第46話 黒月
「別に買い替えるって決めたわけじゃないからね」
放課後。地元のダンジョン施設に併設された用品店で、千尋はそう言いながらショートソードの並ぶ棚を見ていた。
次の土曜日は狩造ダンジョン。
佳奈子はすでに新しいハーネスを買っているし、みつみには鳴田南でもらった自分の杖がある。志帆も黒銀のバングルを使い始めていた。
千尋は、これまで使ってきた黒いショートソードをそのまま使うつもりだった。
「でも見るんでしょ?」
みつみが隣の棚から一本覗き込む。
「見る。使い始めたときは前のより使いやすいってだけで決めたから、今なら他のも分かるかなって」
「それでいいのがあったら?」
「そのとき考える」
千尋は棚に並んだ剣を順番に見ていった。
どれも長さは大きく変わらないが、柄の太さや鍔の形、重心は少しずつ違う。見た目だけなら銀色の刀身が多く、千尋の黒い剣はやはり目立つほうだった。
佳奈子は昨日のうちに「私はもう買ったし、今日は帰る」と言っていたので、ここにいるのはみつみ、千尋、志帆の三人だけだ。
「千尋、これは?」
みつみが一本を指した。
柄の部分に赤いラインが入っている。
「見た目で選んだでしょ」
「格好いいよ」
「嫌いじゃないけどね」
千尋は値札の横に書かれた仕様を眺めたあと、別の一本へ移る。
少し離れたところでは、志帆が商品説明を一つずつ読んでいた。千尋と同じ棚を見てはいるが、追っているものが違うらしい。
「こっち、今のより少し軽いわね」
「どれ?」
千尋が志帆の横へ行く。
黒に近い濃い灰色の柄を持つ、装飾のほとんどないショートソードだった。
「長さはほぼ同じ。重量は少し軽い」
「持ってみたいな」
「試せるみたいよ」
志帆が棚の端にある案内を示した。
三人で店員に声をかけ、何本か見てみたいと伝える。千尋は探索者登録を確認してもらい、比較のために共通保管されていた自分の剣も受け取った。
黒い鞘を腰につけると、千尋は一度だけ位置を直す。
「やっぱこれくらいが一番慣れてる」
「ずっと使ってるもんね」
「そんなに長くないけど、ダンジョン行くたび使ってるからね」
試用できる場所へ移り、最初にさっきの軽い一本を握る。
千尋は刃先を人のいない方向へ向け、ゆっくり振った。続けて横へ一歩動きながらもう一度。最後に手首を返し、剣を止める。
「軽い」
「いい?」
みつみがすぐ横から覗く。
「悪くない。振り始めるのは楽。でも、なんか軽すぎるかも」
「軽いほうが動きやすいんじゃないの?」
「そうなんだけど、止めたときの感じがちょっと違う」
うまく言葉にできないのか、千尋はもう一度振ってから首を傾げた。
「今ので慣れちゃったのかも」
志帆が黒いショートソードのほうを見る。
「重心の違いじゃない? 重量だけならこっちのほうが軽いけれど、持ったときの感覚は総重量だけでは決まらないし」
「ちょっと持ってみる?」
「私は振らないわよ」
「持つだけ」
千尋から渡され、志帆は柄を握った。
「あ、本当。数字で見るより先が軽く感じる」
「でしょ?」
千尋が嬉しそうに返す。
「私も」
みつみが手を出した。
「振らないでよ」
「振らないよ」
受け取った瞬間、みつみの手が少し下がる。
「重い」
「さっき志帆が軽いって言ったじゃん」
「千尋のと比べてよ」
「ああ」
みつみは納得して、そのまま千尋へ戻した。
「私は杖でいい」
「そりゃそうでしょ」
千尋は笑いながら試用品を店員へ返し、次の一本を手に取った。
今度は柄が少し細い。
握った瞬間は悪くなさそうだったが、二度ほど動かしているうちに、千尋の指の位置が何度か変わった。
「これは違う」
「早いね」
「握ってる感じが落ち着かない」
元の場所へ戻し、次を見る。
一本ずつ全部試すわけではない。棚の前で握りの太さを見たり、店員に重さを聞いたりしながら、気になったものだけを手に取っていく。
みつみは途中から剣より隣の杖の棚が気になり始め、今使っている自分の杖と見比べていた。
「これ、先っぽ光るんだって」
「買うの?」
「買わない。見るだけ」
「自分のあるでしょう」
志帆に言われ、みつみはバッグの横に固定している杖を手で押さえた。
「こっちのほうが好き」
そう言いながらも、光る杖の商品説明は最後まで読んでいる。
千尋は三本目のショートソードを試していた。
今度のものは、今使っている黒い剣よりわずかに重い。柄は握りやすく、振ったときにもそれほど違和感がなかった。
「これ結構いいかも」
軽く前へ踏み込み、一度振る。
そのまま身体を返し、二度目。
動きを止めた千尋が、今度は腰の黒いショートソードを抜いた。同じように一度、二度と動かしてみる。
「でも黒月のほうが戻しやすいかな。こっちはちょっと先が残る感じする」
みつみの顔が上がった。
志帆も千尋を見る。
千尋だけが何事もなかったように二本の剣を見比べている。
「もう一回やってみよ」
試用品へ持ち替えた千尋が、さっきと同じように前へ踏み込んだ。
みつみは口を開きかけて、閉じる。
隣では志帆が唇をきゅっと結んでいた。
千尋が一度振る。
もう一度、黒いショートソードへ持ち替える。
「やっぱこっちだな。重さっていうより――」
「ちょっと待って」
志帆が耐えきれなくなった。
「何?」
「今、何て言った?」
「重さっていうより?」
「その前」
千尋が首を傾げる。
みつみがもう我慢できないという顔で千尋を指した。
「黒月って言った!」
「……言ってない」
「言ったよ!」
「言ってない」
「言ったわ」
志帆まで加わる。
「はっきり言った。『黒月のほうが戻しやすい』って」
「言ってないって」
「私、すぐ言おうとしたけど我慢したんだよ」
「私もよ。あまりに普通に続けるから、どこまで気づかないのか見ようと思ったけれど無理だった」
「何を我慢してるの二人とも」
千尋は試用品を持ったまま二人を見る。
みつみがにやにやしている。
志帆も口元が緩んでいた。
「我が呼び声に、ついに――」
「違うから!」
「まだ最後まで言ってないでしょう」
「何言うか分かるから!」
千尋がすぐに遮った。
みつみは笑いながら黒いショートソードを見る。
「でも千尋が自分で言った」
「言ってない」
「言った」
「聞き間違い」
「二人とも?」
「二人とも」
「じゃあ聞き間違いじゃないじゃん」
「うるさい」
千尋は試用品を店員へ返し、黒いショートソードだけを握り直した。
「それで、結局どうなの?」
志帆が聞く。
「何が?」
「そっちの剣」
「ああ」
千尋はもう一度構えた。
千尋は前へ一歩踏み込み、一度振って戻す。
「こっちのほうがいい。慣れてるのもあるけど、動いたあと戻しやすい」
「じゃあ買い替えない?」
「今はね。これで困ってないし」
黒い剣を鞘へ収める。
「狩造もこれで行く」
みつみと志帆が一瞬だけ顔を見合わせた。
今度は何も言わなかった。
◇
「水辺なら、これあってもいいんじゃない?」
みつみが持っていたのは、滑りにくい素材を使った薄手のグローブだった。
剣を見終わった三人は、狩造へ持っていく物を眺めながら店内を回っていた。
「濡れた岩とか触るなら使えそう」
千尋は片方だけ試着し、指を何度か曲げた。
「でも剣握るとどうなんだろ。厚いのは嫌なんだよね」
「これは薄いわよ」
志帆が反対側の手袋を触る。
「乾いた状態では悪くなさそう。ただ、本当に濡れたときの感触までは店内じゃ分からないわね」
「じゃあ買わない?」
みつみが聞くと、千尋はしばらく手を開いたり閉じたりしていた。
「今日はいいかな。家に似たのあるから、まずそれで試す」
グローブを戻し、その隣にあった防水ケースへ目を移す。
今度は志帆が先に手に取った。
「スマートフォンはこれに入れたほうがいいかも」
「志帆、あのバングルは平気なの?」
みつみの視線が、制服の袖から少しだけ見えている黒銀へ向く。
「多少濡れる程度なら問題ないはず。でも、ずっと水へ入れておくつもりはないわ」
「入ったら?」
「拭く」
「普通だ」
「他に何を期待してるの」
志帆は防水ケースを戻し、代わりに小さなタオルを見始めた。
千尋は少し先のメンテナンス用品の前で止まった。
刃物用の商品が並んでいる。
「狩造のあと、ちゃんと手入れしたほうがいいよね」
「黒いの、水で錆びる?」
みつみが横に来る。
「普通に金属なんだから、濡れたままはよくないでしょ。施設で返す前に拭くくらいはするけど」
「黒いと錆びても分かりにくそう」
「それは困る」
千尋が真面目な顔で刀身を見る。
「せっかく気に入ってるのに」
その言葉を聞いた志帆が、一瞬だけ千尋へ目を向けた。
けれど何も言わず、手にしていたタオルの商品説明へ戻る。
「これ、吸水性は良さそう」
「佳奈子に送る?」
みつみがスマートフォンを出す。
「送って。たぶんあの子、もう家でタオル探してると思う」
みつみは商品を撮り、四人のチャットへ送った。
すぐには返事が来ない。
「まだ帰ってる途中かな」
「そのうち見るでしょ」
三人はそのまま店内を回った。
みつみが小さな防水ポーチを見つけ、志帆が水辺で使えそうな用品を眺め、千尋はまた剣の棚へ戻って一本だけ手に取った。
最初に試した軽いショートソードだった。
「まだ気になる?」
志帆が隣へ来る。
「ちょっとね。狩造みたいに足場悪いところなら、軽いほうがいいのかなって」
「使ってみなければ分からない部分ね」
「そうなんだよね」
千尋は棚の剣と、自分の腰にある黒い鞘を見比べた。
「でも今ので困ったことないし、わざわざ替えるほどでもないかな」
「なら替えなくていいんじゃない?」
志帆はそれだけ言って、隣の棚へ移った。
千尋も剣を戻す。
「そうする」
決めたわりには大げさな感じはなく、そのままみつみのところへ向かった。
「何見てるの?」
「これ」
みつみが見せたのは、魚の形をした小さなキーホルダーだった。
「なんで用品店にあるの」
「狩造のお土産だって」
「まだ行ってないのに売ってるんだ」
「買う?」
「行ってからでよくない?」
三人で笑いながら棚を離れた。
◇
店を出る前に、千尋は黒いショートソードを返却した。
刃物はダンジョン外へ持ち出せない。次に使うときは、狩造の施設でまた受け取ることになる。
手続きが終わるのを待っている間、みつみは店で買った小さなタオルを広げていた。
「佳奈子、返事来た」
スマートフォンには、
『それ良さそう。色違いある?』
と表示されている。
「あるよ。黒と青とピンク」
みつみが写真を追加で送る。
千尋も画面を覗き込んだ。
「絶対ピンクじゃん」
「黒かもよ」
「ハーネス黒だしね」
「差し色がピンクなんでしょう? なら合わせる可能性も――」
志帆がそこで言葉を止めた。
千尋を見る。
「何?」
「……いえ」
志帆は一度だけ視線を逸らした。
千尋が怪訝そうな顔をする。
「何なの?」
「さっきのことを思い出しただけ」
「忘れて」
「何のこと?」
みつみが笑いながら聞く。
「あなたも分かってるでしょう」
「分かんない」
「絶対分かってる」
「二人ともまだやるの?」
千尋は先に出口へ向かった。
みつみと志帆も、そのあとを追う。
「じゃあ何て呼ぶの?」
みつみが横へ並ぶ。
「何を?」
「剣」
「ショートソード」
「長い」
「剣」
「いっぱいある」
「私の剣」
今度は志帆が反応した。
「ほう」
「その『ほう』やめて」
「何も言ってないでしょう」
「顔が言ってる」
千尋は二人から少し離れたものの、歩く速さは変わらなかった。
みつみが追いつき、志帆も反対側へ並ぶ。
「次、狩造で受け取るんだよね」
「そうだけど」
「黒月」
「……うるさい」
千尋はそれ以上、名前について何も言わなかった。
三人はそのまま駅へ向かう。
次に黒い剣を抜くのは、土曜日。
水と緑の中へ続く、今までより遠いダンジョンだった。




