第101話 来客
美部谷ダンジョンをクリアした次の登校日。絵美里が教室へ入ると、窓際の席から声が掛かった。
「絵美里、昨日の写真見た。なにあの時計屋。めっちゃ撮ってんじゃん」
石橋紗希がスマートフォンを持ち上げる。高い位置で結んだ黒髪のポニーテールが、顔を上げた拍子に肩の後ろで揺れた。
「別に時計屋ばっかり撮ったわけじゃないよ。ほかの店も送ったでしょう?」
「送ってきたけど、時計屋の写真だけやたら多かったよ。しかも、同じところ何枚も撮ってない?」
「角度が違うの。ガラスに向かいの店が映ってるのと、店内の棚がよく見えるのとで、全然違うから」
「……やっぱ気に入ってんじゃん」
紗希が笑うと、絵美里は少しだけ口を尖らせた。
「だから、気に入ってないとは言ってないでしょ」
「はいはい。今度行ったら、また寄るんでしょ?」
「たぶんね。ほかにも見たいところあるし」
絵美里は鞄を席へ置き、紗希のスマートフォンを覗き込んだ。
画面には、地下街のガラス張りの店舗が映っている。照明も看板も本物の商業施設と変わらないのに、店内には人が一人もいない。
昨日、五人で歩いた場所だ。
「それにしても、ダンジョンの中にこんな街があるって変だよね。お店はあるのに買い物できないんでしょ?」
「うん。店員もいないし、商品を持って帰れるわけでもないから。見て回るだけ」
「でも、見て回るのは楽しいんだ」
「そりゃ楽しいよ。普通の地下街とは雰囲気が違うし、どんな店があるのか気になるから」
絵美里が答えると、紗希は一度画面から目を離し、その顔を見た。
「なんか絵美里、前とちょっと変わったよね」
「何が?」
「ダンジョンの話。前はもっと、どこを攻略したとか、どのくらい時間掛かったとか、そういう話ばっかだったじゃん。最近はお店の写真とか、お菓子食べた話とかも増えたなって」
「……そうかな」
「そうだよ。昨日なんて、でっかい狼倒したって言ってたのに、最後に送ってきたのフードコートの写真だったし」
「あれは、帰りに寄ったから」
「聞いた聞いた。クリアしたらすぐ帰れるゲートが出たのに、わざわざ歩いて戻ったんでしょ?」
「そう。結構距離あったから、着いたときはみんな疲れてたけどね」
「なんでそんなことしたの?」
「佳奈子先輩が休憩したいって言い出したの。みんなもいいって言ったから」
「絵美里は?」
「私も寄りたかったよ。せっかくそこまで来たんだし」
紗希は何か納得したように頷き、もう一度写真へ目を戻した。
「なるほどね。絵美里もそういう寄り道するようになったんだ」
「私だって寄り道くらいするよ。紗希、私のこと何だと思ってるの?」
「いや、昔はそういうの無駄って言ってた気がしてさ」
「……それは、まあ」
絵美里が言葉を濁すと、紗希は楽しそうに笑った。
「別に悪いって言ってないじゃん。今の方が話聞いてて面白いよ」
そう言われると、絵美里もそれ以上は言い返せなかった。
紗希は写真を何枚か送ってもらいながら、地下街の様子をもう一度眺めた。ガラス張りの店、長い通路、誰も座っていないフードコート。どれも普通の街にありそうな景色なのに、そこにはモンスターがいるという。
「そういえばさ、こういう場所って、普通に歩いてるだけでもモンスター出てくるんだよね?」
「出るよ。だから周りを見ないで歩くわけにはいかないけど、ずっと戦ってるわけでもないし」
「へえ……。写真だけだと、マジで普通の地下街なんだけどね」
紗希はしばらく画面を眺めていたが、やがて顔を上げた。
「ねえ、今日の放課後って部室行く?」
「行くけど。どうしたの?」
「ちょっと見に行ってもいい? 前から気になってたんだよね、ダン活部。いつもどんなことしてるのかなって」
「いいと思うけど、今日は別に何かする予定はないよ。普通に集まってるだけだと思う」
「それでいいよ。私が見たいんだから」
「分かった。じゃあ放課後、一緒に行こ」
絵美里が頷くと、紗希は満足そうにスマートフォンをしまった。
「楽しみ。あ、でも変なこと聞いちゃったらごめんね」
「紗希が変なこと聞くの、いつものことでしょ」
「ひどくない?」
「事実じゃん」
そんな話をしているうちに予鈴が鳴り、二人はそれぞれの席へ戻った。
◇
その日の放課後、部室では佳奈子が机に頬杖をつき、ノートの端へ何かを書いていた。
「……ねえ、これ、どう思う?」
差し出されたのは、今度の休みに持っていくお菓子の候補だった。みつみが覗き込むと、何種類かの小袋菓子が並んでいる。
「これとこれ!」
「二つに増えてるじゃん。どっちか決めたいんだけど」
「でも、両方おいしいよ?」
「それは私も知ってる」
千尋は椅子にもたれ、スマートフォンで近場のダンジョンを眺めていた。美部谷をクリアしたばかりだが、次に行く場所はまだ決まっていない。
「私はしょっぱいのがいいな。甘いのばっかだと途中で飽きるし、ポテチ系とかどう?」
「袋の中で粉々になりそう」
佳奈子は候補を一つ書き足してから、持っていたペンを置いた。
「そっか、そういう問題もある。志帆は?」
「その前に、次にどこへ行くかは決まっているの? 食べ物を選んでから行き先を考えるのも悪くないけれど」
「まだ決まってない。だから先にお菓子」
志帆は小さく笑って、自分のスマートフォンへ目を戻した。
机の端には、美部谷で撮った写真が表示されたみつみのスマートフォンも置かれている。四人はそれぞれ違うものを眺めながら、ときどき思い出したように会話を交わしていた。
そこへ扉が開いた。
「こんにちは。あの、今日、友達を連れてきたんですけど」
絵美里が顔を覗かせる。その後ろから、黒いポニーテールの女の子が少しだけ身を乗り出した。
「失礼します!」
紗希は扉の前で一度立ち止まり、きちんと頭を下げた。
「一年の石橋紗希です。絵美里と同じクラスです。今日はちょっと見学させてもらってもいいですか?」
「もちろん。どうぞどうぞ」
千尋が空いている椅子を引く。
「ありがとうございます!」
紗希はもう一度軽く頭を下げてから部屋へ入り、勧められた椅子の横に立った。
「思ってたより普通の部屋だね」
「だから言ったじゃん」
絵美里が笑うと、紗希も振り返って笑った。
「でもさ、こういう部屋っていいじゃん。放課後に集まって、好きなことやってる感じ」
「紗希だって、いつも忙しいでしょ」
「まあね。でも今日は暇だから。こうやって友達の部室に来るのも、たまにはいいかなって」
紗希は椅子へ腰を下ろしかけたところで、机の端に置かれたスマートフォンに気づいた。
「あ、これ。絵美里が送ってくれたところだ」
「そうそう。美部谷の地下街だよ」
みつみがスマートフォンを持ち上げると、紗希はそちらへ向き直った。
「ほかの写真も見せてもらっていいですか?」
「もちろん! これ、地下一階から順番に撮ってあるやつ」
「ありがとうございます!」
紗希は椅子を寄せ、画面を覗き込んだ。
最初に映ったのは、建物が並ぶ住宅街だった。そこから地下へ下りるにつれて、商店や大きな通路が増えていく。
「へえ、最初はこんな感じなんだ。普通の住宅街みたいですね」
「そうなんだよ。で、こっから下が地下街になるの。こっちの階はお店がいっぱいで、奥の方には広い通路もあるんだよ」
画面を見ながら、紗希は一枚ずつゆっくり眺めていった。
「写真だけでも結構広そうですね。これって、全部歩いて回るんですか?」
「全部じゃないよ。まだ行ってないところもいっぱいあるし、途中でモンスター出てくるから、ずっと観光してるわけにもいかないんだよね」
「なるほど。そういうとこは、やっぱダンジョンなんですね」
紗希は納得したように頷き、次の写真へ進む。
そこには、ガラス張りの雑貨店が映っていた。店内の棚も、窓に反射した向かいの店舗も、どこか現実の商業施設に似ている。
「え、マジっすか? これ、めっちゃ普通の店じゃないですか!」
「普通っぽいけど、誰もいないの。そこがちょっと不思議でしょ?」
みつみが嬉しそうに言う。
「確かに。実際に歩いてみたら、写真で見るのと全然違いそうですね」
紗希はしばらく写真を眺めていたが、ふと絵美里の方へ顔を向けた。
「ねえ、絵美里。こういうところって、ずっと周り警戒しながら歩いてるの?」
「場所によるよ。モンスターの出やすいところなら気をつけるし、休めそうな場所なら休むこともあるし」
「でも、いつ出るか分かんないんだよね?」
「そうだね。だから、何も考えずに歩くわけにはいかないけど……」
絵美里は少し考えてから、みつみのスマートフォンを指差した。
「でも、こういう店を見て回るのも楽しいから。ずっと怖いだけってわけじゃないよ」
「なるほどね。絵美里がそんなに楽しそうに話すなら、結構面白いんだろうな」
「それ、どういう意味?」
「そのまんまの意味だって」
二人のやり取りを聞いていた千尋が笑った。
「エミリン、クラスメイトと一緒だとこんな感じなんだね」
「こんな感じって、どういうことですか?」
「いや、なんか普通に友達と話してるなって」
「そりゃ友達ですから。私だって学校では普通に話しますよ」
絵美里が少し呆れたように答えると、紗希が横から口を挟んだ。
「絵美里、先輩たちにはちゃんと敬語なんだね」
「当たり前でしょ。先輩なんだから」
「いや、分かってるけどさ。私と話してるときと全然違うから、ちょっと面白い」
「紗希まで何なの?」
絵美里が笑いながら紗希の肩を軽く小突く。紗希はそれを避けるでもなく、そのまま椅子の背にもたれた。
その様子を見て、佳奈子が小さく笑った。
「エミリン、なんか新鮮」
「先輩たちまで……」
絵美里は少し困った顔をしたが、本気で嫌がっている様子ではなかった。
紗希はそんなやり取りを楽しそうに眺めてから、また机の上の写真へ視線を戻した。
「それにしても先輩たち、マジでダンジョン好きなんですね。写真こんなにあるし、次の行き先も調べてるし」
「そりゃまあ、ダン活部だからね」
千尋が笑う。
「でも、ずっとダンジョンの話してるわけでもないよ。今日なんか、お菓子の話の方が長いかもしれないし」
「そうそう。今度どこ行くかも決まってないのに、お菓子だけ先に決めようとしてる」
佳奈子がノートを見せると、紗希はそこに並んだ候補を覗き込んだ。
「あはは、確かに。でも、お菓子大事ですよね。何持ってくか考えるのも楽しいですし」
「でしょ? 分かる人が来た」
佳奈子は少し嬉しそうにノートを引き寄せた。
「ちなみに、甘いのとしょっぱいの、どっち派?」
「どっちも好きですけど、歩き回るならしょっぱいのも欲しいっすね。あと、手が汚れないやつがいいと思います」
「そうなんだよね。袋開けてそのまま食べられるやつがいいかなって思ってて」
佳奈子が候補をいくつか指差す。
紗希もそこへ顔を寄せ、二人でしばらくお菓子の話を始めた。
みつみはその様子を眺めていたが、やがて別の写真を表示して紗希へ見せた。
「ねえ、こっちも見て。これ、前に行った洞窟のダンジョンなんだけど」
「あ、こういうのもあるんですね。こっちは全然雰囲気違いますね」
紗希はノートから顔を上げ、今度は洞窟の写真を覗き込んだ。
岩肌の通路が奥へ続き、照明の届かないところは暗く沈んでいる。さっきの地下街とは違い、いかにもダンジョンらしい景色だった。
「うわ、こっちはマジで洞窟って感じですね。こういうところも歩いてみたいっす」
「初心者向けなら、こういうところもあるよ。そんなに難しくないところから始められるし」
千尋が言うと、紗希は少し考えた。
「……実は私、ダンジョンって行ったことないんですよね」
「そうなの?」
「はい。話は聞きますし、動画とかも見たことありますけど、実際に行くとなると何から始めりゃいいのか、さっぱり分かんなくて」
紗希はもう一度、洞窟の写真へ目を向けた。
「でも、こうして話聞いてると、ちょっと行ってみたくなりますね。写真だけじゃ分かんないことも多そうですし」
「だったら、一回行ってみる?」
千尋が自然に声を掛ける。
紗希は顔を上げた。
「え、マジっすか? いいんですか?」
「いいよ。最初なら初心者向けのところがいいと思うし、みんなで行けばそんなに困らないでしょ」
「そうそう。骨橋とかなら、最初に行くにはいいと思う!」
みつみも乗ってきた。
「スライムとかいるんだよ。私、最初の頃は魔法使うだけでめっちゃ楽しかったな。今でも楽しいけど」
「え、いきなり戦うんですか?」
紗希は目を丸くしたが、嫌そうな顔はしなかった。
「どんな感じなんだろ……。ちょっと怖そうですけど、行くならちゃんと中まで見てみたいです。入口だけで帰るのも、なんか違う気がしますし」
「そこは実際に行ってから考えればいいよ。最初から全部決めることないって」
佳奈子はそう言って、お菓子の候補を書いたノートを閉じた。
「でも、靴は歩きやすいので来た方がいいかも。うちら、最初はレンタル装備ばっかだったし、それで十分だよ」
「なるほど。そういうの、今度教えてもらってもいいですか? 私、何持ってきゃいいのかも全然分かんないんで」
「もちろん。行く日が決まったら、必要なものも教えるよ」
「ありがとうございます! 助かります!」
紗希は椅子に座ったまま軽く頭を下げ、それからスマートフォンの予定表を開いた。指を動かしてしばらく眺めたあと、少し困ったように笑う。
「……あ、今週はやっぱ忙しい。バイトと練習、両方入ってた。来週以降なら空く日あると思うから、予定分かったら絵美里に送るね」
「うん。急がなくていいよ。行ける日に行こう」
絵美里が答えると、紗希は満足そうに画面を閉じた。
「ありがとう。なんか楽しみになってきた。あ、でも今日のうちに、ダンジョンの写真もうちょっと見せて。さっきの洞窟ってやつ、ほかにもある?」
「それなら、前に行ったときのがまだあるよ」
みつみがまたスマートフォンを操作し始める。紗希は椅子を寄せ直し、絵美里もその隣から画面を覗いた。
さっきまでお菓子の話をしていた机に、今度は昔のダンジョンの写真が並んでいく。
千尋は写真を見ながら思い出したことを話し、佳奈子は途中で自分のスマートフォンを取り出した。志帆も別の写真を探し始め、部室の話題はいつの間にか、次にどこへ行くかという話から、初めて見る人にどの写真を見せたいかへ移っていた。
その真ん中で、紗希が一枚の写真を指差した。
「ねえ、これ。ほんとにこの中、歩けるんだよね?」
「歩けるよ」
絵美里が答える。
「じゃあ、やっぱり行きたい」
紗希は画面を覗き込んだまま、もう一度そう言った。
うっかり投稿予約を入れ忘れてました・・・・
あらためてよろしくお願いします。
春休みの4人を描いた短編を公開しています。
ダンジョンへ行く目的は、攻略でもレベル上げでもなく――お花見。
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女子高生4人、春休みにダンジョンへ花見に行く。
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