第14話 ダンジョンで夜を待つ
野営当日の朝。
「重い」
駅へ向かう途中で、みつみは早くも今日最初の感想を口にした。
背中には、いつものダンジョン用リュック。
ただし今日は、その中身がまるで違う。
水に食料、着替え、毛布、ライトの予備。四人で分担した道具も入っている。
家を出たときには、これくらいなら大丈夫だと思っていた。
十分ほど歩いた今は、昨日の自分に言いたい。
全然大丈夫じゃない。
スマホが震えた。
『駅ついた』
佳奈子からだった。
続けてもう一件。
『重い』
みつみは歩きながら笑った。
『私も』
送ってから、もう一つ。
『走れる?』
すぐに返ってくる。
『むり』
今日、本当にこれを背負ってダンジョンへ入るらしい。
◇
「重いって言ったじゃん!」
駅前で合流するなり、佳奈子が訴えてきた。
「私に言われても」
「みつみも重いって言ってたじゃん」
「重いよ」
「じゃあ二対二」
「何の勝負?」
千尋が二人のリュックを見比べる。
佳奈子のものは、昨日までより明らかに膨らんでいた。
「前日に背負ってみた?」
「背負った。そのときはいけると思った」
「じゃあ一緒じゃん」
みつみが笑うと、佳奈子が不満そうにこちらを見る。
「家の中で背負うのと駅まで歩くの、全然違うから」
「それは分かる」
「分かるなら笑わないでよ」
志帆も普段より大きなリュックを背負っているが、二人ほど騒いではいなかった。
「志帆、平気そうじゃん」
「重いよ」
「見えない」
「重いからって騒いでも軽くならないし」
「それはそうだけどさあ」
四人で電車に乗る。
地元のダンジョンなのだから、何度も通った道だった。
それなのに今日は、座席に座った瞬間の解放感からして違う。
みつみはリュックを足元へ下ろし、肩を回した。
「帰り、もっと重くなってたりしないよね」
「何か拾えばね」
千尋の返事に、佳奈子が即座に首を振った。
「今日は何も拾わない」
「戦利品でも?」
「大きかったら置いてく」
「そこは持って帰ろうよ」
「じゃあ千尋持って」
「なんで私」
隣で志帆がリュックのファスナーを確認している。
佳奈子がその手元を覗いた。
「何見てるの?」
「昨日、入れ直した場所の確認」
「まだ確認するの?」
「必要なものが下に入ってると面倒だから」
「私、何がどこに入ってるかもう分かんない」
「昨日まとめたんじゃないの?」
「まとめたよ。入ったから終わり」
みつみが吹き出す。
「佳奈子らしい」
「褒めてないよね?」
いつもの電車で、いつものダンジョンへ向かう。
ただ一泊分の荷物があるだけで、今日はどこか遠くへ出かけるような気分だった。
◇
ダンジョン施設に着くと、受付と装備の準備を済ませた。
今日は泊まりになることを伝え、必要な確認を受ける。
保管庫からそれぞれの武器を受け取り、装備を整えれば準備完了だ。
みつみは杖を持ってから、背中のリュックを背負い直した。
「……やっぱ重い」
「まだ言ってる」
千尋は笑いながら、自分の装備を確認している。
佳奈子も弓を持ち、背負ったリュックとの位置を調整した。
「待って。これ、思ったより邪魔」
「昨日言ってたじゃん」
「背負って弓持つのは今日が初めてなの」
肩を動かし、弓を構える真似をする。
「んー……まあ、いけるかな」
「無理そうなら途中で荷物分けよ」
「千尋が持ってくれる?」
「分けるって言ったよね?」
「聞いてみただけ」
志帆はリュックの肩紐を締め直した。
「戦闘になったら、いつもより動きにくいのは全員同じ。最初は少し慎重に行ったほうがいいと思う」
「了解」
みつみが杖を握り直す。
見慣れた入口が目の前にある。
何度も入った地元の初心者向けダンジョン。
けれど今日は、いつものようにその日のうちに出るつもりはない。
「行こっか」
千尋が先へ出る。
「おー」
みつみも続いた。
佳奈子と志帆も、その後ろからダンジョンへ入った。
◇
最初のうちは、いつもの探索とそれほど変わらなかった。
見覚えのある通路を進み、何度か足を止める。
モンスターの気配があれば千尋が先に確認し、必要なら四人で戦う。
違うのは荷物だった。
「ちょ、待って」
戦闘を終えた佳奈子が、弓を下ろして肩を押さえる。
「リュックずれる」
「大丈夫?」
「大丈夫だけど、めっちゃ気になる」
みつみも杖を持ったまま肩紐を直した。
「私もさっき魔法撃ったとき、後ろに引っ張られた」
「普段と重心が違うからね」
そう答えた千尋の額にも、少し汗が浮かんでいる。
「千尋も疲れてるじゃん」
「そりゃ疲れるよ」
「なんか安心した」
「なんで?」
「一人だけ余裕だったら腹立つ」
佳奈子の答えに、千尋が笑った。
「じゃあ休む?」
「休む」
返事だけは早かった。
通路の端で荷物を下ろす。
肩から重さが消えた瞬間、みつみは思わず息を吐いた。
「軽い……」
「それ普通の状態だから」
佳奈子もリュックを床へ置き、その場に座り込んだ。
「まだ寝てもないのに、もう荷物が一番大変なんだけど」
「次やるなら減らせるもの結構ありそう」
志帆は水を飲みながら、自分のリュックを見る。
「もう次の話してるの?」
「今回使わなかったものは覚えておいたほうがいいでしょ」
「まだ使ってないものばっかじゃん」
「だから帰ってから」
みつみは水を一口飲んで、壁にもたれた。
いつもの探索なら、疲れたら休んで、そのうち帰る。
今日は違う。
「なんかさ。今日、このままずっと中にいるんだよね」
「明日まではね」
千尋が答える。
「いつもだったら時間見て、そろそろ戻ろっかってなるじゃん。それがないの、変な感じ」
「あー、それは分かる」
佳奈子も壁にもたれた。
「まだ始まったばっかなのに、今日はここから帰らないんだって思うと変」
志帆が時計を見る。
「だからって急いで奥へ行く必要はないけど」
「分かってるよ」
「みつみに言った」
「私?」
「一番行きそうだから」
「行かないし」
三人の視線が集まる。
「……たぶん」
「ほら」
笑い声が通路に響いた。
◇
探索を続けるにつれて、普段より奥へ来たという実感が少しずつ増していった。
初めて見る場所ばかりというわけではない。
それでも、いつもなら帰ることを考え始める頃になっても先へ進んでいると、見慣れない通路に出ることが増えてくる。
足元の凹凸が大きくなり、壁もところどころ深く窪んでいた。
「この辺、あんまり来ないよね」
みつみが壁際をライトで照らす。
「私は来たことあるけど、四人ではあんまりないかな」
千尋が前方を確認した。
「今日は時間あるしね」
「荷物はずっと重いけど」
佳奈子が付け加える。
「まだ言ってる」
「だってまだ重いもん」
その後も、何度か休憩を挟みながら進んだ。
モンスターとも遭遇する。
最初こそ全員が荷物に振り回されていたが、何度か戦ううちに、少しずつ動き方も分かってきた。
千尋が前へ出る。
みつみが距離を取り、マジックボールを放つ。
佳奈子はリュックに邪魔されない位置から矢を射る。
志帆も周囲を見ながら、必要なときにヒールを使う。
それでも、いつものようにはいかない。
みつみが後ろへ下がった瞬間、リュックが壁にぶつかった。
ゴン、と鈍い音がする。
「今の何?」
「私」
「みつみ、前」
志帆に言われ、慌てて杖を構え直す。
「はい!」
戦闘を終えてからリュックを確認すると、中身に問題はなさそうだった。
「セーフ」
「次から後ろも気をつけないとね」
千尋が壁との距離を見ながら言う。
「自分だけじゃなくて荷物の分まで考えるの面倒」
「背負ってるんだから仕方ないでしょ」
佳奈子は矢を戻しながら、自分のリュックにも目をやった。
「でも私もさっき壁に当たりそうだった」
「ほら」
「なんでみつみが得意げなの」
また歩き出す。
しばらくして、千尋が時計を確認した。
「そろそろ場所探しながら進もっか」
「寝る場所?」
「うん。疲れ切ってから探すのも嫌だし」
佳奈子が周囲を見回す。
「ここじゃダメ?」
通路はそれなりに広い。
だが、志帆が四人の立っている場所を見渡した。
「四人で横になったら邪魔になりそう」
「あ、そっか」
「もう少し奥まってるところがいいね」
千尋が先へ進む。
「野営地探しだ」
みつみも続いた。
「なんか急にそれっぽくなってきた」
「今まで何だと思ってたの?」
「重い荷物持ってダンジョン歩く日」
「だいたい合ってるじゃん」
佳奈子の返しに、みつみは笑った。
◇
それからしばらくして、千尋が足を止めた。
「ここ、どう?」
通路の横に、大きく窪んだ空間があった。
完全な部屋ではない。
けれど通路から少し奥まっていて、四人が荷物を置き、横になるには十分な広さがある。
床も、それまで歩いてきた場所に比べれば平らだった。
「おお」
みつみが中へ入り、壁際まで歩いてから振り返る。
「広い」
「寝られそう」
佳奈子も入ってきて、床を靴の裏で軽く擦った。
「石だけど」
「ダンジョンだからね」
千尋は入口側から周囲を確認する。
「通路からも少し離れてるし、ここならいいかも」
志帆も壁や天井をライトで照らした。
「火を使う場所と寝る場所は離したほうがいいね」
「じゃあ決まり?」
三人がもう一度周囲を見る。
反対は出なかった。
「ここにしよ」
千尋がリュックを下ろす。
それを合図にしたように、残り三人も荷物を下ろした。
「っはー……!」
佳奈子が肩を回す。
「今日一番うれしい」
「もうこれ背負わなくていいもんね」
「今日はね」
「最高」
みつみもリュックを壁際へ置いた。
さっきまでただの岩の窪みにしか見えなかった場所が、荷物を置いただけで急に自分たちの場所になったように見える。
「毛布出す?」
「まだ早くない?」
「見たい」
「昨日見たじゃん」
「ここで広げるのが見たいの」
佳奈子が笑う。
「分からなくはない」
「でしょ?」
みつみはリュックを開け、圧縮してきた毛布を取り出した。
「これ、ちゃんと戻るかな」
「戻らなかったら困る」
袋を開けると、押し込められていた毛布が少しずつ膨らんだ。
「おおー」
「それで喜ぶ?」
「だって膨らんだ」
「そういうものだから」
志帆も自分の毛布を取り出す。
佳奈子は少し遅れて、リュックの中を探し始めた。
「……どこだっけ」
「昨日まとめたんじゃなかったの?」
「入ってるのは分かってる」
「どこに?」
「それが分かんない」
千尋が笑う。
「だから言ったのに」
「今探してるから」
しばらくして、奥のほうから毛布が出てきた。
「あった!」
「よかったね」
「志帆、その言い方なんかムカつく」
「普通だけど」
四枚の毛布が地面に並ぶ。
もちろん、家の布団とはまるで違う。
岩の床に薄い毛布を敷いただけだ。
みつみは自分の場所に座ってみた。
「……硬い」
「知ってた」
佳奈子も隣へ座り、すぐに顔をしかめる。
「これで寝るの?」
「一回やってみるって言ったの佳奈子じゃん」
「昨日の私、何考えてたんだろ」
「荷物減らしたかったんでしょ」
「じゃあ正しかった」
「どっちなの」
四人で笑いながら、荷物を整理していく。
必要なものだけ出し、残りは壁際へまとめる。
ライトの位置を決める。
火を使う場所を決める。
飲み物と食料を出しやすいところへ移す。
ただそれだけなのに、いつもの休憩とは全然違った。
◇
やがて、小さな火が灯った。
ぱち、と乾いた音がする。
みつみは毛布の上に座ったまま、その炎を見つめた。
「……なんか、すご」
「何が?」
隣の佳奈子が聞く。
「ダンジョンの中で火見てる」
「見れば分かる」
「そうじゃなくて」
みつみは周囲を見回した。
ライトの光が届かない先には、いつものダンジョンが続いている。
岩の壁。
暗い通路。
どこかにモンスターもいる。
その中で、自分たちは毛布を敷いて座っている。
「ほんとに今日ここで寝るんだなって」
「あー」
佳奈子も火を見る。
「それはちょっと分かる」
千尋が食料を取り出しながら笑った。
「今さら?」
「今だからだよ。今までずっと歩いてたし」
「私は毛布敷いたときにきた」
佳奈子が自分の後ろを振り返る。
「これ見たら、ほんとに泊まるんだなって感じする」
火の様子を見ていた志帆も腰を下ろした。
「今のところ、思ってたより普通だけど」
「これから寝るんだよ?」
「だから今のところ」
「朝まで普通だったら?」
「それが一番いいでしょ」
「確かに」
少しだけ間が空いた。
火の音が聞こえる。
時計を見れば、地上ではもう夕方になっている頃だった。
けれど、ここには夕焼けもない。
空の色が変わることもない。
入口から遠く離れたダンジョンの中では、時計を見なければ時間が過ぎていることさえ忘れそうになる。
「お腹すいた」
佳奈子の一言で、四人の意識が一斉に食料へ向いた。
「私も」
みつみが袋へ手を伸ばす。
「何から食べる?」
「ちゃんと夕飯からにして」
志帆が止める。
「お菓子じゃないよ」
「みつみならやりそうだから」
「やらないって」
千尋が袋の中から夕食を出した。
「せっかくだから温かいのから食べよ。準備しよっか」
「はい」
「お腹すいたー」
「それ二回目」
「二回言うくらいすいた」
四人で夕食の準備を始める。
火の向こうには、暗い通路が続いている。
いつもの探索なら、もう帰ることを考えている頃だ。
けれど今日は違う。
食べて、しゃべって、それからここで眠る。
みつみは袋から夕食を取り出しながら、もう一度だけ暗い通路へ目を向けた。
明日は、ここからさらに先へ行く。
その前に、今夜はここで過ごす。
初めての野営は、ようやくここからが本番だった。




