第30話 森のアスレチック
「こっち」
虎ヶ崎ダンジョンの森へ入ってしばらくして、みつみは迷わず右を指した。
前に見つけた、メインルートから外れる細い踏み跡。
あの日は入らずに帰った獣道が、今日も木々の間へ続いている。
「即決だね」
佳奈子が笑った。
「今日はここ来るために来たし」
「何があるんだろ」
「分かんない」
「分かんないのに即決なんだ」
「だから行くんじゃん」
千尋はそう言いながらも、もう身体を獣道のほうへ向けていた。
前回は、見つけただけだった。細い道が森の奥へ続いていることしか分からない。
「本道を外れ、我らは未踏の領域へ――」
「未踏ではないでしょ」
佳奈子が足元を指した。
「道できてるし」
「……名も知らぬ者たちが歩んだ、忘れられし道へ」
「直した」
「対応が早い」
みつみは笑いながら、獣道へ足を踏み入れた。
◇
最初のうちは、少し狭いだけだった。
人ひとりが歩けるくらいの幅で草が薄くなり、ところどころ土が見えている。
メインルートと違うのは、横に並べないことくらいだった。
「思ったより普通」
前を歩く千尋の後ろから、みつみが言う。
「何を期待してたの?」
「もっとこう、森をかき分けて進む感じ」
「それ道じゃないじゃん」
「獣道だよ?」
「獣も毎回かき分けて歩きたくないでしょ」
「獣の気持ちは分からない」
「私も分からないけど」
その後ろを佳奈子、最後に志帆が続く。
少し歩くと、道の様子が変わり始めた。
地面から太い木の根が何本も浮き出し、歩くたびに足を上げなければならない。横から伸びた枝を避けて、身体を傾ける場所もある。
「こっちのほうが森っぽい」
みつみは枝を手で押さえながら通り抜けた。
後ろの佳奈子へ渡そうとすると、枝が戻りかける。
「ちょ、待って」
「ごめん」
「顔に来るとこだった」
「押さえとく」
「ありがと」
佳奈子が抜けるまで枝を持っていると、その先で千尋が立ち止まった。
「今度は下」
道を横切るように倒木があった。
太さは、みつみが両腕で抱えても回らなそうなくらい。地面から少し浮いた状態で横たわっている。
「乗る?」
みつみが聞く。
「なんで?」
「渡れそうだから」
「普通にまたげるよ」
「だから乗る」
みつみは倒木へ片足をかけた。
「そっちのほうが難しくない?」
「難しいからいいんじゃん」
両手を横へ広げ、ゆっくり立ち上がる。
靴底の下で樹皮が少しざらついた。
「おお」
「落ちないでよ」
「平気平気」
二歩。
三歩。
思っていたより幅がある。
これなら簡単だと思ったところで、足元が少し丸くなった。
「うわ」
身体が傾く。
慌てて両腕を振り、どうにか戻した。
「平気じゃないじゃん」
佳奈子が笑う。
「今のは演出」
「何の?」
「スリル」
倒木の端まで歩いて飛び降りる。
着地して振り返ると、佳奈子もすでに倒木へ乗っていた。
「やるんじゃん」
「見てたらやりたくなった」
「でしょ?」
佳奈子はみつみより慎重に歩き、最後だけ少し勢いをつけて降りた。
志帆も続く。
「落ちたら治してあげるわ」
「自分が渡る前に言う?」
「ヒーラーが落ちた場合は各自でなんとかして」
「役割放棄してる」
志帆が半分ほどまで進んだところで、みつみは千尋を見る。
千尋だけが倒木の横に立ったままだった。
「千尋も」
「いや、私は普通に――」
「四人でやろうよ」
「これ何の時間?」
「ダン活」
「ダンジョン攻略してないけど」
「ダンジョンで活動してる」
「便利だな、ダン活」
千尋は笑って倒木へ上がった。
みつみたちよりずっと速い。ほとんど普通に歩くのと変わらない足取りで、あっという間に渡り切る。
「ずるい」
「何が?」
「上手い」
「それはずるくないでしょ」
◇
そこから先は、歩くたびに何かがあった。
少し急な斜面では、木の根を踏みながら登る。
大きな岩が並んだ場所では、間を抜けるより上を歩いたほうが面白そうだという理由で、わざわざ一つずつ乗って進んだ。
低い枝があればくぐり、倒木があれば乗る。
みつみは途中で見つけた薬草を採り、その少し先では佳奈子がキノコを見つけた。
「今日、全然進んでなくない?」
佳奈子が採ったキノコを袋へ入れながら言った。
「進んでるよ」
「距離の話」
「進んではいる」
「ちょっとずつね」
志帆がスマホをしまった。
千尋は少し先の斜面を見上げている。
斜面そのものは、それほど急ではない。横から回れば普通に上がれそうだった。
「ここ、どっち?」
みつみが聞く。
「どっちでも行けそう」
「じゃあ真っすぐ」
「だと思った」
千尋が先に斜面へ足をかけた。
土の上に枯れ葉が重なっている。
数歩登ったところで、靴底が少し滑った。
「うわ、滑る」
「そこ踏まないほうがいいかも」
佳奈子が下から言う。
「先に言って」
「踏んでから分かったから」
みつみは近くの木の根へ足を置いた。
体重をかけても動かないことを確かめてから、次の根へ。
「なんかアスレチックみたい」
「分かる」
「ダンジョンでアスレチック」
「入場料は払ってるしね」
「そう考えると間違ってないかも」
佳奈子が後ろから登ってくる。
その横を、千尋が振り返った。
「じゃ、お先」
「え?」
「《サイレントステップ》」
千尋が一気に斜面を駆け上がった。
枯れ葉の上を蹴ったはずなのに、ほとんど音がしない。
斜面の上まで登った千尋が振り返る。
「到着」
「ずるっ!」
みつみが叫んだ。
「何が!」
「スキル使った!」
「ダンジョンなんだから使っていいでしょ」
「アスレチックで一人だけスキル使うのはずるい」
「そんなルールないじゃん」
佳奈子も斜面の途中から千尋を見上げる。
「私も今のはずるいと思う」
「二対一になった」
「三対一よ」
志帆まで加わった。
「我らが己の肉体のみで試練へ挑む中、一人だけ超常の力を解き放つとは――」
「志帆だって魔法使えば?」
「《ヒールショット》で斜面は登れないわ」
「じゃあ仕方ないね」
「納得できない」
みつみは笑いながら、残りの斜面を登った。
上へ着くころには、千尋は涼しい顔をしている。
「もう一回やって」
「いいよ」
「そこは断らないんだ」
「楽しいし」
千尋が笑った。
これまでは探索や戦闘で使っていたスキルを、ただ斜面を早く登るために使う。
それが妙に面白くて、みつみは次に短い斜面が出てくるまで千尋に《サイレントステップ》を使わせた。
三回目には佳奈子から、
「もう普通に歩いて」
と言われた。
◇
獣道は、さらに木々の奥へ続いていた。
少しずつ地面の高低差も大きくなっている。
さっきまで笑いながら歩いていた四人の足が止まったのは、大きな岩の横を通りかかったときだった。
千尋が片手を上げる。
「いる」
みつみはすぐ杖を持ち直した。
「どっち?」
「前。近い」
岩の向こうは少し低くなっていて、その先に木の根が複雑に浮き出している。
見える範囲には何もいない。
佳奈子が弓を構え、志帆は少し後ろへ下がった。
千尋がショートソードを抜く。
その瞬間だった。
岩陰から灰色がかった獣が飛び出した。
「犬?」
「ウルフ!」
志帆の声が飛ぶ。
フォレストウルフは地面へ着くと、そのまま千尋へ向かって走った。
速い。
千尋が横へ避ける。
みつみは杖を向けたが、撃つ前にフォレストウルフが大きな木の根を飛び越えた。
「《マジックボール》!」
魔力弾が飛ぶ。
フォレストウルフは着地と同時に方向を変えた。
魔力弾がその後ろを抜け、地面へ消える。
「外した!」
「動くからね!」
佳奈子が矢をつがえる。
フォレストウルフは木の根の間を走り、岩の陰へ入った。
弓を引いた佳奈子が身体ごと向きを変える。
「見えない!」
千尋が岩の向こうへ意識を向ける。
「《気配察知》――左から来る!」
岩の反対側から、フォレストウルフが飛び出した。
佳奈子が矢を放つ。
けれど、矢はウルフの横を通り過ぎ、後ろの木へ刺さった。
「また外した!」
「木が邪魔!」
洞窟より広いのに、撃ちやすいわけではなかった。
木も、岩も、根もある。
相手はその間を縫うように動いてくる。
フォレストウルフがみつみへ向きを変えた。
「みつみ、下がって!」
志帆の声に、みつみは後ろへ動く。
足の裏に硬いものが当たった。
「わっ」
木の根だった。
転びそうになり、杖を持っていない手を近くの幹につく。
フォレストウルフが迫る。
「《サイレントステップ》!」
横から千尋が入った。
黒いショートソードがフォレストウルフの脇を斬る。
獣が身体をひねり、千尋へ向き直った。
「今!」
みつみは体勢を戻し、杖を構える。
「《マジックボール》!」
今度は当たった。
魔力弾を受けたフォレストウルフが横へ弾かれる。
それでも倒れず、根を踏んで跳ねるように離れた。
「佳奈子!」
「見えてる!」
佳奈子が弓を引く。
フォレストウルフが木の幹の横へ走った。
すぐには撃たない。
木の向こうへ隠れ、その反対側から出たところで佳奈子が狙う。
「《ダブルショット》!」
二本の矢が続けて飛ぶ。
一射目は走るフォレストウルフの後ろへ外れ、二射目が胴を捉えた。
フォレストウルフが勢いのまま地面を転がる。
「まだ動く!」
志帆が警告する。
立ち上がろうとしたフォレストウルフへ、千尋が駆け寄った。
相手が頭を上げる。
千尋は正面からは入らず、根を一つ飛び越えて横へ回った。
黒い刃を振り抜く。
フォレストウルフが倒れ、今度こそ動かなくなった。
少しして身体が消える。
「……疲れた」
佳奈子が弓を下ろした。
「今の、撃ちにくい」
「私も」
みつみはさっき引っかかった木の根を見る。
「後ろ下がったらこれあった」
「森って広いのに邪魔なもの多いね」
「それ」
千尋もショートソードを収めながら、周囲を見回した。
「向こうは普通に走ってたけどね」
「住んでるから?」
「ダンジョンのモンスターに住んでるって言うのか分かんないけど」
志帆が倒された場所へ近づく。
「森を駆ける獣にとって、この地形そのものが――」
少し間があった。
「……有利?」
佳奈子が続きを待つ。
「そう言おうと思ってた」
「急に普通」
「今、いい言い方が出てこなかったのよ」
みつみが笑っていると、千尋が草の上に残ったものを拾った。
「これかな」
手にしていたのは、灰色がかった毛皮だった。
「《フォレストウルフの毛皮》」
「毛皮かあ」
みつみが触る。
「ふわふわ?」
「ちょっと」
「私も」
佳奈子も手を伸ばす。
「ほんとだ」
「戦った直後に三人で毛皮触るの、なんか変じゃない?」
千尋が言いながら、志帆にも差し出した。
「千尋も触ってるじゃん」
「拾ったからでしょ」
「それを言うなら、戦利品の検分は冒険者の務めよ」
志帆も普通に触った。
「どう?」
「思ったより毛皮ね」
「それ以外ある?」
結局、四人で一通り触ってから袋へしまった。
◇
「ねえ」
さらに歩いたところで、佳奈子が言った。
「これ、どこまで続いてるんだろ」
四人の前には、また斜面があった。
今度は木の根だけでなく、途中に大きな岩がいくつか出ている。
みつみは斜面を見上げた。
「行けば分かる」
「すごい答え」
「戻る?」
千尋が聞く。
「なんで?」
みつみが即答すると、佳奈子が笑った。
「そう言うと思った」
「まだ道続いてるし」
「まあ、ここまで来たらね」
千尋も斜面を見上げる。
志帆が岩へ片足をかけた。
「この道の果てに何が待つのか。確かめずに帰るという選択肢は――」
「あるよ」
佳奈子が言う。
「あるけど、今日は行くの」
「はい」
四人で斜面を登り始めた。
途中までは一人ずつ好きな場所を選んで進めたが、上のほうで大きな岩が道を塞いでいた。
脇を抜けようとすると、木の根が張り出している。
「どっち?」
佳奈子が岩と根を見比べる。
「岩」
みつみが答えた。
「だと思った」
岩は胸くらいの高さがあった。
千尋が先に上がる。
手をついて身体を持ち上げ、そのまま上へ立った。
「ほら」
手を差し出され、みつみがつかむ。
「お願いします」
「はいはい」
下から佳奈子にも押してもらい、みつみは岩の上へよじ登った。
「次、佳奈子」
「待って。弓邪魔」
背負った弓の位置を直してから、佳奈子が手を伸ばす。
今度はみつみと千尋で引っ張った。
「うわ、ちょっと待って」
「行ける行ける」
「雑!」
岩の上へ上がった佳奈子が笑いながら座り込む。
最後に志帆も引き上げる。
「これ、帰りもやるの?」
岩の上で佳奈子が聞いた。
三人が黙った。
「……帰りは別の道ないかな」
千尋の言葉に、みつみも頷いた。
「それは探したい」
「行きはあんなに楽しそうだったのに」
「行きは行き。帰りは帰り」
「都合いいなあ」
◇
岩を越えてから、さらに少し歩いた。
木々の間が明るくなったことに最初に気づいたのは、みつみだった。
「あれ?」
前方から差す光が増えている。
風も少し違う。
木の葉が擦れる音の向こうから、かすかに別の音が聞こえた。
「なんか聞こえない?」
みつみが足を止める。
三人も黙った。
しばらく耳を澄ませる。
「水?」
佳奈子が言った。
「たぶん」
千尋が前を見る。
「行ってみよ」
歩く速度が自然に上がった。
枝の間から青いものが見える。
「何あれ」
みつみがさらに早足になる。
「待って、根!」
千尋に言われ、慌てて足元を見る。
「危なっ」
「さっき引っかかったばっかじゃん」
「今のは青いのが悪い」
「何でも人のせいにするみたいに言わないで」
木々が途切れた。
「うわ」
みつみはその場で止まった。
森の向こうに、大きな湖が広がっている。
水面には明るい光が反射し、向こう岸にも森が続いていた。
「湖だ」
佳奈子がみつみの横へ出てくる。
「でっか」
「森の中にこんなのあるんだ」
千尋も足を止めた。
少し遅れて出てきた志帆が湖を見渡す。
「道なき道を越えた先に、蒼き水を湛えた秘境が――」
「道はあったけどね」
「今そこはいいの」
みつみはスマホを取り出した。
「写真撮ろ」
「私も」
佳奈子もスマホを出す。
森を抜けたところから湖を撮り、そのまま少し近づく。
湖のほうから来る風が、歩いて熱くなった頬に気持ちいい。
「こっち来てよかったね」
みつみが振り返った。
「何もないかもしれないと思ってたけどね」
佳奈子も湖を撮りながら言う。
「それでも来たじゃん」
「みつみが行くって言うから」
「佳奈子もすぐ来たじゃん」
「それはそう」
千尋が二人の横を通り過ぎ、少し先を見た。
「あれ?」
「何?」
「あっち、人いる」
湖沿いの少し離れた場所に、何人かの探索者がいた。
その奥には、森から湖へ続く広い踏み跡がある。
見覚えのある、歩きやすそうな道だった。
四人でそちらを見る。
ちょうど一組の探索者たちが、普通に歩いて森から出てきた。
服もそれほど汚れておらず、息も切れていない。
「……あれ」
みつみが言う。
「もしかして、あれ本道?」
「たぶん」
千尋が答えた。
しばらく四人で見ていると、さらに別の探索者が同じ道から湖へ出てきた。
佳奈子が自分たちを見る。
みつみのズボンには土がついている。
千尋の靴にも泥があり、志帆の服には途中で枝に引っかけた葉が一枚ついていた。
佳奈子がそれを取る。
「私たち、何してたんだろ」
「ダン活」
みつみは即答した。
「便利だな、その言葉」
千尋が笑う。
「普通に来られたんじゃん」
「みたいだね」
「倒木渡らなくても?」
「たぶん」
「岩登らなくても?」
「たぶん」
みつみは湖と、探索者たちが出てきた道を見比べた。
「でも、あっちから来てたら倒木なかったよ」
「なくていいんじゃない?」
「斜面も」
「なくていいよ」
「岩も」
「だから、なくていいって」
佳奈子が笑う。
志帆は獣道を振り返った。
「最短の道を捨て、数々の試練を越えた末に辿り着いた湖……」
「最短の道があること知らなかったけどね」
「佳奈子、今は見ないことにして」
「はい」
みつみはもう一度、湖を見た。
普通の道を歩けば、もっと早く来られたらしい。
でも、そっちを知らなかったからこそ、気になった細い道へ入った。
薬草やキノコを探して、倒木の上を歩いて、斜面を登った。フォレストウルフとの戦いでは、森の歩きにくさまで相手の味方になった。
「でも、こっちでよかった」
みつみが言う。
「うん」
千尋も湖を見ながら答えた。
「楽しかったしね」
「帰りはあっちがいいけど」
佳奈子が本道らしい道を指した。
「それは賛成」
みつみが答える。
「そこは即決なんだ」
「だって岩あるし」
「さっきまで岩選んで登ってたじゃん」
「帰りはいいかな」
三人が笑った。
「とりあえず、ちょっと休憩しない?」
佳奈子が湖のほうを指した。
「賛成」
「お腹すいた」
「みつみ、さっきも何か食べてなかった?」
「歩いたから減った」
「燃費悪すぎ」
四人は笑いながら湖へ向かった。
細い道の先に何があるのかなんて、知らなかった。
ただ、面白そうだから入った。
それでこんな場所に出たのだから、今日はそれだけで十分だった。




