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怖い話_続  作者: 三葉


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6/25

ぬいぐるみのマイク

さちこは、本名でゲーム配信をしていた。


漢字ではなく、ひらがな。


さちこ


覚えやすいから。

親しみやすいから。

変にキャラを作るより楽だから。


そう言っていた。


彼氏はいない。

夫もいない。

都内のワンルームで一人暮らし。


配信部屋は、生活感と配信者っぽさが半分ずつ混ざっていた。


黒いゲーミングデスク。

光るキーボード。

大きなモニター二枚。

背中まですっぽり包むゲーミングチェア。

壁際には防音っぽいパネル。


そして、デスクの横の棚に。


灰色の犬のぬいぐるみが一体。


視聴者から送られてきたものだった。


丸い耳。

黒いボタン目。

少し斜めに縫われた口。


さちこはそれを、配信のたびに画面の端へ映していた。


「かわいいから置いてるだけ」


そう言っていた。


あの日も、いつも通りだった。


七月の終わり。


深夜二時。


配信タイトルは、こうだった。


【深夜ホラゲ】寝る前にちょっとだけやる【さちこ】


ちょっとだけ。


配信者がこの言葉を使う時点で、人類の時間管理は終わっている。

だいたい朝になる。



【配信ログ】


02:03 さちこ

こんばんはー。声入ってる?


02:03 コメント

入ってる


02:03 コメント

きたーー


02:03 コメント

深夜にホラゲ助かる


02:04 さちこ

助かるかなあ。私が助からない可能性があるけど


02:04 コメント


02:04 コメント

今日のぬいぐるみ近くない?


02:04 さちこ

あ、これ?

もらったやつ。かわいいでしょ


02:05 コメント

名前つけた?


02:05 さちこ

つけてないよ

勝手につけると怒られそうじゃない?


02:05 コメント

誰に?


02:05 さちこ

え、だれだろ。

だれかにかな?



ゲームは、よくある一人称視点のホラーゲームだった。


古いアパートを探索する。

鍵を探す。

メモを読む。

暗い廊下で足音がする。


ありがちなやつ。


でも、視聴者はそういうのが好きだった。


さちこも怖がりながら、うまく実況していた。



02:18 さちこ

待って待って待って

今なんか足音した?


02:18 コメント

した


02:18 コメント

ゲーム内の?


02:18 コメント

リアルの音じゃない?


02:19 さちこ

やめて

リアルはやめて

こわいよ


02:19 コメント

ぬいぐるみの方から聞こえた


02:19 さちこ

はいはい、そういうのいいから


02:19 コメント

いやマジ


02:20 コメント

犬のぬい、ちょっと傾いてない?


02:20 さちこ

傾いてないって

ほら



さちこはカメラに向けて、棚のぬいぐるみを見せた。


灰色の犬。


少し斜めに座っている。


「元からこうだって」


さちこは笑った。


その時、コメントが一つ流れた。



02:21 さちこ

さわらないで



コメント欄が止まった。


一瞬だけ。


そのあと、急に流れが速くなった。



02:21 コメント

え?


02:21 コメント

今の本人?


02:21 コメント

さちこ打った?


02:21 コメント

配信中にコメントしてる?


02:22 さちこ

え、何?


02:22 コメント

今さちこ名義でコメント流れた


02:22 さちこ

いや、打ってないよ

手、ここにあるじゃん


02:22 コメント

「さわらないで」って


02:22 さちこ

え、怖



さちこは笑っていた。


でも、その笑い方は少し硬かった。


左手はコントローラー。

右手はマウス。

スマホは机の上。


コメントを打てる状態ではなかった。


それでも、本人アカウントからコメントが流れた。



02:23 さちこ

見ないで


02:23 コメント

また来た


02:23 コメント

本人垢じゃん


02:23 コメント

乗っ取られてる?


02:23 コメント

怖い怖い


02:24 さちこ

待って、パスワード変えた方がいい?

いや今配信中なんだけど


02:24 コメント

配信切って確認した方がよくない?


02:24 コメント

やらせ?


02:24 コメント

これ仕込み?


02:24 さちこ

仕込んでないから怖いんだって



その時、モデレーターの灯里からLINEが来た。



【LINE】


02:25 灯里

今の何?


02:25 さちこ

知らない


02:25 灯里

本人垢から出てるよ


02:26 さちこ

ログイン履歴見た方がいい?


02:26 灯里

配信一回止める?


02:26 さちこ

同接増えてるから切りづらい。。


02:27 灯里

配信者魂出すとこじゃない


02:27 さちこ

それはそうだけどさ



さちこの同接は、いつもより多かった。


普段の深夜配信なら、百人前後。


その日は、二百を超えていた。


怪異より数字を見てしまう。


人間の業である。

怖い話より怖い。


さちこは、少しだけ声を明るくした。


「とりあえず続けます。怖くなったら切るから」


コメント欄は盛り上がった。



02:29 コメント

無理しないで


02:29 コメント

切っていいよ


02:29 コメント

いやつづき見たい


02:29 コメント

神回の予感


02:29 コメント

ぬいぐるみ映して


02:30 さちこ

映さないよ。怖いから


02:30 コメント

正解


02:30 コメント

でも画面端に映ってる


02:30 さちこ

え?



配信画面の右端。


棚の端に、ぬいぐるみの耳だけが映っていた。


さっきより、少し近い。


ように見えた。


さちこはカメラを確認した。


「いや、カメラ位置変えてないよ?」


コメントが流れる。



02:31 コメント

近い


02:31 コメント

耳だけ見えてるの怖い


02:31 コメント

画角に入ってきてる


02:31 コメント

誰か動かした?


02:32 さちこ

私しかいないって


02:32 コメント

知ってるから怖い



さちこはゲームを再開した。


ゲームの中では、主人公がアパートの一室に入ったところだった。


部屋には机がある。

PCがある。

椅子がある。


「うわ、私の部屋みたい」


さちこが言った。


冗談のつもりだった。


でも、視聴者は笑わなかった。


ゲーム内の机の上に、モニターが二枚あった。


左にキーボード。

右にマウス。

奥にマイク。


そして棚の上に、灰色の犬のぬいぐるみ。


さちこが黙った。


ゲーム内の部屋は、彼女の配信部屋に似すぎていた。



02:38 コメント

え、部屋同じじゃない?


02:38 コメント

こんなゲームだったっけ


02:38 コメント

MOD?


02:38 コメント

棚のぬいぐるみ一緒、、?


02:39 さちこ

待ってよ

このゲーム、初見だよね?


02:39 コメント

初見って言ってた


02:39 コメント

タイトル教えて


02:39 コメント

検索したけどそんな部屋出ないっぽい


02:40 さちこ

ちょっと、ほんとにやめて



ゲーム画面の中で、主人公の視点が勝手に動いた。


コントローラーに触れているさちこの手は、固まっている。


画面内の視点は、ゆっくり棚へ向かった。


ぬいぐるみに近づく。


灰色の犬。


ボタン目。


斜めの口。


画面の中央に表示が出た。


調べる


さちこはボタンを押していない。


それなのに、画面が切り替わった。


テキストが表示された。



これは、さちこさんのものではない。



コメントが荒れた。



02:41 コメント

やばい


02:41 コメント

今操作してないよね?


02:41 コメント

鳥肌


02:41 コメント

名前出た


02:41 コメント

本名でやってるから?


02:42 コメント

これマジで中断した方が良くない?


02:42 さちこ

ごめんみんな。一旦配信終わるよ

さすがに切る

ヤバいからこれ



さちこはマウスを動かし、配信終了ボタンへカーソルを持っていった。


OBSの画面が映った。


そこに、見慣れない音声入力があった。


いつものマイク。

デスクトップ音声。

ゲーム音声。


その下。


ぬいぐるみのマイク


緑の音量バーが、ゆっくり上下していた。


部屋は静かだった。


さちこは喋っていない。


それでも、音量バーだけが動いている。



02:44 コメント

何それ


02:44 コメント

ぬいぐるみのマイク?


02:44 コメント

そんなデバイス名ありえないよ


02:44 コメント

音声メーター動いてる


02:45 さちこ

私、こんなの入れてない


02:45 コメント

ミュートして


02:45 コメント

聞きたい


02:45 コメント

聞くな聞くな



さちこは震える手で、その音声入力のミュートを外してしまった。


ほんの一秒。


いや、たぶん二秒。


配信に、音が乗った。


ざり。


布をこするような音。


そのあと、小さな声。


「さちこさん」


さちこは椅子ごと後ろへ下がった。


ゲーミングチェアのキャスターが床を鳴らした。



02:46 コメント

今声した!!


02:46 コメント

男?


02:46 コメント

子ども?


02:46 コメント

さちこさんって言った


02:46 コメント

ミュートして!


02:47 さちこ

した!

ミュートした!


02:47 コメント

まだメーター動いてる


02:47 コメント

ミュート貫通してない?



さちこの画面では、確かにミュートになっていた。


赤い斜線がついている。


でも、配信には音が乗り続けた。


ざり。


ざり。


布が何かを這うような音。


そして、声。


「呼んでいいんですよね」


さちこの顔から、血の気が引いた。



【LINE】


02:48 灯里

配信切って、はやく


02:48 さちこ

切れない、、きれない!


02:48 灯里

何で


02:49 さちこ

終了ボタン押しても戻っちゃう


02:49 灯里

PCの電源は落とせる?


02:49 さちこ

マウスが勝手に動いて無理だよ


02:49 灯里

電源長押し


02:50 さちこ

怖くて机に近づけない



コメント欄は、もう実況状態だった。



02:50 コメント

犬のぬいぐるみ、右向いたよ


02:50 コメント

いや向いてないだろ!


02:50 コメント

耳動いてる


02:50 コメント

錯覚だろ


02:51 コメント

配信画面なんか遅延してる?


02:51 コメント

さちこ今LINEしてるよね?


02:51 コメント

顔映ってるけどスマホ触ってない?


02:51 コメント

本人垢また来るぞ



その直後。


また、さちこ本人のアカウントからコメントが流れた。



02:52 さちこ

みんな見てる


02:52 コメント

また本人垢で呟いてる!


02:52 コメント

さちこ打ってないのにヤバ


02:52 コメント

こわ


02:52 さちこ

見てるからはいれる


02:53 コメント

何が?


02:53 コメント

誰が入るの?


02:53 コメント

玄関見て


02:53 コメント

見ちゃだめでしょ



部屋のマイクが、小さな音を拾った。


ピンポーン。


インターホンではない。


さちこの部屋のインターホンは、もっと電子音が高い。


今の音は、古いチャイムみたいだった。


ピンポーン。


さちこは息を止めた。


「え?うそでしょ」


そう言った。


声が震えていた。


ピンポーン。


三回目。


コメントが一斉に流れる。



02:54 コメント

鳴ってる


02:54 コメント

部屋の外?


02:54 コメント

誰か来てるの?


02:54 コメント

深夜3時前だぞ


02:54 コメント

開けちゃだめだよぜったい


02:55 コメント

警察呼べ


02:55 コメント

住所バレ?リスナー凸?


02:55 コメント

?何が起こってるんだ



さちこはスマホを持った。


でも、画面を見て固まった。


LINEが開いていた。


相手は灯里。


入力欄に、勝手に文字が出ていた。



【LINE】


02:55 さちこ

入れた



さちこは叫んだ。


「わたし打ってない!」


灯里からすぐ返信が来た。



02:55 灯里

何を?


02:56 さちこ

打ってない


02:56 灯里

玄関開けたの?


02:56 さちこ

開けてない


02:56 灯里

じゃあ今の何



その時、配信画面のゲームが勝手に動き始めた。


ゲーム内の部屋。


さちこの部屋と同じ形の部屋。


その中のゲーミングチェアに、誰かが座っていた。


顔は映らない。


背中だけ。


長い髪ではない。

男とも女とも分からない。


ただ、椅子に深く座って、モニターを見ている。


画面内のモニターには、コメント欄が映っていた。


今、現実で流れているコメントと同じもの。


そのゲーム内コメント欄にも、同じコメントが流れた。



02:57 さちこ

さちこさん、配信中ですよ



現実のコメント欄にも、同じ文が出た。


さちこ本人のアカウントで。


さちこは、もう喋らなかった。


口を押さえて、画面を見ているだけだった。



02:58 コメント

ゲーム内にこっちのコメント映ってる


02:58 コメント

ループしてる?


02:58 コメント

画面の中で配信してる


02:58 コメント

やばいって!!配信切れ


02:59 コメント

さちこ動いて


02:59 コメント

後ろ


02:59 コメント

後ろ見るな、みちゃだめ


02:59 コメント

ぬいぐるみ消えてない?



さちこは、ゆっくり棚を見た。


さっきまで、そこにあった灰色の犬のぬいぐるみがなかった。


棚は空だった。


そのかわり。


ゲーミングチェアの背もたれの上。


ちょうど、さちこの肩の後ろ。


そこに、灰色の耳が少しだけ見えていた。


配信画面の端に。


リスナー全員が、それを見ていた。



03:00 コメント

肩の後ろ


03:00 コメント

いるいるいる


03:00 コメント

ぬいぐるみそこ


03:00 コメント

さちこ逃げて


03:00 コメント

触るな


03:01 コメント

耳だけ出てる


03:01 コメント

近すぎ


03:01 コメント

誰か通報した?



さちこは勢いよく立ち上がった。


ゲーミングチェアが後ろに倒れた。


大きな音がした。


その瞬間、ぬいぐるみらしきものも床に落ちた。


カメラの死角へ。


さちこは部屋のドアへ走った。


しかし、配信は続いていた。


カメラには、誰もいないゲーミングデスクが映っている。


モニターの光。

倒れたゲーミングチェア。

床に落ちたクッション。

棚の空白。


そして、マイクだけが音を拾っていた。


ドアノブを回す音。


ガチャ。


ガチャガチャ。


開かない。


さちこの声。


「開かない、開かない!」


コメント欄が流れる。



03:03 コメント

ドア開かない?


03:03 コメント

内側から?


03:03 コメント

管理会社呼べ


03:03 コメント

窓は?


03:04 コメント

ここ何階?


03:04 コメント

本名でやってるから住所バレしたとかじゃなくて?


03:04 コメント

違うだろこれ



その時、さちこのアカウントから、またコメントが流れた。



03:05 さちこ

住所いらない


03:05 さちこ

名前で足りる



コメント欄が、完全に止まった。


流れが一瞬だけ消えた。


そして、爆発したように流れ出した。



03:05 コメント

やばい


03:05 コメント

これ無理


03:05 コメント

名前で足りるって何


03:05 コメント

本名呼びしてたから?


03:06 コメント

さちこ、返事するな


03:06 コメント

本名呼ばれても返事するな



画面外で、さちこが泣きそうな声を出した。


「誰なの」


返事があった。


さちこの声ではない。


灯里の声でもない。


低くも高くもない。


近いのに、マイクの奥から聞こえる声。


「視聴者です」


さちこが黙った。


コメントも一瞬遅れて止まった。


「いつも、見ています」


声は続けた。


「さちこさんが、名前で呼んでくれるから」


配信者はコメントを読む。


名前を呼ぶ。


「初見さん、いらっしゃい」

「いつもありがとう」

「また来てね」


それは配信では普通のことだった。


普通のことのはずだった。


でも、その声は。


名前を呼ばれることを、入口みたいに言った。



【LINE】


03:08 灯里

さちこ

聞こえてる?


03:08 灯里

返事しなくていい


03:08 灯里

部屋から出られないなら

電源コード抜いて


03:09 灯里

さちこ


03:09 灯里

さちこ



配信画面には、誰もいない。


けれど、マウスカーソルだけが動いた。


OBSの画面。


マイク一覧。


ぬいぐるみのマイク


その名前が、ゆっくり変わった。


一文字ずつ。


さちこさんのマイク


音量バーが、緑から黄色へ上がる。


そして赤に振れた。


声がした。


「返事をください」


さちこが、画面外で息を呑む。


「何の」


そう言ってしまった。


コメントが一斉に流れる。



03:10 コメント

返事した


03:10 コメント

言っちゃった


03:10 コメント

さちこ返事するなって


03:10 コメント

やばい


03:10 コメント

何のって聞いちゃった



声は、嬉しそうだった。


「いただきました」


さちこが叫んだ。


「違う! 今のは違う!」


「お返事、いただきました」


「違うって!」


「では、次は」


そこで、ゲーム画面が切り替わった。


ゲーム内の部屋。


デスク。

モニター。

ゲーミングチェア。

棚。


そこに、さちこが座っていた。


現実のさちこではない。


ゲーム内のモデルみたいな、粗い人影。


その膝の上に、灰色の犬のぬいぐるみ。


画面には、選択肢が出ていた。



名前を呼ぶ


名前を呼ばない



カーソルが、勝手に動いた。


名前を呼ぶ


そこに重なる。


さちこが画面外で叫んだ。


「やめて!」


クリック音。


配信に、何人もの声が重なった。


視聴者のコメント読み上げではない。


ゲーム音声でもない。


男の声。

女の声。

子どもの声。

老人の声。


全部が、同じ名前を呼んだ。


「さちこさん」


「さちこさん」


「さちこさん」


「さちこさん」


コメント欄が流れる。



03:13 コメント

音やばい


03:13 コメント

名前呼んでる


03:13 コメント

こわすぎ


03:13 コメント

イヤホン外した


03:13 コメント

ミュートしても聞こえるんだけど


03:14 コメント

配信閉じても音する


03:14 コメント

嘘だろ


03:14 コメント

俺も聞こえる



このあたりから、後に語られる内容が割れる。


ある視聴者は、画面が真っ黒になったと言った。


別の視聴者は、さちこが椅子に戻ってきたと言った。


また別の視聴者は、ぬいぐるみだけがゲーミングチェアに座っていたと言った。


ただ、共通していることがある。


午前3時33分。


配信タイトルが勝手に変わった。



【深夜ホラゲ】寝る前にちょっとだけやる【さちこ】


から。



【深夜】さちこさんを見ています【全員】



になった。


さちこ本人は、その時間、配信画面に映っていなかった。


コメント欄には、本人アカウントから短い文章が流れた。



03:34 さちこ

みんなも見ています


03:34 さちこ

見ている人は


03:34 さちこ

呼ばれます



そのあと、配信の音声にノイズが入った。


ざり。


ざり。


布をこするような音。


そして、小さな声。


「次、誰の名前にしますか」


その瞬間、コメント欄が止まった。


全員が打てなくなった、と後で何人も言っていた。


キーボードが反応しない。

スマホの文字入力が出ない。

コメント欄だけ固まる。


なのに、画面は動いている。


ゲーム内の部屋で。


灰色の犬のぬいぐるみが、ゆっくりこちらを向いていた。


ボタン目が、モニターの光を反射していた。


斜めの口が、笑っているように見えた。



【LINE】


03:39 灯里

さちこ


03:39 灯里

今から家行く


03:39 灯里

返事しなくていい


03:40 灯里

でも既読だけつけて


03:41 灯里

お願い


03:42 灯里

既読ついた


03:42 灯里

さちこ?


03:43 さちこ

配信中です


03:43 灯里


03:44 さちこ

見ています



午前3時58分。


配信は突然終了した。


終了画面も出なかった。


「配信が終了しました」という表示だけが出た。


アーカイブは残らなかった。


チャンネルの履歴にもない。


通知履歴にも、配信時間だけが残っていた。


02:03〜03:58


ただし、コメント欄の一部をコピペしていた視聴者がいた。


配信を録画していた人もいたらしい。


けれど、録画ファイルはどれも開けなかったという。


黒い画面に、音だけ。


しかも、その音も数秒で止まる。


唯一残っていたとされる音声は、三秒だけ。


布のこすれる音。


そのあとに、声。


「さちこさん、配信中ですよ」


それだけ。



翌朝。


さちこは普通にSNSを更新した。



【投稿】


昨日の深夜配信、変な終わり方になってごめん。

たぶん寝落ちかPC不調です。

アーカイブ残ってないっぽい。

心配かけてごめんね。

私は無事です。



リプ欄は荒れた。


「寝落ちじゃないだろ」

「最後の何?」

「ぬいぐるみどこいった?」

「ヤラセなら完成度高すぎ」

「怖すぎて途中で閉じた」

「アーカイブないの逆に怪しい」

「神回」

「もう一回やって」


さちこは、それ以降しばらく配信を休んだ。


一週間後に戻ってきた時。


部屋は少し変わっていた。


ゲーミングPC。

ゲーミングチェア。

ゲーミングデスク。


それらは前と同じ。


でも、棚の上から、灰色の犬のぬいぐるみだけが消えていた。


視聴者が聞いた。



【配信ログ】


21:06 コメント

ぬいぐるみ捨てた?


21:06 さちこ

あー、あれね


21:07 コメント

どこやったの?


21:07 さちこ

分かんない


21:07 コメント

分かんない?


21:08 さちこ

起きたらなかった


21:08 コメント


21:08 コメント

警察案件では


21:08 さちこ

いや、でも部屋は荒らされてないし

鍵も閉まってたし


21:09 コメント

じゃあどこ行ったんだよ


21:09 さちこ

知らない



さちこは笑っていた。


でも、その笑い方は前より少し薄かった。


その日の配信は、短く終わった。


二十二時前。


健全な時間だった。


深夜配信は、しばらくやらないと言った。


ただ、最後に妙なことがあった。


配信を切る直前。


コメント欄に、ひとつだけ知らないアカウントが流れた。


アイコンは灰色。


名前は空欄。


本文は、短かった。



21:58 

本名、変えた方がいいですよ



さちこはそれを読まなかった。


読まなかったふりをした。


コメント欄でも、気づいた人は少なかった。


けれど、その一文を見た視聴者がスクショして拡散した。


それから、あの深夜配信は一部のホラー好きの間で、こう呼ばれるようになった。


ぬいぐるみのマイク回


信じている人は、今でも「あれは本物だった」と言う。


信じていない人は、よくできたヤラセか、配信ソフトの不具合だと言う。


どっちでもいい。


ただ、ひとつだけ変な話がある。


あの配信をリアルタイムで見ていた視聴者のうち、何人かが。


その後、自分の配信や通話で、同じ音を拾ったらしい。


ざり。


ざり。


布をこするような音。


そして、知らない声で。


自分の名前を呼ばれる。


さちこは今、配信者名を変えている。


本名ではない。


部屋にぬいぐるみも置いていない。


深夜二時を過ぎたら、配信もしない。


それでもたまに、コメント欄に流れるらしい。


空白の名前で。


たった一言。



見ています

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