言うと、佳奈子は嬉しそうにそちらを指した。
「ほら、一人いた」
「二人で食べて」
千尋は黒いショートソードについた水を軽く払ってから、佳奈子の背中へ目を向けた。
「それよりハーネス、よかったじゃん。さっき矢取るの速かったよ」
「でしょ? 買って正解だった」
佳奈子は立ち上がると、矢筒の位置を手で確かめた。
「走ったときもそんな動かなかったし、スマホもここからすぐ取れる。みつみにはまだ貸さないけど」
「もう狩造来たよ?」
「帰るまでが狩造だから。今日は私が使うの」
「じゃあ帰ったら?」
「考える」
「貸してくれるとは言わないんだ」
話しながら四人はまた歩き出す。
狩造へ入って、まだそれほど経っていない。
それなのに四人の靴は、もう揃って濡れていた。
◇
「今度はカエル!」
葦の間から顔を出している大きな緑色の身体を、みつみが先に見つけた。
佳奈子もそちらを向き、弓へ手をかける。
「リードフロッグってこれ? 写真で見るよりでかくない?」
「待って、来る」
千尋が言った直後、リードフロッグが跳んだ。
「うわっ!」
佳奈子の頭上を軽く越え、その後ろへ着地する。
着地したと思ったときには、もう次の跳躍に入っていた。
「速い!」
千尋が振り返り、跳び上がった身体へ手を向ける。
「《マーキング》!」
印をつけられたリードフロッグが葦の向こうへ消える。
姿は見えなくなったが、千尋は迷わずそちらを指した。
「まだ向こうにいる。右に動いてる!」
「じゃあ私、こっちから行く!」
みつみは浅瀬へ入り、佳奈子は近くの飛び石を二つ使って反対側へ回る。志帆も水際を走り、四人が別々の方向から葦の向こうへ出たところで、リードフロッグが再び跳ねた。
「佳奈子、上!」
「見えた!」
矢をつがえた佳奈子が、そのまま弦を引く。
「《カーブショット》!」
放たれた矢が横へ弧を描き、跳んだリードフロッグへ横から当たった。
空中で身体が傾く。
「みつみ、今なら当てやすい!」
「うん!」
杖が強く光る。
「《マジックブースト》! ――《マジックボール》!」
光弾が直撃した。
リードフロッグが浅瀬へ落ち、大きな水柱が上がる。
「みつみ!」
すぐ近くにいた千尋が頭から水を被った。
「あ」
「今の絶対もうちょっと待てたでしょ!」
「カエルがあんなに水飛ばすと思わなかった!」
「落ちたら飛ぶよ!」
二人が言い合っているところへ、志帆の声が飛ぶ。
「まだ終わってない! 千尋、後ろ!」
千尋が振り返る。
水から飛び出したリードフロッグが、もう一度こちらへ跳んでいた。
「しぶとっ!」
黒いショートソードを構える。
「《ウィークポイント》!」
一歩踏み込み、弱点へ刃を通す。
今度こそリードフロッグが光へ変わった。
千尋の前髪から水がぽたぽた落ちる。
みつみはそれを見て、さっきまで上げていた杖をそっと下ろした。
「……ごめん」
「次やったら水かけるからね」
「魔法で?」
「手で」
「普通だ」
佳奈子が吹き出した。
「でも千尋、最後のやつ格好よかったよ。水被ったまま突っ込んで」
「褒めるなら後半だけにして」
志帆も笑いながら二人のところへ来た。
「千尋、怪我は?」
「ないよ。プロテクションも残ってたし。それより志帆も結構濡れてる」
千尋が指すと、志帆は自分の袖を見る。
しっかり水が跳ねている。
そのまま無言でみつみを見る。
「あ、そっちも?」
「私にも謝って」
「ごめん」
「今日は撃つ前に周りを見ましょうね」
「はい」
素直に返事をしたみつみに、佳奈子がまた笑った。
◇
昼を過ぎても、四人はまだ狩造の中にいた。
途中で中洲に座って昼食を食べ、そこからまた探索を再開する。
朝に見たものより間隔の広い飛び石もあれば、腰近くまで水に沈んだ石造物もあった。渡れそうなら渡り、水に入れそうなら入る。ただ、それだけを目的に進むことはなく、四人の視線は水面や葦の奥にも向いていた。
千尋が《気配察知》を使って何もいないことを確かめた場所を進んだり、逆に気配を見つけて自分たちから見に行ったりする。
水に半分沈んだ石造物の近くで宝箱を見つけたときは、それまで進んでいた方向を四人ともあっさり変えた。
「ちょっと遠回りになるけど、どうする?」
千尋が聞いたときには、みつみはもう宝箱のほうへ歩き始めていた。
「行くに決まってるじゃん」
「聞くだけ無駄だったね」
佳奈子もみつみを追い、志帆は少し先に見えるゴール方向と宝箱を見比べる。
「まあ、あれを見つけて無視する理由もないわね」
「志帆も行く気じゃん」
「もちろん」
結局、最後まで残っていた千尋も笑って三人を追った。
宝箱の中身は、四人が期待したほどすごいものではなかった。
それでも開ける直前には四人で覗き込み、開けたあとは中身を順番に確かめ、結局全部持っていく。
「次はもうちょっとすごいの欲しいな」
みつみが宝箱から離れながら言う。
「次がある前提なんだ」
「宝箱あるなら開けるでしょ」
「それはそう」
千尋があっさり同意した。
そこからさらに進んだところでは、水面から突然リバーフィッシュが飛び出した。
「魚!」
みつみが声を上げるより早く、佳奈子の手が背中へ回る。
「これは私!」
ハーネスから抜いた矢をそのままつがえた。
「《パワーショット》!」
矢が空中の魚を弾き飛ばす。
リバーフィッシュは着水する前に光へ変わった。
「今の気持ちいい!」
佳奈子が笑ったところで、千尋が水路の少し先を指す。
「もう一匹いる。次、誰やる?」
「私!」
みつみの杖が上がる。
次のリバーフィッシュが水から跳ねた。
「《マジックボール》!」
光弾が水面すれすれを飛ぶ。
外れた。
「速っ!」
「右行った!」
千尋の声でみつみが杖を振り直す。
二発目。
今度は当たり、魚が空中で光へ変わった。
「やった!」
みつみが喜んだ直後、足元の水が不自然に盛り上がる。
志帆がそれに気づいた。
「みつみ、下!」
「えっ――《マジックシールド》!」
目の前に魔法の盾が現れる。
水面から立ち上がったアクアスライムがそこへぶつかり、半透明の身体を大きく歪ませた。
「近い近い!」
「そのまま止めて!」
千尋が横から飛び込む。
黒い刀身がアクアスライムを斬る。
その向こうでは葦が大きく揺れ、今度はリードフロッグが跳び出した。
「まだ来るじゃん!」
佳奈子はそう言いながら笑っていた。
すぐに次の矢を抜く。
「カエルとスライム、どっちから?」
「カエル!」
「スライム!」
みつみと千尋の声が重なった。
佳奈子が二人を交互に見る。
「だからどっち!」
「佳奈子はカエルお願い! スライムこっちでやる!」
千尋が言い直すと、佳奈子はすぐリードフロッグへ弓を向けた。
「最初からそう言って!」
志帆も右手を上げる。
「闇より来たれ、黒き守護の翼――《プロテクション》!」
「志帆、今日長い!」
みつみがマジックシールドでスライムを押し返しながら叫ぶ。
「余裕があるうちに言わせて!」
リードフロッグが跳ぶ。
佳奈子の矢が追う。
みつみがスライムへ魔法を撃ち、千尋がその横へ回る。
浅瀬の水が何度も跳ね、葦が大きく揺れた。
最後のアクアスライムが光へ変わったとき、四人とも朝よりずっと汚れていた。
佳奈子の靴は完全に濡れている。千尋のパンツの裾も水を吸い、みつみは頬に泥がついていた。志帆の髪にも水滴が残っている。
みつみは息を整えながら杖を肩へ預けた。
「狩造、楽しいね」
「思ってたより戦うけどね。でも私も好き」
佳奈子は弓を下ろし、ハーネスから飲み物を取り出した。
「飛び石だけでも来たかったけど、魚撃つのも楽しい。あれもう一回やりたい」
「私は次、もう少し奥を見たいかな。さっきからモンスターも多いし」
千尋が水路の先を見る。
志帆もその視線を追った。
「ゴールも朝よりかなり近くなったわね。時間はまだあるし、今からなら今日中に着けるかもしれない」
「じゃあ行こうよ」
みつみがすぐに杖を持ち直す。
佳奈子も飲み物をしまいながら立ち上がった。
「今度はちゃんとゴール方向ね。宝箱見つけても?」
「それは行く」
みつみの即答に、千尋が笑った。
「じゃあ絶対まっすぐ行かないじゃん」
「宝箱は別でしょ」
「何が別なのよ」
志帆まで笑い、四人は水路沿いをまた歩き始めた。
◇
しばらく進んだところで、先頭にいた千尋が急に足を止めた。
すぐ後ろまで来ていたみつみも止まり、杖を持ったまま千尋の顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「ちょっと待って。なんかいる」
千尋の声が、それまでより少し低い。
「《気配察知》」
佳奈子が弓へ手をかけた。
志帆も水路の先を見る。
そこには何もいない。
広い水面と、その向こうに低い中洲があるだけだった。
「前にいる。でも、なんだろ」
千尋は水面から目を離さない。
「見えないの?」
「見えない。でも近いと思う。あと――」
そこで一度言葉を切った。
「たぶん、大きい」
佳奈子が弓を構える。
「リバーフィッシュの大きいやつとか?」
「分かんない。気配察知じゃそこまでは――」
千尋が言い終わる前に、水面へ波紋が広がった。
みつみも杖を握り直す。
「今、動いたよね」
「ええ。何かいる」
志帆も半歩下がった。
もう一度、水面が揺れる。
今度はさっきより大きい。
水の下で何かがこちらへ動いている。
「来る」
千尋が黒いショートソードを抜いた。
次の瞬間、水面が大きく盛り上がった。
最初に現れたのは、濡れた甲殻だった。
「……え?」
佳奈子の声が漏れる。
甲殻がさらに持ち上がり、水を左右へ押しのける。
続いて現れたのは、大きな鋏。
一本。
その反対側から、もう一本。
午前中に倒したシェルクラブとは比べものにならない巨体が、ゆっくりと水の中から姿を現した。
みつみが思わず一歩下がり、志帆も巨大な鋏を見上げる。
佳奈子は構えていた弓を少しだけ下げた。
「……カニじゃん」
その頭上に、名前が表示される。
《ジャイアントシェルクラブ》
「でっか……」
みつみが呟きながら、もう一度杖を上げる。
隣では千尋が黒いショートソードを構え直した。
巨大な鋏が、ゆっくりと開いた。




