第107話 打てば響く、6人目
放課後の部室に、見慣れない鞄が一つ増えていた。
「……というわけで、今日からお世話になります!」
石橋紗希は机の前で頭を下げると、すぐ顔を上げた。黒いポニーテールが肩の後ろで揺れる。その横では絵美里が、妙に楽しそうな顔で立っていた。
「紗希ちゃん、ほんとに入ってくれるんだ!」
みつみが身を乗り出す。紗希は少し照れたように笑った。
「はい。骨橋に行ったあとから入りたかったんですけど、バイトとバンドの練習が重なっちゃって。休みの日が空いても、先輩たちと予定が合わなかったりして……ようやくです」
「ずっと『次いつ行ける?』って聞かれてたからね」
絵美里が横から付け足す。
「お前だって、行くならちゃんと時間空けろって何回も言ってただろ」
「だって、来るって言ってから練習の予定入れるじゃん」
「それは一回だけ!」
「一回あったんだ」
千尋が笑うと、紗希は少し困った顔をした。
「いや、あれは急に集まれることになったからで……でも、これからはダン活の予定もちゃんと入れます。毎回参加できるとは限らないですけど」
「いいんじゃない? 私たちだって、いつも全員そろってるわけじゃないし」
佳奈子は机に頬杖をつきながら答えた。
「バイトもバンドも続けたいんでしょ。だったら、空いてる日に来ればいいじゃん」
「そう言ってもらえると助かります。正直、バンドやめるつもりはないんで」
「やめなくていいよ。どっちもやればいいじゃん!」
みつみが当然のように言う。
「でも、ドラムって練習大変なんでしょ?」
「まあ、練習しないとうまくならないですから。でも楽しいんで、別に苦じゃないっす」
「ダンジョンも同じだね」
「そうなんですよ! この前、骨橋に行ってから、ずっとまた戦いたくて」
紗希はそこまで話して、ふと思い出したようにスマートフォンを取り出した。
「そうだ。あのあと、一回だけ短く潜ってみたんです。ファイターになったあと、どんな感じなのか確かめたくて」
「え、行ってたの?」
絵美里が驚く。
「言ったじゃん。ちょっとだけ行ってくるって」
「ちょっと練習してくる、くらいの話かと思ってた」
「ダンジョンの練習だよ。ちゃんと施設から入ったし」
紗希は笑いながら画面を見せた。
表示されているのは、ファイター、LV2。
「おお、上がってる!」
みつみが嬉しそうに声を上げる。
「はい! 《パワーストライク》も使ってみました。まだ普通に殴るのと何がどれくらい違うのか、ちゃんと分かってないですけど」
「じゃあ、次はもうちょっと強い敵と戦ってみる?」
千尋の言葉に、紗希の顔が明るくなった。
「行きたいです!」
「ちょっと千尋、いきなり強いところへ連れていくつもり?」
志帆が笑いながら口を挟む。
「大丈夫だって。私たちもいるし、紗希ちゃんが無理しないで戦えるところにするから」
「それならいいけれど、ファイターになったばかりなのは忘れないでね」
「はい。無茶はしません!」
元気よく答えた紗希の隣で、絵美里が少しだけ眉を上げた。
「ほんとに?」
「お前、そこ疑う?」
「骨橋で、モンスター見つけるたびに走っていこうとしてたじゃん」
「あのときは初めてだったから!」
「今もまだ二回しか行ってないでしょ」
「……それはそうだけど」
二人のやり取りを聞いて、みつみが楽しそうに笑う。
「エミリン、紗希ちゃんがいるといつもと違うね」
「そうですか?」
「うん。なんか、いっぱい言い返してる」
「先輩たちにも言い返してますけど」
「そんなことないよ。エミリン、いつも優しいよ」
佳奈子がさらりと言うと、絵美里は少しだけ嫌そうな顔をした。
「それ、絶対違う意味で言ってますよね?」
「どうかな」
笑い声の中で、紗希は改めて部室を見回した。
骨橋へ連れていってもらったときから、ここへ来るのは何度か考えていた。絵美里がいるから入りやすいというのも、もちろんある。
けれど、今はそれだけではなかった。
みんなでダンジョンの話をしていると、行ってみたい場所が増えていく。自分の知らないモンスターの名前が出てくるだけでも、どんな相手なのか気になる。
バンドの練習予定を考えるときとは、少し違う楽しみだった。
「じゃあ、改めてよろしくお願いします!」
紗希がもう一度頭を下げると、みつみが両手を上げた。
「これで六人!」
「人数だけなら、もう結構ちゃんとした部活だよね」
佳奈子が言う。
「活動内容もちゃんとしてると思うけど」
千尋が笑いながら返すと、志帆が頷いた。
「ダンジョンへ行って、戦って、探索しているんですもの。活動そのものは最初から十分でしょう」
「ただ遊びに行ってるだけとも言うけどね」
「佳奈子、それ言っちゃ駄目!」
みつみの抗議に、また笑い声が上がった。
◇
次の休日。
千葉市通尾区の駅から歩いてきた紗希は、目の前の建物を見上げたまま足を止めた。
「……え、これ?」
空へ伸びる細長い塔。
周囲の建物と比べても明らかに高いのに、横幅は驚くほど狭い。角度によっては、細い板が地面から突き出しているようにも見える。
「通尾ダンジョン。前に私たち五人でクリアしたところだよ」
千尋が説明すると、紗希は塔をもう一度見上げた。
「いや、写真は見たんですけど……実物、めっちゃ細くないですか? これ、中にちゃんとダンジョンあるんです?」
「あるよ。見た目よりずっと広い」
絵美里が答える。
「広いって、どういうこと? この幅で?」
「中へ入れば分かるって」
「絶対なんか変なやつじゃん」
紗希はそう言いながらも、楽しそうに塔の上へ視線を戻した。
今日の参加者は四人。
千尋、志帆、絵美里、そして紗希だ。
みつみと佳奈子は予定が合わず、今回は不参加になった。六人になったからといって、毎回全員が集まれるわけではない。
「それにしても、通尾って結構遠かったですね」
紗希がバッグを持ち直す。
「そう? 私は電車乗ってる時間も結構好きだけど」
千尋が答えると、紗希は笑った。
「いや、私も嫌いじゃないです。絵美里とずっと話してたし」
「ほとんど音楽の話だったけどね」
「お前も普通に話してたじゃん」
「話は聞いたけど、ドラマーの名前をそんなに並べられても分からないって」
「だから教えてたんだろ」
二人の会話を聞きながら、志帆が少し笑った。
「仲がいいのね。学校でもこんな感じなの?」
「まあ、だいたいこんな感じです」
紗希が答える。
「絵美里、先輩たちといると結構ちゃんとしてるじゃないですか。いつもそんな感じなんです?」
「いつもちゃんとしてるよ!」
「私の前でも、それくらい優しくしてくれていいんだぞ?」
「十分優しいでしょ」
絵美里が言い返し、千尋は二人を見て笑った。
「そろそろ行こっか。今日は上まで行きたいし」
施設で装備を整えたあと、四人は転送ゲートへ向かった。
紗希の手にはレンタルのメイスがある。
骨橋でも使った武器だが、今日は相手が違う。隣に立つ絵美里のタワーシールドも、前より大きく見える気がした。
「紗希ちゃん、緊張してる?」
千尋に聞かれ、紗希は少し考えてから頷いた。
「ちょっとだけ。でも、それ以上に楽しみです」
「なら大丈夫そうだね。最初は様子を見ながら行こ」
「はい!」
四人が転送ゲートへ入る。
景色が切り替わった瞬間、紗希は思わず周囲を見回した。
「……おお」
目の前には石造りの通路が続いていた。
細い塔の中にいるはずなのに、外から見た幅よりずっと広い。壁も床も灰色の石でできており、少し先には曲がり角がある。
「ほんとだ。全然、外から見た大きさじゃない」
「でしょ?」
絵美里が少し得意そうに答える。
「ここから先は迷路になってるよ。前に来たときも、結構歩いたんだから」
「マジか。塔の中で迷路って、なんか変な感じだな」
紗希は壁へ近づき、手のひらを当ててみた。
冷たい石の感触が返ってくる。
塔の外側を歩いていたときには想像できなかった景色が、目の前に本当に広がっていた。
「じゃあ、まず二階からね」
千尋が先頭へ出る。
絵美里がその少し後ろを歩き、紗希と志帆が続いた。
靴音が石の通路に響く。
紗希はしばらく前後を見回していたが、やがてメイスを持ち直した。
「……あの、私もちゃんと戦いたいんで、出られそうなときは言ってください」
「もちろん。今日はそのつもりだよ」
千尋が振り返って笑う。
「ただし、危ないと思ったら下がってね。無理に攻撃を当てなくてもいいから」
「はい!」
紗希の返事が、石壁に小さく反響した。
◇
最初の戦闘は、二つ目の分岐を越えたところで始まった。
先頭を歩いていた千尋が足を止め、左手を上げる。
「いる。ちょっと大きいゴブリン、一体」
四人が足音を抑えて角へ近づくと、通路の先に獣じみた姿が見えた。
普通のゴブリンより一回り大きく、前肢は太い。片方の前肢には大きな防具板が固定されており、その重さをものともしない様子で石床を踏んでいる。低く構えた身体の奥から、牙の並んだ口が覗いていた。
「ゴブリンガード。あの防具板が厄介なんだよね」
千尋が《黒月》を抜く。
「前から斬っても防がれやすいし、あれで殴られると結構重い。普通のゴブリンみたいにはいかないよ」
「……マジか。思ってたよりずっと強そうですね」
紗希はメイスを握り直した。骨橋で戦ったゴブリンとは、身体の大きさも構え方も違う。あの太い前脚で殴られたら、まともに受け止められる気がしなかった。
それでも、見ているだけで終わるつもりはない。
「あの、私もやりたいです。でも、最初は少し動きを見てから入ってもいいですか?」
「もちろん。紗希ちゃんが行けそうだと思ったら声かけて。無理に急がなくていいからね」
千尋が答えると、絵美里がタワーシールドを構えて前へ出た。
「まず私が受ける。紗希は横から見てて。あいつ、攻撃する前に身体の向きが変わるから、そこを見ておくといいよ」
「了解。絵美里も気をつけろよ」
「分かってるって」
絵美里は軽く笑ってから、ゴブリンガードへ向き直った。
志帆は紗希の少し後ろに立ち、左手首の黒銀のバングルへ指を添える。
「闇に堕ちし翼よ、我が友を護れ――《プロテクション》!」
淡い光が紗希の身体を包んだ。
「ありがとうございます。……お、来た!」
ゴブリンガードが石床を蹴った。
身体を低くしたまま一気に距離を詰め、防具板の付いた前肢を横から叩きつけてくる。
「《ガード》!」
絵美里のタワーシールドに防具板が激突した。
重い衝撃音が通路へ響く。絵美里は盾を傾けて勢いを逃がしたが、それでも靴底が石床を半歩滑った。
「うわ……!」
紗希は思わず声を漏らした。
ゴブリンガードは攻撃を弾かれても下がらなかった。前肢を床へ着き、今度は反対側から身体ごとぶつかってくる。
絵美里が盾の向きを変える。
二度目の衝撃を受け止めたところで、千尋が横へ抜けた。
《黒月》の刃がゴブリンガードの胴へ向かう。だが、相手は防具板の付いた前肢を素早く引き寄せ、斬撃を受け流した。
硬い音が鳴った。
「やっぱそこ守るよね」
千尋は深追いせず、すぐに距離を取る。
ゴブリンガードが追いかけようとしたところへ、絵美里が盾を押し出した。獣の前進が止まり、再び二人が向き合う。
紗希はその様子を見つめていた。
攻撃するときには防具板のある前肢が大きく動き、振り終わった直後には胴が少し開く。だが、板を引き戻す動きも速く、隙は思っていたよりずっと短かった。
「……あれ、普通に飛び込んだら殴られるな」
「そうね。攻撃のあとも、もう片方の前肢は動くもの。絵美里が正面を受けてくれている間なら、横から入れると思うけれど」
志帆が隣から答える。
紗希はもう一度ゴブリンガードの動きを見た。絵美里が防具板の攻撃を受け止め、千尋が横へ回ろうとしている。
「千尋先輩。次、私も行ってみたいです」
「いいよ。じゃあ私が横へ回るから、紗希ちゃんは反対側からね。危なそうなら下がって」
「はい!」
絵美里も二人の声を聞いて頷いた。
「私が正面を押さえる。紗希、相手の前脚もちゃんと見ててよ」
「分かってるって!」
ゴブリンガードが再び突進してくる。
絵美里は盾を斜めに構え、防具板を受け止めた。相手の前進が止まった瞬間、千尋が右側へ走る。
獣の視線がそちらへ動いた。
紗希も反対側から踏み込む。
「《パワーストライク》!」
メイスが胴へ向かう。
だが、ゴブリンガードは防具板を引き戻し、その一撃を受け止めた。
腕に重い反動が返ってくる。
「くっそ、またそこ!」
紗希がメイスを引こうとしたとき、ゴブリンガードの身体が沈んだ。反対側の前肢が大きく振り上げられる。
「紗希、下がって!」
絵美里の声に、紗希は反射的に後ろへ跳んだ。
目の前を太い前脚が通り過ぎる。
間一髪で避けられたが、ゴブリンガードは前肢を床へ着くと、すぐに身体を押し出してきた。
「まだ来るの!?」
紗希がさらに下がる。
その前へ絵美里が割り込み、突進を盾で受け止めた。
「だから、一回避けただけじゃ駄目なんだって!」
「分かった! 今のでめっちゃ分かった!」
絵美里が押し返している間に、紗希は距離を取り直した。
さっきの一撃は、完全に防がれた。
けれど、攻撃する場所が間違っていたわけではない。自分が踏み込んでから、相手が防具板を戻すまでの速さを読み違えたのだ。
今度はもう少し、相手の動きに合わせたい。
「……もう一回、やらせてください」
紗希が言うと、千尋は少し笑った。
「いいよ。今度は私が先に攻撃する。そのあとに入ってみて」
「はい!」
再び絵美里が前へ出る。
ゴブリンガードは低く唸りながら、防具板の付いた前肢を持ち上げた。
絵美里は真正面で受けず、盾を斜めに構える。
防具板が盾の表面を滑った。
相手の前肢が外側へ流れ、身体がわずかに傾く。
「今!」
千尋が踏み込んだ。
《黒月》の刃が、防具板のない側の胴を斬りつける。
ゴブリンガードが悲鳴を上げ、千尋の方へ身体を捻った。
その瞬間を、紗希は待っていた。
防具板が千尋の方を向いている。
こちら側の胴は、がら空きだ。
「そこっ!」
踏み込んだ紗希が、メイスを振り下ろす。
鈍い音が響いた。
打撃を受けたゴブリンガードの身体がぐらりと傾き、防具板を構え直そうとした前肢が石床へ落ちる。
「入った!」
紗希が声を上げる。
今度は確かに効いていた。相手が倒れるほどではないが、踏ん張ろうとした脚が一歩ずれ、姿勢が大きく崩れている。
志帆はその隙を見逃さなかった。
「今度は私も行くわ!」
紗希のすぐ横から一歩踏み込み、フレイルを振る。
鎖の先についた打撃部が弧を描き、防具板のない側の肩口へ叩き込まれた。
続けて受けた衝撃に、ゴブリンガードが大きくよろめく。
絵美里が盾を押し出した。
踏ん張りの利かない獣の身体が押し戻され、その胴が完全に開く。
「ここ!」
絵美里は盾を構えたまま、右手の片手剣を短く突き出した。
刃がゴブリンガードの側面へ入る。
獣の悲鳴が響いた。
「おおっ、絵美里も攻撃してる!」
紗希が思わず声を上げる。
「攻撃できるときはするって! それより、まだ終わってないよ!」
絵美里が剣を引く。
ゴブリンガードは苦しげに唸り、防具板の付いた前肢を持ち上げようとした。
だが、すでに体勢は崩れている。
「千尋先輩!」
「任せて!」
千尋が横へ駆けた。
防具板の届かない側へ回り込み、《黒月》を振り抜く。
黒い刃が深く入り、ゴブリンガードの身体が石床へ崩れ落ちた。
獣じみた輪郭が淡い光へ変わり、そのまま消えていく。
静けさが戻った通路で、紗希はメイスを握ったまま大きく息を吐いた。
「……やっべ。めっちゃ強かった」
「でしょ。中級者向けのモンスターだからね」
千尋が《黒月》を下ろす。
「でも、二回目はちゃんと攻撃できてたよ。最初に防具板へ当てちゃったときと、全然違った」
「いや、まだ全然っす。あの前脚、最後まで怖かったし。絵美里が来てくれなかったら、最初の攻撃で普通に殴られてました」
紗希はそう言って絵美里を見た。
「助かった。ありがと」
「いいって。でも、ちゃんと自分で下がれたじゃん。最初に骨橋で戦ったときよりは、だいぶ落ち着いてたと思うよ」
「そうかな。……まあ、最初のスライム相手にはめっちゃ焦ったもんな」
紗希は苦笑してから、絵美里の片手剣へ目を向けた。
「そういや、お前が攻撃するところ、ちゃんと見たの初めてかも。いつも盾持ってるイメージだったから」
「私だって剣は持ってるし。普段は守る方が忙しいから、あんまり使わないだけ」
「今日みたいに人数が少ないと、攻撃もするんだ?」
「できそうならね。もちろん、盾を使わなくていいわけじゃないけど」
絵美里がそう言って剣を鞘へ戻すと、志帆もフレイルの状態を確かめながら二人の方を見た。
「今回は遠距離攻撃がないものね。いつもより前衛で攻撃する機会が多くなるのは、自然なことだと思うわ」
「志帆先輩のフレイルもすごかったです。あれ、私が叩いたところへ続けて当てたんですよね?」
「ええ。紗希ちゃんの攻撃で相手が傾いたから、私もそこを狙えたのよ。あの距離なら、別の場所を狙うより確実だと思ったから」
志帆はそう答えてから、紗希のメイスをちらりと見る。
「同じ打撃武器でも、使い方はいろいろあるでしょう? 相手を倒すだけが役目ではないし、誰かの攻撃を助けることもできるわ」
「……それ、めっちゃいいですね」
紗希は自分のメイスを見下ろし、柄を握り直した。
骨橋では、とにかく目の前の敵へ攻撃を当てることに必死だった。
今日は違う。
敵がどう動くのかを見る。
いつなら自分が攻撃できるのかを考える。
誰かが作った隙へ踏み込み、自分の攻撃で次の隙を作る。
それが思っていた以上に面白かった。
「……次も、できれば前で戦いたいです」
紗希が顔を上げる。
千尋は笑って頷いた。
「もちろん。そのためにファイター選んだんでしょ?」
「はい!」
「じゃあ行こっか。まだ二階だし、先は長いよ」
千尋が通路の奥へ向き直る。
紗希はもう一度だけ、ゴブリンガードが消えた場所を見た。
さっきまであれほど大きく見えた相手は、もうどこにもいない。
代わりに、腕にはメイスを打ち込んだ感触が残っていた。
「……次は、もうちょいうまくやりたいな」
小さく呟いてから、紗希も三人の後を追った。
◇
二階の通路を進むうちに、紗希は何度も曲がり角の先を覗くようになった。
最初は千尋が立ち止まるたびに、何かいるのかと身構えていた。けれど、全部の角にモンスターがいるわけではない。何もない通路もあれば、行き止まりになって戻る場所もある。
「これ、前に来たときはどうやって進んだんですか?」
紗希が尋ねると、千尋は壁に手を添えたまま答えた。
「最初は普通に迷ったよ。地図もないし、どっちへ行けばいいか分からなかったから」
「今は覚えてるんです?」
「だいたいね。でも全部じゃない。前に通らなかった道もあるし、今日はちゃんと見ながら進むよ」
「千尋先輩、そういうの好きそうですね」
「好きだよ。知らない道を探すのも、前に通った道を覚えてるか確かめるのも面白いし」
千尋がそう言って曲がり角の先を覗くと、絵美里も通路の幅を確認した。
「ここ、前にゴブリンファイターがいたあたりじゃないですか?」
「そうだっけ?」
「たぶん。二階の途中で一度、ちょっと狭いところがあったでしょう?」
「ああ、あそこか。じゃあこの先かな」
二人の会話を聞いて、紗希は少し感心したように頷いた。
「なんか、ちゃんと攻略してる感じするな」
「ちゃんと攻略してるよ」
絵美里が振り返る。
「紗希、何だと思ってたの?」
「いや、ほら。絵美里が普段送ってくる写真って、休憩とかお菓子とか、変な場所のやつ多いじゃん」
「戦闘中は写真撮ってる暇ないでしょ」
「それはそうだけど。だから、もっとのんびり歩いてるのかと思ってた」
志帆が少し笑った。
「のんびりする時間もあるわよ。でも、戦うときはちゃんと戦わないと危ないもの。特に今日は、紗希ちゃんが初めて来るところだし」
「はい。気をつけます」
紗希が返事をしたところで、千尋が再び足を止めた。
「……今度は二体いる」
前方の通路にいたのは、低い姿勢で動くゴブリンファイター二体だった。片方の前肢には小型の盾、もう片方には幅広い刃物を固定するように持っている。
「さっきのガードとは違うやつですか?」
「うん。こっちは攻撃寄り。盾は小さいけど、剣を振ってくるから気をつけて」
千尋の説明を聞きながら、紗希はメイスを構えた。
最初の戦闘では、敵の動きを見てから参加した。
今度は最初から戦いたい。
そう思ったところで、絵美里が隣へ来た。
「紗希、右の方をお願いできる? 私が正面を受けるから、横へ回れそうだったら攻撃して」
「いいの?」
「そのために来たんでしょ。ただし、二体とも見ようとしなくていいからね」
「了解!」
千尋が左側のゴブリンファイターへ動き、絵美里は右側の攻撃を盾で受け止めた。
紗希は前へ出かけたが、すぐには踏み込まなかった。
小型の盾が絵美里へ向けられ、反対側の前肢が大きく振られる。
その攻撃が終わったところで、紗希は横からメイスを振った。
打撃は相手の胴を捉えたが、ゴブリンファイターは倒れず、すぐにこちらへ向き直った。
「うわ、速っ!」
反射的に下がった紗希の前へ、志帆が踏み込む。
「《フォースブロウ》!」
至近距離から放たれた魔力がゴブリンファイターを押し戻し、前肢の攻撃が空を切った。
そこへ絵美里が盾を押し出す。
ゴブリンファイターは体勢を崩し、紗希へ向けかけていた刃物を石床へ落とした。
「今なら!」
紗希がメイスを振り下ろす。
鈍い音とともに獣の身体が傾き、続けて絵美里の片手剣が胴へ入った。
最後にもう一度、紗希が《パワーストライク》を叩き込む。
ゴブリンファイターはその場へ崩れ、光になって消えていった。
左側では千尋がもう一体を倒したところだった。
「そっちは終わった?」
「終わりました!」
紗希は元気よく返事をしてから、志帆へ向き直った。
「さっき、ありがとうございました! あれ、めっちゃ助かりました」
「間に合ってよかったわ。紗希ちゃんも、最初の一撃のあとにちゃんと下がろうとしていたでしょう?」
「はい。でも、思ったより速くこっち向いてきて……」
「そういうときは、無理に続けて攻撃しなくていいのよ。今みたいに一度離れて、もう一回機会を作ればいいんだから」
紗希は頷きながら、さっきの動きを思い返した。
一撃当てたら、次もすぐに当てたくなる。
けれど、相手だって黙って殴られているわけではない。
最初の一体目で分かったつもりだったことが、二体目では思うようにできなかった。
「……難しいけど、面白いですね」
「それなら何よりね」
志帆はフレイルを持ち直し、通路の先へ目を向けた。
四人はそのあとも分岐を確かめながら進み、途中で休憩を挟んで三階へ上がった。
三階も石造りの通路が続いていたが、途中から壁の形が少し変わる。柱の間隔が広がった場所もあれば、角を曲がった途端に細くなる道もある。
「ここ、さっきと似てない?」
紗希が立ち止まる。
「似てるけど違うよ。さっきのところは右に曲がったあと、すぐ次の分岐があったでしょ」
千尋が答えると、紗希は後ろを振り返った。
「……あったっけ?」
「紗希、戦闘のことばっか考えてたでしょ」
絵美里が笑う。
「いや、そりゃ考えるだろ。さっきのゴブリン、まだ腕に感触残ってるし」
「それは分かるけど、道も見てないと迷うよ」
「お前がいるから大丈夫かと思ってた」
「私だけに任せないでよ」
二人が笑いながら言い合っていると、千尋が前を見たまま左手を上げた。
「ちょっと待って。今度は、あっち」
曲がり角の向こうから、硬いものが石床を擦るような音が聞こえた。
千尋がそっと覗き込む。
「ブレードマンティス。一体いる」
「カマキリのやつですか?」
「そう。人間くらいあるから、初めて見ると結構びっくりすると思う」
紗希は顔を覗かせかけて、すぐ引っ込めた。
「……いや、ちょっと待ってください。人間くらいあるカマキリって、普通に怖くないですか?」
「怖いよ。でも格好いいでしょ」
「まだ見てないんで何とも!」
千尋が笑ったところで、曲がり角の向こうから細長い前脚が現れた。
続いて、人間ほどの大きさの緑褐色の身体。
大きな鎌を二本持ったブレードマンティスが、四人へ向き直った。
「……うわ、マジででかい!」
紗希は思わず声を上げた。
ブレードマンティスが鎌を持ち上げる。
絵美里が盾を構えた。
「来るよ!」
振り下ろされた鎌が、タワーシールドの縁を叩いた。
絵美里は一歩下がりながら衝撃を受け流したが、ブレードマンティスはもう片方の鎌を続けて振り下ろしてくる。
千尋が横へ走り、相手の側面から《黒月》を振った。
刃が脚の付け根を捉える。
ブレードマンティスは身体を傾けたものの、倒れずに向きを変えた。
「紗希ちゃん、右から入れる?」
「はい!」
紗希が踏み込む。
だが、ブレードマンティスの鎌が予想より大きく横へ振られ、メイスを構えたまま足を止めた。
「うわっ!」
そこへ志帆が動く。
「《フィジカルブースト》!」
短くスキルを発動すると、志帆は紗希の前へ素早く踏み込み、フレイルを振った。
鎖の先が鎌の付け根付近へ当たる。
ブレードマンティスの前脚がわずかに逸れ、紗希の前を通り過ぎた。
「今、下がって!」
「はい!」
紗希が距離を取る。
志帆はそのまま追撃せず、すぐ絵美里の盾が届く側へ戻った。
「ちょっと、志帆先輩、今のすごくないですか!?」
「感想はあとでいいわ。まだ終わってないもの」
「ですよね!」
絵美里がブレードマンティスの攻撃を受け止め、千尋が側面へ回る。
紗希は一度、呼吸を整えた。
鎌は長い。
だから、懐へ入ればいいというほど単純ではない。近づく前に横から振られるし、一度避けてももう片方が飛んでくる。
それでも、絵美里の盾へ二本の鎌が向いているときなら、相手の胴へ届くかもしれない。
「絵美里! 次、私も入るから!」
「分かった。じゃあ、あいつが私へ攻撃してきたらね!」
ブレードマンティスが鎌を高く持ち上げた。
絵美里が盾を構え直す。
一本目が盾を叩き、続けて二本目が横から振られた。
絵美里がそれを受け止めた瞬間、紗希は横から踏み込んだ。
「《パワーストライク》!」
メイスが細長い胴へ当たる。
ブレードマンティスの身体が横へ傾き、脚の位置がずれた。
千尋はその動きを見ていた。
《黒月》が、先ほど傷を入れた脚の付け根を斬りつける。
支えを失ったブレードマンティスは大きく傾き、最後に絵美里の盾で押し戻されると、石床へ倒れ込んだ。
千尋がもう一撃を加える。
ブレードマンティスの身体が光になり、ゆっくり消えていった。
「……っしゃ!」
紗希がメイスを持ち上げる。
「今の、ちゃんと当たりましたよね!」
「当たってたよ。いいタイミングだった」
千尋が笑う。
「さっきより、入り方よくなってたね」
「マジっすか! ありがとうございます!」
紗希は嬉しそうに笑ってから、ふと思い出したようにスマートフォンを取り出した。
「そうだ。そろそろレベル、どうなってるかな」
画面を開く。
少しだけ指が止まった。
「……あれ?」
「どうしたの?」
絵美里が覗き込む。
「三になってる」
「え、上がったの?」
「うん。ファイター、LV3!」
紗希は画面を見せた。
絵美里が笑顔になる。
「おめでとう! 中級者向けだから経験値も多かったんじゃない?」
「そうかも。……あ、待って。スキル増えてる!」
紗希が取得スキルを開いた。
「《ブレイク》……敵の体勢を大きく崩す近接攻撃。威力は普通に攻撃するより少し低い……?」
「へえ、面白そう」
千尋が横から画面を覗く。
「さっき紗希ちゃんがメイスで相手の体勢崩してたでしょ。あれをもっとやりやすくする感じかな」
「たぶん、そうだと思います」
紗希は説明をもう一度読んだ。
「普通に殴るよりダメージ低いのか。でも体勢崩せるなら、次の攻撃につなげられますよね」
「ええ。紗希ちゃんには合っているかもしれないわね」
志帆が言う。
「相手を倒すための攻撃と、仲間が攻撃するための攻撃。使い分けができれば、戦い方の幅も広がるでしょうし」
「じゃあ、次にモンスター出てきたら試してみたいです」
紗希が顔を上げる。
「いいよ。ただ、最初からうまく使えるとは限らないから、無理して狙わないでね」
千尋の言葉に、紗希は大きく頷いた。
「はい!」
スマートフォンをしまうと、紗希は改めてメイスを握り直した。
骨橋でファイターになったときには、とにかく強く攻撃できるジョブがいいと思っていた。
もちろん、今もそれは変わらない。
でも、さっきの戦いでは、自分が相手を倒したわけではなくても、ちゃんと役に立てた気がする。
新しく増えたスキルは、その楽しさをもう少し広げてくれそうだった。
◇
三階の途中で休憩を取ったあと、四人はさらに上を目指した。
紗希はベンチ代わりになる石の段差へ腰を下ろし、水筒のお茶を飲みながら、さっきの戦闘を思い返していた。
「しかし、志帆先輩ってヒーラーなんですよね」
唐突な言葉に、志帆が顔を向けた。
「そうよ?」
「いや、さっき普通に前へ出てたじゃないですか。なんか、ヒーラーって後ろで回復してるイメージがあったんで」
「基本的には間違っていないわ。でも、私の今のスキルなら、近くにいる仲間を助ける方法がほかにもあるのよ」
志帆はフレイルを膝の横へ置き、少し考えながら続けた。
「もちろん、誰かが怪我をしたら回復するのが優先。でも、怪我をする前に止められる攻撃なら、止めた方がいいでしょう?」
「……確かに。それ、めっちゃ頼もしいです」
「ただし、いつでも前へ出られるわけではないのよ。さっきも絵美里が受けてくれていたから、私が動けたんだし」
志帆はそう言って、向かいに座る絵美里を見た。
「本当に助かっているわ。今日はいつもより受ける回数も多いもの」
「私は大丈夫です。盾を使うためにディフェンダーやってるので」
絵美里はそう答えてから、自分の右手を軽く開いた。
「でも、今日は剣を使う機会もありますね。普段の五人だと、千尋先輩とみつみ先輩、佳奈子先輩が攻撃してくれるので、私は防御に集中できるんですけど」
「今回は遠距離攻撃がないからね」
千尋が水筒をしまいながら頷く。
「だから、エミリンも志帆も攻撃できそうなところでは参加した方がいいと思う。私と紗希ちゃんだけで倒そうとすると、どうしても時間かかるし」
「そうですね。盾を離していい場面なら、私も剣を使います」
絵美里が答える。
「ただ、紗希が前へ出てる間は、すぐ戻れる位置にいるつもりです」
「分かってるって。無茶しないから」
「そう言って、さっきカマキリの鎌に突っ込みかけたじゃん」
「あれは思ったより長かったんだって!」
「だから気をつけてって言ったのに」
紗希は少し言い返しかけたが、結局笑ってしまった。
「……次はちゃんと見ます」
「うん。それならいい」
二人のやり取りに、千尋も志帆も笑った。
四人が再び歩き始めると、通路の先に上へ続く階段が見えてきた。
「ここ上がると、鏡のところだよ」
千尋が言う。
「鏡?」
「うん。壁が鏡になってる場所」
「……え、それも塔の中ですか?」
「そう。紗希ちゃん、たぶん気に入ると思うよ」
「マジっすか。じゃあ楽しみにしときます」
そう言いながら階段を上りきった紗希は、目の前の光景に足を止めた。
「……うわ、何これ」
壁一面が鏡になっていた。
正面にも左右にも、同じような石床の通路が続いて見える。鏡の中には四人の姿が映り、その奥にも、さらに同じ四人がいる。
紗希は少し歩いてから振り返った。
「待って、これ、どこまで本物なんです?」
「そこが分かりづらいんだよね」
千尋が笑う。
「前に来たときも、最初は結構迷ったよ」
「いや、普通に迷いますって。だって、こっちも道に見えるし……」
紗希は右側へ手を伸ばした。
指先が、つるりとした鏡面へ当たる。
「あ、壁だ」
「そっちは壁」
絵美里が笑う。
「分かってるよ。今分かったんだって!」
紗希は反対側へ向き直り、今度はそちらへ手を伸ばす。
何も触れない。
そのまま一歩進むと、確かに通路が続いていた。
「……これ、めっちゃ面白いな」
紗希は振り返って三人を見た。
「絵美里、ちょっとこっち来てみ」
「何?」
「いいから。そこ立って」
絵美里が言われた場所へ立つ。
紗希は少し横へ動き、鏡の奥へ並ぶ絵美里の姿を見つけた。
「やば。絵美里、めっちゃ増えてる」
「増えてないから」
「いや、ほら。あっちも、あっちも絵美里じゃん」
「全部映ってるだけでしょ」
「分かってるって。でもすごくない?」
紗希はスマートフォンを取り出し、何枚か写真を撮った。
鏡の中に並ぶタワーシールド。
その隣に映る紗希自身のポニーテール。
角度を変えるたびに、同じ二人が違う場所へ移動して見える。
「これ、みつみ先輩がいたら喜びそうですね」
紗希が言うと、千尋が頷いた。
「前に来たときも、いっぱい写真撮ってたよ。何が映ってるのか分かんなくなるくらい」
「その写真、私も見ました。ちょっと分かんなかったです」
絵美里が苦笑する。
「今日は紗希も似たような写真撮ってるじゃん」
「だって面白いんだもん」
「ほらね」
絵美里が笑うと、紗希はスマートフォンをしまった。
鏡の奥へ伸びる通路は、少し進むだけで景色が変わる。
自分たちの姿が何人にも増えたり、先があると思った場所に壁があったりする。そのたびに紗希は足を止め、今度はどこが本当の道なのかを確かめた。
千尋は前に通ったルートを思い出しながら進んでいたが、ときどき紗希が見つけた横道にも付き合った。
「こっち、前に行きませんでした?」
絵美里が尋ねると、千尋は少し考えてから頷いた。
「行ったと思う。でも、あの角の先までは見てないかも」
「じゃあ、ちょっとだけ見てみません?」
紗希の提案に、千尋が笑った。
「いいよ。時間もまだあるし」
四人が横道へ入る。
曲がり角を越えたところで、千尋が急に足を止めた。
「……待って」
鏡の奥に、黒い影が映っていた。
最初は四人の誰かの姿かと思った。だが、影は誰とも同じ動きをしていない。
腕のようなものが細く伸び、鏡の中でゆっくり形を変えている。
「……あれ、何です?」
紗希が声を落とした。
「ミラーレイス。ここに出るモンスターだよ」
千尋が《黒月》を抜く。
「鏡に映ってるからって、そこにいるとは限らない。ちゃんと本体を見ないと」
紗希はメイスを構えた。
黒い影が鏡の中で揺れた。
次の瞬間、通路の奥から人型の影が姿を現した。
「うわっ!」
紗希が一歩下がる。
ミラーレイスは石床の上を滑るように進み、細い腕を伸ばしてきた。
絵美里が盾を前へ出す。
腕がタワーシールドへぶつかり、黒い影が横へ流れた。
「紗希、後ろ!」
絵美里の声に、紗希が振り返る。
鏡には別のミラーレイスが映っていた。
けれど、足元の石床には何もいない。
「……あ、そっちは映ってるだけか!」
「そう! そっちじゃなくて、こっち見て!」
絵美里が盾で本体を押し戻す。
紗希は改めて正面を向いた。
ミラーレイスの姿は、鏡の中で何重にも映っている。腕を動かすと別の方向からも腕が伸びてくるように見え、少し目を離すだけで本体の位置が分かりにくくなった。
千尋が一歩横へ動く。
黒い影の注意がそちらへ向いた。
「紗希ちゃん、こっちの本体を見て。鏡の中は気にしなくていいから」
「はい!」
紗希は目の前の一体へ視線を絞った。
ミラーレイスが絵美里の盾へ腕を伸ばす。
絵美里は受け止めながら、横へ押し流した。
黒い影の身体が傾く。
「……今なら!」
紗希が踏み込んだ。
「《ブレイク》!」
メイスがミラーレイスの胴へ当たる。
鈍い手応えとともに、黒い影の身体が大きく傾いた。
紗希は一瞬、驚いてしまった。
さっきまでの《パワーストライク》とは違う。
強く叩き込んだという感触よりも、相手の姿勢を大きく崩した感覚の方がはっきりしていた。
「おっ……!」
ミラーレイスが身体を立て直そうとする。
だが、その前に千尋が踏み込んだ。
《黒月》の刃が黒い胴を斬り抜ける。
ミラーレイスが大きく揺れ、鏡の中の影も一斉に形を崩した。
なおも腕を伸ばそうとしたところへ、志帆が一歩近づいた。
「《フォースブロウ》!」
至近距離から放たれた魔力が黒い影を押し戻す。
絵美里は盾で進路を塞ぎ、千尋がさらに斬りつけた。
ミラーレイスの輪郭がほどけ、黒い身体が光へ変わって消えていく。
鏡に映っていたいくつもの影も、一緒に消えた。
「……倒した?」
紗希がメイスを下ろす。
「倒したよ」
千尋が答えると、紗希は大きく息を吐いた。
「うわー……これ、めっちゃ分かりづらいですね。鏡の中のやつまで動いてるから、どこ殴ればいいのか一瞬分かんなかったです」
「そうなんだよね。前に来たときも、そこが厄介だった」
千尋が《黒月》を鞘へ戻す。
「でも、《ブレイク》ちゃんと当たってたよ。あれ、結構大きく崩せるんだね」
「はい! 自分でもびっくりしました。普通に殴るのと、感触が全然違って……」
紗希はメイスを見下ろした。
「これ、結構好きかもしれないです」
「さっきのカマキリみたいな相手にも使えそうね」
志帆が言う。
「ただ、攻撃するために近づく必要があるのは変わらないから、そこは気をつけてね」
「はい。次もちゃんと相手見て使います」
紗希が答えると、絵美里が隣で笑った。
「またすぐ試したくなってるでしょ」
「そりゃそうだろ。新しいスキルだぞ?」
「分かるけど、何でもかんでも《ブレイク》すればいいわけじゃないからね」
「それくらい分かってるって」
言い返しながらも、紗希はもう一度メイスを見た。
敵を強く殴る。
それだけでも十分に楽しかった。
けれど、自分の攻撃で相手の体勢が崩れ、そこへ千尋の剣が届いた瞬間は、また違う気持ちよさがあった。
自分が倒したわけではない。
それでも、あの一撃がなければ、同じタイミングでは攻撃できなかったかもしれない。
「……これ、もっと練習したいな」
紗希が小さく呟く。
絵美里は聞こえていたらしく、少し笑った。
「じゃあ、次に一緒に行くときもやればいいじゃん」
「おう。付き合ってくれよ」
「予定が合えばね」
「そこは合わせろよ!」
「紗希が言う?」
二人の声が鏡の通路へ響いた。
◇
鏡の区画を抜けたあとも、四人は何度か分岐を確かめながら進んだ。
以前通った道を千尋が覚えていたおかげで、大きく迷うことはなかった。それでも、鏡に映った通路と本当の通路を見分ける場面では、紗希も何度か壁へ手を伸ばしている。
「……これ、慣れても間違えそう」
紗希が呟くと、絵美里が頷いた。
「私も前に来たとき、何回か間違えたよ」
「お前が?」
「私だって間違えるって」
「いや、なんか全部覚えてそうだから」
「そんなことないよ。千尋先輩の方が、こういうの得意だし」
絵美里が前を歩く千尋を見る。
千尋は少し振り返って笑った。
「私も最初は迷ったよ。ただ、前に来たときのことを思い出しながら歩いてるだけ」
「それがすごいんですよ」
紗希はそう言ってから、通路の先へ目を向けた。
「でも、もう一回来たら、私もちょっとは覚えてるかな」
「覚えてると思うよ。今日、結構あちこち見てたし」
千尋の答えに、紗希は嬉しそうに笑った。
やがて、鏡の壁が途切れた。
その先には、少し広い石造りの通路が続いている。
「あ、ここだ」
千尋が足を止める。
「もうすぐゴールだよ」
「え、マジっすか?」
紗希は通路の先を覗いた。
奥には、ほかの通路とは違う大きな扉が見えている。
石の表面に細い模様が刻まれ、周囲の壁よりも少し明るい色をしていた。
「ここまで来れば、あとちょっと」
絵美里も扉を見て頷いた。
紗希は少しだけ歩く速度を上げたが、すぐに三人の方を振り返った。
「……でも、まだ何か出ます?」
「出るかもしれないし、出ないかもしれないね」
千尋が答える。
「最後まで周りは見ておこう」
「了解です!」
四人は通路の奥へ進んだ。
幸い、ゴールまでに新たなモンスターと遭遇することはなかった。
扉の前へ到着すると、紗希は改めてそれを見上げた。
「……おお」
「ここがゴール」
千尋が言う。
「前に来たときも、ここまで結構歩いたんだよね」
「ほんとに迷路だったもんね」
絵美里が笑う。
紗希は扉へ手を伸ばした。
触れると、冷たい石の感触が返ってきた。
さっきまでモンスターと戦っていたのに、最後はこんなふうに扉へたどり着く。
骨橋とは全然違うダンジョンだった。
「……開けてもいいですか?」
紗希が振り返る。
「もちろん」
千尋が頷く。
「今日は紗希ちゃんの初クリアだし」
「じゃあ、失礼して!」
紗希が扉を押した。
重そうに見えた石扉は、思ったより滑らかに動いた。
向こうには小さな部屋があり、その奥に淡い光が浮かんでいる。
紗希は一歩、中へ入った。
スマートフォンが短く振動する。
画面には、見覚えのある表示が現れていた。
《通尾ダンジョンをクリアしました》
その下へ、続けて文字が表示される。
《初回クリア経験値ボーナス獲得》
「……おお!」
紗希が声を上げた。
「クリアだ!」
「おめでとう!」
絵美里が笑う。
「中級者向け、初クリアだね」
「はい! いや、めっちゃ嬉しいです!」
紗希はスマートフォンを持ったまま、三人を見回した。
骨橋で初めてダンジョンをクリアしたときも嬉しかった。
でも、今回は戦い方が違った。
強いモンスターに戸惑い、自分の攻撃を防がれ、それでも何度かやり直して、最後には新しいスキルまで使った。
初めて見た鏡の通路も、今までとは違う面白さがあった。
「そうだ、レベル!」
紗希は慌ててステータス画面を開いた。
表示された数字を見て、目を丸くする。
「……え?」
「どうしたの?」
千尋が覗き込む。
「四になってる」
「え、ほんと?」
「はい! ファイター、LV4!」
紗希が画面を見せる。
「うわ、今日だけで二つ上がった!」
「やったじゃん!」
絵美里が嬉しそうに笑った。
「初回クリアの経験値ボーナスも入ったからね。紗希、今日かなり頑張ってたし」
「いや、でも、こんなに上がるとは思わなかった」
紗希は何度も画面を確認した。
新しいスキルは増えていない。
それでも、ファイターになってからまだそれほど経っていないのに、もうLV4だ。
「……次、五じゃん」
紗希が小さく呟く。
千尋が笑った。
「そうだね。でも、今日みたいに毎回上がるとは限らないよ」
「分かってます。……いや、分かってるんですけど、ちょっと楽しみになっちゃいますね」
紗希は笑いながらスマートフォンをしまった。
絵美里も自分のステータスを開く。
「私は十二のままです」
「私も十五のまま」
千尋が答え、志帆も頷いた。
「私も十四ね。前に来たときにクリアしているから、今回は初回ボーナスもないし」
「そうなんですね。でも、先輩たち、全然レベル上がってなくても楽しそうでしたよね」
紗希が言うと、千尋は少し不思議そうな顔をした。
「そりゃ楽しかったよ。そもそも、レベル上げが目的でダンジョンに来てるわけじゃないからね。もちろん上がったら嬉しいけど、今日は紗希ちゃんと一緒に来たかったし、前と違うメンバーで攻略するのも面白かったから」
「私も楽しかったわ。普段とは違う位置で戦う機会もあったし、紗希ちゃんの新しいスキルも見られたもの」
志帆が答える。
絵美里はタワーシールドを少し持ち上げた。
「私は、今日は結構剣も使ったからね。いつもと違って、ちょっと新鮮だった」
「お前、普通に格好よかったぞ」
紗希が言う。
「ありがと。でも、紗希も頑張ってたじゃん。特に最後の《ブレイク》、ちゃんと使えてたし」
「いや、あれは千尋先輩が教えてくれたからで……でも、楽しかった。めっちゃ」
紗希はそこまで言ってから、もう一度ゴールの部屋を見回した。
四人でここまで来た。
誰か一人が特別に強かったわけでも、自分が全部の敵を倒したわけでもない。
でも、自分も確かにその中にいた。
「……入部してよかったです」
ぽつりと口にすると、絵美里が顔を向けた。
「何、急に」
「いや、普通にそう思っただけ。次も来たいなって」
「だったら、また来ればいいじゃん」
「うん。今度はバンドの予定、ちゃんと確認してからな」
「最初からそうしてよ」
絵美里が笑う。
千尋は二人のやり取りを聞きながら、帰還ゲートへ目を向けた。
「じゃあ、そろそろ戻ろっか。帰りに何か食べていく?」
「行きたいです!」
紗希が即答する。
「私、今日かなりお腹空いてるんで」
「ずっと戦ってたものね。私も何か食べたいわ」
志帆が頷いた。
「じゃあ、駅の方で探そっか。前に来たときのお店でもいいし、違うところでもいいし」
千尋がスマートフォンを取り出すと、絵美里も横から画面を覗いた。
「紗希、何食べたい?」
「んー……肉?」
「ざっくりしすぎ」
「だって腹減ってんだもん。がっつり食いたい」
「じゃあ、駅まで歩きながら探そ。帰りの電車の時間も見たいし」
絵美里が言う。
「お前、そういうとこほんとちゃんとしてるよな」
「紗希が何も考えてないだけでしょ」
「考えてるって。今、何食べるか考えてるだろ」
「それだけじゃん」
二人の言い合いを聞きながら、千尋と志帆も笑った。
◇
ダンジョン施設へ戻って装備を片づけると、外はまだ明るかった。
塔の前へ出た紗希は、改めて上を見上げた。
細長い建物は、来たときと何も変わっていない。
けれど、あの中にどんな通路が続き、どんなモンスターがいて、最後にどんな部屋があるのか、今は自分でも知っている。
「……やっぱ細いな」
紗希が呟くと、千尋が笑った。
「中へ入ったあとに見ると、余計に変な感じするでしょ」
「しますね。あの中にあんなに広いところがあるって、やっぱ信じられないです」
「また来たい?」
「来たいです。今度はもうちょっと道覚えて、鏡のところも迷わず歩けるようになりたいですね」
紗希はそう言ってから、少し考えた。
「……でも、別のダンジョンも行きたいかも」
「いっぱいあるよ。行ったことないところ」
千尋の言葉に、紗希の顔が明るくなった。
「マジっすか。じゃあ、次の予定決めるとき、私にも教えてください!」
「もちろん。もう部員なんだから」
「……そうでした」
紗希が笑う。
絵美里はその隣で、スマートフォンを取り出していた。
「そうだ。今日の写真、グループに送っとこ」
「あ、私も撮った!」
紗希が慌てて自分の画面を開く。
「鏡のとこ、めっちゃいい感じに撮れてるんだよ。ほら、絵美里がいっぱい映ってるやつ」
「またそれ?」
「だって面白いじゃん。これ絶対みつみ先輩、好きだと思う」
「それは私も思うけど」
絵美里が笑う。
紗希は写真を選び、ダン活部のグループチャットへ送信した。
少しして、画面に返事が表示される。
『みつみ:エミリンいっぱい!!』
「ほら!」
紗希が画面を見せる。
「やっぱり!」
その直後、佳奈子からもメッセージが届いた。
『佳奈子:紗希ちゃん、初通尾どうだった?』
紗希は少し考えてから、短く返信した。
『紗希:めっちゃ楽しかったです! LV4になりました!』
送信して、すぐにもう一つ付け足す。
『紗希:次は6人で行きたいです!』
画面を見ていた絵美里が、隣で少し笑った。
「ほんと、入ってくれてよかった」
「何だよ、急に」
「別に。そう思っただけ」
「……お前もさっきの私と同じこと言ってんじゃん」
「そうかもね」
二人が笑っていると、少し前を歩いていた千尋が振り返った。
「二人とも、行くよ。ご飯のお店、こっちにありそうだって」
「はい!」
紗希が返事をして、絵美里と並んで歩き出す。
手にはまだ、ダンジョンで使ったメイスの感触が残っていた。
新しいスキルも覚えた。
次はもっと上手く戦いたいし、まだ見たことのないモンスターとも戦ってみたい。
もちろん、バンドの練習もある。
アルバイトの予定だって、これからも簡単には減らせない。
それでも、次にダンジョンへ行ける日を考えるのが、今は少し楽しみになっていた。
今日ここに来なかった二人からも、またメッセージが届いていた。
紗希はその画面をちらりと見てから、三人の後を追った。




