第104話 クリ5
クリスマスダンジョンの入口は、今年も東京都広戸区のベイエリアに現れた。
ただし、去年と同じ場所ではない。駅から歩いていく途中、千尋がスマートフォンの地図を見せると、みつみは去年の入口があった方角を振り返った。
「去年はあっちだったよね。けっこう離れてるんだ」
「毎年場所が変わるって聞いてたけど、こうして来ると面白いね。入口が違うだけで、遠足の行き先まで違う感じ」
千尋が言うと、隣を歩く佳奈子が肩に掛けたバッグを直した。
「私としては、駅から近いほうがありがたいけど。あと、帰りに寄る店が多いほう」
「ダンジョンの外まで選考基準に入るんですね」
絵美里が笑う。彼女にとっては初めてのクリスマスダンジョンだった。昨日から何度も内部の写真を見せられているのに、今朝は五人の中で一番早く集合場所へ来ていた。
「エミリン、今日は攻略図、見てきた?」
千尋に聞かれると、絵美里は少しだけ得意そうに頷いた。
「見ましたよ。去年の記録と、今年入った人の情報も。でも、景色は実際に見るまで取っておきたくて、写真は途中から見ないようにしました」
「えっ、エミリンが?」
みつみが思わず顔を向ける。
「何ですか、その反応。私だって初めての場所は楽しみたいです」
そう言った絵美里の足取りが、いつもより少しだけ速くなった。
◇
受付を済ませ、装備を整えた五人が入口を抜けると、外の昼間はあっさり消えた。
頭上には暗い空が広がり、雪の積もった街路を、色とりどりの灯りが照らしている。建物の窓には暖かな色が浮かび、街路灯の下を横切る雪片は、光を受けるたび白く輝いた。
「……本当に、夜なんですね」
絵美里が立ち止まった。視線を上へ向けたまま、しばらく動かない。
「ね。去年もびっくりした」
佳奈子はスマートフォンを取り出しかけて、まずは絵美里の顔を見た。
「エミリン、今の顔、撮っていい?」
「え? どんな顔してました?」
「すっごい楽しそうな顔」
「それならいいですけど……先に一枚、みんなで撮りません?」
絵美里がそう言い出したので、佳奈子は笑ってスマートフォンを持ち直した。近くにいた別の探索者へ撮影をお願いし、五人で街路灯の下へ並ぶ。
絵美里のタワーシールドが大きすぎて、最初の一枚ではみつみの顔が半分隠れた。
「ちょっと、エミリン! 私、盾になってる!」
「盾になってるのは私です!」
「そういう意味じゃないよ!」
撮り直した二枚目では、全員の顔がちゃんと写った。佳奈子は確認してから、満足そうに画面を伏せる。
「よし。これでもう、今日の写真ゼロ枚で帰る心配はない」
「そんな心配、誰もしてないでしょ」
千尋が笑う横で、志帆は壁に下がる鈴のような飾りを見上げていた。
「去年も思ったけど、やっぱり不思議ね。人間のクリスマスに似すぎているのに、どうしてこんな景色になるのかは分からないんだもの」
「分かんないのに、すごくクリスマスっぽいよね。あ、志帆。あっちの通り、灯りの色が違う!」
みつみが指した先では、広い街路から細い横道が分かれていた。奥の方には青白い光が連なり、雪の壁まで淡く染めている。
「こっちが先へ進む道みたいですよ」
絵美里は正面の通りを示しかけたが、すぐに横道へ目を戻した。
「……でも、あの青いところも見たいですね」
「行こ。まだ始まったばっかだし」
千尋が先に横道へ足を向けた。
広い道から一歩入ると、足元で雪を踏む音が急にはっきりした。人の声が少し遠ざかり、建物の間を抜ける風が、吊り飾りをかすかに揺らしている。青い光は一本の線ではなく、窓ごとに濃さが違っていた。近づくと、その光が積もった雪の表面にまで細かな模様を作っている。
「うわ、これ近くで見るほうがいい」
千尋は途中の段差を軽く上がり、振り返って雪の道を眺めた。
「この辺から見ると、向こうの赤い灯りも一緒に見えるじゃん」
「ほんとだ。二色が混ざってる」
みつみが隣へ上がると、絵美里も後を追った。彼女はしばらく無言で灯りを見ていたが、やがて小さく笑った。
「……こっちに来て正解でしたね」
「効率の話?」
佳奈子が聞く。
「いえ。今のは、私が見たかったからです」
その答えに、志帆が少しだけ目を細めた。何も言わず、絵美里の見ている方角へ自分も顔を向ける。
◇
寄り道から戻ってしばらく進むと、街路の先に広い雪道が現れた。遠くでは別のパーティーがスノウスライムと戦っている。その様子を横目に歩いていた千尋が、ふいに足を止めた。
「左、二匹いる」
建物の陰からスノウウルフが二体出てきた。どちらもこちらへ向き直り、雪を蹴って距離を詰めてくる。
絵美里が前へ出していた盾を立てた。千尋はその右側へ抜け、佳奈子は左後方でコンパウンドボウを構える。
「正面は受けます。千尋先輩、右をお願いします!」
「了解!」
一体が絵美里の盾へ飛びかかり、雪を散らした。絵美里が踏ん張ったところへ、志帆の《プロテクション》が重なる。もう一体は千尋を追おうとしたが、横から佳奈子の矢が刺さり、わずかに体勢を崩した。
「みつみ、そっち!」
「見えてる!」
みつみの《マジックボール》が、千尋を追っていた一体へ当たる。その隙に千尋が雪を蹴って踏み込み、《黒月》を一閃させた。
絵美里の前でも、盾に弾かれた一体が身を低くしていた。志帆がすぐには前へ出ず、その動きを確かめてからフレイルを構える。
「右へ抜けるわ!」
絵美里が盾を傾けて進路を塞ぐ。狼が横を向いたところへ志帆の打撃部が入り、続けて佳奈子が放った矢が刺さった。ほどなく二体とも光の粒になって消え、雪の上には毛皮が残った。
「前に来たときより、楽だったね」
みつみが拾った毛皮を見ながら言うと、千尋は《黒月》を鞘へ戻した。
「五人だしね。それに前よりいろいろできるようになったし」
「でも雪の上、足取られますね。普段より少し踏ん張り方が違います」
絵美里は盾の位置を直しながら、さっきの足跡を見ている。
「エミリン、そこまで見てたの?」
「気になったので。……あ、でも先に、さっきの青い通りの写真も撮っておけばよかったです」
「戻る?」
千尋がさらっと聞くと、絵美里は少し迷った。
「あとで時間があれば。まだ先も見たいので」
「じゃあ、先へ行こっか」
佳奈子が毛皮を袋へしまった。志帆はフレイルの柄を握り直し、先ほどの一撃の感触を確かめてから歩き始める。
街路が行き止まりになる区画では、周囲の仕掛けを試しながら道を開いた。去年は四人で手分けしていた場所を、今年は五人であれこれ覗き込む。全員が同じものを調べてしまい、かえって時間が掛かることもあった。
「人数増えたのに遅くなってません?」
「見たいものも増えたからじゃない?」
みつみがそう返すと、絵美里は納得したような、しないような顔で笑った。
◇
昼を少し回ったころ、五人は灯りの多い広場へ出た。建物の軒から星形の飾りが下がり、雪の上に色の違う光が重なっている。端の方には休憩している探索者も何組かいた。
「ここでお昼にしない? あの辺なら邪魔にならなそう」
佳奈子が指した場所には低い石の縁があり、雪もあまり積もっていなかった。
「賛成。お腹すいた」
みつみがバッグを下ろしかけたとき、少し離れたところから声がした。
「あれ? もしかして、前に会った子たち?」
顔を上げると、男女二人のシーカーがこちらを見ていた。女性が一歩近づき、みつみと千尋、それから志帆の顔を順に確かめる。
「あっ、覚えてる? 前に隣町のダンジョンで会ったでしょう。私たち、あのときは四人組だったの」
「覚えてます!」
みつみが勢いよく頷く。千尋も「あのときの!」と顔を明るくした。
「社会人の四人組だったよね。今日は二人なんですか?」
「そうなの。あとの二人は予定が合わなくて」
女性が答える横で、男性が少し笑った。
「こっちも、最初は四人で来る話だったんだけどね」
「えー、じゃあ二人だけで来たんだ」
千尋が何気なく言うと、二人がほぼ同時に顔を見合わせた。
「せっかくの限定ダンジョンだからね」
「俺も来たかったし」
答えが少しずれたまま、二人とも特に訂正しない。佳奈子はそのやり取りを聞いてから、みつみの隣で小さく笑った。
志帆は一歩下がっていた絵美里を見た。
「こちらは私たちの後輩で、絵美里。今は五人でダン活部として活動しているんです」
「久央絵美里です。初めまして」
絵美里が頭を下げると、女性は嬉しそうに両手を合わせた。
「ダン活部? 学校でダンジョンの活動をしてるの? いいわね、それ」
「部っていっても、みんなで行きたいところへ行ってるだけですけど」
佳奈子が答えると、女性はますます面白そうな顔になった。
「それがいいんじゃない。学校の部活で、みんなでダンジョンへ遊びに行くって、私の学生時代には思いつかなかったもの」
五人が昼食にするつもりだと伝えると、二人もちょうど休憩場所を探していたらしく、少し離れた石の縁へ腰を下ろした。道具を広げるほどの余裕はないが、雪の街で食べるパンやおにぎりは、外で食べるのとはまた違った気分になる。
千尋が男性と、さっきのスノウウルフの話を始める。どの辺りまで行ったかを話しているうち、絵美里も盾の話で加わった。
一方、女性は佳奈子が撮った写真を覗き込んでいた。
「すごい。入口のあたりから撮ってるのね。あ、この通り、まだ行ってないわ」
「青い灯りのところです。こっちのほうが人少なくて、結構よかったですよ」
「教えてくれてありがとう。そういう寄り道、私も好き」
女性が画面へ顔を近づけると、男性が会話の途中で振り返った。
「さっき、青いところ見たいって言ってなかった?」
「うん。でも、先にこっちへ来ちゃったから」
「じゃあ帰る前に寄ろうよ。まだ時間あるし」
「ほんと? ……ありがとう」
女性は笑ってから、もう一度佳奈子の写真へ目を戻した。男性もすぐに千尋たちとの話へ戻り、二人は何事もなかったようにパンの袋を開ける。
みつみはその様子を少しだけ眺めてから、隣の志帆へ顔を寄せた。
「なんか、いいね。二人で来るの」
「そうね。自分たちの行きたい場所を、二人で決められるものね」
「私たち五人でも、けっこう好き勝手決めてるけど」
「それは否定しないわ」
志帆は小さく笑い、自分の飲み物をひと口飲んだ。
しばらくして、女性は絵美里の盾を見て「本格的ねえ」と感心した。絵美里が普段は別のダンジョンにも行くと話すと、女性は興味深そうに耳を傾ける。
「私は仕事でもダンジョンのことを扱ってるから、つい聞いちゃうんだけど。『ダンジョン・ウォーカー』っていうWEB媒体、知ってる?」
「あ、知ってます」
志帆が顔を上げた。
「装備の記事、読んだことがあります」
「嬉しい。私、そこの記者なの」
「えっ、そうなんですか?」
みつみが身を乗り出すと、女性は笑って手を振った。
「今日はお休みだから、取材じゃないわよ。普通に遊びに来ただけ。でも、学校のダンジョン部って聞いたら、ちょっと気になっちゃった」
「活動っていうと、そんな大したことしてないですけどね。ダンジョン行って、お昼食べて、たまに寄り道して」
佳奈子が指を折ってみせる。
「今日は写真が多いです」
絵美里が付け足した。
「それはエミリンが最初に集合写真撮ろうって言ったからでしょ」
「だって、こういうところは撮りたいじゃないですか」
笑いが起きたあと、女性は五人の顔を見渡した。特別な冒険をしたという話は少ないのに、誰も退屈そうではない。何を見に行くか、何を持ち帰るかを、それぞれが当たり前のように話している。
「……なんだか、楽しそうね」
「楽しいですよ」
今度は絵美里が、何の迷いもなく答えた。
少しして、二人は青い灯りの通りへ向かうと言って立ち上がった。男性が先に荷物を持ち、女性が自分の手袋を探しているあいだ、急かしもせずに待っている。
「またどこかで会えるといいね。気をつけて楽しんで」
「そちらも!」
千尋が手を振る。女性は最後にもう一度、五人の方を見た。
「ダン活部、か。いい名前ね」
その言葉を残して、二人は雪の道へ歩いていった。
◇
昼食を終えた五人は、さらに先の街路を歩いた。灯りの少ない道では雪がよく見え、広い場所へ出ると建物の窓が明るく浮かび上がる。途中の仕掛けを越えた先には、去年見なかった形の飾りもあった。
「これ、去年なかったよね?」
みつみが立ち止まって見上げる。
「場所が違うだけじゃなくて、全部同じってわけでもないのかもね」
千尋も隣へ来た。断定はできないが、少なくとも去年の写真には写っていない景色だった。
志帆は少し離れたところから飾りの並びを眺めたあと、嬉しそうに息を吐く。
「同じダンジョンのつもりで来たのに、知らないものがまだあるのね」
「だから来年も来たい!」
「早くない? まだ今年の帰ってないよ」
佳奈子が笑った。
ところが、時間がたつにつれて人の数が増えてきた。二人で歩くシーカーが目立ち、灯りのきれいな場所では写真を撮る順番を待つ列もできている。先へ進む仕掛けの前には何組かが集まり、さっきまでのように自由に見て回れる感じではなくなっていた。
千尋がスマートフォンで時間を確認する。
「そろそろ戻る? ここで待ってから先へ行くと、帰りが結構遅くなりそう」
「私、もう十分。あとは外で何か温かいの飲みたい」
佳奈子が即答した。
「私は、あの先の灯りがちょっと気になるけど……今日はここまででもいいかな」
みつみは前の通りをもう一度見た。まだ明かりは続いているが、並んでまで急いで進みたいわけではなかった。
「私も賛成です。人が多いところを急いで抜けるより、戻りながらもう一回見たい場所があります」
絵美里が言う。
「青いところ?」
千尋が聞くと、絵美里は頷いた。
「はい。今度は自分で写真を撮りたいです」
「私は帰り道で、あの仕掛けの飾りをもう少し見たいわね」
志帆が別の方向を指す。
「じゃあ帰りも寄り道じゃん」
「そうなるね」
五人は顔を見合わせて笑った。
来た道を戻りながら、青い灯りの横道へもう一度入った。絵美里が写真を撮るあいだ、佳奈子は自分の画面と実物を見比べ、千尋は雪の段差へ上がって別の角度を試している。みつみは建物の窓に映る五人の姿を見つけ、志帆を呼んだ。
「見て。中にもう一組、私たちがいるみたい」
「本当ね。灯りも一緒に映ってる」
二人が立ち止まると、ほかの三人も自然に集まってきた。絵美里が構えたスマートフォンには、窓に映った五人と、その後ろの青い灯りが収まっている。
「これ、撮りますね」
撮影音が小さく響いた。
◇
ダンジョンの外へ戻ると、空はまだ夕方だった。入口周辺の仮設施設にはこれから入る人たちの列が伸び、五人はその横を抜けて駅の方へ歩き出す。
「今年も結局、クリアしなかったね」
千尋が言うと、佳奈子は手袋を外しながら笑った。
「でも去年より増えたでしょ。人数も写真も」
「写真、どのくらい撮ったの?」
「まだ数えてない。というか、帰ってから選ぶのが大変そう」
絵美里は自分のスマートフォンを見ていたが、ふと顔を上げた。
「来年も、また行きたいです」
「来年は、まず青いところから?」
みつみが聞く。
「違います。来年は、来年の入口からです」
絵美里の真面目な答えに、千尋が吹き出した。
「それはそうだけどさ!」
志帆も笑いながら、少し先の飲み物の店を指した。
「その前に、今日は温かいものを飲んで帰りましょう。さっき佳奈子も言っていたし」
「賛成。外のクリスマスもちゃんと楽しんで帰りたい」
五人の話は、クリアできなかった道のことから、次の休みの予定や、今日撮った写真のことへと移っていく。
雪の夜は入口の向こうに置いてきた。それでも、絵美里のスマートフォンには、窓に映った五人の姿がまだ残っていた。




