第120話 志望動機は放課後に
二学期が始まっても、教室の窓から入ってくる風はまだ夏のままだった。
「ねえ、これ見て。面接で聞かれそうなこと、先生に書き出してもらったんだけどさ」
昼休み、みつみが弁当箱の横へ差し出した紙を、佳奈子が覗き込んだ。
志望動機、学校を選んだ理由、入学後に学びたいこと。質問の下には、みつみが考えた答えが書かれているが、ところどころ大きくバツがついている。
「『料理を作るのが好きだからです』。……うん、それは知ってる」
「でしょ? でも、これだけじゃ短いんだって。もっと具体的にって言われたの」
千尋は箸を置き、二人の間から紙を覗いた。
「みつみなら話し始めたら止まらなそうなのにね。面接だと違うんだ?」
「料理の話ならいくらでもできるよ? でも『どうして調理師になりたいんですか』って聞かれると、何か難しくて。おいしいものを作りたい、だけだと足りない気がするんだよね」
みつみがペンの尻で頬をつついていると、志帆が紙の端に書かれた通学経路を指した。
「骨橋の隣の市なのね。見学に行った学校でしょう? ここは駅から近いって話していたわよね」
「そう! 私鉄もJRも通ってて、都内へも千葉方面へも行きやすいの。駅から近いから通うのも便利だし、見せてもらった実習室もすっごくよかった。ここに通えたらいいなって思ってる」
「それなら、学校を選んだ理由は話せそうね」
「うん。問題は、私が何をしたいかの方」
みつみは紙から顔を上げ、スマートフォンの写真を何枚かめくった。夏休み、虎ヶ崎ダンジョンの湖畔で食べたおかずマフィンが画面いっぱいに映る。
「これ、覚えてる? 最初に焼いたとき、冷めたら固くなっちゃったから、作り直したんだよね。あのとき、みんながおいしいって食べてくれたの、すごい嬉しかったんだ」
「覚えてるよ。あれ、お昼にちょうどよかった。甘くないマフィンもいいなって思ったもん」
千尋が写真を見ながら答えると、みつみは嬉しそうに頷いた。
「私、料理を作るのも好きだけど、食べるのはもっと好きなの。でもさ、作ったのを誰かが食べて、おいしいって言ってくれたら、もっともっと好きになるんだよね。だから、いろんな料理を作れるようになりたい」
言い終えてから、みつみは自分の紙へ目を落とした。
「あ、これだ。今の書いとこ!」
「いいと思う。最初の『好きです』だけより、ずっとみつみっぽい」
佳奈子が頷く。みつみは勢いよく書き始めたが、途中でペンを止めた。
「……『食べるのはもっと好き』って、面接で言っても大丈夫かな?」
「ちゃんと理由につながってるんだから、いいんじゃない?」
千尋はそう答え、自分の弁当に戻った。志帆も微笑みながら紙をみつみの方へ押し返す。
「言葉を整えるのは必要でしょうけど、立派そうな理由を作ることはないと思うわ。今の話、聞いていて楽しかったもの」
みつみはもう一度頷き、書いた文を読み返した。しばらく満足そうに眺めていたかと思うと、今度は千尋の弁当に目を留める。
「ねえ、その卵焼きって甘いやつ?」
千尋は弁当箱を見下ろして笑った。
「話変わるの早くない?」
「今お昼だし!」
千尋が一切れ分けると、みつみはさっそく味を確かめた。そこから卵焼きに何を入れるかという話になり、佳奈子は自分の弁当の写真を見せ、志帆は進路資料をいったん閉じた。昼休みの残りは、結局ほとんど食べ物の話をしていた。
◇
十月に入ると、朝晩の空気が急に冷たくなった。
放課後の教室に残っていた千尋は、志帆へスマートフォンを向けていた。画面には校庭の端を走る千尋自身が映っている。数歩進んで画面の外へ消えるだけの短い動画を、千尋は何度も再生した。
「ここ、見てほしいんだ。足が着くときの姿勢。自分じゃもっと前に進んでるつもりだったのに、映像だとちょっと違うんだよね」
志帆は画面を近づけてもらい、千尋の足元が映るところで止めた。
「重心の位置や、地面から受ける力の向きも関係するのでしょうね。でも、私にはどの姿勢が効率的なのか、これだけでは判断できないわ」
「うん。正解を聞きたいんじゃなくて、こういうの面白いでしょって話」
千尋は動画を閉じずに、隣のタブを開いた。そこには、都内の大学のスポーツ科学部を紹介するページが表示されている。
「見学のときに聞いたんだけど、バイオメカニクスっていう分野があるんだって。身体の動きを力学的に分析するの。走ったり跳んだりするとき、どう力を使うと効率がいいかとか、どんな動かし方が効果的かとか」
「へえ。体育大学でも、そういう方向へ進みたいのね」
「そう。運動が好きだから体育大、って最初は考えてたけど、それだけじゃなかったんだよね」
千尋は画面の中の自分をもう一度走らせた。走り終わる直前の足の運びを見て、わずかに首を傾げる。
「ダンジョンでもさ、同じ距離を動いてるはずなのに疲れ方が違うこと、あるじゃん。うまく踏み込めたときも、何か違うなって分かるのに、何が違ったのか言葉にできなかったり。そういうの、感覚だけで終わらせたくないんだ」
「千尋は実際に動くのが好きだものね。それを理屈から知るのも、きっと面白いわ」
「うん。それに、いつかトレーナーの勉強もしてみたい。海外で学べるなら、留学っていうのも考えてるんだ。まだ、やりたいことが増えてる段階だけどね」
そこで千尋は大学のページを少しスクロールし、ある文章の前で指を止めた。
「……ねえ、志帆。これ、あとで一緒に読んでくれない? 力学のところ、何を前提に話してるのか、私だけじゃよく分からなくて」
志帆は驚いたように千尋を見たが、すぐに頷いた。
「ええ、もちろん。でも私も詳しいわけではないから、一緒に調べることになると思うわよ」
「それでいいよ。自分で何とかしようと思って読んでたんだけど、分からないところを分からないままにしちゃいそうでさ」
志帆がノートを寄せると、千尋は机の上へスマートフォンを置いた。二人で図の意味を確かめているところへ、廊下から佳奈子が戻ってくる。
「なに見てるの? ……千尋の走ってる動画?」
「フォームを撮ってみたんだ。今、ちょっと研究中」
「へえ。私には違いが全然分かんないけど、ハマってるねえ」
佳奈子は笑いながら鞄を持った。今日は先に帰るらしい。志帆が顔を上げると、佳奈子は「あとで何か面白いこと分かったら教えて」と手を振った。
「了解。……あ、志帆、もう一回ここから見てもいい?」
「いいわよ。その前に、さっきの図をもう少し見せてちょうだい」
教室には二人の声と、繰り返し再生される動画の小さな音が残った。
◇
十一月の終わり、みつみから四人のチャットに一枚の写真が届いた。
『受かった!!』
調理師専門学校の合格を知らせる画面と、その横に置かれた小皿が写っていた。皿には、一口サイズの焼き菓子が三つ並んでいる。
『おめでとう! で、横のお菓子は何?』
最初に佳奈子が返すと、千尋と志帆からも祝福が届いた。みつみの返信は、待っていたように早かった。
『嬉しくて作った! 明日持ってくね!』
翌日の昼休み、宣言どおり菓子を持ってきたみつみは、容器を開けながら少し得意そうに笑った。
「これね、昨日作ってて思ったんだけど、みんなが食べてくれるって分かってると、味を考えるのも楽しいんだよね。まず自分で試食しすぎちゃったけど」
「お祝いなのに、こっちがもらっていいの?」
佳奈子は一つ受け取り、焼き色を眺める。千尋も手を伸ばしながら、みつみに聞いた。
「面接のとき、その話できた?」
「できたよ! ちょっと言葉つまったけど、夏にみんなへ作った話もした。あと、実習のことも質問できたの。練習しておいてよかった!」
「それはよかったわ。みつみ、学校を見に行ったときから、ずっと楽しみにしていたものね」
志帆が微笑むと、みつみは素直に頷いた。
「うん。入ってからの方が楽しみかも。どんな料理を作れるようになるんだろって考えると、今からお腹すく!」
「今、食べてる最中なんだけど」
佳奈子の指摘に、みつみは真面目な顔をする。
「食べてるから、ほかの料理も考えたくなるんじゃん」
千尋が吹き出し、志帆もつられて笑った。みつみは次に作るものを考え始めたが、菓子が気に入った佳奈子から配合を聞かれると、今度は焼き時間の話になった。
みつみの進路が決まっても、四人の放課後が急に変わったわけではない。ただ、それぞれの鞄に入っているものは少しずつ違ってきた。
みつみの資料が薄くなる一方で、千尋や志帆の机には試験に向けた紙が増え、佳奈子は通学時間と受験日程の両方を見比べていた。
学校帰りに寄り道することは減った。それでも四人のチャットには、ときどきダンジョンの写真が流れてきた。
絵美里たちが探索先で撮った一枚に感想がついたり、虎ヶ崎で見つけた妖精の写真を佳奈子が送り直したり。勉強を終えた夜、みつみが『また会いたい!』と返すと、志帆から『あの果実も調べ直したいわね』と届いた。
◇
志帆が三人に相談を持ちかけたのは、十二月の放課後だった。
窓の外はすでに薄暗く、教室に残る生徒もまばらになっている。志帆は机に二冊の大学案内を並べたまま、付箋のついたページを何度も行き来していた。
「私、物理学をもっと深く学びたいの。そこは決まっているのだけれど、大学を比べるほど、どこを優先すればいいのか分からなくなってしまって」
志帆の声に、みつみは自分の鞄を閉じる手を止めた。
「前に、気になるところが増えるって言ってたよね。今も増えてる?」
「さすがに候補は絞ったわ。でもね、私、勉強は得意な方だと思っているけれど、ものすごく上位というわけじゃないのも分かってる。物理を学ぶことには憧れるけれど、その先で何を仕事にするのか、はっきり思い描けないのよ」
佳奈子は案内の一冊を手に取った。細かな文字が並ぶページをめくり、通学案内のところで止まる。
「私は、四年間ちゃんと通えるかも大事だと思う。好きな勉強でも、通うだけでへとへとになったら嫌じゃん。志帆はそこ、比べてる?」
「ええ、もちろん。……でも、条件を並べていくと、どれも大事に見えてしまって。何を優先したいのか、かえって曖昧になるの」
千尋は二冊の表紙を見比べてから、志帆の方へ顔を向けた。
「私、見学で話を聞くまでは『運動ができるところ』くらいに考えてたんだ。でも実際に見たら、何を学びたいかが変わってきた。志帆は、講義の中身だったら何が一番気になる?」
「それは……」
志帆は迷わず片方の冊子を開いた。さっきまで慎重に言葉を選んでいたのに、興味のある講義が載ったページを示すと、急に声が弾む。
「力がどう働くのか、物質がどう振る舞うのか。身の回りの現象も、ものすごく遠い宇宙の出来事も、同じ法則から考えられるでしょう? 私、そこが本当に面白いと思うの。知っていることが増えるほど、まだ分からないことが見えてくるんだもの」
指先がページの上を動く。志帆は三人の顔を見回し、とうとう堪えきれないように続けた。
「物理学をもっと深くやりたいのよ。宇宙の、法則を、知りたい!」
声が思った以上に教室へ響いたらしい。志帆は一拍置いて周囲を見た。離れた席で帰り支度をしていた生徒がこちらを向き、また自分の鞄へ視線を戻す。
「……今のは、少し声が大きかったわね」
みつみが面白そうに身を乗り出した。
「でも、すごい伝わった!」
「私、料理の理由であんなに悩んでたのにさ。志帆が好きなこと話すときって、ほんと楽しそう。宇宙のこと、大学でどんなふうに勉強するんだろね」
「まだ分からないところもたくさんあるわ。だから知りたいのだけれど」
志帆は照れたように笑ったあと、二冊の案内をもう一度並べ直した。
「……ねえ、一つ頼んでもいい? 私が気にしていることは印をつけたのだけれど、三人から見て、比べ忘れていそうなことがないか一緒に見てほしいの。どちらを選ぶかは自分で決めたいから、そこだけ手を借りたい」
「いいよ。私なら、実際に行ったときの印象も書き足すかな」
千尋がページをめくり、見学したときのメモがないか探し始める。佳奈子は通学時間の欄を指し、みつみは実習室を見たときの感想を思い出しながら「好きだった場所って、案外覚えてるよ」と話した。
志帆は一つずつ聞き、必要だと思ったことだけを余白に書き込んだ。三人は進学先を代わりに決めようとはしなかったし、志帆もその場で答えを出そうとはしなかった。
片づけを終えた頃、佳奈子がふと笑う。
「私なんか、どこにサークルがありそうかとか、そういうのも気になるんだけどね。志帆とは見てるところ違うなあ」
「それも大切なことだと思うわよ。ただ、私はまず講義の中身が気になるの」
「うん。そこは志帆らしくていいと思う」
佳奈子は資料を返して鞄を持った。志帆は冊子の間から飛び出していた付箋を押さえ、三人より少し遅れて立ち上がる。
将来の仕事が急に見えてきたわけではないが、何を学びたいのかまで曖昧だったわけではない。そのことは、さっきの自分の声でよく分かった。
◇
年が明けると、教室の空気は少しずつ変わった。
模試の日程を確かめていた席では、今度は試験当日の持ち物を確認する声が聞こえる。机に置かれるものも、大学案内から受験票や問題集へ変わった。登校する日が減るにつれ、四人が同じ場所で話す時間は短くなっていった。
千尋の合格が分かったのは、そんな冬の終わりだった。
『受かった!』
四人のチャットへ送ったあと、千尋はスマートフォンを持ったまま少しだけ動けずにいた。都内の大学のスポーツ科学部。何度も見返してきた紹介ページに載っている講義が、春から自分のものになる。
『おめでとう! やったね!』
みつみの返事に続き、佳奈子からは『フォーム研究、いよいよだね』と届いた。志帆は『今度、面白かった授業の話を聞かせてね』と書いている。
『もちろん。志帆も物理の話、聞かせてよ』
千尋はそう返して、机に伏せていたノートを開いた。前に撮った走り方の動画も見直したくなったが、今はまず、ずっと先のことだと思っていた春を想像していたかった。
志帆の合格は、その少しあとだった。
望んでいた物理学を学べる、都内の理系大学。報告を送ると、三人から次々に祝福が届いた。志帆は机の上に重ねた大学案内を見つめ、付箋の一枚をそっと指で押さえた。
大学へ進んだからといって、その先の仕事まで分かるわけではない。それでも、合格の知らせを見たとき真っ先に思い浮かんだのは、就職先ではなく、これから学ぶことだった。知らない現象について考え、分からないところを調べて、納得できるまで追いかけたい。
『おめでとう! 物理の話、楽しみにしてる』
千尋の返信を読んで、志帆はふと、秋に二人で見た走る動画を思い出した。次に同じような話をするときは、今よりもう少し違う角度から考えられるかもしれない。
最後まで結果を待っていたのは佳奈子だった。
第一志望の不合格を知った日は、さすがに気持ちが沈んだ。行きたかった学校だったし、努力してきた分だけ悔しかった。
みつみから『何か食べに行く?』とメッセージが届いたときも、すぐに返す気にはなれず、しばらくスマートフォンを伏せていた。
数日後、第二志望の文系大学から合格の知らせが届いた。
佳奈子は画面を確認し、今度は迷わず四人のチャットを開いた。
『第二志望、受かった! 春から大学生になります!』
三月に入る少し前、久しぶりに四人で集まったファミレスで、佳奈子はパフェのページを開いていた。
「第一志望は残念だったけどさ、第二志望だってちゃんと行きたいと思ってたところなんだよね。通学も無理ないし、雰囲気も好きだったし。だから、こっちで楽しむって決めた」
佳奈子はメニューをみつみの方へ向け、期間限定のパフェを指す。
「で、とりあえず今日はお祝い。これ食べたい」
「いいね! 佳奈子、おめでとう!」
みつみが写真を覗き込むと、佳奈子は少し嬉しそうに目を細めた。
「ありがと。大学入ったらさ、サークルとか、バイトとか、恋愛とか、いろいろ楽しみたいんだよね。四年間ずっと勉強だけってのは、私には無理。せっかく大学生になるんだから、ウェーイってやりたいじゃん」
「佳奈子がウェーイって言うと、ほんとにやりそう」
千尋が笑う。志帆は飲み物のページをめくりながら、佳奈子へ顔を向けた。
「楽しそうね。私は大学の講義を調べるだけで時間が足りなくなりそうだけど、サークルも少し見てみたいわ」
「志帆が入るなら、何のサークルだろ。天文系とか?」
「まだ何も決めていないわ。でも、楽しそうなものがあれば見に行くつもりよ」
志帆はそう答えてメニューを閉じた。佳奈子はパフェの写真をもう一度眺める。
「私は、大学で知り合った子とダンジョンに行くのも楽しそうだと思ってる。もちろん、みんなとも行くけどね」
「行こうよ! 私も専門学校の時間割まだ分かんないけど、休みの日なら大丈夫でしょ」
みつみが乗り気になると、千尋も頷いた。
「私も身体動かしたいし、ダンジョンは続けたい。あ、でも授業で身体動かしまくって、休日は寝てる可能性もあるかな」
「それは千尋にはないんじゃない?」
佳奈子が笑ったところで注文の端末が回ってきた。四人は今度こそ食べたいものを決め始めたが、みつみだけは最後まで二つのデザートで迷っていた。
◇
三月に入って間もない日、四人は久しぶりに部室の扉を開けた。
壁には知らない写真が増えていた。瑞穂と蘭々が次の探索候補をスマートフォンで見比べ、その隣では紗希がバンドの予定と活動日を確認している。絵美里は机に広げたダンジョンの案内を片づけようとして、顔を上げた。
「あっ、先輩たち! お久しぶりです。ここに四人揃って来るの、久しぶりですね」
「エミリン、元気だった?」
みつみが手を振って部屋に入る。絵美里が笑顔で頷く横を通り、佳奈子は壁の写真へ目を向けた。
「ほんと、結構増えてるね。私たち知らない場所ばっかり」
「この前行ったところの写真もありますよ! よかったら見てください」
蘭々は嬉しそうに画面を差し出した。佳奈子が写真をめくり始めると、瑞穂も隣から足場や見つけた景色の話をする。千尋は紗希が広げていた案内に目を留め、自分たちの知らないダンジョンの名前を眺めていた。
「そういえば、皆さん進路が決まったんですよね。おめでとうございます」
絵美里が改めて声をかけると、瑞穂と蘭々も顔を上げた。
蘭々はスマートフォンをしまい、みつみへ顔を向けた。
「みつみ先輩、調理師の学校なんですよね。いつか何か作ってもらえますか?」
みつみは笑顔で頷いた。
「もちろん! でも、まだ何を習うか分かんないから、まずはおいしいもの作れるようになってくる!」
瑞穂は千尋の方へ向き直った。
「千尋先輩はスポーツ科学でしたっけ。身体の動きを調べるって、面白そうですね」
千尋は「そうなの」と身を乗り出した。前に志帆へ見せた動画の話を始めたところで、紗希がぽんと手を打つ。
「先輩たち、すげえっすね。自分のやりたいこと、ちゃんと決めたんですね。……あ、佳奈子先輩、大学入ったら何のサークル入るんですか?」
「それを今から考えるの。ダンジョン関係もいいけど、全然違うのも面白そうだし」
佳奈子が笑って答えると、絵美里は「それ、楽しそうですね」と頷いた。
しばらく近況を話しているうち、机の上にはまたダンジョンの写真が並び始めた。そこで佳奈子が四人のチャットを開き、思い出したように顔を上げる。
「そうだ。私たちの予定も決めなきゃ。卒業する前に、もう一回どこか行こうって話してたじゃん」
「それ! 私、行きたいとこ見つけたんだよ!」
みつみは待ってましたとばかりにスマートフォンを差し出した。画面には、緑の丘の上に城が見えるダンジョンの紹介写真が映っている。
「南房総の盾山ダンジョン! 城郭型なんだって。お城の中を探索できるのって、ちょっとよくない? しかも中級者向け!」
千尋が画面に顔を寄せた。
「盾山か。名前は見たことあるな」
写真の下にある所在地を確認すると、千尋はもう一度城を見た。
「でも、骨橋からは遠いよね。移動だけでも結構時間かかりそう」
「そうなんだよ! だから朝から一日かけて行こうよ。久しぶりにみんなで遠出したいし、どうせなら初めての場所がいいなって」
「私は賛成。行き帰りも遠足みたいで楽しそう。途中で何か食べるのもいいしね」
佳奈子はスマートフォンで大まかな位置を確かめながら答えた。志帆も写真に目を寄せ、興味深そうに城の輪郭を見つめる。
「城郭型なら私も気になるわ。どこまで建物の造りを楽しめるかは行ってみないと分からないけれど、見たい場所がいろいろありそうね。詳しい準備はこれからとして、行き先には賛成よ」
「じゃ、四人で盾山にしよっか!」
みつみが嬉しそうに顔を上げた。千尋は自分の予定表を開き、卒業式前の空き日を探し始める。佳奈子は移動にどれくらいかかるか気になったらしく、路線を検索していた。
その間、絵美里は自分のスマートフォンを持ったまま黙っていた。
瑞穂が見せてくれていた写真は、もう画面の中で動かない。目は自然と、みつみのスマートフォンに映る城へ向いていた。
先輩たちが卒業前に四人で遊びに行くのなら、それは大切な時間だろう。口を挟むつもりはなかったが、初めて聞く城郭型のダンジョンには、どうしても心が引かれる。
「……盾山、行くんですね」
絵美里が思わず漏らすと、みつみが顔を上げた。
「うん。エミリンは知ってる?」
「名前だけです。私、城郭型ってまだ行ったことがなくて。一度見てみたいなとは思ってました」
絵美里はそこで言葉を切り、手元へ視線を戻した。
その様子を横から見ていた紗希が、絵美里の肘を軽くつついた。
「ねえ、絵美里。行きたいなら、そう言えばいいじゃん」
「え、でも……先輩たち、四人で行くつもりだったでしょう?」
「だからって、黙ってんの?」
紗希は絵美里の顔を覗き込み、今度は少し声を落とした。
「先輩たちとは付き合い長いだろ。うちらの代表ってことで、一緒に行ってきなよ。あたしらはまた別の日に行けるしさ」
そこまで言ってから、紗希は先輩たちの方へ向き直った。
「あ、もちろん、先輩方がよければですけど。勝手なこと言ってすみません」
千尋は予定表から顔を上げ、佳奈子と目を合わせて笑った。
「この流れで駄目って言えるわけないでしょ。……ねえ、絵美里。行きたいなら一緒に行こうよ。五人で潜るのも久しぶりだし、私は楽しそうだと思う」
「もちろん、来てくれたら嬉しいわよ」
志帆は絵美里の方へ身体を向け、穏やかに続けた。
「私も、絵美里ちゃんとあのお城を見てみたいもの。今までみたいに、気になるところを一緒に探せたら楽しそうでしょう?」
「私も全然いいよ。人数増えたら、また違う楽しみ方できそうじゃん」
佳奈子も笑って答えた。絵美里は三人の顔を見比べたあと、まだ少し迷っているようにみつみを見た。
「……本当にいいんですか? 最初は四人の予定だったのに」
みつみは画面の城を指で小さく叩き、絵美里へ笑いかける。
「だって、エミリンも行きたいんでしょ? 私、みんなで行けたらもっと楽しいと思うな」
絵美里は一度だけ紗希の方を振り返った。紗希が何も言わずに頷くと、絵美里は顔を上げた。
「……はい。私も行きたいです。先輩たちと一緒に、盾山を探索したいです」
「よし、決まり!」
みつみは嬉しそうに手を打ち、思いついたように続けた。
「じゃあエミリンは、二代目部長として卒業生を見送る役目だね!」
「……え?」
紗希が目を丸くした。
「二代目? じゃあ初代部長って誰なんすか!?」
「そんなもの、いないわよ」
志帆があっさり答えると、紗希はみつみと志帆を交互に見た。
「えっ、じゃあ二代目って何なんですか!?」
「今できたんじゃない?」
千尋が笑いながら口を挟む。みつみはまったく気にした様子もなく、絵美里に向かって胸を張った。
「大丈夫! エミリンなら二代目でもちゃんとやれるよ!」
「いや、そういう問題じゃないですよ!」
紗希が思わずみつみに返すと、佳奈子が噴き出した。瑞穂も首を傾げ、蘭々は話についていこうと指を折っている。
「初代がいないのに二代目って、数え方おかしくないですか?」
「ほら、蘭々だってそう言ってるじゃないですか!」
紗希が二人の先輩へ訴える。志帆は笑いをこらえきれずに肩を揺らした。
「そもそも正式には同好会でしょう。部長というのも、みつみが今つけた呼び方よ」
「そういうことは先に言ってくださいよ!」
紗希の抗議はもっともだったが、みつみは「でもエミリン、二代目っぽくない?」と楽しそうに笑っている。絵美里は困った顔をしながらも、どうやら断る気はないらしい。
「……名前は何でもいいですけど、私、ちゃんと五人で行きたいです」
絵美里が改めて言うと、千尋は頷いて予定表を机の真ん中へ置いた。
「じゃあ、本当に日にち決めよっか。遠いから、朝は早めに動くことになりそうだけど」
佳奈子は朝の集合を想像したのか、スマートフォンを見ながら少し眉を寄せた。
「寝坊しないようにしなきゃ。私、前の日に荷物まとめとこ」
佳奈子は自分の予定を開いたまま、候補の日を一つ指した。志帆はその日の用事を確かめ、みつみも素早く同じ日を開く。絵美里は少し遅れてカレンダーを表示すると、空いている欄を見つけた。
「私、その日なら大丈夫です。盾山までの移動も調べておきたいですね。せっかく遠くまで行くなら、時間はちゃんと使いたいですし」
「もう調べる気満々じゃん」
紗希がからかうと、絵美里は少しだけ頬を赤くして言い返した。
「だって、行きたいんだもん」
その答えに紗希は満足そうに笑い、瑞穂と蘭々も再び自分たちの予定へ戻った。絵美里だけを送り出すことになっても、後輩四人の次の遊びは別に決められる。机の向こうでは、みつみたちが今度の探索で食べたいものの話まで始めていた。
佳奈子が何か買っていこうと提案し、千尋は途中で寄る時間があるかを気にする。志帆は写真を拡大して城の輪郭を見つめ、絵美里もその隣から画面を覗き込んだ。
みつみはもう一度城の写真を開き、画面を四人へ傾けた。
「ねえ、見て。ここ、すっごくお城っぽい!」
写真を拡大すると、五人の視線が同じ画面へ集まった。
骨橋からは遠く、まだ行ったこともない南房総のダンジョン。詳しい道のりも、中で何が待っているのかも分からない。それでも、次にあの城を見上げるときは五人だと思うと、みつみは早く出かけたくて仕方がなかった。




