第2話 ダンジョンって何着てけばいいの?
「で、何着てけばいいの?」
昼休み。
みつみは弁当箱を開けるより先に、向かいに座った千尋へ聞いた。
「ダンジョン?」
「ダンジョン」
「昨日言ったじゃん。動きやすいやつ」
「だから、それが分かんないんだって」
千尋は卵焼きを一口食べる。
「長ズボン。上は動きやすければ家にあるのでいいよ」
「買わなくていいの?」
「全部揃える必要ないって。初めてだし、浅いところしか行かないから」
「昨日ネットで調べたらさ、絶対これ買えって人と、家にあるものでいいって人がいたんだけど」
「どっちでもいいんじゃない?」
「一番困る答えきた」
「行く場所にもよるし」
「またそれ」
昨日から何度か聞いた。
場所による。
ダンジョンによる。
人による。
ゲームなら攻略サイトを見れば正解が載っていそうなのに、現実のダンジョンはそう簡単ではないらしい。
「じゃあ、何買えばいい?」
「靴は見たい」
「靴?」
「普段のスニーカー、汚れてもいい?」
「白いやつだから嫌」
「じゃあ買お」
「即決じゃん」
「あとライト」
「スマホじゃダメなんだよね」
「わざわざスマホ使う理由ないし」
「頭につけるやつ?」
「ヘッドライトなら両手空くよ」
みつみが嫌そうな顔をした。
「……ダサいやつ」
「転ぶよりいいでしょ」
「正論で殴るのやめて」
「手袋もあれば」
「よし。靴、ライト、手袋」
みつみはスマホのメモへ三つ入力した。
「これだけ?」
「飲み物とかタオルとかは家にあるのでいいし、着替えも必要なら持ってけばいいよ」
「お昼は?」
「そこ気にするんだ」
「昨日聞いたら楽しそうだったから」
「好きなの持ってけば?」
「ダンジョンでお昼かあ」
みつみが嬉しそうに笑う。
「遠足じゃないからね」
「半分くらい遠足じゃないの?」
「違うけど」
「じゃあ何割?」
「知らないよ」
みつみはメモの最後に『お昼』と入力して、その横へおにぎりの絵文字をつけた。
「あと、承諾書」
「なにそれ」
「未成年は保護者の承諾書いるよ」
みつみの指が止まる。
「それ一番最初に言ってよ!」
「今言ったじゃん」
「靴より先でしょ!」
慌てて『保護者の承諾書』と入力し、頭に星印を三つつける。
「忘れたら入れないからね」
「分かってるって」
メモには、靴、ライト、手袋、お昼、そして星三つの承諾書。
昨日までは、ただ「ダンジョンに行きたい」と言っただけだった。
こうして必要なものが並び始めると、本当に行くのだという実感が少しずつ湧いてくる。
「今日、見に行く?」
「放課後?」
「うん」
みつみはスマホを閉じた。
「行く」
◇
放課後。
二人は駅前のアウトドアショップにいた。
入口を入ってすぐ、みつみが足を止める。
「広っ」
「そう?」
「何買う店なの、ここ」
「いろいろ」
天井近くまで並ぶリュック。
壁一面の靴。
形も大きさも違うライトに、水筒、帽子、手袋。
用途の分からない金属製の道具まで並んでいる。
「千尋、こういう店来る?」
「来るよ」
「一人で?」
「一人でも来る」
「へえ」
千尋は迷うことなく奥へ歩いていく。
その後ろをついていくみつみは、昨日と同じような感覚を覚えた。
自分の知らない千尋を見ている。
「まず靴ね」
「はーい」
売り場には、似ているようで少しずつ違う靴がずらりと並んでいた。
「どれがいい?」
「履いて決める」
「おすすめは?」
「足に合うやつ」
「千尋さあ」
「なに?」
「答えがずっとふわっとしてる」
「足の形なんて人によるじゃん」
「そうなんだけどさ」
みつみは近くの値札を見た。
一度目を離して、もう一度見る。
「……高くない?」
「ピンキリだよ」
「私、まだ一回もダンジョン行ってないんだけど」
「うん」
「これ買って、全然楽しくなかったら?」
「普段履けば?」
「このゴツいやつを?」
「雨の日とか」
「元取れる?」
「知らないよ」
千尋が笑った。
結局、店員にも相談して何足か試すことになった。
一足目は少し硬い。
二足目は履き心地は悪くないけれど、みつみが「でかく見える」と却下した。
三足目を履いて売り場を少し歩いたところで、みつみが足元を見る。
「あ、これいいかも」
「痛いところない?」
「ない」
「指は?」
「大丈夫」
「じゃあそれでいいんじゃない?」
みつみは鏡の前へ立った。
普段なら、自分から選ぶことはなさそうな靴だった。
少し厚い靴底。
しっかりした生地。
でも、履いてみると不思議と悪くない。
「なんかさ」
「うん?」
「これ履いてると、ちょっと強そうじゃない?」
「靴で?」
「二割くらい」
「残り八割は?」
「これから」
「何を目指してんの」
靴を決めたあとはライト売り場へ移った。
千尋が迷わず試着用のヘッドライトを取る。
「こういうのでいいよ」
「やっぱこれかあ」
みつみは渋々頭につけ、鏡を見る。
「……ダサ」
「誰も見てないって」
「千尋が見てるじゃん」
「自分でつけたからでしょ」
「千尋もつけて」
「なんで」
「私だけダサいの納得いかない」
「私、持ってるから」
「今つけるだけ」
「やだ」
「つけて」
「やだって」
しばらく揉めた末、千尋も試着用を頭につけた。
二人並んで鏡を見る。
「ほら」
「なに」
「二人ならちょっとマシ」
「変わんないよ」
「写真撮ろ」
「絶対やだ」
「一枚だけ」
「誰かに見せるでしょ」
「見せないって」
「その言い方は見せるやつ」
結局、写真は撮らせてもらえなかった。
みつみは笑いながらヘッドライトを外す。
「でも、これにする」
「気に入ったんじゃん」
「機能はね。見た目は別」
手袋は、それほど時間をかけずに決まった。
そのついでに、みつみは予定になかった小さなタオルまで手に取る。
「それ、家にあるって言ってなかった?」
「かわいいから」
「もうダンジョン関係ないじゃん」
「こういうときじゃないと買わないし」
「好きにすれば」
レジへ向かう前に、みつみがもう一度鏡の前へ立った。
さっき選んだ靴を履いたまま、手袋をつけ、ヘッドライトも頭へ戻す。
鏡の中の自分を上から下まで眺める。
「……ねえ」
「なに?」
「ちょっと探索者っぽくない?」
千尋も鏡を見る。
「まだ店の中だけどね」
「今それ言う?」
「でも、さっきよりは」
「でしょ?」
「靴二割、ライト一割くらい」
「三割まで来た」
「残り七割は?」
「明日」
言ってから、みつみは自分で少し笑った。
明日。
もう、そんなところまで来ている。
装備を外してレジへ向かう途中、今度は壁に並んだバックパックが目に入った。
「リュックも欲しい」
「家にあるんでしょ?」
「あるけど、これめっちゃそれっぽい」
「それっぽいで買ってたらキリないよ」
みつみは値札を見る。
「……今日はやめる」
「賢い」
「一回行って、ハマったら買う」
「それがいいと思う」
「ハマるかな」
「さあ」
「千尋はハマった?」
「まあ」
「どのくらい?」
「中学から行ってるくらい」
「それ、結構じゃん」
千尋は少し笑って、先にレジへ歩いていった。
◇
店を出た頃には、外は夕方になっていた。
みつみは買ったばかりの靴をそのまま履き、さっきまで履いていたスニーカーを紙袋に入れている。
「どう?」
隣を歩く千尋が聞いた。
「いいかも。さっきより歩きやすい気がする」
「さっきは店の床だったからね」
「そうじゃなくて」
少し厚い靴底が、歩道の小さな段差を踏むたびにいつものスニーカーとは違う感触を返してくる。
たった靴が変わっただけなのに、それが少し面白かった。
「ねえ」
「ん?」
「ライトも使ってみたい」
「今?」
「今」
「まだ明るいじゃん」
「暗いとこない?」
千尋が周囲を見回す。
駅へ向かう道から少し外れたところに、木の多い遊歩道があった。
日が落ちかけているせいで、奥の方は街灯がついていても薄暗い。
千尋がそちらを見る。
「あそこなら?」
「行こ」
「わざわざ?」
「買ったら使いたいじゃん」
みつみはすでに歩き出していた。
「はいはい」
千尋が後を追う。
遊歩道へ入ると、車の音が少し遠くなった。
まだ完全に暗くはない。
それでも木々に囲まれた道は、駅前よりずっと暗かった。
みつみは紙袋からヘッドライトを取り出す。
「これでいいんだっけ」
「そう」
頭につけ、スイッチを押す。
ぱっと白い光が足元へ伸びた。
「おお」
みつみは顔を上げる。
光も一緒に動いた。
「すご」
「普通のライトだよ」
「分かってるけど」
もう一度、足元を見る。
明るい場所で試着したときとは違った。
自分の向いた方向だけが、はっきりと照らされる。
「これ、結構見えるね」
「だから使うんだよ」
みつみは歩き始めた。
少し先には、舗装が途切れて土になっているところがある。
そのまま進む。
靴底が小さな石を踏んだ。
「あ」
「なに?」
「確かにこれ、普通のスニーカーより歩きやすい」
「でしょ」
「なんか悔しい」
「なんで」
「靴大事って言われても、そんな変わんないと思ってた」
「私、昨日からずっと靴って言ってたじゃん」
「はいはい」
みつみは少し速足になった。
光が前へ進み、そのあとを自分が追っていく。
段差を越え、少しだけ下ったところで振り返った。
千尋は数メートル後ろにいる。
その向こうには街灯。
さらに向こうには、いつもの街。
制服姿の人が歩き、車が走っている。
みつみはもう一度、前を向いた。
ヘッドライトの白い光の先に、暗い道が続いている。
ほんの数十メートルの遊歩道。
ダンジョンでも何でもない。
それでも、昼間歩くのとは少し違って見えた。
「千尋」
「なに?」
「明日ってさ」
「うん」
みつみは自分の足元を照らした。
今日買った靴。
頭には今日買ったライト。
「これで、本物のダンジョン歩くんだよね」
「そうだよ」
すぐに返ってきた。
みつみは前を見る。
明日のダンジョンは、この遊歩道よりずっと暗い。
岩の道で。
知らない場所で。
モンスターもいる。
昨日、千尋から聞いた話が急に少しだけ現実に近づいた気がした。
「……やば」
「なにが?」
「ちょっと楽しみになってきた」
「ちょっと?」
「かなり」
千尋が笑う。
「昨日からそうじゃん」
「昨日は話聞いただけだし」
みつみはヘッドライトをつけたまま、もう少し先まで歩いた。
白い光が足元を照らす。
それだけのことなのに、明日の自分を少しだけ先に見ているような気がした。
◇
遊歩道を出る頃には、さっきより空が暗くなっていた。
みつみはヘッドライトを外し、紙袋へ戻す。
「もう終わり?」
「本番は明日だから」
「急に分かったみたいなこと言うじゃん」
「今分かった」
駅へ向かって歩き始める。
足元には、新しい靴。
紙袋の中にはヘッドライトと手袋。
昼休みにはスマホの画面に文字で並んでいただけのものが、今は全部、自分のものになっていた。
「……なんか、ほんとに行くんだね」
「今さら?」
「昨日はまだ、行きたいって言っただけだったし」
「嫌になった?」
「逆」
「じゃあいいじゃん」
「うん」
少し歩いてから、みつみは言った。
「早く明日になんないかな」
「寝坊しないでね」
「しないし」
明日は、この靴で。
このライトをつけて。
本物のダンジョンへ行く。
そう考えると、駅までの道まで少し短く感じた。




