第23話 ダンジョンに行くはずだった
日曜日の朝、四人を乗せた電車が二つ隣の町へ着いた。
改札を出たところで、佳奈子が最初に足を止める。
「何か、人多くない?」
前に三人で来たときより、駅の中からすでに人が多い。小さな子どもを連れた家族や、紙袋を提げた人たちが同じ方向へ流れていく。
みつみは人の流れの先を覗き込んだ。
「なんかやってる?」
「駅前にポスターあったよ」
千尋が振り返り、壁際を指さす。
色のついた大きな文字で、秋祭りの開催を知らせるポスターが貼られていた。日付は今日。会場は駅からダンジョン施設へ向かう途中の一帯らしい。
「祭り」
みつみの目が上がる。
「ダンジョン行くよ」
千尋が先に言った。
「まだ何も言ってないじゃん」
「顔が言ってる」
佳奈子が笑いながらポスターへ近づいた。
「でも途中なんでしょ? 通るならちょっと見てもよくない?」
「ちょっとなら」
千尋が答える。
「先にダンジョンへ行って、帰りに寄る手もあるけど」
「帰りだと終わってる店あるかもしれない」
佳奈子はポスターの時間を確認してから、みつみを見る。
「ちょっとだけ見てく?」
「見る」
返事が早かった。
志帆は肩に掛けた荷物を持ち直しながら、三人を見た。
「本当にちょっとだけよ。今日は佳奈子も初めて入るんでしょう?」
「分かってるって」
そう言った佳奈子が、四人の中で最初に祭りの方向へ歩き出した。
◇
駅前の大通りを一本入ると、町の雰囲気ががらりと変わっていた。
道の両側に屋台が並び、焼けたソースの匂いと甘い匂いが交じって漂ってくる。通りの上には飾りが渡され、買い物袋を持った人や食べ物を片手に歩く人で、道幅がいつもより狭く感じられた。
「ちょっとだけって、どのくらい?」
佳奈子が聞く。
「三十分?」
千尋が答えると、みつみが屋台を見たまま首を傾げた。
「三十分で何できる?」
「ダンジョン行く」
「それはそのあと」
「じゃあ何したいの?」
聞かれて、みつみの視線が右へ左へ動く。
「まだ分かんない」
「一番危ないやつ」
佳奈子が笑った。
四人とも今日はダンジョンへ行くつもりだったので、それなりの荷物を持っている。人の多いところで邪魔にならないよう端へ寄りながら歩いていたが、みつみだけは屋台を見つけるたびに少しずつ横へずれていく。
「みつみ、そっち行くとぶつかる」
「ごめん」
千尋に言われて戻ってきた直後、今度は佳奈子が足を止めた。
「あ、これ食べたい」
「さっそく?」
「朝そんな食べてないし」
佳奈子が見つけたのは、湯気を上げる焼き団子の屋台だった。
みつみも隣から覗き込む。
「私も食べる」
「ダンジョン前なんだけど」
「一本くらいなら平気でしょ」
千尋も止めるほどではないと思ったのか、結局四人で列へ並んだ。
焼きたての団子はまだ熱く、みつみは一口かじってすぐ口を離した。
「あっつ」
「見れば分かるでしょう」
志帆はそう言いながら、自分の団子には慎重に息を吹きかけている。
「でもおいしい」
「それも見れば分かる?」
「それは食べないと分かんない」
みつみがもう一口かじる。
佳奈子は食べる前にスマホを出し、団子を持ったまま三人へ向けた。
「ちょっと、写真」
「食べながら?」
「まだ食べてない。みつみ、口動かすのやめて」
「もう食べてるんだけど」
「じゃあそれでいい」
四人で撮ったあと、佳奈子は画面を確認し、そのままもう一枚撮った。
「何で二枚?」
「一枚目、千尋がよそ見してた」
「団子落ちそうだったから見てた」
「そこまで入ってないから大丈夫」
写真を撮り終える頃には、三十分のうち十分近くがなくなっていた。
けれど、それを気にしている者はまだいなかった。
◇
「これ、一回だけ」
団子を食べ終えた直後、みつみが足を止めた。
屋台の前には小さな景品が並び、その手前に簡単な輪投げが用意されている。
「一回だけって言う人、今日何回出てくるんだろ」
佳奈子が言う。
「まだ一回目だよ」
「そういう意味じゃない」
みつみはもう財布を出していた。
渡された輪を受け取ると、並んだ景品を真剣に見比べ始める。
「急に本気になった」
千尋が横から覗く。
「せっかくやるなら取る」
「何狙ってるの?」
「あれ」
みつみが指した先を見て、佳奈子が少し黙った。
「それ欲しい?」
「欲しいっていうか、取れそう」
「目的変わってるじゃん」
一投目は手前へ落ちた。二投目は景品の角へ当たって弾かれ、最後の一投も惜しいところで外れる。
「もう一回」
「一回だけは?」
「今のは練習」
「出た」
佳奈子が笑う。
「駄目。ダンジョン行くんでしょ」
千尋に肩を押され、みつみは名残惜しそうに屋台から離れた。
「帰りにまだやってたらやる」
「帰りにね」
その約束から五分もしないうちに、今度は志帆が立ち止まった。
「……これ、よくできてる」
三人が振り返る。
志帆が見ていたのは、手作りの革小物を並べた店だった。小さなケースやキーホルダーに交じって、ベルトへ取り付けられそうなポーチが置かれている。
「志帆?」
「見るだけよ」
「さっき聞いた」
佳奈子がすぐ返した。
志帆は聞いていないふりをして、ポーチの縫い目をじっと見ている。
「こういう形なら、探索用にも使えそうね。口が広いから手袋でも――」
「ダンジョン用品じゃないよ?」
「分かってるわよ。でも用途は一つとは限らないでしょう」
店の前で二つを見比べ始めた志帆に、みつみも寄っていく。
「こっちは?」
「そっちは留め方が違う。片手で開けるならこっちのほうが――」
「長くなるやつだ」
千尋が言った。
佳奈子は二人を置いて、隣の店を覗きに行く。
「私あっち見てる」
「じゃあ私も」
千尋もついていった。
数分後に戻ってくると、志帆はまだ同じ場所にいた。ただし、隣にいたはずのみつみはいない。
「みつみは?」
「さっきまでいたけど」
三人が周囲を見回すと、少し先の屋台から手が上がった。
「こっち!」
「何で移動してるの」
「なんか甘いのあった」
「自由すぎる」
佳奈子が笑いながらそちらへ向かった。
◇
気づけば、最初に決めた三十分はとっくに過ぎていた。
「今、何時?」
千尋がスマホを見る。
「十一時四十分」
「え」
みつみも自分のスマホを確認する。
「そんな経った?」
「経ったよ」
佳奈子が屋台の並びを見回した。
「でも、まだ昼前じゃん。今から行けば全然行けるでしょ」
「行けるけど、お昼どうする?」
その一言で、四人の視線が自然に屋台へ向いた。
焼きそば、揚げ物、焼き菓子。さっき団子を食べたばかりなのに、昼食として見るとまた別に見えてくる。
「ここで食べてから行く?」
みつみが提案する。
「それが一番楽じゃない?」
佳奈子もすぐ乗った。
志帆は並んだ屋台を見回した。
「食べて、それから今度こそ向かう?」
「そうしよ」
結局、四人はそれぞれ気になったものを買い、少し離れた休憩スペースで昼食にした。
同じものを揃えることもなく、みつみは佳奈子の容器を覗き込み、佳奈子は「一個ならいいよ」と差し出す。
千尋は自分のものを食べながら、志帆が買ったものを見た。
「そっちもよかったな」
「交換する?」
「いいの?」
「一口なら」
「私も」
みつみが入ってくる。
「あなたはさっき佳奈子からももらったでしょう」
「一口ずつだから」
「その理屈だと全員からもらえるじゃん」
「そうだよ」
佳奈子が笑って、自分の食べ物をみつみから遠ざけた。
「私の二個目は禁止」
「えー」
昼食を食べ終えて休憩スペースを出ると、通りの端で祭りの案内を配っている人がいた。
佳奈子が何となく一枚受け取り、歩きながら広げる。
「まだ結構あるね。あっちでも何かやってる」
「もう十分見たでしょ。ダンジョン行くんだから」
千尋が横から覗き込む。
「分かってるって。見るだけ――あ」
佳奈子が足を止めた。
「花火ある」
「花火?」
みつみが即座に隣へ寄る。
「どこ?」
「夜。こっち」
佳奈子が指したところを、今度は四人で覗き込む。
秋祭りの最後に花火が上がるらしい。開始時刻と、その下には観覧場所までの簡単な案内が載っていた。
「見たい」
みつみが言った。
「早いなあ」
千尋は笑ったが、案内から目を離してはいない。
「千尋は見たくないの?」
「見たいけど」
「私も見たい」
佳奈子も乗る。
三人の視線が志帆へ向いた。
「私だって花火は見たいわよ」
「全員じゃん」
みつみが嬉しそうに言って、案内をもう一度見る。
「じゃあ見よう」
「待って。花火が終わる頃には、もう結構いい時間になるよ」
千尋がスマホで時間を確認する。
「あ」
みつみが止まった。
今日の目的は花火ではない。そもそも四人は、ダンジョンへ行くためにここまで来ていた。
佳奈子もそれを思い出したらしく、肩に掛けた荷物を見る。
「じゃあ今からダンジョン行って、花火までに戻ってくる?」
「できなくはないと思う。でも、戻る時間をずっと気にしながら潜ることになるよ」
千尋の答えに、みつみが顔をしかめた。
「それは嫌だな」
せっかく佳奈子も初めて入るのに、時計を気にしながら探索するのは違う気がした。
佳奈子も祭りの案内を見ながら考える。
「しかもダンジョンから戻ってきたら、今度は花火の場所まで行くんでしょ? なんか忙しくない?」
「確かに」
志帆は少し考えてから、三人を見る。
「だったら、今日はもうダンジョンをやめてもいいんじゃない?」
三人が志帆を見る。
「また来ればいいでしょう。今日は祭りを見て、花火まで楽しむ日にして」
一瞬の間のあと、みつみの顔が明るくなった。
「それがいい!」
「切り替え早いな」
「だってどっちも急いでやるより、そのほうが楽しいじゃん」
佳奈子も頷いた。
「私も賛成。今日はもう祭りの日にしよ」
「じゃ、決まり?」
千尋が確認する。
「今日はダンジョンなし」
「なし!」
みつみが答える。
「祭りと花火を楽しむ!」
さっきまで「少し見たらダンジョンへ行く」と言っていた四人は、そこで完全に予定を変更した。
◇
目的が変わると、同じ祭りでも急に時間を気にしなくてよくなった。
「じゃあさっきの輪投げ戻る」
「まずそれ?」
「帰りまで待たなくていいじゃん」
みつみが来た道を戻り始める。
「花火まで何時間あると思ってるの」
佳奈子が笑いながら追いかけた。
二度目の輪投げでも、みつみが最初に狙っていた景品は取れなかった。代わりに、隣にあった小さな景品へ輪が入る。
「取れた!」
「狙ってたのと違うじゃん」
「取れたから勝ち」
佳奈子がその瞬間をスマホで撮った。
千尋は隣で笑う。
志帆はみつみが受け取った景品を覗き込んだ。
「それ、どうするの?」
「まだ決めてない」
「欲しかったんじゃないの?」
「取れたのが嬉しい」
「やっぱ目的変わってるじゃん」
そこから先は、四人とも遠慮がなくなった。
佳奈子が気になる店を見つければそちらへ行き、志帆が立ち止まれば他の三人も何を見ているのか覗き込む。
途中で二人ずつ別の屋台を見ることもあれば、いつの間にか三人と一人になっていることもある。それでも少し歩けばまた合流し、別の店では違う組み合わせになった。
みつみは朝から気になったものを片端から見て回った。
千尋も止める側に回るばかりではなく、自分から面白そうなものを見つけて三人を呼ぶ。
佳奈子が何枚目か分からない写真を撮った頃には、ダンジョンへ行くために持ってきた荷物に、祭りで増えた小さな袋がいくつも加わっていた。
◇
日が落ちる頃になると、昼間より空気が冷たくなった。
四人は花火を見る人の流れに交じって、案内に書かれていた場所へ向かう。
「結構歩くね」
佳奈子が言った。
「ダンジョンより歩いてるかも」
みつみが答える。
「それはないでしょ」
「今日だけならあるんじゃない?」
千尋が笑う。
観覧する場所に着くと、すでに多くの人が集まっていた。
四人は空いている場所を探し、人の邪魔にならないところへ落ち着く。
「見えるかな」
みつみが空を見上げる。
「上に上がるんだから見えるでしょ」
「前に人いるじゃん」
「花火を人の高さで見るつもりなの?」
佳奈子に言われ、みつみが「あ、そっか」と納得する。
その横で、志帆が小さく笑った。
待っている間にも、辺りは少しずつ暗くなっていく。昼間から歩き回ったせいか、四人ともさすがに朝ほど動き回らなくなっていた。
佳奈子が今日撮った写真を見返し始めると、みつみが隣から画面を覗き込む。
千尋と志帆も気になった写真だけ一緒に見た。
「これいいじゃん」
千尋が言う。
「団子の?」
「違う。四人で写ってるやつ」
「それ私も好き」
佳奈子が画面を広げた。
「みつみだけ食べてるけど」
「だって待てなかった」
「知ってる」
やがて周囲の照明が少し落ちた。
ざわついていた人たちが一斉に空を見る。
「来る?」
みつみが顔を上げた直後、大きな音が響いた。
夜空に一つ目の花火が開く。
「おおー!」
みつみの声と、周囲の歓声が重なった。
少し遅れて次の花火が上がり、その向こうへさらに別の色が広がる。
佳奈子は最初こそスマホを向けていたが、何枚か撮ったところで画面を下ろした。
「やっぱ普通に見る」
「写真だと小さくなるもんね」
千尋が言う。
志帆も空を見上げたまま頷いた。
「音も全然残らないし」
大きな花火が開くたびに、少し遅れて身体に響くような音が届く。
みつみは何度目かの花火が消えたあと、ぽつりと言った。
「ダンジョンやめてよかったね」
「朝の目的、完全に忘れてたでしょ」
千尋が返す。
「忘れてないよ。途中までは覚えてた」
「途中までなんだ」
佳奈子が笑う。
次の花火が上がり、四人の顔が一瞬だけ明るく照らされた。
◇
花火が終わる頃には、駅へ向かう人の波ができていた。
四人もその中を歩く。
「疲れた」
佳奈子が言う。
「でも楽しかった」
みつみはまだ元気そうだった。
「その体力、どこに残ってるの」
「花火見て回復した」
「そういうシステムないから」
駅へ着く頃には、四人とも朝より荷物が増えていた。
ダンジョンには入っていない。モンスターとも戦っていないし、スキルも使っていない。
それでも電車を待つホームで、佳奈子は今日撮った写真を次々に見返し、みつみは隣から画面を覗き込んでいる。
「これ送って」
「どれ?」
「団子のと、輪投げの。あと花火」
「輪投げの、みつみめっちゃ変な顔してるよ」
「それは送らなくていい」
「もう送った」
「早い!」
佳奈子が笑う。
少し離れたところで、千尋がスマホの予定を確認した。
「で、次どうする?」
三人が千尋を見る。
「今度こそ、あそこのダンジョン」
「行く」
みつみが即答した。
「今日もそれ言って来たんだけどね」
佳奈子が言う。
「次は祭りないでしょ」
「別の何か見つけるかもよ」
「じゃあ寄らない」
「絶対?」
「……ちょっとなら」
「それ今日の最初と同じ」
電車がホームへ入ってくる。
笑いながら乗り込む四人の足元には、最後まで使わなかったダンジョン用の荷物と、祭りで増えた小さな袋が並んでいた。




