第121話 ゴブリン軍 vs ダン活部
盾山駅の改札を出ると、風が思ったより冷たかった。
「うわ、海の近くって、もうちょっと暖かいイメージだったんだけど」
佳奈子はマフラーを口元まで引き上げ、駅前の案内板を見た。三月に入ったとはいえ朝はまだ冬の名残がある。隣では、みつみがスマートフォンと案内板を交互に見比べていた。
「こっち! 歩いていけるって。ねえ、早く行こうよ。写真だと丘の上にお城があったけど、ここからは見えないね」
「着けば見えるでしょ。まずは全員そろってからね」
千尋が振り返ると、少し離れたベンチの前で志帆が手袋を鞄にしまい、絵美里は肩の荷物を直していた。五人で出かけるのは久しぶりだったが、誰かが久しぶりだと言い出す前に、みつみの足はもう動き始めている。
「待ってください、みつみ先輩。こっちにも案内がありますよ」
絵美里が指した地図には、駅と施設の間に小さな道が何本も描かれていた。千尋が距離を確かめている横から、佳奈子も覗き込む。
「帰りはこの道でもいいね。お店、こっちの方が多そう」
「もう帰りの話?」
「帰りに迷うよりいいじゃん。私、お腹すいた状態で歩くの嫌だし」
志帆は二人の話を聞きながら、地図の上端に描かれた城の輪郭に目を留めていた。
「お堀もあるのね。外から眺めるお城と、攻め込むお城では見え方が違いそうだわ」
「攻め込むって言い方、いいね!」
みつみが笑って歩き出すと、今度は全員がその後を追った。
◇
ダンジョン施設は丘の麓にあった。装備を整え、見慣れた手順で入場の準備を終える。壁の案内には、適正レベルの単独パーティなら攻略に六~七時間かかるという目安が表示されていた。
その横で、千尋が別の数字に気づく。
「三十七分だって。レイドでやった記録だけど、すごいね」
過去のRTA記録だった。複数のパーティが攻略路の敵を引き受け、別のパーティがボスへ向かう。絵美里が画面の説明を読み、少し感心したように頷く。
「進路を確保する担当が別にいるなら、ボス討伐班は止まらず進めますね。相当練習したんでしょうけど」
「私たちは急がなくていいよね。せっかくお城なんだし、いろいろ見たい」
佳奈子が言うと、絵美里は一度表示を見直してから笑った。
「はい。今日は五人で来たかったんです。記録を見に来たわけじゃありませんから」
みつみがその言葉に頷く横で、志帆はもう入口へ身体を向けていた。
「では、城攻めに参りましょうか」
いつもより少し低くなった声に千尋が笑い、五人はゲートをくぐった。
最初に見えたのは、城ではなく、地面を大きくえぐったような空堀だった。
向こう岸には石積みの上へ築かれた城門があり、門の前では木製の跳ね橋が垂直に近い角度で持ち上がっている。そのさらに奥、木々の生える丘を見上げると、曲がりくねった土の道や柵に区切られた平場が幾重にも重なり、頂上に白壁の城郭がのぞいていた。
「ええっ、あのお城まで行くの? 遠くから見た方が、写真よりずっと大きい!」
みつみが指を伸ばしかけたとき、向こう岸で乾いた音がした。
「下がって!」
絵美里がタワーシールドを上げる。矢が盾の縁を弾き、少し遅れて、もう一本が手前の地面へ突き刺さった。
城門の左右、石積みの陰にゴブリンアーチャーがいた。左に二体、右にも二体。姿を見せる時間は短く、放ってくる矢だけがよく見える。
「……いきなり歓迎が激しいね」
佳奈子は盾の陰から弓を持ち直した。千尋は空堀の縁へ視線を落とす。底は乾いた土で、反対側の斜面は門の真下だけ石積みが急になっている。
「橋を渡るのが普通の道なんだろうけど、上がってる。内側から下ろす仕組みかな」
「向こうへ渡れれば、どうにかなる?」
みつみが聞くと、千尋はすぐには答えなかった。射手の立つ位置を確かめ、空堀の底までの距離と岸の陰を見比べる。
「たぶん。みんなで正面から行ったら的になるけど、一人なら隙を見つけられるかも。……私、行ってみたい」
「一人で?」
絵美里の声に、千尋は頷く。
「その代わり、こっちにいる四人で目を引いてほしい。できる?」
絵美里は盾の縁から城門を見上げ、左右にいる射手の位置を数え直した。
「できます。私が前で受けます。皆さんには、なるべく姿を見せずに攻撃を続けてもらいたいです」
「分かった。千尋が動きやすいようにする」
みつみは杖を握り直した。志帆は千尋へ一歩近づいたが、心配を先に口にする代わりにその肩を軽く叩いた。
「こちらのことは任せて。気になることがあったら、無理せず戻ってきてちょうだい」
「うん。そっちは頼んだ!」
千尋は軽く手を上げ、城門から離れる方へ歩き出した。
最初に動いたのは絵美里だった。
「《プロボーク》!」
空堀の縁へ一歩進み出た絵美里に、城門側のゴブリンが顔を向ける。射手たちの狙いが盾へ集まったところで、彼女は《ガード》の姿勢を取った。続けざまの矢が金属の表面を叩き、耳に硬い音が残る。
「佳奈子先輩、右の射手、お願いします。みつみ先輩は左を!」
「了解。あ、こういうときこそ、あれが使えそう」
佳奈子は盾の陰に身体を隠したまま、右側の射手へ弓を向けた。
「《ファントムショット》!」
放たれたのは、実体のない矢だった。
城門右側のゴブリンが、不意に肩を射抜かれたように身体を跳ねさせる。慌てて傷を確かめるものの、刺さったはずの矢はどこにもない。
ゴブリンは困惑したように周囲を見回した。隣の射手まで、その様子に気を取られる。
「おっ、いい感じ!」
佳奈子が笑う。傷つけたわけではないが、射手の手は確かに止まっていた。
その隙に、みつみが左側の石積みを狙う。
「《ファイアボール》!」
火球が遮蔽物のすぐ脇で爆ぜ、炎と衝撃が広がった。左側の射手二体が慌てて身を引く。
「いいですね! そのままお願いします!」
絵美里は盾を構え直し、再び飛んできた矢を受け止めた。
志帆は少し後ろから射手の動きを追っていた。右側の一体が再び弓を構え、今度は盾の陰にいるみつみを狙おうとしている。
「エミリン、右から二本来るわ。盾、少しそちらへ」
「はい!」
盾が角度を変えた直後、二本の矢がほとんど同時に当たった。
絵美里は《フォートレス》を発動し、足場を固める。身体の自由が制限される代わりに、正面からの射撃を安定して受け止められるようになった。
佳奈子はその背後から射手の動きを観察し、もう一度を使う機会をうかがった。
相手がこちらの弓を見ていないときの方が、反応が大きい。
そう判断した佳奈子は、すぐには撃たず、絵美里の盾が視線を集めるのを待った。
左側のゴブリンが身を乗り出す。
「《ファントムショット》!」
今度は左の射手が突然胸元を押さえた。何もないところから射られたような感覚に驚いたのか、弓を引く手が止まる。
「うわ、これ楽しいかも。撃たれた方、何が起きたか分かんないんだね」
「佳奈子、楽しむのはいいけれど、右も見てちょうだい」
「あ、はいはい!」
志帆に促され、佳奈子は右側へ向き直った。
四人の攻撃が続く間、城門の射手たちは空堀の向こうにいる探索者ばかりを警戒していた。
その視界から外れた場所で、千尋はすでに空堀の底へ降りていた。
正面の城門へ向かえば見つかる。そこで、岸が少し張り出した場所を選び、土の壁が自分の姿を隠す角度をたどって進む。
頭上では矢と盾の音が続いていたが、千尋はその間隔だけで安全を決めようとはしなかった。
「《エクストラセンス》」
周囲の気配へ意識を向ける。
何かが近い、と断言できるわけではない。ただ、曲がり角の先へ足を出そうとした瞬間、妙に落ち着かない感じがして、千尋は動きを止めた。
次の拍子に、斜め上の石から小さな土塊が落ちてきた。
射手が場所を変えたらしい。
千尋は石積みの陰からそっと顔を上げ、門脇で弓を構えるゴブリン一体を視界に入れる。
「《ブラインドサイド》」
相手の注意がどちらを向いているのか、感覚がわずかに明瞭になる。
ゴブリンが正面の四人を追いかけて首を振った、その一瞬。
千尋は見つからないことを祈って飛び出すのではなく、相手がこちらを向く前に身を移せる距離だけを選んだ。
「《サイレントステップ》」
足音を残さず、五歩ほどの間合いを一気に詰める。そこで再び動きを止め、射手の注意が逸れるまで石の陰に身体を寄せた。
無音の移動を何度か挟んで反対側の斜面へ回ると、上りやすい土の部分が見えた。
斜面へ手を掛け、石の継ぎ目に靴先を置く。最後は低い土塁の上へ身体を引き上げ、しゃがんだまま城門の内側へ滑り込んだ。
門の裏には橋を動かすための巻き上げ装置があった。
千尋は周囲を確かめてから留め具へ手を伸ばす。仕組みを見れば、下ろす操作自体は難しくない。
けれど、ここで大きな音を立てれば気づかれる。
千尋は一度だけ向こう岸を見た。
絵美里の盾が朝の光を反射し、その脇から佳奈子の矢が飛ぶ。みつみはすでに次の魔法を構えていて、志帆も少し前へ出ていた。
四人とも、まだこちらを見ていない。
千尋は留め具を外し、ハンドルを回した。
重い木の板がゆっくり傾き始める。
途中で金具が軋むと、近くの射手が振り返った。千尋はその視線より早く身をかがめたが、橋が下がっていく様子そのものは隠せない。
やがて、跳ね橋の先端が向こう岸へ届いた。
ドンッ、と重い音が響く。
千尋は門扉の閂を外し、人が通れるだけの隙間を開けた。
そこで、城門左側のゴブリンがこちらへ顔を向けた。
跳ね橋の異変に気づいたらしい。弓を持ち直し、門の内側へ向かってくる。
「……よし。今度はこっちの番!」
千尋は《黒月》を抜き、身を低くして走り出した。
ゴブリンが弓を引こうとするより早く間合いを詰め、斜め下から刃を振り上げる。攻撃を受けたゴブリンは弓を取り落とし、そのまま光の粒となって消えた。
すぐ隣の射手が驚いて振り返る。
千尋はその正面へ踏み込むと見せかけ、足を切り返して石積みの陰へ回った。
射手は慌てて千尋を追おうとするが、狭い足場では弓を構え直す余裕がない。
その間に千尋は右側へ視線を走らせた。
残る二体は、まだ橋の向こうにいる四人を狙っている。
「そっちじゃないって!」
千尋が石積みの上を駆けると、右側の一体がこちらへ弓を向け直した。
飛んできた矢を身をひねって避け、千尋は再び《サイレントステップ》で距離を詰める。
短い移動の終わりに石の陰へ入り、すぐに反対側から姿を現した。
ゴブリンが慌てて身体を回す。
左側から追ってきた射手まで千尋を狙い始め、三体の注意が橋から外れた。
「みんな、今!」
千尋の声が城門から響いた。
「橋、下りた!」
みつみが声を上げる。
絵美里は《フォートレス》を解除し、盾を構え直した。
「渡ります! 私の後ろについてきてください!」
先頭に立った絵美里が跳ね橋へ駆け出す。
志帆がその後に続き、みつみも杖を握って走り始めた。
佳奈子は橋へ入る直前、城門右側の射手へ矢を放った。石積みの脇をかすめた矢にゴブリンが身を引いたのを確認してから、四人の最後尾へつく。
橋の途中で、千尋を追っていた射手の一体が再び四人へ狙いを変えた。
「エミリン、右!」
志帆の声に絵美里が盾を向ける。
放たれた矢が金属へ当たった。
千尋はその射手の動きを見逃さなかった。石積みの陰から飛び出し、弓を構え直そうとするゴブリンの腕を《黒月》で払う。
攻撃を受けたゴブリンがよろめき、視線が再び千尋へ向いた。
その間にも四人は橋を渡り続ける。
最後尾の佳奈子が門扉の内側へ入ったとき、千尋はまだ三体の射手を相手に動き回っていた。
「千尋、もういいよ! こっち全員渡った!」
佳奈子が声をかける。
「了解! じゃ、今度は倒そっか!」
千尋は追ってきたゴブリンの攻撃を避け、門の内側へ走り込んだ。
その進路を遮るように絵美里が盾を構える。
「千尋先輩、こちらへ!」
千尋が横を抜けた直後、追ってきたゴブリンが絵美里の盾へぶつかった。
「《ガード》!」
盾が攻撃を受け止める。体勢を崩したゴブリンへ、千尋が振り向きざまに《黒月》を振るった。
ゴブリンはその一撃で消滅した。
残る射手は二体。
一体は石積みの上から弓を構え、もう一体は少し離れた位置へ移動しようとしていた。
「みつみ先輩、右をお願いします! 佳奈子先輩は左!」
「任せて!」
絵美里の声を受け、みつみが杖を向ける。
右側の射手は、こちらへ狙いを定めようとしていた。だが、みつみの《マジックボール》が石積みを越えてその身体を打ち、弓を引く手が止まる。
そこへ千尋が駆け込んだ。
「《ウィークポイント》!」
体勢を崩したゴブリンへ《黒月》を振り抜く。
射手が光の粒になって消えるのと、左側で佳奈子の矢が放たれたのはほとんど同時だった。
残る一体は、すでに弓を構えている。
佳奈子の矢が肩口へ突き刺さったものの、ゴブリンはまだ倒れない。
射手がこちらへ弓を向け直そうとした、その瞬間。
「《ファントムショット》!」
佳奈子が続けて放った実体のない矢に、ゴブリンは胸を射抜かれたようにのけぞった。
足元がよろけ、構えかけた弓が下がる。
すかさず千尋が間合いを詰めた。
鋭く振り抜かれた《黒月》がゴブリンを捉え、最後の射手も光の粒となって消滅した。
城門の周囲から、弓を引く音がなくなった。
「……終わった?」
みつみが石積みの上を見回す。
佳奈子は弓を下ろし、さっきまで射手がいた場所へ目を向けた。
「うん。四体とも倒したね。いやあ、あの橋渡るとき、撃たれたらどうしようかと思った」
「でも、千尋が向こうで走り回ってくれたおかげで、ほとんどこっちに飛んでこなかったよね」
みつみが言うと、千尋は《黒月》を鞘へ戻しながら笑った。
「いや、最初にみんなが引きつけてくれなかったら、あそこまで入れなかったよ。あの射手、結構周り見てたし」
「私、ファントムショットがあんなに役立つとは思わなかった。矢が当たってもダメージないから、普段は使いどころ選ぶんだけどさ」
佳奈子が少し得意そうに弓を持ち上げる。
「今回は当たった相手が勝手にびっくりしてくれるから、めっちゃ使いやすかった!」
「射撃を止める目的なら、十分に有効だったわね。ただ、効果が続くわけではないから、あの距離では連携が必要でしょうけれど」
志帆がそう答えると、絵美里も頷いた。
「ええ。それに、千尋先輩が橋を下ろしたあと、そのまま敵を引きつけてくれたのも大きかったです。おかげで渡る間は、盾で受ける方向を絞れました」
「作戦成功、だね!」
千尋が笑う。
絵美里は肩を回し、タワーシールドの表面を確かめた。何本もの矢を受け止めた盾には、まだ戦闘の余韻が残っている。
「ちょっと、盾はうるさかったですけど」
志帆はその盾の表面を覗き込み、矢の当たった跡を指でなぞった。
「見事な開門ね。正面から城門を破るのとは、ずいぶん違うけれど」
「でも、城攻めって感じした!」
みつみは跳ね橋の向こうを振り返ってから、丘の上を見上げた。
「よーし。お城、行こう!」
◇
門を越えても、城郭まではまだ遠かった。
最初の曲輪へ続く道は広く見えたが、少し進むと土手と柵に挟まれ、二人が並ぶだけでも窮屈になる。曲がり角を抜けた先では、オークファイターがゴブリンファイター二体を従えて待ち構えていた。
オークが手を上げると、ゴブリンたちは道の左右へ散った。正面へ踏み込ませてから挟むつもりらしい。
「へえ、ちゃんと陣形組んでるんだ」
千尋が《黒月》の間合いを測るように足を動かすと、絵美里が前へ出た。
「ここは私が止めます。千尋先輩、横へ回ってもらえますか?」
「いいよ。みつみ、正面お願い!」
「《マジックボール》!」
魔力弾がオークの肩を打ち、前へ出ようとした巨体をわずかに鈍らせる。絵美里が剣と盾で正面を支える間に、千尋は左のゴブリンへ近づいた。もう一体が後ろへ抜けようとしたところを佳奈子の矢が牽制し、志帆は絵美里の背へ《プロテクション》を重ねる。
オークが剣を振り下ろした瞬間、横から千尋の《黒月》が入った。攻撃を受けて傾いたオークの脚へ、佳奈子の次の矢が刺さる。体勢を戻す前に、みつみの魔力弾が追い打ちになった。
その頃、道の上段から新たな足音が聞こえてきた。
「増援、二体!」
千尋が振り向くと、曲輪の反対側からゴブリンファイターが駆け込んでくる。志帆の目もそちらへ動いた。
「みつみ、道を塞げる?」
「うん。ここなら!」
みつみが地面を示して《アイスウォール》を発動すると、二体の前に氷の壁が立ち上がった。ゴブリンたちが足を止め、壁の端へ回り込もうとしたところを佳奈子が狙う。
戦いが片づく頃、絵美里は盾を軽く振ってから道の先を見た。
「来るのは二体だけでしたね。もっと集まってきたら、さすがに面倒でした」
「もしかして、ここの敵って近くの仲間を呼ぶのかな。ひとつの曲輪でぐずぐずしてると、ほかからも来そう」
千尋がそう言うと、佳奈子は矢をしまいながら肩をすくめた。
「じゃあ、私たち、さっきの橋でずいぶん騒いでたけど大丈夫だったのかな」
「もう渡れたからいいじゃん!」
みつみは笑い、志帆と並んで土手を見上げた。上の曲輪にも人が立てそうな平場があり、そこから今通ってきた道がよく見えそうだった。
「この道、下からはまっすぐに見えたのに、上へ行くほど曲がっているわね。あちらからなら進路を読めるのに、こちらからは見えない」
「うわ、ずるい。お城を守る側だけ有利じゃん」
「守るためのお城だからね」
佳奈子は千尋の返事に笑いながらも、もう一度上を見た。先ほどまで何もないと思っていた柵の陰が、急に落ち着かない場所に思えてくる。
道はその先で二つに分かれた。右手は城郭の白壁がよく見え、左手は木々の間へ回り込んでいて、どこへ出るのか分からない。
「右じゃない? 見えてるし」
みつみが城を指すと、佳奈子も同じ方へ目を向けた。
「私もあっちが近そうだと思う。でも、近いってだけで選んでいいのかな」
「一回見に行こうよ。駄目だったら戻ればいいし」
千尋はそう言い、先に数歩進んだ。ただ、道幅が狭くなるにつれて足を緩める。高い土手の上から見下ろされる形で、左右に逃げられる場所がなくなっていた。
「……ちょっと待って。ここ、嫌な感じする」
千尋が足を止めた直後、前方の道が石壁で塞がれていることに気づく。道の上の柵には、細い隙間が幾つもあった。
「行き止まり?」
絵美里が盾を上げるのと、隙間から矢が飛び出したのはほぼ同時だった。
金属を叩く音が二度、三度と続く。五人は壁へ近づかず、すぐに来た道へ引き返した。曲がり角まで戻って初めて射線が切れ、佳奈子は大きく息を吐いた。
「今の、絶対わざとだよね。あそこからお城めちゃくちゃ近く見えたのに!」
「近く見せて誘い込むわけね。……なかなか性格の悪い構造だわ」
志帆は悔しそうというより、少し楽しそうだった。曲輪の位置関係を頭の中で確かめているらしく、千尋へ左の道を指す。
「こちらが遠回りに見えても、途中で高さを稼げるかもしれない。私は、どこで視界が切り替わるのか見てみたいわ」
「じゃあ、そっち行こ。私も上からあの行き止まり見たい!」
みつみがすぐに賛成し、絵美里も頷いた。
「遠回りでも、こっちの方が面白そうです。せっかく来たんですし」
「エミリンが遠回りを勧めてる」
千尋が笑うと、絵美里は一瞬だけ口を尖らせる。
「効率だけで決めない日もあります。それに、さっきの場所へ戻らなくて済むなら、その方が安全ですし」
「後半がいつものエミリンだ」
佳奈子が笑いながら左の道へ入る。絵美里も笑い返し、五人は先へ進んだ。
中段の曲輪では、木柵の上に跳び乗ったゴブリンシーフが、小型の投げナイフを佳奈子の足元へ飛ばしてきた。別の柵へ飛び移ろうとしたところを千尋が追い、絵美里は残る敵を引き受ける。短い攻防の末に撃退したものの、足元ばかり見ていると頭上から狙われるのが厄介だった。五人は次の曲輪から、互いの頭上も確かめながら進んだ。
いくつかの曲輪を通り抜け、上り坂の途中で小休止を取った。腰を下ろせる場所を見つけた佳奈子は水筒を出し、スマートフォンの写真を確認する。
「さっきの城、あの角度で撮っとけばよかったな。柵の向こうから見えた屋根、結構よかったのに」
「でも、あそこ矢が飛んできたじゃん」
「だから戻りたいとは言わないよ。もうちょっと上なら、きれいに見える場所があるかも」
佳奈子は画面をしまい、代わりに持ってきた菓子の袋を開けた。みつみが横から覗くと、「一個ずつね」と渡される。
志帆は飲み物をひと口飲んだあと、道の上にある細長い柵を見上げていた。
「さっきの分岐、どうしてあの角度で城郭が見えたのかしら。守る側が誘導したいなら、見せ方にも意味があるのかもしれないわね」
「ねえ、だったらあとで上から見直してみようよ。私、さっきの場所、もうちょっと見たい。あの辺からどう道がつながってるのか知りたいんだ」
みつみが菓子を持ったまま言うと、千尋は上り道の先を見た。
「上まで行けば見下ろせるかもね。無理して戻らなくても、そっちから確かめよう」
「うん! せっかく来たんだもん、見てから行きたい!」
絵美里は二人のやり取りを聞きながら、膝の上に置いた盾の縁を拭った。
「私は次の曲輪も気になります。ここ、守る側の動きが分かると、歩き方まで変わるんですね。……戦うだけじゃなくて、こういうのも好きかもしれません」
志帆が絵美里の方を向き、頷いた。
「ええ。私も、もう少しじっくり見たいわ」
「じゃあ、写真撮れるところもよろしく」
佳奈子が笑って水筒の蓋を閉める。千尋は全員が立ち上がるのを見てから、わざと大げさに両手を広げた。
「はいはい。お城へ行く道、全然まっすぐ進めないみたいだからね。まずは次の曲がり角まで行ってみよっか」
◇
上段の曲輪へ続く道では、敵の姿を見つけるたびに進むか避けるかを相談した。すべての曲輪を通る必要はなく、道がつながっていれば脇を抜けられる。近くの敵を引きつけずに済むときはそのまま通り、逃げ道の狭い場所では絵美里の盾を先に出した。
千尋が先ほどの行き止まりを見下ろせる場所を見つけると、みつみと志帆は足を止めた。遠くから見ると、行き止まりの手前だけが不自然に城郭へ向いており、その両脇の高台から道全体を狙えるようになっている。
「ほんとだ。こっちから見ると、まんまと誘い込まれる形なんだね」
みつみが身を乗り出し、志帆は柵の隙間から道筋を目で追う。
「見えている場所へ進みたくなるのを利用しているのね。よくできているわ」
少し離れた場所では、佳奈子が丘の斜面と白い城郭を一枚の写真に収めようとしていた。千尋が近くの足場へ上がってみると、木の枝を避けた角度が見つかる。
「佳奈子、ここなら屋根も入るよ」
「ほんと? あ、いいね。この高さなら堀から登ってきた感じも分かる!」
佳奈子が嬉しそうに画面を見せると、絵美里も覗き込んだ。遠いと思っていた城郭の白壁は、今ではほとんど目の前にある。
最後の曲がり角を抜けたとき、丘の頂上がぱっと開けた。
風が通る広い平場の向こうに、三階建ての城郭が立っている。白壁と黒い屋根が重なり、下から見えていた輪郭よりもずっと大きく感じられた。足元には、幾つもの曲輪と折れ曲がった道が見えている。
「着いたぁ! わあ、ほんとにお城だ!」
みつみが声を弾ませる。その隣で志帆はしばらく黙って建物を見つめ、佳奈子はスマートフォンを取り出すのも忘れていた。
「ここまで来ると、ちゃんと攻めてきた気がするね」
千尋が笑い、絵美里は盾を背負い直して入口へ目を向ける。
「はい。でも、まだ中が残ってます。私、あの建物の中まで行ってみたかったんです」
「行こうよ。ここまで来て、外だけ見て帰れないでしょ」
佳奈子がようやく写真を撮ると、みつみはその画面を覗き込んだあと、もう一度目の前の城を見上げた。
五人はそろって城郭へ歩き出した。




