第105話 末吉、寄り道、大吉日和
大晦日の午後、みつみのスマートフォンに、佳奈子から写真が送られてきた。
『クリダンの写真、やっと整理した』
続けて届いたのは、雪の街に並ぶ五人の姿だった。青い街灯を背にしたもの、窓に映り込んだもの、休憩中に誰かがパンを頬張っているもの。中には、絵美里のタワーシールドが大きすぎて、みつみの顔が半分隠れている一枚まである。
『これも残したの!?』
『私、結構好きなんだけど』
佳奈子の返事のすぐあとに、絵美里から『それは消してもいいと思います』と届いた。
『エミリンが一番よく写ってるじゃん』
『盾が、です!』
千尋が笑い転げるスタンプを送り、志帆は別の写真に反応した。雪道の端に下がっていた、鈴のような飾りの拡大写真だった。
『これ、撮ってくれてたのね。ありがとう。帰ってから気になって調べたんだけど、今年の写真でも似た飾りがほかの区画にあったみたい』
『まだ調べてるの?』
『気になるものは気になるの』
みつみはそのやり取りを眺めながら、一枚ずつ写真を保存していった。街の景色はどれも綺麗だったけれど、気づけば選んでいるのは、誰かが変な顔をしていたり、何かを指さしていたりする写真ばかりだ。
『そういえば、年明けってみんな何してる?』
送ってみると、返事はすぐに揃わなかった。千尋は家族の予定があり、志帆にも出かける日がある。佳奈子は三が日くらいは家でゆっくりしたいという。
『じゃあ、みんな空いてる日に初詣行かない?』
『それなら行きたい。朝早くなければ』
佳奈子の条件に千尋が『正月から七時集合はしないよ』と返したところで、絵美里から予定の空いている日が届いた。
ダンジョンの行き先を決めるときと大して変わらない調子で、五人の新年最初の予定が決まった。
◇
三が日が過ぎた頃、五人は駅から少し歩いたところにある神社で待ち合わせた。
空はよく晴れていたが、風が吹くたびに頬が冷たい。参道の両側には屋台が並び、甘い匂いや焼けた醤油の匂いが、人の流れに混じって漂っていた。
「思ったより混んでるね。もうお正月も終わりかけなのに」
最後に合流したみつみが、鳥居の向こうを覗き込んだ。手袋をしていても指先が冷えるらしく、肩をすくめながらポケットへ手を戻している。
「最初の三日よりは空いてるんじゃない? たぶん」
千尋はそう言ってから、鳥居の脇に貼られた境内の案内へ目を向けた。参拝の列は本殿の前で折り返しているが、奥のおみくじ売り場はそれほど混んでいない。
「とりあえずお参りして、そのあとどうするか決めよっか」
「賛成。私、もう何か食べたいんだけど」
「まだ来たばっかりでしょ」
佳奈子は屋台の方を見たまま答えた。
「だってあそこ、焼きたてって書いてある。帰りに売り切れてたら嫌じゃん」
「だったら先に買ってもいいんじゃない?」
志帆が言うと、佳奈子は少し考えた末に首を振った。
「いや、持ったまま並ぶのも面倒だし、帰りにする。何があるかだけ覚えとこう」
そう決めて、五人は参道へ向かった。
鳥居をくぐり、砂利の道へ入る。周囲では家族連れが写真を撮り、小さな子供が親に手を引かれている。赤い提灯が並んでいるところまで進むと、参道の先に拝殿の屋根が見えてきた。
「ねえ、あれって弓で使うやつ?」
みつみが立ち止まったのは、授与所に長い矢が並んでいたからだった。羽根の付いた白い矢が、袋に収められて立ててある。
「破魔矢ね。魔除けのお飾りよ」
志帆が答えるより早く、みつみは佳奈子の腕を軽く引いた。
「佳奈子、あれ持ってダンジョン行ったらどうなるかな」
「持ってかないよ。私、ちゃんと弓あるし」
「そうじゃなくて、モンスターに効くのかなって」
「神社の人も、そういう使い方は想定していないと思いますけど……」
絵美里はそう言いながら矢を見上げた。しばらく眺めたあと、小さく付け足す。
「でも、見た目は綺麗ですね。ああいう飾り方は、ちょっと好きです」
「エミリンも欲しい?」
「部屋に飾るなら、です。ダンジョンには持っていきません」
先回りして言われ、みつみは笑って手を離した。
参拝の列に加わると、進むのは少しずつだった。前の家族が手を合わせ、その隣で別の人が一礼する。列の中で誰かがスマートフォンを見ている間も、人はゆっくり前へ動いていく。
「去年の今頃って、何してたっけ」
佳奈子がマフラーの位置を直しながら言った。
「私は東北に行ってた。父方の実家の方」
千尋が答える。
「あ、そこで一人でダンジョン行ったんだよね」
「そうそう。知らないところだったから、近くにあるって分かったら行きたくなっちゃってさ。今年も何か面白い場所ないかなって探してたけど、結局みんなとこっちに来た」
「初詣とダンジョンを同じ候補にしてたの?」
志帆が横から聞くと、千尋は少し笑った。
「別に二つとも行ってもいいじゃん。今日はこっちだけど」
「そうだね。私も正月にちょっと調べたよ。まだ行ってないダンジョン、結構あるんだなって」
みつみが頷く。
そこで話は、近いうちに行けそうな場所のことに移った。去年の後半に行ったダンジョンの話も出たが、誰も今すぐ次の予定を決めようとはしない。混み具合やお金の話になったかと思えば、隣を通り過ぎた子供の持つ大きな風船へ、みつみの注意が移ってしまう。
「……みつみ、聞いてる?」
「聞いてる! 次の休みはまだ決めないんでしょ?」
「そうだけど。何見てたの?」
「あの風船、すごい大きくない?」
みつみが指さした方を見て、千尋まで笑った。
ちょうど列が前へ進んだ。五人も歩きだし、ほどなく拝殿の前へ着く。
順番に賽銭を入れて、鈴の音が響く中、それぞれが手を合わせた。
みつみは目を閉じてから、何をお願いするか少しだけ迷った。行きたい場所はたくさんあるし、試したい魔法も、また会いたい景色もある。全部を一度にお願いするのも何か違う気がして、結局ひとつだけにした。
顔を上げると、隣では絵美里も手を下ろしたところだった。志帆が少し遅れて一礼し、先に済ませていた千尋と佳奈子が、邪魔にならない場所で二人を待っている。
「何お願いしたの?」
みつみが尋ねると、絵美里は首を傾げた。
「言ってもいいんですか、こういうの」
「別に言わなくていいよ。私も言わないし」
「じゃあ、聞かないでください」
「どんな顔するかなって思って」
「もう……」
絵美里は呆れたように息をついたが、笑っていた。
◇
「おみくじ、引かない?」
本殿から離れたところで、今度は千尋が足を止めた。
「私、引く。去年は引かなかったから」
「私はいいかな。こういうの、結果気になっちゃうし」
佳奈子は少し離れたところにあった椅子へ腰掛けた。参道を歩く人を眺めながら、スマートフォンで屋台の写真を撮っている。
千尋とみつみがおみくじを引くあいだ、志帆は棚に並ぶ授与品を眺めていた。色の違う小さなお守りが吊るされ、それぞれに名前が書いてある。
「こんなに種類があるのね。学業、仕事、交通安全……」
「ダンジョン安全っていうのは、ないですね」
絵美里が隣から覗き込んだ。
「それはさすがに、この神社にはないでしょうね」
「でも、交通安全なら関係ありますよ。遠くのダンジョンへ行くときは、結構移動しますし」
「そういう選び方もあるわね」
志帆は交通安全のお守りを一つ手に取って眺め、元の場所へ戻した。隣では絵美里が、今度は色の違うものを見比べている。
「買うの?」
「迷っています。こういうの、ドイツにいたときは自分で買う機会があまりなかったので」
「好きなものを選べばいいんじゃないかしら。ご利益だけでなく、持っていて気に入るものでもいいと思うわ」
絵美里は頷いてから、少し離れた列を見た。買う人が並び始めていたので、ひとまず手を引っ込める。
「もう少し見てからにします」
志帆も別の棚へ視線を戻した。二人とも急いではいなかった。
その頃、千尋は広げたおみくじを見て笑っていた。
「吉。まあ、いいんじゃない?」
「私は末吉だって」
みつみは紙を裏返しながら、細かい文字を追っている。
「待って、ここ。旅は焦らずって書いてある。ダンジョンも旅に入るのかな。焦らずってことは、寄り道していいってこと?」
「それは元からしてるでしょ」
千尋が吹き出すと、みつみは少し得意そうに紙をたたんだ。
「じゃあ、今年もいつもどおりでいいってことだね」
おみくじを結ぶか持ち帰るか迷い、みつみは結局バッグへしまった。あとで志帆にも見せようと思ったのだ。
売り場から戻ってきた志帆の手には何もない。一方、絵美里は小さな紺色のお守りを持っていた。
「決めたんだ」
千尋が聞くと、絵美里は手の中の包みを少し持ち上げた。
「はい。交通安全にしました。色も気に入ったので」
「いいじゃん。私も帰りに見ようかな」
「先輩、おみくじは?」
「吉。エミリンは引かなかったの?」
「私はこっちで十分です」
絵美里はお守りをコートのポケットにしまった。自分で選んだらしいその仕草を見て、志帆は何も言わずに笑った。
◇
「やっと帰りの屋台!」
五人が参道へ戻るなり、佳奈子が先に歩き始めた。さっき目を付けていたのは、焼きたてのベビーカステラの店だった。
「これ、袋大きい方が得じゃない?」
「五人なら分けられるね」
千尋がメニューを覗き込み、みつみも値段を見比べた。
「ねえ、買ってから向こうのベンチ行こう。ここ立って食べてると邪魔になりそう」
「その前に私、温かい飲み物欲しいです」
絵美里が近くの店を指したので、そこで二手に分かれた。志帆が絵美里と飲み物を買いに行き、残る三人がカステラを受け取る。二つの店はすぐ隣なのに、戻ってきたときには志帆と絵美里の方が少し時間がかかっていた。
「何買ってたの?」
「飲み物だけよ」
志帆が紙コップを持ち上げる。
「エミリンがお店の人に、おすすめを聞いていたから」
「寒いところで飲むならどれがいいか、迷ってしまって。せっかくなので、普段あまり飲まないものを頼んでみました」
「で、どう?」
「おいしいです。でも思ったより熱いです」
答えながら、絵美里は慎重にカップを口へ近づけた。
少し奥まったベンチには陽が当たっていた。五人で腰を下ろすと、風を避けられる分だけずいぶん暖かく感じる。佳奈子が大きな袋を開き、カステラを取り出しやすいよう口を折り返した。
「はい、好きなだけどうぞ。って言いたいけど、私の分はちゃんと残してね」
「一番食べる気なの、佳奈子じゃん」
「そうだよ。だから大きいの買ったんでしょ」
みつみは熱いカステラを指先で持ち、冷めるのを待ってから一口かじった。外側は少し香ばしく、中は柔らかい。甘い香りが口に広がり、冷えた指先まで温かくなったような気がした。
「おいしい。これ、家でも作れるかな。ダンジョンへ持っていって、休憩のときに食べるのもよさそう」
「持っていけるだろうけど、あったかいうちが一番じゃない?」
佳奈子は二つ目を手に取った。
「そうだよね。冷めてもおいしいのがいいな。普通のカステラと、ちょっと食感違う気がするんだけど、何が違うんだろ」
「調べてみたら? 家で作れそうなら、次に持ってきても面白いかもね」
千尋が言うと、みつみは早速スマートフォンを取り出した。
「たこ焼き器で作るの、あるみたい。えっ、チョコ入れてるのもある。これおいしそう!」
「そっちに夢中になって、袋の中身なくなるよ」
佳奈子に言われ、みつみは顔を上げた。いつの間にか、絵美里も三つ目のカステラを手にしている。
「待って、私まだ一個しか食べてない!」
「みつみ先輩が調べ始めたからですよ。……あ、これ、どうぞ」
絵美里が自分の手にあった一個を差し出したので、みつみは笑いながら受け取った。
カステラを食べながら、話題は正月に見た動画や、年末に届いた写真のことへ移った。佳奈子が送った集合写真をみんなが保存していると分かり、絵美里は少し照れたような顔をしたが、盾でみつみを隠してしまった一枚については、最後まで削除を希望していた。
袋の底が見え始めたころ、佳奈子はスマートフォンで冬休みの残り日数を確認した。
「あー、もうすぐ学校じゃん」
「正月って、始まる前は長いのにね」
千尋がベンチの背へ少し体を預ける。
「そういえばさ、進路希望調査票、書いた?」
佳奈子が何気なく聞いた。
みつみは最後の一個へ伸ばしかけた手を止めた。
「……あ」
「その反応、まだでしょ」
「忘れてたわけじゃないよ。冬休み入る前は覚えてたもん」
「それを忘れてたって言うんじゃない?」
千尋が笑う。
「千尋は書いたの?」
「まだ。書こうとは思ってるけど、何となくあとでいいかってなっちゃって」
「私も、少し考えてはいるけれど、用紙にはまだ書いてないわ。こういうの、書いてみると急に決めた感じがするのよね。別にそれで全部が決まるわけじゃないのに」
志帆は飲み終えたカップを両手で包んでいた。
「分かる。それで手が止まる」
佳奈子が頷いた。
絵美里は四人の顔を見比べた。
「二年生だと、もう進路の話があるんですね。私も来年は考えないと」
「エミリンはまだ一年あるじゃん」
「一年なんて、すぐですよ。去年の今頃、私はまだ日本の高校に入ってませんでしたし」
「あ、そうだね」
みつみが顔を上げた。
「でも、エミリンが一緒にいるの、もう普通すぎる。去年の今頃は、まだ知らなかったんだよね」
「そうですね。こんなふうに皆さんと初詣に来るなんて、考えていませんでした」
絵美里は手の中のカップを眺め、それから少し笑った。
「……今年は誘ってもらえてよかったです」
「来年も一緒に来ればいいじゃん」
千尋が言うと、絵美里はすぐに頷いた。
「そうですね。来年も、予定が合えば」
「じゃあ、年明けの予定に入れとこう。まだ一年先だけど」
佳奈子はスマートフォンをしまい、袋の中に最後のカステラが一つ残っているのを見つけた。
「これ、誰か食べる?」
「私!」
みつみが手を挙げる。
「進路の話してたのに、そっちは即決なんだ」
千尋が笑いながら袋を渡した。
「だって、これは今決めないとなくなっちゃうじゃん」
みつみは受け取ったカステラを頬張り、熱さに少しだけ目を細めた。
新学期になれば、教室でまた進路の話が出るのだろう。今はまだ、何を書こうか、どこまで決めようか、答えの形もそれぞれ違う。
それでも帰りの電車までは、もう少し時間があった。
「ねえ、駅まで別の道で帰らない? さっき、向こうにもお店あったよ」
千尋が参道の先を指す。
「また食べるつもり?」
「違うって。ちょっと見たいだけ」
「なら行きましょうか。私も、あっちの道は通っていませんし」
絵美里が立ち上がると、佳奈子が空の袋をたたんでカップを集めた。
「その前にゴミ捨ててくる。ほかにない?」
「うん。あと、私もう一回お守り見たい」
みつみが言い出して、佳奈子は肩を揺らして笑った。
「はいはい。初詣、まだ終わらないね」
五人はベンチを離れ、また賑やかな参道へ戻っていった。




