夜道とアイスのおつり
夜にアイスが食べたくなることがある。
あれ、なんなんだろう。
夕飯も食べた。
お風呂も入った。
歯磨きも、まあ、まだしてない。
そういう時に限って、冷たい甘いものが食べたくなる。
人間の自制心、夜だけ営業時間外になるのやめてほしい。
その日もそうだった。
七月の終わり。
時間は、二十三時を少し過ぎた頃。
私は部屋着にパーカーだけ羽織って、近くのコンビニへ行った。
家から歩いて五分。
駅前でもないし、大きい通りでもない。
でも、コンビニまでなら明るい。
そう思っていた。
⸻
【LINE】
23:11 晶
アイス買ってくる
23:11 芽衣
今から?
23:12 晶
食べたいんだもん
23:12 芽衣
太るぞ
23:12 晶
今それ言う人間きらい〜
23:13 芽衣
気をつけて行きなよ
23:13 晶
近所だから平気だってば
23:13 芽衣
その油断が一番怖いんだから
⸻
芽衣はいつも大げさだ。
そう思った。
でも、今考えると。
あの時の芽衣の方が正しかった。
コンビニは普通だった。
明るい店内。
眠そうな店員。
深夜の揚げ物の匂い。
私はアイスの冷凍ケースの前で少し迷って、棒つきのバニラアイスを買った。
税込み百五十八円。
五百円玉を出した。
おつりは三百四十二円。
レジ横で財布に入れた時、小銭がやけに多い気がした。
でも、ちゃんと確認しなかった。
夜のコンビニ帰りに小銭を数えるほど、私は几帳面じゃない。
そして、それが良くなかった。
外に出ると、空気はぬるかった。
アイスの袋を開ける。
少し溶け始めていた。
私は歩きながら食べた。
行儀悪いな。
そう思いながら、舌先でアイスをなめる。
冷たくて、甘い。
夜道で食べるアイスは、なぜか普通よりおいしい。
背徳感という調味料、本当に性格が悪い。
コンビニの明かりが少しずつ遠ざかる。
角を曲がれば、家まではすぐ。
のはずだった。
その時、向かいからお爺さんが歩いてきた。
白い半袖シャツ。
黒っぽいズボン。
古いサンダル。
背中は少し曲がっている。
手には何も持っていない。
近所の人かな、と思った。
でも、夜中に知らない老人とすれ違うのは、なんとなく嫌だった。
私は少し端に寄った。
お爺さんも、同じ方に寄った。
あっ、これ気まずいやつ。。
そう思って、逆側にずれた。
お爺さんも、同じようにずれた。
偶然にしては、ぴったりだった。
私は足を止めた。
お爺さんも止まった。
そして、私の口元を見た。
アイスではなく。
なぜか、財布を入れているパーカーのポケットを見た。
「鳴っとるね」
お爺さんが言った。
声は、思ったよりはっきりしていた。
「え?」
「小銭」
私はポケットに手を当てた。
歩くたびに、財布の中で小銭が鳴っていた。
ちゃり。
ちゃり。
小さな音。
「鳴らしたらあかんよ」
お爺さんは言った。
「ついてくるから」
意味が分からなかった。
「あの、すみません」
私は横を通ろうとした。
お爺さんは、動かなかった。
「それ、いくらもろた」
「何がですか」
「おつり」
「覚えてないです」
「覚えてない子は、遠くまで行ってまう」
気持ち悪かった。
怖いというより、嫌だった。
言葉が、こっちの中に勝手に入ってくる感じ。
私は黙って通り過ぎた。
後ろから、お爺さんの声がした。
「公園まで鳴らしたら、帰れんよ」
振り返らなかった。
歩く。
早歩きになる。
アイスはもう半分くらい溶けていた。
右手にアイス。
左手でスマホを出す。
芽衣にLINEした。
⸻
【LINE】
23:24 晶
変なおじいさんいたんだけど。。
23:24 芽衣
え、どこ
23:24 晶
コンビニ帰りにね
23:25 芽衣
何されたん?
23:25 晶
小銭鳴らすなって言われた
23:25 芽衣
何それ。。
23:26 晶
ついてくるからって
23:26 芽衣
普通に怖いわ
早く帰りな
23:26 晶
帰ってる途中だよ
⸻
そこで、私は足を止めた。
知らない道だった。
住宅街のはずなのに、道が広い。
街灯が少ない。
右側に、黒い木のかたまりが見える。
公園だった。
広い公園。
フェンスの向こうに、ブランコと滑り台が見えた。
私は、こんな公園を知らない。
家の近くには小さい児童公園しかない。
こんなに広くない。
そもそも、コンビニから家まで五分だ。
公園なんて通らない。
スマホの地図を開いた。
現在地の青い点が、ゆっくり表示される。
そこに出た地名を見て、息が止まった。
水瀬中央公園
家からも、コンビニからも離れている。
歩いたら五キロくらいある場所だった。
私は、コンビニを出てから十分も歩いていない。
⸻
【LINE】
23:29 晶
待って、、
23:29 芽衣
なに
23:29 晶
現在地おかしい
23:30 芽衣
どこ?
23:30 晶
水瀬中央公園って出る
23:30 芽衣
は?
23:30 芽衣
遠くない?
23:31 晶
遠い
23:31 芽衣
誰かに車乗せられた?
23:31 晶
乗ってない
歩いてた
23:31 芽衣
怖い怖い怖い
近くに明るい店ある?
23:32 晶
ない
公園と道だけ
23:32 芽衣
110して
23:32 晶
大げさじゃない?
23:33 芽衣
大げさでいいんだって
高校生が夜に5キロ飛んでる時点で大げさじゃないんだから
⸻
芽衣の言う通りだった。
でも、警察に電話するのはためらった。
説明できない。
アイスを買って歩いてたら、なぜか五キロ先の公園にいました。
どう考えても、寝ぼけた人の供述だ。
私はとりあえず、大通りに出ようと思った。
地図を見る。
公園沿いにまっすぐ行けば、交番があるらしい。
徒歩十二分。
遠い。
でも、じっとしているよりはいい。
私は歩き出した。
ちゃり。
財布の小銭が鳴った。
さっきより、音が大きい気がした。
ちゃり。
ちゃり。
ちゃり。
私はポケットを押さえた。
鳴らしたらあかんよ。
ついてくるから。
お爺さんの声を思い出す。
嫌だった。
私は財布を取り出した。
小銭入れを開ける。
おつりは三百四十二円のはず。
でも、中には十円玉がたくさん入っていた。
十枚どころじゃない。
二十枚。
三十枚。
小銭入れが、重い。
さっきまでこんなに入っていなかった。
しかも、その十円玉はどれも濡れていた。
水に落としたみたいに。
指先が冷たくなる。
私は慌てて小銭入れを閉じた。
その時。
背後で声がした。
「数えたね」
振り返った。
さっきのお爺さんがいた。
公園のフェンスの前。
街灯の下。
さっきより近い。
私は声が出なかった。
お爺さんは、にたっと笑った。
歯が少なかった。
「数えたら、足りんのが分かる」
「なんなんですか」
やっと出た声は、震えていた。
「足りんのよ」
「何が」
「ひとつ」
お爺さんは、私の右手を見た。
アイスは、もうほとんど溶けていた。
白い液が指に垂れている。
私は反射的に手を下げた。
お爺さんは、また財布を見た。
「小銭、ひとつ足りん」
「知りません」
「知らん子は、遠くまで行ってまう」
また同じことを言った。
私は後ずさった。
お爺さんは追ってこない。
でも、目だけがずっとこっちを見ている。
「交番、あっちか?」
私が言うと、お爺さんは首を傾げた。
「おまわりさんは、拾ってくれんよ」
「何を」
「落とした子を」
その言い方が嫌すぎた。
私は走った。
アイスを持ったまま。
公園沿いの道を、ただ走った。
ちゃりちゃりちゃりちゃり。
財布の中で小銭が鳴る。
ポケットを押さえても鳴る。
走ると余計に鳴る。
後ろから、サンダルの音がした。
ぺた。
ぺた。
ぺた。
走っている私と同じ速さで、歩く音がついてくる。
振り返りたくない。
でも、見てしまった。
お爺さんは歩いていた。
走っていない。
ゆっくり。
なのに、距離が縮まらない。
離れない。
ずっと同じ距離で、ついてくる。
私は泣きそうになりながら、芽衣にLINEした。
⸻
【LINE】
23:39 晶
ついてくる
23:39 芽衣
誰が
23:39 晶
さっきのおじいさん
23:39 芽衣
走って逃げて
23:40 晶
走ってる
23:40 芽衣
110して
23:40 晶
打てない
23:41 芽衣
私がする
現在地スクショ送って
23:41 晶
無理
手震える
23:41 芽衣
じゃあ位置共有して
23:42 晶
した
23:42 芽衣
見えたよ!!
警察に言う
23:42 芽衣
絶対公園の中に入らないで
⸻
公園の中。
その言葉を見た直後だった。
前方の道が、工事中でふさがっていた。
赤いコーン。
黄色いバー。
通行止めの看板。
右は車道。
左は公園の入口。
私は立ち止まった。
公園の中を通れば、交番まで近い。
地図ではそう出ている。
でも、芽衣は入るなと言った。
背後から、ぺた、ぺた、と音が近づく。
お爺さんの声。
「公園の中なら涼しいよ」
私は唇を噛んだ。
「アイス、溶けるよ」
その言葉が、妙に普通で気持ち悪かった。
私は公園に入らず、車道側の歩道へ出た。
遠回りでも、明るい方へ行く。
そう決めた。
その瞬間。
財布の中から、小銭が一枚、落ちた。
ちゃりん。
足元に転がる。
十円玉だった。
拾わなかった。
拾いたくなかった。
でも、体が一瞬止まった。
お爺さんが後ろで言った。
「拾わんと」
私は走り出した。
「拾わんと、数が合わん」
知らない。
合わなくていい。
私はアイスを近くのゴミ箱に投げ捨てた。
もう食べるどころじゃなかった。
手がべたべただった。
息が苦しい。
スマホが震える。
⸻
【LINE】
23:47 芽衣
警察つながった
23:47 芽衣
近くの巡回に連絡してくれるって
23:48 芽衣
今どこ
23:48 晶
公園沿い
工事のとこ避けた
23:48 芽衣
えらい
そのまま明るい方へ
23:49 晶
小銭落とした
23:49 芽衣
拾わなくていいから
23:49 晶
拾ってない
23:50 芽衣
えらい
⸻
その時、前からライトが見えた。
自転車だった。
白い自転車。
乗っていたのは、警察官だった。
制服の人を見た瞬間、体の力が抜けそうになった。
「君、大丈夫?」
警察官が止まった。
私は何を言えばいいか分からなくて、ただ頷いた。
「友達から通報が入ってる。晶さん?」
名前を呼ばれて、少し安心した。
「はい」
「変な人につけられてるって」
私は後ろを指さした。
でも。
お爺さんはいなかった。
公園のフェンス。
街灯。
暗い道。
誰もいない。
あのサンダルの音も消えていた。
「さっきまで、いました」
「どんな人?」
「お爺さんで、白いシャツで、小銭がどうとか言ってて」
警察官の顔が、少しだけ変わった。
ほんの一瞬。
でも、私は見逃さなかった。
「……小銭?」
「はい」
「財布、鳴ってた?」
私は頷いた。
警察官は、少し困ったような顔をした。
「とりあえず、ここから離れよう。交番まで乗っていく?」
「いいんですか」
「この時間に一人で歩かせられないよ」
まともな大人の言葉だった。
泣きそうになった。
人間社会、たまにちゃんと機能する。
そのたまにが今で本当に助かった。
私は警察官の自転車の横を歩いた。
警察官は無線で何か連絡しながら、ゆっくり進んでくれた。
公園の入口を通り過ぎる時。
中から、ちゃりん、と音がした。
小銭の音。
私は肩を震わせた。
警察官がすぐに言った。
「見なくていいから」
「聞こえました?」
「見なくていい」
答えになっていない。
でも、それ以上聞けなかった。
⸻
交番に着くと、別の警察官がいた。
私は椅子に座らされ、水をもらった。
芽衣にも連絡した。
⸻
【LINE】
00:08 晶
交番着いた
00:08 芽衣
よかった!!!!
00:08 芽衣
ほんとよかった
00:09 晶
警察官いた
00:09 芽衣
泣きそう
00:09 晶
私も
00:10 芽衣
親呼びな
00:10 晶
呼ばれると思う
00:10 芽衣
怒られても生きてるだけで勝ち
00:11 晶
それはそう
⸻
警察官は、親に連絡してくれた。
深夜に外へ出たことで、母には後でめちゃくちゃ怒られた。
当然だ。
私でも怒る。
交番で待っている間、最初に助けてくれた警察官が、私に聞いた。
「小銭、見せてもらってもいい?」
私は財布を出した。
正直、触りたくなかった。
警察官は手袋をして、小銭入れを開けた。
中を見て、眉を寄せた。
十円玉が、ぎっしり入っていた。
数えると、四十二枚。
おつりでそんなに入るわけがない。
しかも、そのうち一枚だけが古かった。
十円玉ではなかった。
穴のない、薄く黒ずんだ小銭。
文字はほとんど読めない。
警察官はそれを見て、すぐに小さな袋に入れた。
「これ、どこで拾った?」
「拾ってないです」
「コンビニでもらった?」
「分かりません。おつりは普通にもらったと思います」
「そう」
警察官は、それ以上問い詰めなかった。
ただ、静かに言った。
「次から、夜に小銭を鳴らしながら歩かない方がいい」
「……あのお爺さんと同じこと言いますね」
そう言うと、警察官は少しだけ黙った。
「この辺り、たまにいるんだよ」
「何がですか」
「説明しづらい人」
警察官がそんな言い方をするのが、余計に怖かった。
「お爺さんなんですか?」
「お爺さんに見える時もある」
「他の時もあるんですか」
警察官は答えなかった。
そのかわり、袋に入れた古い小銭を見た。
「公園の中に、昔、小銭を集める変な人がいたって話は聞いたことがある」
「昔?」
「詳しいことは知らない。噂みたいなもの」
「幽霊ってことですか」
「警察は、そういう言い方はしない」
じゃあ何て言うんだ。
変質者か。
不審者か。
説明しづらい人か。
大人の語彙は、怖いものをぼかすためにあるらしい。
⸻
母が迎えに来た。
めちゃくちゃ怒られた。
でも、途中で私の顔を見て、怒るのをやめた。
「無事でよかった」
そう言われたら、急に涙が出た。
家に帰る車の中で、私は何度も後ろを見た。
誰もいない。
公園も通らない。
なのに、耳の奥でずっと小銭の音がしていた。
ちゃり。
ちゃり。
ちゃり。
⸻
翌日。
コンビニに行く気にはなれなかった。
でも、母がレシートを確認したいと言うので、財布を開けた。
小銭入れは空にしたはずだった。
交番で、全部出したはずだった。
なのに。
一枚だけ残っていた。
十円玉ではない。
黒ずんだ古い小銭。
警察官が袋に入れたはずのものと、同じように見えた。
私は叫びそうになって、財布を落とした。
小銭が床に転がる。
ちゃりん。
その音がした瞬間。
スマホが震えた。
芽衣からだった。
⸻
【LINE】
10:16 芽衣
昨日の公園のことなんだけど
10:16 晶
なに
10:17 芽衣
地図見直した
10:17 晶
うん
10:18 芽衣
晶の位置共有
一回だけ変な動きしてた
10:18 晶
どういうこと
10:19 芽衣
コンビニ出てから
ずっと公園にいたみたいになってる
10:19 晶
え
10:20 芽衣
歩いた記録がない
10:20 芽衣
最初からそこに立ってたみたいに表示されてる
⸻
私は床の小銭を見た。
拾いたくなかった。
でも、拾わないと母に見つかる。
ティッシュで包んで、机の引き出しに入れた。
その日の夜。
引き出しの中から、音がした。
ちゃり。
一回だけ。
それ以来、私は夜にアイスを買いに行かない。
小銭も、なるべく持ち歩かない。
コンビニでは電子決済にしている。
でも、たまに財布の中で音がする。
入れた覚えのない小銭が、どこかで鳴る。
ちゃり。
その音を聞くと、あの声を思い出す。
「鳴らしたらあかんよ」
「ついてくるから」
そして、今でも少しだけ思う。
あの夜、もし警察官が来てくれなかったら。
私は公園の中に入っていたんだろうか。
そこで小銭を全部数えて。
最後の一枚が足りないまま。
まだ、帰り道を探していたんだろうか。




