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グレーゾーンな恋人  作者: 久遠夏目
第三章 悪魔はささやいた
23/32

07

 にやり、黒羽の口角がつり上がり、歪な笑みが現れる。彼女が悪魔だということは信じられなくても、この不気味な微笑みが悪魔のものだとは信じられた。何故なら、この笑顔の黒羽は残酷なことばかりを告げるのだから。


「契約……?」

「ええ、契約よ。あなたとわたしの契約」

「ぼくはそんなのした覚えはない」

「あなたにしたつもりがなくても、現に契約は完了しているの」


 ぼくの意見など関係ないというように、つん、と一蹴されてしまった。


「契約って、何だよ」

「言ったでしょう? あなたは二十歳になったら死んで、わたしのものになるって。あれは呪いの言葉よ。またそれは予言でもある。そして、予言は必ず成就するわ。だから、あなたは二十歳になったら死ぬの」


 呪い、予言、成就。公園で初めて彼女に逢ったときから、ぼくは悪魔に囚われていたというのか? そんなの、あんまりだ。


「でも、わたしのものになるためには契約が必要なの。わたしは悪魔だけれど、一応人間のことを尊重するのよ? だから、あなたに意思確認をした」

「だから、ぼくは契約するなんて一言も――」

「あら、言ったじゃない。『別に、嫌いではない、よ』って」

「え?」


 黒羽によって復唱されたセリフは、少し前に自分が言ったものなので、まだ鮮明に記憶に残っている。だけど、それが何だっていうんだ。まさかそんな曖昧な言葉が契約を成立させたとでもいうのか?

 半ば呆然としていると、黒羽はぼくの考えていることが手に取るようにわかったのか、にっと笑みを濃くした。


「悪魔との契約はね、その悪魔がすきか嫌いかで決まるの。もちろん、すきと言ったら契約成立」

「ぼくはただ、嫌いじゃないって言っただけで、すきだとは言ってない」

「すきか嫌いかの二択なんだから、嫌いじゃないってことはすきってことでしょう?」

「それが契約になるんだったら、何でもありじゃないか。人間を尊重するんじゃなかったわけ?」

「ええ、だからしているじゃない。わたしのことをすきか嫌いかというあなたの意思をね。だけど、どう契約が成立するかを告げるのは、わたしの自由よ」

「そんなの卑怯だ」

「わたしは悪魔だもの。卑怯で当然じゃない」


 うふふ、と嫌味っぽく笑った黒羽の言い分には一理ある。悪魔は書いて字のごとく、「悪」なのだ。ならば、悪事の限りを尽くすというのが悪魔の本分なのだろう。黒羽にとって卑怯だという評価は、むしろ誇るべきことなのかもしれない。

 何も言い返せずに唇を噛みしめていると、黒羽がずいっと顔を近づけて、こちらをのぞきこんできた。


「じゃあ、もしわたしがあなたに契約のことを告げていたとしたら、あなたは何て答えるつもりだったのかしら。灰人はわたしのこと、嫌い?」

「き……」


 最後の疑問だけ、声が若くなる。見れば、悪魔がまた同い年の黒羽に戻っていた。ずっと一緒に過ごしてきた黒羽に「嫌いだ」なんて言うことはできない。


「ほら、結果は同じよ」


 ふん、と勝ち誇った笑みを浮かべた黒羽に対して、ぼくには絶望と敗北感しか残っていなかった。


「ぼくは、ハタチになったら死ぬの?」

「ええ、そうよ」

「黒羽は、ぼくのことがすきなの?」

「ええ、だからわたしのものにするの」


 うっとりとした表情でそう言った黒羽は、見慣れた同い年の幼なじみバージョンであるにもかかわらず、言動がお姉さんバージョンそのままだ。どちらの黒羽も黒羽だから当然なのだが、やはりどうしてもぼくにはこの黒羽が悪魔だとは思えなかった。

 さっきもう一度すきか嫌いかを問われたとき、目の前にいる幼なじみの姿の黒羽も悪魔だと信じ、「嫌いだ」と言うことができたなら、何か変わっていたのかもしれない。だけど、もう契約は成立してしまったのだ。ならば、何を言っても同じだ。

 だから、


「……ぼくは、お前なんか嫌いだ」

「あら、この姿のわたしにも同じことを言うの?」

「そうだ。黒羽は黒羽で、黒羽は悪魔なんだから、どっちの黒羽も悪魔なんだろ。だから、ぼくはお前のことが大っ嫌いだ」

「そう、残念ね。でも、契約は破棄できないの。あなたのほうが、残念だったわね」


 あまりにも理不尽な契約なのに、ぼくは反論することができなかった。こいつが悪魔だと信じきれずに、選択を間違えてしまったぼくにも非はある。

 だから、自分でそれを戒めるように、ぼくは何度でも同じ言葉を紡ぐ。


「ぼくは、お前なんか大っ嫌いだ」

「わたしはすきよ。愛してるわ」

「うるさい、ぼくは帰る」

「ふふ、強情ね」


 愉快そうな笑い声を背にして立ち上がり、ドアへと向かう。そして、ドアノブに手をかけたそのとき、


「悪魔だと知られたからといって明日から急にいなくなるわけでもないし、これからもまたよろしくね。二十歳までずっと一緒よ」

「……死ね」


 それこそ呪いの言葉であるかのようにつぶやいて、ぼくは部屋から出ていったのだった。


       * * *


 次の日、学校に行こうと玄関を出ると、「おはよう」という声が聞こえてきた。小学校に入学してから、毎朝聞き続けてきた声だ。

 顔を上げれば、そこには思った通りの人物がぼくを待っている。その目はまるで狩りでもするかのようにらんらんと輝き、不吉に歪んだ笑みが浮かんでいた。ああ、こいつは悪魔なのだ。

 だけど、いきなり態度を変えては周りの人に怪しまれてしまうだろう。それに、もしかしたら、昨日のことは夢だったのかもしれない。だから、


「おはよう、黒羽」


 ぼくは、いつもどおりにふるまうことを決めた。その笑顔の下に、深い絶望を隠しながら。




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