第45話 今度はいくよ
「これ、行ってないとこ?」
昼休み。みつみの机に置かれたスマートフォンを、佳奈子がパンを持ったまま覗き込んだ。
画面には、鳴田南ダンジョンで撮った動画が流れている。大きな穴の上を石の足場がゆっくり動き、途中で画面がぐらりと揺れた。
『それ逆じゃない?』
動画の中から、少し離れた千尋の声が聞こえる。
「何してんの、これ」
佳奈子が笑った。
「千尋だけ向こう行った」
「みつみが勝手に動かしたからね」
弁当を食べていた千尋が、向かいの席から口を挟む。
「戻したよ」
「そのあとね」
みつみは気にせず動画を少し戻した。今度は別の足場に乗った志帆が、二人より高いところへ運ばれていく。
隣から画面を見ていた志帆が、その場面で箸を止めた。
「そこ、上から見ると結構面白かったわよ。下からは見えなかった足場がいくつかあったし」
「クリアしたんだよね?」
「した」
「なのにまた行きたいの?」
佳奈子が聞くと、みつみは動画を止めて顔を上げた。
「まだ乗ってない足場あるよ」
志帆も自分のスマートフォンを取り出す。表示したのは、三枚の円盤が並んだ部屋の写真だった。
「私はこっちも気になるわ。五人で動かしたけれど、たぶん別の動かし方もあると思うの」
「また始まった」
千尋が笑いながら卵焼きを口へ運ぶ。
「何よ」
「いや。帰りもそれ言ってたなって」
「気になるものは気になるのよ」
佳奈子は二人のスマートフォンを交互に見てから、パンの袋へ手を戻した。
「楽しそうではあるんだけどね。私は今はいいかな、遺跡」
「じゃあ三人でまた行く?」
みつみが千尋を見る。
「行ってもいいけど、それとは別に四人でどっか行きたくない?」
千尋はそう言って、自分のスマートフォンを机の真ん中へ置いた。
「前に見てた、もう一個のほう」
「あ、水のとこ」
みつみがすぐに思い出した。
佳奈子もパンを食べる手を止める。
「狩造?」
「そう、それ」
千尋が検索して画像を開いた。
最初に出てきたのは、一面に水と緑が広がる景色だった。
湖のように水だけが広がっているわけではない。浅い水の中に草の生えた中洲が点々とあり、その間を細い水路が走っている。少し先には葦が群生し、さらに奥には半分だけ水へ沈んだ石造物が見えた。
佳奈子がパンを机へ置いた。
「ちょっと貸して」
スマートフォンを引き寄せ、次の写真へ送る。
水面から出た石が、飛び石のように向こう岸まで続いていた。
「これいいじゃん」
さらに一枚。
今度は探索者が浅瀬を歩いている。その次には、細い水路の上へ倒れた木を渡っている写真が出てきた。
「こっち行きたい」
さっきまで鳴田南の動画を眺めていたときとは違って、佳奈子の指が止まらない。
みつみも横から画面へ顔を寄せた。
「水の中歩けるんだ」
「この写真だと浅そうだね。靴どうするんだろ」
「濡れていいやつ?」
「それはそうなんだけど、普通の靴だと中まで水入ったら気持ち悪くない?」
佳奈子はそう言いながら、飛び石の写真まで戻った。
「私はまずこれ渡りたい。落ちそうだけど」
「落ちたら水だよ」
「それも込みでちょっと楽しそうじゃん。深いとこは嫌だけど」
みつみが別の写真を指で拡大する。
「私こっち。水の中」
「みつみは普通に入っていきそう」
「入れるなら入りたい」
二人が画面の左右を指している間に、志帆は自分のスマートフォンで狩造ダンジョンの情報を開いていた。
「進み方は一つじゃないみたいね。安全な遠回りもあれば、浅瀬を通ったり、多少濡れる前提で近道したりもできるみたい」
「近道あるの?」
佳奈子がすぐに志帆のほうを向く。
「そこに反応するんだ」
千尋が笑うと、佳奈子は当然のように頷いた。
「濡れていいなら近いほう行きたいじゃん。でも、こけそうならやめる」
「そこはちゃんとしてるんだね」
「転んでびしょ濡れになるのは別に楽しくないし」
佳奈子はまた写真へ戻り、今度は倒木を見つけた。
「こういうのも渡れるのかな」
「それ、私も気になった」
千尋が横から画面を覗く。
「太かったら行ってみたい」
「じゃあ千尋そっちね。私は飛び石」
「もう別れる前提?」
「近くですぐ合流できるなら、別の道通ってどっちが早いかやるのも楽しそうじゃん」
それを聞いたみつみが、すぐに顔を上げた。
「やりたい。私、水の中行く」
「三ルートになってるじゃん」
「なら私は半水没した石造物を見に行くわ」
志帆が自分の画面を見せた。
水面から崩れた壁のようなものが突き出している。表面には何かの模様らしきものも見えた。
「四ルートになった」
佳奈子が笑う。
「まあ、現地見てからでしょ」
千尋はスマートフォンを取り戻さず、そのまま四人の真ん中へ置いていた。
「危なそうなら同じとこ行けばいいし、面白そうなのいっぱいあったら順番に行けばいいし」
「それがいい」
みつみはすでに別の写真を探し始めている。
「モンスターも水の中にいるんだって。アクアスライムとか、カエルとか、カニ」
「カニ?」
佳奈子が反応した。
「シェルクラブ」
「食べられるの?」
「モンスターだよ?」
「倒したら何か落とすでしょ」
「カニがカニ落とすとは限らないじゃん」
みつみに言われ、佳奈子は少し考えた。
「確かに。カニから石とか出たら嫌だな」
「なんで?」
「カニ期待して倒して石だったら嫌じゃん」
「期待しなければいいでしょ」
千尋が笑い、佳奈子も「それはそう」とパンへ戻った。
しばらくして、志帆が画面をスクロールする指を止める。
「クリア条件はゴール到達ね。ただ、ゴールの方向が分かっても、水路があるから真っすぐには行けないみたい」
「じゃあ寄り道しながら行けばよくない?」
佳奈子はパンを食べ終え、空になった袋を畳んだ。
「飛び石あったらそっち行って、浅瀬あったら入って。ゴール着いたらクリアでしょ?」
「一日で着かなかったら?」
千尋が聞く。
「また行けばいいじゃん」
答えながら、佳奈子はもう一度スマートフォンを手元へ引き寄せた。
ゴールそのものより、途中に何があるのかのほうが気になっているらしい。
「これ、次行かない?」
今度は佳奈子から言った。
「行く」
みつみがすぐに乗る。
志帆もスマートフォンから顔を上げた。
「私はいいわよ。鳴田南とは全然違いそうだし」
「私も行きたいけど――」
千尋が一度言葉を切り、狩造ダンジョンの場所を地図で開いた。
「ああ、やっぱ遠いな」
その一言で、三人の視線が画面へ集まる。
「どのくらい?」
みつみが千尋の肩越しに覗き込んだ。
「虎ヶ崎の倍くらい。狩造って埼玉だから」
「倍?」
みつみの声が少し大きくなる。
佳奈子も地図を覗き、さっきまでの勢いが一度止まった。
「遠っ」
四人が普段行っているダンジョンは千葉県内にある。虎ヶ崎へ行くときでさえ、いつもの初心者ダンジョンより移動に時間がかかった。それがさらに倍となれば、気軽に放課後寄っていくような距離ではない。
「朝、結構早くなるんじゃない?」
佳奈子が顔をしかめる。
千尋は乗り換えをいくつか見ていたが、すぐに画面を閉じた。
「ちゃんと調べないと分かんないけど、虎ヶ崎と同じ時間に出たら遅いだろうね」
「うわあ……」
佳奈子は嫌そうな声を出した。
そのまま少し黙ってから、机の真ん中に残っていた狩造の写真へ視線を落とす。
飛び石。
浅瀬。
倒木。
佳奈子はもう一度、飛び石の写真を大きくした。
「……でも、そっちは行きたい」
千尋が笑った。
「朝早いよ?」
「それは嫌。でも行きたい」
「どっちなの」
「両方だよ。早起きは嫌だし、狩造には行きたい」
佳奈子は写真をみつみに見せる。
「これ見たあとで、遠いからやめるのも嫌じゃない?」
「嫌」
「でしょ?」
「私は早起き平気」
「じゃあ朝起こして」
「電話する?」
「電話で起きられるなら自分のアラームで起きられるよ」
千尋が吹き出した。
「それはそう」
「前の日早く寝るしかないかあ」
佳奈子は諦めたように言ったが、狩造のページを閉じる様子はなかった。
むしろ今度は自分のスマートフォンを出し、同じページを探し始める。
「次の土曜、私空いてるよ」
その言葉をきっかけに、三人もそれぞれ予定を確認した。
志帆はすぐに「大丈夫」と答え、千尋も問題ない。みつみだけが一度「たぶん」と言ってから、千尋に見られて慌ててスマートフォンを確認した。
「空いてた」
「じゃあ土曜でいいね」
佳奈子が自分のカレンダーへ予定を入れる。
「時間はあとで調べよ。朝早すぎたら、私ほんとに前の日早く寝るから」
「そんなに飛び石渡りたいの?」
千尋が聞くと、佳奈子は保存した写真を見ながら笑った。
「飛び石だけじゃないよ。浅瀬も行きたいし、カニも見たい」
◇
午後の授業が終わるころには、佳奈子の興味は狩造へ持っていく物に移っていた。
「タオル一枚じゃ足りないかな」
帰り支度をしながら、自分のバッグへ教科書を入れていく。
「落ちなければいらないよ」
隣でみつみも机の中を片づけていた。
「落ちるかもしれないじゃん」
「さっき落ちないって言ってなかった?」
「落ちないつもりと、落ちないは違うから」
「じゃあ二枚」
「なんでみつみが決めるの」
佳奈子は笑いながらバッグを閉めた。
「靴下は替え持ってく。濡れたのずっと履いてるの嫌だし」
千尋も帰る準備を終え、二人の話を聞きながら近くまで来る。
「靴のほうが問題じゃない? 水入ったら靴下だけ替えてもまた濡れるよ」
「あ、それなんだよね。家に濡れてもいいのあったかな」
佳奈子が自分の足元を見る。
「サンダルじゃ駄目?」
みつみが言った。
「モンスター出るとこでサンダルは嫌」
「じゃあ長靴」
「今度は動きにくそう」
佳奈子は少し考えてから首を振った。
「家帰って見てみる。なかったらそのとき考える」
そこへ志帆もバッグを持って合流した。
「濡れたものを入れる袋もあったほうがいいんじゃない? 帰りが長いなら、バッグの中まで濡れるのは困るでしょう」
「あ、それいる。忘れそうだからチャットに書いといて」
「自分で書きなさいよ」
「今スマホしまったとこ」
「私もよ」
二人ともバッグを開けようとせず、そのまま顔を見合わせた。
先にみつみが自分のスマートフォンを出す。
「私書く」
「じゃあお願い」
「タオル、靴下、袋」
「着替えも」
「全部?」
「みつみは持ってきたほうがいいんじゃない? 水見たら入りそうだし」
「入るよ」
「ほら」
みつみが四人のチャットへ持ち物を書き込んでいる間に、佳奈子は自分のバッグを肩へ掛けた。
「あ、そうだ」
昨日買ったハーネスを思い出し、少し嬉しそうにみつみを見る。
「あれ、狩造でちょうどよくない?」
「矢筒?」
「うん。飛び石とか渡るなら両手空いてたほうが楽じゃん。弓も固定できるし」
「私も背負いたい」
「だから貸さないって」
「ちょっとだけ」
「狩造では私が使うの。終わったあとならいいよ」
「じゃあ終わったあと」
みつみがあっさり引く。
志帆は教室を出ながら、佳奈子の腰のあたりへ視線を向けた。
「実際に水辺で使うなら、飲み物の位置も確認したほうがよさそうね。屈んだとき邪魔にならないかとか」
「それも試したい。あとスマホすぐ取れるかも」
佳奈子も教室を出て、そのまま四人で廊下を歩き始める。
階段へ向かう途中でも、話は終わらなかった。
「飛び石って、落ちたらどのくらい濡れるんだろ」
佳奈子がスマートフォンを出そうとして、歩きながらなのを思い直してバッグへ戻す。
「写真だと浅そうだったよね」
「場所によるんじゃない?」
千尋は前を歩きながら振り返った。
「全部同じ深さじゃないだろうし、現地で見てから決めようよ」
「深かったらやめる。浅かったら行く」
「私は浅かったら入る」
みつみが続ける。
「知ってる」
「志帆は?」
今度はみつみが後ろを振り返った。
志帆は少し考え、手すりの向こうへ視線を落とす。
「私は石造物を近くで見られればいいけれど……せっかくだから飛び石も渡ってみたいわね」
「じゃあ一緒に行こうよ」
佳奈子がすぐに拾った。
「途中で私だけ落ちたら笑わないでね」
「笑うかもしれない」
「みつみには聞いてない」
「私も落ちるから大丈夫」
「何が大丈夫なの、それ」
四人の笑い声が階段に響く。
まだ一度も行ったことのない、いつもよりずっと遠いダンジョン。
その帰りが長いから着替えを持っていこうと話しながら、佳奈子はもう、飛び石を渡るつもりでいた。




