第40話 大事にする
「ミリア」
崩れた壁の前まで戻ると、白い姿はまだそこにいた。三人が離れていた間、一歩も動かなかったのかもしれない。ミリアは壁の向こうを見たまま立っている。
みつみは歩く速度を落とし、手の中にある二つの星を見せた。
「これ、向こうにあったよ。リナが持ってた。お姉ちゃん、来てたよ。帰ってこなかったんじゃなくて、道が崩れて戻れなくなってた。それで別のところから入って、ずっとこっちまで来ようとしてた」
ミリアは何も言わなかった。みつみの手の中にある星を見つめたまま、白い輪郭だけがかすかに揺れている。
「反対側、ほんとにすぐそこだったよ」
千尋が崩れた壁を指した。
「壁にいっぱい掘った跡が残ってたし、使ってた道具も壊れてた。たぶん、最後まで掘ってたんだと思う」
「手紙もあったわ。あなた宛てだった」
志帆も続ける。
「道が崩れて戻れなくなったことと、別の入口から入ったことが書いてあった。それから、遅くなってごめん、必ずそっちへ行くから待っていて、って」
ミリアの姿が、さっきよりも大きく揺れた。顔を伏せると、長い髪が白い頬を隠す。
「……来てたの?」
しばらくして聞こえた声は、かすかに震えていた。
「お姉ちゃん……来てた?」
「うん」
みつみは頷いた。
「間に合わなかったけど、来なかったんじゃないよ。ミリアのところに帰ろうとして、ちゃんとここまで来てた」
ミリアは崩れた壁へ顔を向けた。
「私……ずっと待ってたの。最初は、今日帰ってくるって思ってて。次の日になったら、明日は帰ってくるって。でも、ずっと帰ってこなくて……最後は、私のこと、置いていったのかなって」
日記で読んだ言葉だった。
みつみは首を振る。
「置いてってないよ。お姉ちゃんも、ミリアのところに行こうとしてた」
ミリアは長い間、その言葉を聞いていた。
やがて顔を上げる。泣いているようにも見えたけれど、白く透けた頬に涙は流れなかった。
「……そっか。来てくれたんだ」
「うん」
「よかった」
その一言は、思っていたよりずっと明るかった。
ミリアは壁から離れると、三人が最初に日記を見つけた石室の方向へ歩き始めた。途中で一度だけ振り返る。
今度は、ついてきてほしいということが三人にも分かった。
◇
石室へ戻ると、ミリアは日記を見つけた石台の前で止まった。
みつみが持っている二つの星へ視線を落としたので、石台を改めて調べてみる。側面に、二つ並んだ星の形をした小さな窪みがあった。
「これじゃない?」
みつみが星を近づけると、千尋も横から覗き込んだ。
「大きさも同じっぽいね。入れてみたら?」
ミリアを見ると、静かに頷く。
星の飾りを窪みへ合わせた瞬間、ぴたりとはまった。軽い音がして、石台の横が少しだけせり出す。
「開いた」
「まだ仕掛けが残ってたのね」
三人で中を覗いた。
入っていたのは、豪華な宝物ではなかった。色の褪せた青いリボンに、小さな髪留め。丸く磨かれた石と、古びた布袋。
そして、その奥に一本の杖があった。
「……かわいい」
みつみは、ほとんど反射的にそう言っていた。
短めの杖だった。濃い木目の本体に、古びたブロンズ色の装飾。先端には淡い青色の魔石がはめられ、その周囲を葉のような細い飾りが包んでいる。小さな花の意匠もあり、杖の上のほうには星形のチャームと青いリボンが残っていた。
ミリアが笑う。
「私も、そう言った」
みつみが顔を上げた。
「これ、ミリアの?」
「お姉ちゃんがくれたの。私が欲しいって言ったから。高いやつじゃないって言ってたけど、初めての私の杖だった」
「そっか。大事な杖なんだね」
「うん」
みつみはそれ以上触れず、杖を眺めていた。
しばらくして、ミリアのほうから口を開く。
「使ってほしい」
「え?」
みつみはミリアを見た。
「私に?」
「もう私は使えないから。それに、その杖を見たときの顔、昔の私と同じだった」
「顔?」
「かわいいって思った顔」
千尋が少し笑った。
「それは分かりやすかったよ。見つけてから、ずっと杖しか見てなかったし」
「そんな顔してた?」
「してたわね。かなり」
志帆にも言われ、みつみはもう一度杖を見る。それでも、すぐには手を伸ばさなかった。
「でも、これ、お姉ちゃんにもらったんでしょ? だったら……本当にいいの?」
ミリアは石台にはまった二つの星を見た。
「一番欲しかったもの、戻ってきたから」
みつみも二つの星を見る。
少し迷ってから、もう一度ミリアへ向き直った。
「……大事にする」
今度は自分から手を伸ばした。
持ち上げてみると、見た目より軽い。黒いグリップが手の中に収まり、今まで借りていた初心者用の杖より少し短かった。みつみは一度握り直してから、ミリアを見る。
「ありがとう」
「うん」
ミリアが笑った。
その白い輪郭が、少しずつ薄くなっていく。
「あ……ミリア?」
「お姉ちゃんに会ったら、怒る。遅いって」
消えかけたミリアは、それでも笑っていた。
「それから、たぶん泣く」
日記に書いてあった通りだった。
みつみも笑う。
「会えるといいね」
ミリアの姿は淡い光に溶けるように薄くなり、最後まで残っていた笑顔も、やがて見えなくなった。
石室には三人だけが残る。
しばらく誰も喋らなかった。
「……これ、ずるいな」
千尋が鼻をすすって横を向いた。
みつみは目元を拭きながら笑う。
「千尋も泣いた?」
「泣いてない。みつみは完全に泣いてるけど」
「私は泣いたよ」
二人が志帆を見ると、志帆も目元を指で押さえていた。
「……何よ」
「志帆も?」
「遺跡の埃よ」
みつみは石室を見回した。
「急に埃すごいね」
「そういう場所なの。ほら、行くわよ」
志帆が先に歩き出す。
みつみと千尋は顔を見合わせて笑い、そのあとを追った。
◇
石室を出てしばらく進んだところで、先頭を歩いていた千尋が急に足を止めた。
「ちょっと待って。何かいる。《気配察知》に引っかかってるんだけど、姿が見えない」
みつみと志帆も立ち止まり、千尋が見ている先へ目を向けた。
通路の両側には太い石柱が並び、その上部には翼の生えた小さな獣の彫刻がいくつも取りつけられていた。尖った耳と短い角、前脚で柱にしがみつくような姿勢。灰色の身体は周囲の石とほとんど同じ色をしている。
「モンスターいなくない?」
「いるんだよ。かなり近い」
「プチガーゴイルかもしれないわ」
志帆が石像を見上げながら言った。
「鳴田南にいるモンスターの一種よ。写真では見たことがあるけど、こうやって石像に紛れているところまでは知らなかった」
「この中にいるってこと?」
みつみの声が少し弾む。
「じゃあ、どれか当てようよ」
「その前に襲ってくるかもしれないけどね」
千尋は一体ずつ石像を見比べた。
「……右から二番目、ちょっと違わない?」
三人の視線が集まる。
石像の首が、ぎ、と動いた。
「当たり!」
みつみが声を上げた瞬間、灰色の翼が一気に開いた。
プチガーゴイルは柱を蹴り、真っすぐみつみへ飛びかかってくる。
「《マジックシールド》!」
みつみは新しい杖を前へ出した。
透明な魔力の障壁が広がり、石の爪を正面から受け止める。硬い音とともにプチガーゴイルが弾かれ、向かいの壁へ四つ足で着地した。
「出た!」
みつみは敵より先に手元の杖を見る。
「新しい杖でも普通に使える!」
「そっち気にしてたんだ」
千尋は笑いながらショートソードを抜いた。
「じゃあ私も。《マーキング》」
壁に張りついたプチガーゴイルを見つめる。
「ついた。こっちはちゃんと効くね」
「ミリアには効かなかったのに」
「うん。でも何が違うのかは分かんない」
プチガーゴイルはすぐには飛び込んでこなかった。壁へ張りついたまま三人を見ている。
その様子を見た志帆が、ゆっくり片手を千尋へ向けた。
「ならば今こそ、堕ちたる天の加護を我が友へ――《プロテクション》!」
淡い光が千尋の身体を包み、すぐに薄くなる。
千尋が振り返った。
「堕ちてるのに加護くれるんだ」
「細かいことはいいの。今のは結構うまく決まったから」
「自分で言うんだ」
みつみが笑っている間に、プチガーゴイルが壁を蹴った。
今度は千尋へ向かって低く飛んでくる。
千尋は真正面から受けず、《サイレントステップ》で横へ滑るように抜けた。すれ違いざまに剣を振ると、甲高い音が通路へ響く。
「かたっ。普通に斬るだけだと、あんまり効いてない」
床へ落ちたプチガーゴイルは、ほとんど間を置かずに翼を広げた。
「じゃあ魔法!」
みつみが杖を向ける。
「《マジックボール》!」
青白い魔力弾が飛んだが、プチガーゴイルは翼を打って横へ軌道を変えた。魔力弾は石柱へ当たり、淡い光を散らして消える。
「避けた!」
「飛んでると結構動くね。速すぎる感じはしないけど」
千尋が相手を目で追っていると、プチガーゴイルは石柱の裏へ回り込んだ。
姿が消える。
「右から来る!」
《マーキング》で位置を追っていた千尋の声に、みつみがすぐ杖を向け直す。
石柱の反対側から灰色の影が飛び出した。
「《マジックボール》!」
今度は胴へ当たった。
プチガーゴイルが床へ転がる。
「当たった! あと、やっぱりちょっと魔法出しやすいかも」
「戦いながらもう杖の感想出てるじゃん」
「だって気になる」
みつみは嬉しそうに杖を握り直した。
プチガーゴイルはすぐに起き上がる。片方の翼を広げ、また飛ぼうとした。
千尋はその動きを見て、今度はすぐに飛び込まなかった。
「硬いなら、こっち試してみる。《ウィークポイント》」
プチガーゴイルが床を蹴り、翼を開いた瞬間に踏み込む。
黒い刃が翼の付け根へ入った。
さっきとは違う鈍い音がして、石の翼に大きなひびが走る。プチガーゴイルは飛びきれず、そのまま床へ落ちた。
「そこなら効く!」
「じゃあ私も、まだ使ってないのやる!」
みつみはプチガーゴイルの前方へ杖を向けた。
「《マジックマイン》!」
床へ魔法を設置すると、千尋はすぐに横へ離れた。
翼を傷つけられたプチガーゴイルが四つ足でみつみへ走ってくる。
「来た来た」
「みつみ、踏むまで待つ気?」
「せっかく置いたんだから踏んでほしい!」
みつみは杖を構えたまま待った。
プチガーゴイルが設置場所へ入った瞬間、足元で小さな爆発が起き、石の身体が跳ね上がる。
「踏んだ!」
「ほんとに嬉しそうだね!」
千尋が笑いながら踏み込み、ひびの入った翼の付け根へ剣を振った。
プチガーゴイルが砕け、光の粒になって消えていく。
みつみは敵が消えた場所を見てから、新しい杖をくるりと返して眺めた。
「楽しい。石像だと思ったら動くし、飛ぶし、シールドもマインも使えた。それに、この杖やっぱりちょっと使いやすい気がする」
「初めて会ったモンスターなのに、杖の感想が半分くらい占めてるわよ」
「だって、かわいいし使いやすいんだよ?」
みつみは星のチャームを指先で揺らしてから、さっきまでプチガーゴイルがいた柱を見上げる。
「これ、次から石像全部見たくなるね。どれが動くか当てたい」
「《気配察知》で近くにいるのは分かるけど、どの石像かまでは分かんないから、それはちょっと面白そう」
千尋も周囲の彫像を見始めた。
「次は《気配察知》使っても、すぐ答え言わないでおこうかな」
「それやろう」
「私も見分け方は確認したいわね。今の個体、普通の彫像より翼の付け根に少し隙間があった気がするの」
志帆も近くの石像を見比べていたが、ふと視線を床へ落とした。
「待って。何か落ちてる」
プチガーゴイルが消えた場所に、小さな黒紫色の欠片が転がっていた。
志帆がしゃがんで拾い上げる。光へかざすと、一見ほとんど黒く見える表面の奥から、深い紫色が透けた。
「これ……黒紫晶の欠片じゃない?」
「知ってるの?」
みつみも横から覗き込む。
「前にアクセサリ用の素材を調べてたときに見たことがあるの。これ自体はそんなに高いものじゃないけど、加工すれば小さい魔石の装飾に使えるはず。魔法補助用のアクセサリにも使われてたと思う」
説明しながらも、志帆の目はずっと黒紫晶に向いている。光へかざしたまま何度か角度を変え、黒の奥から紫が浮かぶたびに眺め直していた。
「……色、いいな」
「志帆好きそう」
「好き。普通に見るとほとんど黒なのに、光に当てたときだけ紫が出るの、かなりいい」
返事が早かった。
千尋が横から欠片を見る。
「この間言ってたバングルに使えそう?」
「たぶん。黒銀系にして、小さい羽根の意匠を入れたいと思ってたでしょう? これなら色も合うし、ちゃんと魔法補助にも使える。普通のヒーラー用品って白とか金とか、天使とか聖女っぽいものが多いけど、私が使うならもう少し違う方向にしたいのよね」
「堕天使?」
千尋が言うと、志帆の目が少し上がった。
「そういう感じ。ぱっと見ただけで堕天使です、みたいなのはやりすぎだけど、よく見たら羽根があって、石もこういう暗い色で――」
そこまで言って、志帆は一度止まった。
「……これ、いいな」
「二回言った」
「いいものは二回言ってもいいの」
志帆は気にせず黒紫晶をもう一度光へかざした。
「ただ、一個じゃ足りないのよね。加工で全部使えるとも限らないし、同じ黒紫晶でも色の出方が違うはずだから、できれば何個か見比べたい」
「じゃあ、どうする?」
千尋が聞く。
志帆は手の中の黒紫晶と、通路に並ぶ石像を交互に見た。
答えが出るまでに時間はかからなかった。
「集めたい」
みつみがすぐに新しい杖を持ち上げる。
「じゃあ探そうよ。私もこの杖、もっと使いたいし、次のガーゴイル当てたい」
「さっき、まだ入ってない横道あったよ。あっちにも石像ありそうだったし、戻る前に見てみない?」
千尋が通路の奥を指す。
「行く」
今度は志帆の返事が一番早かった。
黒紫晶を大事そうにしまうと、自分から歩き出す。
みつみは新しい杖を握り直し、そのあとを追った。千尋も二人に並びかけたところで、先にある分岐へ目を向ける。
「横道、こっち」
三人は来た道ではなく、まだ歩いていない通路へ入っていった。
次の石像が本当に動くのか。
黒紫晶はまた落ちるのか。
新しい杖で、今度は何を試すのか。
確かめたいことは、もう一つではなかった。




