第109話 新入部員
三年生になって最初の週が終わろうとしていた。
新しい教室にも、まだ少しよそよそしさが残っている。みつみは自分の席を間違えそうになることが二度ほどあったし、千尋は時間割の変更を知らずに別の教科書を持ってきた。そんな新学期の放課後、ダン活部のグループチャットに一件の知らせが届いた。
『記事、公開されました!』
春休みの虎ヶ崎ダンジョンで一日を共にした、『ダンジョン・ウォーカー』の女性記者からだった。原稿と掲載写真は事前に学校を通して確認していたものの、実際にサイトへ載ったと聞くと、やはり気になる。
みつみが部室へ入ったときには、千尋と佳奈子がすでにスマートフォンを並べて、画面を覗き込んでいた。
「来た来た。みつみ、これ見た?」
「見た! でも、まだ写真だけ。あれさ、私が石投げてるところ、ほんとに使われてるんだけど!」
「うん。しかも、いい感じに笑ってるよ」
佳奈子が差し出した画面では、湖の方へ大きく腕を振ったみつみが、口を開けて笑っていた。隣には、飛んだ石の行方を見つめる紗希の横顔まで写っている。
「これ、もっと真剣な顔してたと思うんだけどなあ」
「真剣に水切りしてたら、その顔になるんじゃない?」
千尋に言われ、みつみは画面をもう一度見た。少なくとも、記憶の中ではかなり真剣だった。どうしても石を二回以上跳ねさせたかったのだから。
やがて志帆がやって来ると、みつみは椅子を半分譲って画面を見せた。志帆は少し身を屈めて写真を覗き込み、すぐに自分のスマートフォンでも記事を開く。
「お菓子の写真もあるのね。あのときは、撮るかもしれないとは聞いていたけれど」
「佳奈子が、口いっぱいのときはやめてって言ってたやつ!」
「そりゃ言うでしょ。知らない人にまで、何食べてたか見られるんだから」
佳奈子は笑いながら写真を拡大した。湖を背に並べられた菓子の袋には、誰かが開けたままにした箱も写り込んでいる。
「……あれ、私のお菓子、こんなに減ってたっけ?」
「食べてたじゃん。途中で紗希ちゃんにもあげてたし」
「じゃあ、ちゃんとなくなってるんだ」
当たり前のことを妙に納得した佳奈子を見て、千尋が笑った。
絵美里と紗希が部室へ来たのは、その少しあとだった。二人もすでに記事を見たらしく、入ってくるなり紗希が自分のスマートフォンを持ち上げる。
「先輩たち、これ見ました? あの狼と戦ってる写真、めっちゃよくないっすか!」
「見た見た! 紗希ちゃん、格好いいよね!」
「ありがとうございます! ただ、あれ見ると、もうちょっと踏み込めてたらって思うんですよ。絵美里、やっぱ先に防具見に行こうな」
「分かったって。そういう話は記事の写真を見なくても、昨日からしてたじゃん」
「だって、見るたび気になるんだって」
紗希が画面を下ろすと、絵美里は別の写真を出した。湖の前で六人が並んでいる、帰る前に撮ってもらった一枚だ。格好つけようとした人も、誰かにつられて笑ってしまった人もいて、綺麗に揃った集合写真とは少し違っている。
「私はこっちが好きです。あの日、最後に撮ったやつ」
「それ、私も好き。ちゃんと全員写ってるし」
佳奈子が頷くと、志帆は画面から目を上げた。
「記事も、戦闘だけじゃなくて、湖で過ごした時間をずいぶん書いてくれているわ。あの人、私たちが何を楽しんでいるかを知りたいって言ってたでしょう。ちゃんと見てくれていたのね」
みつみはようやく写真を閉じ、本文を読み始めた。知らない誰かが書いた文章なのに、読んでいると森の匂いや、湖で頬に当たった風まで思い出す。
「あの日さ、ボスのところまで行かなかったのに、記事になるとすっごい盛りだくさんだね」
「実際、いろいろやったからね。戦ったし、歩いたし、休んだし」
「石も投げた!」
「それはもう分かったって」
千尋が笑うと、みつみもつられて笑った。
翌日になっても、学校中で騒ぎになるようなことはなかった。知っている友達から「見たよ」と言われることはあったが、授業も宿題も、放課後の予定もいつもどおりだ。そのまま、新学期のいつもどおりの日々が続いていった。
◇
数日後の放課後。
部室の机には、紗希が見つけてきた防具の候補が三つ並んでいた。もちろん実物ではなく、スマートフォンに表示された商品写真だ。
「ほら、これだったら腕動かしやすそうじゃない? でも、値段がちょっと高くてさ」
「私なら、買う前に一回着けてみるけど。写真だけだと分かんないでしょ」
絵美里は紗希の画面を横から覗き、肩の辺りを指した。二人がしばらく装備の話を続ける横で、佳奈子は帰りに寄る店を探している。千尋はその画面も覗いていたが、みつみに見せられた別のダンジョンの写真へ、途中から興味を移した。
志帆だけは、自分のノートを開いて何かを調べていた。
「志帆、何見てるの?」
「記事にあった植物の名前。記者さん、あのとき私たちが調べていたものにも触れていたでしょう。結局、採らなかった方のキノコが少し気になって」
「まだ調べてたんだ!」
「だって、分からないままなのは気になるもの」
みつみが椅子を寄せかけたところで、扉を叩く音がした。
「はーい」
千尋が振り返ると、扉が少しだけ開いた。廊下には見覚えのない女子生徒が二人立っている。みつみは反射的に、机の上のお菓子やノートを少し脇へ寄せた。
「あの、ダン活部って、ここで合ってますか?」
先に口を開いた生徒が、部室の中を確かめるように見回した。
「合ってるよ。どうしたの?」
「一年の大山瑞穂です。入部できるかどうか、聞きたくて来たんですけど……」
「私も一年です。丸潮蘭々といいます。突然すみません」
「入部?」
みつみが立ち上がる勢いで顔を上げたので、二人は一瞬目を丸くした。千尋が笑って、空いている椅子を引き寄せる。
「大丈夫。とりあえず入って座って。話聞きに来てくれたんでしょ?」
瑞穂と蘭々は礼を言って中へ入り、椅子に腰を下ろした。絵美里が机の端に寄せた防具の画面を消そうとすると、瑞穂がそちらへ目を留める。
「何かの装備ですか?」
「そうです。今、紗希と防具を見てたんですよ」
「あ、私が買うやつです。まだ決まってないんですけどね」
紗希が笑って説明する。みつみは二人の顔を見比べ、まだ尋ねていなかったことを思い出した。
「ねえ、どうしてうちの部を知ったの? どこかで見た?」
「ダンジョン・ウォーカーの記事です。学校の名前が出てたので、もしかしてって思って」
「私も、それ読んで来ました。あ、あの、写真に写ってた人たちですよね?」
蘭々が言うと、佳奈子は椅子の背にもたれたまま頷いた。
「そうだよ。なんか変な写真も載ってたけどね」
「変じゃなかったです。私、湖の写真が好きでした。ダンジョンの中であんなことできるんだって、びっくりして」
「水切り?」
「それもですけど、普通に座ってお菓子食べてるところとか。もっとずっと戦ってる場所だと思ってたので」
みつみは嬉しくなって、あの日の湖のことを話し始めた。セーフゾーンで荷物を下ろしてから、誰が最初に石を投げたか、千尋が何回跳ねさせたか、紗希が一回跳ねただけで大喜びしたことまで話したところで、千尋に肩をつつかれる。
「みつみ、全部話しちゃうと長くなるよ。二人はまだダンジョン行ったことないんでしょ?」
「はい。行ってみたいとは思ってたんですけど、何から始めればいいのかよく分からなくて」
瑞穂はそう答えたあと、少し間を置いて続けた。
「記事を読むまでは、ダンジョンに行くなら、ちゃんと戦えないと駄目なのかなって思ってました。でも、皆さんの写真を見てたら、戦うのも楽しそうだし、それ以外にもいろんなことがあるみたいで。最初はどんな感じなのか、一度入ってみたくなったんです」
「私、あの森の写真も気になりました。外の森と同じように見えるのに、ダンジョンなんですよね。写真だから実感がなくて……自分で歩いたら、どう見えるんだろうって」
蘭々の言葉に、志帆がノートを閉じた。
「分かるわ。初めて行くと、写真で見たことがある場所でも印象が違うもの。空気や音は、行ってみないと分からないでしょう?」
「はい。それが気になります」
二人が部室へ来てから少し時間が経っていた。瑞穂は最初よりも自然に顔を上げて話しているし、蘭々も机に置かれたダンジョンの案内へ時々視線を向けている。
「でも、ダンジョンって危なくないですか? モンスターも出るし」
瑞穂が尋ねたのを聞いて、絵美里は画面を伏せた。
「危ないことはありますよ。だから最初から無理なところへは行かないし、初心者向けでも気をつけないといけないです。でも、全部自分だけで何とかしなきゃいけないわけじゃないので」
「そうそう。最初は誰かと行くといいよ。私、初めて行ったときは千尋についていったんだ」
「それで、最初からずっと寄り道してたよね」
「だって、知らないものだらけだったんだもん!」
みつみの返事に蘭々が笑った。紗希も話へ加わろうと、手元のスマートフォンを置く。
「私も最初はエミリンたちに連れてってもらったんですよ。最初のスライム見たとき、どうしたらいいか分かんなかったし。あ、でも、戦うのはめっちゃ面白かったです」
「紗希は骨橋に行った日から、また戦いたいってずっと言ってたからね」
「それは言ったけど、お前も楽しんでたじゃん」
「私も楽しかったよ。だから、一緒にまた行ったんでしょ」
絵美里はあっさり答え、紗希も納得したように頷いた。
「そういえば、二人はやりたいジョブとか、もう考えてる?」
千尋が尋ねると、瑞穂と蘭々は顔を見合わせた。
「まだ決めてないです。ジョブっていろいろあるんですよね。調べてみたんですけど、全部は分からなくて」
「自分の適性によって、選べるのと選べないのがあるっていうのは見ました。でも、どんなのが自分に向いてるかも分からないし……」
蘭々が言葉を探している間、瑞穂は机の端に置かれたダンジョンの案内へ目を落とした。
「今は、どのジョブになるかより、まず行ってみたいです。先輩たちが普段どんなことしてるのか、同じ場所に行ってみないと分からないと思うので」
「私もです。入ってみてから、いろいろ考えたいなって」
「それなら、今決めなくてもいいよ」
千尋は気軽に頷いた。
「私も最初はジョブなしで入ったからね!」
みつみが口を挟むと、志帆が頷いた。
「みつみの場合、最初はダンジョンそのものに興味があったのよね。どんなことができるか、まだ何も知らなかったもの」
「うん。だから、二人も入ってみてから考えたらいいと思う。知りたいことがあったら、あとで聞いてくれればいいし!」
それきり、誰もジョブの説明を始めなかった。瑞穂は少し安心したように息をつき、蘭々は再び案内の写真を眺め始めている。
話題はいつの間にか、放課後には部室へ来ることが多いのか、ダンジョンには毎週行くのかという話へ移った。佳奈子は、今日はどこへも行かずに帰りに寄る店を探していたところだと話したし、紗希はバンドの練習とアルバイトで参加できない日もあると説明した。
「毎回全員で行くわけじゃないよ。予定が合う人で行くこともあるし、部室で喋って終わる日もあるし」
佳奈子が言うと、蘭々が少し考えてから笑った。
「そうなんですね。記事の写真を見て、いつも六人一緒に行ってるのかと思ってました」
「六人そろうと、逆に写真撮りたくなるくらいだよ」
千尋の言葉に、絵美里が「それは分かります」と頷いた。
瑞穂はもう一度、部屋の中を見回した。紗希の装備の写真も、志帆の開いたノートも、佳奈子が探している店の画面も、来たときから大して変わっていない。それなのに、最初はどこを見ればいいか分からなかった部室が、今は少し違って見える。
「あの……入部、お願いします。まだダンジョンのこと、ほとんど知らないんですけど」
瑞穂が言うと、蘭々も続けた。
「私も入りたいです。話を聞いてから決めようと思って来たんですけど、今は早く一緒に行ってみたいです」
「もちろん! よろしくね!」
みつみが立ち上がりかけ、椅子の脚を机にぶつけて、慌てて座り直した。その様子に蘭々が笑い、瑞穂も口元を押さえる。
「じゃあ、必要な手続きは確認しようか。二人とも、名前はもう聞いたけど、もう一回だけ漢字を教えてもらっていい?」
千尋がスマートフォンを置くと、二人はそれぞれ自分の名前を書いて見せた。
大山瑞穂、丸潮蘭々。
二人は入部のために必要な書類にも名前を記入し、今日からダン活部の一員になった。三年生が四人、二年生が二人、一年生が二人。机の周りには八人が座ることになり、椅子を少し寄せないと、全員で同じ画面を覗き込むのは難しそうだった。
「ねえ、せっかくだからさ。二人の初ダンジョン、どこにする?」
みつみが話を切り替えた。瑞穂は少し身を乗り出し、蘭々もスマートフォンの画面を閉じる。
「最初なら骨橋がいいんじゃない? 近いし、洞窟も初心者向けだし」
千尋が言うと、絵美里が頷いた。
「私もそこがいいと思います。紗希も最初に行ったところですし、皆さんも何度か行ってますよね」
「骨橋って、どんなダンジョンですか?」
「洞窟の中を進んで、奥のゴールに着いたらクリアだよ。初めてなら、いきなり最後まで行こうって決めなくてもいいしね」
みつみは机の端にあったダンジョンの案内を二人の前へ滑らせた。載っているのは入口付近の写真と簡単な紹介だが、蘭々は洞窟の暗がりをしばらく眺めている。
「この中に入るんですね。……写真だと、奥が全然分からない」
「うん。だから、行ってからのお楽しみ」
千尋が答えると、瑞穂は案内の隅にある持ち物の項目へ目を移した。
「装備って、最初から全部買わないといけないんですか?」
「借りられるものもあるよ。最初から高いの買うのはもったいないし、何が欲しいかだって、行ってみないと分かんないでしょ」
佳奈子が答えると、隣で紗希が大きく頷いた。
「ほんとそれです。私なんか今、防具が欲しくてずっと探してるんですけど、最初はここまで気になると思ってなかったですから」
「紗希の場合は、行くたび欲しいものが増えてるだけじゃない?」
「お前が言うなって。盾のこと、しょっちゅう調べてんじゃん」
絵美里は笑いながら否定しかけたものの、画面に残っていた装備の写真を見て口を閉じた。
それから全員の予定を見比べることになった。新学期が始まったばかりとはいえ、休日に何も予定がないとは限らない。千尋には用事があり、佳奈子も別の予定を入れていた。紗希はバンドの練習があるという。
「残念だな。私も新入生と一緒に潜ってみたいんですけど、練習休むわけにもいかないし。帰ってきたら話聞かせてくださいね」
紗希がそう言うと、蘭々は笑って頷いた。
「はい。ちゃんと覚えて帰ります」
「忘れるほどいろいろあったら、それも楽しそうだけどね」
千尋の言葉に、絵美里が顔を上げた。
「じゃあ、私とみつみ先輩と志帆先輩なら、その日空いてますよね? 五人で行きませんか。私も骨橋、久しぶりですし」
「行く行く! 最初のとき、千尋に連れてってもらった場所に、今度は私が新しい子を連れてくんだ!」
みつみが嬉しそうに予定表を開く。志帆も自分の予定を確かめ、二人の方へ目を向けた。
「私は大丈夫よ。初めてなら、無理に急がず、途中で気になるものがあったらゆっくり見ていきましょう。あとは、持ち物だけ一緒に確認しておきたいわね」
「はい。お願いします」
瑞穂はスマートフォンに日付を入力し、蘭々も隣で同じ予定を保存した。二人が何度か画面を確かめている間に、みつみはもう帰り道の話を始めている。
「ねえ、骨橋の帰りさ、お腹空いたら何か食べて帰ろうよ。近くにまだ行ってないお店あった気がする!」
「みつみ、それダンジョンより先に調べること?」
「どっちも楽しみなんだって!」
佳奈子が笑って、自分の画面をみつみの方へ寄せた。
「店ならさっき見てたけど。骨橋の近くだと、こっちの方が寄りやすいかも」
「あ、それ見たい!」
さっきまでダンジョンの案内を眺めていた蘭々も、二人の方へ椅子を少しずらした。
「帰りのお店まで、もう決めるんですか?」
「決めなくてもいいけど、見るだけなら楽しいじゃん」
佳奈子の返事に、蘭々は笑いながら画面を覗き込む。瑞穂も一度保存した予定を閉じ、絵美里が見せてくれた洞窟の写真へ目を戻した。
入ってみたいダンジョンが、一つ決まった。
何のジョブになるかは、まだ分からない。中へ入ったら自分たちが何をしたくなるのかも、今は想像するしかない。それでも二人のスマートフォンには、先輩たちと一緒に出かける休日の予定が、ちゃんと残っている。
「楽しみですね」
瑞穂が言うと、隣の蘭々が頷いた。
「うん。早く行ってみたい」
そのころ、みつみと佳奈子は帰りに何を食べるかで盛り上がり、千尋は骨橋までの道順を確認していた。志帆は必要な物の話を絵美里と始め、紗希は二人へ自分の初ダンジョンの写真を見せている。
記事の中では六人だったダン活部の机を、いまは八人で囲んでいた。




