青い洗濯バサミ
八月の夜だった。
湿気がひどかった。
部屋の中にいるだけで、肌に薄い膜が張るみたいだった。
しかも、最悪なことに。
洗濯機が壊れた。
脱水の途中で止まったまま、うんともすんとも言わない。
洗濯槽の中には、汗を吸った部屋着。
タオル。
シーツ。
仕事用のブラウス。
放置したら終わる。
匂い的に。
人間関係より先に、洗濯物が腐る。
夏という季節、本当に余計な仕事を増やしてくる。
私はスマホで検索した。
近くの24時間コインランドリー。
徒歩八分。
時間は、午前一時四十二分。
行きたくない。
でも、行かない選択肢もなかった。
⸻
【LINE】
01:44 奈央
洗濯機死んだ
01:44 真依
この時間に?
01:45 奈央
この時間に
01:45 真依
明日でよくない?
01:45 奈央
シーツ入ってる
夏場に一晩放置は無理
01:46 真依
地獄
01:46 奈央
コインランドリー行ってくる
01:47 真依
深夜に?
01:47 奈央
近いから平気
01:47 真依
その台詞、だいたい平気じゃないやつ
⸻
洗濯物を大きな袋に詰めて、私は部屋を出た。
外は蒸し暑かった。
アスファルトが昼間の熱をまだ持っている。
誰も歩いていない。
コンビニの明かりだけが、遠くで白く光っていた。
コインランドリーは、高架下にあった。
店名は、
ランドリーみずあめ
妙にかわいい名前だった。
ガラス張りの店内は明るい。
中には誰もいない。
洗濯乾燥機がずらっと並んでいる。
壁には白い時計。
洗剤の自販機。
忘れ物入れのカゴ。
細いテーブルと、丸い椅子が三つ。
私は少し安心した。
明るい。
清潔そう。
まあ、深夜のコインランドリーが明るいだけで安心するのも、よく考えると生活の敗北である。
店内に入ると、機械の低い音がしていた。
何台かは稼働中。
でも、人はいない。
私は空いている洗濯乾燥機を探した。
一番奥。
十二番だけが空いていた。
他は全部、使用中か故障中。
十二番の扉には、青いテープで小さく印がついていた。
でも、使用禁止とは書いていない。
画面には、緑色でこう出ている。
空き
私は洗濯物を入れようとして、手を止めた。
洗濯槽の中に、何かあった。
青い洗濯ばさみ。
小さな、プラスチックのもの。
誰かの忘れ物だろう。
私はそれをつまんで、近くの忘れ物カゴへ入れた。
その瞬間。
背中の方で、機械の音が少し大きくなった気がした。
ごうん。
ごうん。
気のせいだと思った。
私は洗濯物を十二番に入れた。
シーツ。
タオル。
部屋着。
ブラウス。
洗濯ネット。
扉を閉める。
スマホで決済する。
画面に通知が出た。
⸻
【ランドリーみずあめ】
01:58
十二番
洗濯乾燥を開始しました。
終了予定 02:40
⸻
「便利」
そう呟いた。
深夜にスマホひとつで洗濯ができる。
文明、たまには役に立つ。
まあ、その文明がだいたい変な通知を送ってくるのだが。
⸻
【LINE】
01:59 奈央
始めた
01:59 真依
人いる?
01:59 奈央
いない
02:00 真依
逆に怖い
02:00 奈央
明るいから平気
02:00 真依
その平気も信用ならん
02:01 奈央
十二番しか空いてなかった
02:01 真依
番号まで言うな
怖くなる
02:02 奈央
怖がりすぎ
⸻
私は丸椅子に座った。
店内は冷房が効いていた。
けれど、なぜか奥の方だけ少し湿っている。
十二番の周りだけ、床がうっすら濡れているように見えた。
洗濯物の水気だろうか。
まあ、コインランドリーだし。
そう思おうとした。
壁に、一冊のノートが吊るされていた。
表紙にマジックで書いてある。
お忘れ物ノート
暇だったので、何となく開いた。
日付。
忘れ物。
名前。
連絡先。
そういう欄があった。
ほとんどは普通だった。
七月三日。
黒い靴下片方。
七月十日。
白いタオル。
七月二十六日。
子ども用パーカー。
八月二日。
洗濯ネット。
文字はバラバラだった。
たぶん、利用者が自分で書いている。
でも、途中から妙だった。
八月九日。
まだ乾かない
八月十日。
中身を全部持って帰らない
八月十二日。
青い洗濯ばさみを戻すこと
私はページを閉じた。
見なければよかった。
暇つぶしで不安材料を摂取する。
本当に人間は学習しない。
その時、スマホが震えた。
ランドリーの通知だった。
⸻
【ランドリーみずあめ】
02:11
十二番の中身が増えました。
⸻
私は画面を見つめた。
意味が分からなかった。
中身が増えました?
そんな通知、普通ある?
洗濯物が増えるわけがない。
私は十二番を見た。
ドラムは回っている。
中の洗濯物がぐるぐる回っている。
白いシーツ。
タオル。
部屋着。
その中に、一瞬だけ。
黒っぽい布が見えた。
私は立ち上がった。
近づいて見る。
回転が速くて、よく分からない。
でも、入れた覚えのない色だった。
黒。
いや、濃い灰色。
男物のシャツみたいに見えた。
⸻
【LINE】
02:13 奈央
変な通知来た
02:13 真依
どんな?
02:14 奈央
十二番の中身が増えましたって
02:14 真依
なにそれ
02:14 奈央
分からん
02:15 真依
誰か入れた?
02:15 奈央
誰もいない
02:15 真依
怖いから店出て外で待てば?
02:16 奈央
洗濯物置いて?
02:16 真依
命と洗濯物なら命
02:16 奈央
そこまでではない
02:17 真依
分からんやろ
⸻
入口の自動ドアが開いた。
私はびくっとした。
入ってきたのは、女の人だった。
年齢は三十代くらいに見える。
白いシャツに、紺色のエプロン。
髪は後ろでひとつに結んでいる。
店員だろうか。
この時間に?
女の人は私を見て、少しだけ笑った。
「十二番ですか」
最初の一言が、それだった。
「え?」
「十二番をお使いですか」
「あ、はい」
「お名前は」
「え、名前?」
「確認です」
私は少し迷った。
でも、店員っぽいし、決済アプリに名前が出ているのかもしれない。
「佐伯です」
女の人は、困ったような顔をした。
「下の名前は」
「奈央です」
言ってから、後悔した。
深夜に知らない人へフルネームを言うな。
自分の防犯意識の薄さに引いた。
女の人は、うなずいた。
「では、まだ乾きませんね」
「え?」
「佐伯奈央さんの分は、まだ乾きません」
その言い方が変だった。
洗濯物の話じゃないみたいだった。
「終了予定、二時四十分って出てますけど」
「予定は、よく戻ります」
「戻る?」
女の人は、十二番を見た。
「中身が増えると、時間も増えます」
私は返事ができなかった。
女の人は、忘れ物カゴの方へ歩いた。
そして、さっき私が入れた青い洗濯ばさみを拾った。
「これは、戻さない方がいいです」
「忘れ物じゃないんですか」
「忘れ物です」
「じゃあ、カゴでいいんじゃ」
「忘れられたものは、戻りたがります」
女の人はそう言って、青い洗濯ばさみを十二番の上に置いた。
「終わったら、全部持って帰らないでくださいね」
「どういう意味ですか」
「混ざったものまで持ち帰ると、部屋を覚えます」
そう言うと、女の人は店の奥へ行った。
奥にはスタッフルームのような扉があった。
でも、その扉には鍵がかかっているように見えた。
女の人はそこを開けず、洗剤自販機の横に立った。
そして、いつの間にかいなくなっていた。
本当に。
目を離していないはずなのに。
いなくなっていた。
⸻
【LINE】
02:24 奈央
店員みたいな人来た
02:24 真依
よかったじゃん
02:25 奈央
よくない
変なこと言われた
02:25 真依
何て
02:26 奈央
混ざったものまで持ち帰ると部屋を覚えるって
02:26 真依
もう帰れ
02:26 奈央
洗濯物
02:27 真依
だから命と洗濯物なら命って言ってるだろ
02:27 奈央
でも仕事用のブラウス入ってる
02:28 真依
ブラウスに人生握られるな
⸻
その時、十二番の画面が光った。
終了予定が表示される。
残り 12分
少し安心した。
あと十二分。
終わったら、すぐに出よう。
そう思った。
けれど、三分後。
画面はこう変わっていた。
残り 19分
私は固まった。
戻っている。
女の人が言った通りだった。
残り時間が戻っている。
さらに数分後。
残り 31分
洗濯乾燥機の中で、布が激しく回っている。
ごうん。
ごうん。
ごうん。
音が大きい。
中を覗く。
白いシーツの間に、濃い灰色のシャツが見えた。
さっきよりはっきり。
男物のワイシャツ。
入れていない。
絶対に入れていない。
その袖が、回転のたびに窓の内側へ張りつく。
まるで、内側からガラスを叩いているみたいだった。
ぺた。
ぺた。
ぺた。
スマホが震えた。
⸻
【ランドリーみずあめ】
02:33
十二番の中身が増えました。
02:33
取り出しますか?
⸻
画面には、選択肢が二つ出ていた。
取り出す
まだ回す
私は触らなかった。
でも、勝手に選択肢が動いた。
まだ回す
そこにチェックが入る。
ドラムの音が、さらに大きくなった。
ごうん。
ごうん。
ごうん。
⸻
【LINE】
02:35 奈央
勝手に延長された
02:35 真依
もう警察呼ぶ?
02:36 奈央
警察に何て言うの
洗濯物が増えてますって?
02:36 真依
その通りに言ったら変だけど
深夜に店で変な人に絡まれたって言えばいい
02:37 奈央
変な人はもういない
02:37 真依
それが怖い
⸻
私はもう一度、忘れ物ノートを見た。
さっき閉じたページ。
その次のページが、少し開いていた。
開いた覚えはない。
そこに、文字が増えていた。
八月二十九日。
佐伯奈央
私は息を止めた。
名前。
私の名前。
連絡先の欄は空白。
忘れ物の欄には、こう書かれていた。
白いシーツ
仕事用ブラウス
部屋着上下
洗濯ネット
全部、私のものだった。
下に、小さくもう一行。
本人未回収
私はノートを閉じた。
手が震えていた。
帰ろう。
もう無理だ。
洗濯物なんて知らない。
ブラウスもシーツも買い直せばいい。
私はカバンを持って、入口へ向かった。
自動ドアの前に立つ。
開かない。
センサーの前で手を振る。
開かない。
ガラスの向こうは、普通の道路だった。
高架下の暗い道。
街灯。
遠くのコンビニの明かり。
なのに、ドアだけが開かない。
私は非常ボタンを探した。
見当たらない。
店内の時計を見る。
午前二時四十分。
さっき終了予定だった時間。
十二番が、ピーピーと鳴った。
洗濯完了の音。
振り返る。
画面にはこう出ていた。
乾燥不足
もう一度回しますか?
その下。
小さな文字で。
奈央さんだけ
⸻
「佐伯さん」
背後から声がした。
私は小さく叫んだ。
あの女の人が、丸椅子の横に立っていた。
いつからいたのか分からなかった。
「出たいなら、取り分けてください」
「何を」
「あなたのものと、そうでないもの」
「分かるわけないでしょ」
「分からないものは、持って帰らない」
「全部置いていきます」
女の人は首を振った。
「全部置いていくと、あなたが忘れ物になります」
意味が分からない。
でも、その言葉だけは理解したくなかった。
女の人は十二番を指さした。
「青い洗濯ばさみがついているものは、あなたのものではありません」
「それだけ?」
「今は」
「今はって何」
女の人は答えなかった。
私は十二番の前へ行った。
扉を開ける。
むっとした熱と湿気が顔に当たった。
中の洗濯物は、半分ほど乾いていた。
でも、一部だけ妙に濡れている。
私はひとつずつ取り出した。
自分のシーツ。
自分のタオル。
自分の部屋着。
自分のブラウス。
そして。
知らないワイシャツ。
濃い灰色。
古い形。
襟元に、青い洗濯ばさみがついていた。
私はそれを触らないように、端へよけた。
すると、その下からまた出てきた。
男物の靴下。
青い洗濯ばさみ。
薄いハンカチ。
青い洗濯ばさみ。
赤茶けたタオル。
青い洗濯ばさみ。
どれも湿っていた。
どれも、私のものではない。
でも、なぜか見覚えがある気がした。
初めて見るのに。
嫌な懐かしさがあった。
女の人が言った。
「見覚えがあると思ったら、見ないでください」
「なんで」
「向こうも見覚えを持ちます」
私は急いで視線を外した。
自分のものだけを袋に入れる。
青い洗濯ばさみがついているものは、忘れ物カゴへ。
最後に、洗濯ネットを取り出した。
私のものだ。
白い網の洗濯ネット。
でも、チャックのところに青い洗濯ばさみがついていた。
私は固まった。
「それは」
女の人が言った。
「もう半分、混ざっています」
「どうすればいいんですか」
「中を見ないで、置いていく」
「でも私の」
「中を見ないで」
女の人の声が、少し強くなった。
私は洗濯ネットを見た。
中には、下着や靴下を入れていた。
でも、網の向こうに見える布の色が違う。
黒っぽい。
私のものではない。
見たくなかった。
私は洗濯ネットごと、忘れ物カゴへ入れた。
その瞬間。
十二番の中から、音がした。
こつん。
誰かが内側から叩いたような音。
女の人が、静かに言った。
「名前を呼ばれても返事をしないで」
私は息を止めた。
洗濯槽の奥から。
くぐもった声がした。
「なお」
小さい声。
男とも女とも分からない声。
「なお」
私は耳を塞いだ。
女の人が言った。
「返事をしない」
「なお」
「返事をしない」
「佐伯奈央」
フルネーム。
私は歯を食いしばった。
涙が出そうだった。
怖い時、人は案外叫べない。
喉の奥で、声が固まる。
「奈央さん」
十二番の中から、声が近づく。
「忘れてますよ」
それは、あの女の人の声に似ていた。
でも、女の人は私の隣にいる。
口を動かしていない。
「忘れてますよ」
「忘れてますよ」
「忘れてますよ」
店内の機械が、次々に同じ音を出した。
ピーピー。
ピーピー。
ピーピー。
画面には、全部同じ表示。
乾燥不足
本人未回収
女の人が、私の洗濯物の袋を持たせた。
「出て」
入口の自動ドアが開いた。
さっきまで開かなかったのに。
外の空気が入ってきた。
ぬるい。
普通の夏の夜の空気。
私は走った。
振り返らなかった。
店の外へ出る。
高架下の道。
コンビニの明かり。
遠くの車の音。
全部、普通だった。
スマホが震えた。
⸻
【LINE】
02:52 真依
今どこ?
02:52 奈央
出た
02:52 真依
よかった
既読つかなくなったから焦った
02:53 奈央
何分くらい?
02:53 真依
二十分くらい
02:53 奈央
そんなに?
02:54 真依
てかさ
02:54 奈央
なに
02:55 真依
さっき奈央から変なLINE来てた
02:55 奈央
送ってない
02:55 真依
うん
だと思った
02:56 奈央
何て?
02:56 真依
「乾いたら帰る」って
02:57 奈央
送ってない
02:57 真依
あともう一個
02:57 奈央
なに
02:58 真依
「忘れ物は私です」
⸻
私はそこで立ち止まりそうになった。
でも、足を止めなかった。
家まで走った。
途中、何度も袋の中身を捨てたくなった。
でも、さっき言われた。
全部置いていくと、あなたが忘れ物になる。
あの女の人が何者なのか分からない。
でも、少なくとも、私を出してくれた。
信じるしかなかった。
部屋に着くと、鍵を閉めた。
チェーンもかけた。
洗濯物の袋を玄関に置く。
部屋の中は蒸し暑かった。
でも、安心した。
自分の部屋。
自分の匂い。
自分の物。
そのはずだった。
私は洗濯物を一枚ずつ確認した。
シーツ。
タオル。
部屋着。
ブラウス。
全部、ある。
洗濯ネットはない。
置いてきた。
仕方ない。
私はそう思うことにした。
シャワーを浴びて、服を着替えて、布団に入った。
でも眠れなかった。
耳の奥で、ずっと洗濯機の音がしている気がした。
ごうん。
ごうん。
ごうん。
私はスマホを見た。
ランドリーみずあめの通知が残っていた。
消そうとした。
その時、新しい通知が来た。
⸻
【ランドリーみずあめ】
03:33
十二番の忘れ物をお預かりしています。
⸻
続けて、もう一通。
⸻
【ランドリーみずあめ】
03:34
佐伯奈央様
次回ご来店時にお受け取りください。
⸻
私はアプリを開かなかった。
通知だけ消した。
でも、消したはずの通知が、すぐまた出る。
⸻
03:35
本人確認が必要です。
⸻
スマホの電源を切った。
そのまま、明け方まで起きていた。
⸻
翌日。
私は昼前に起きた。
部屋の中は明るかった。
昨夜のことが、少しだけ夢みたいに思えた。
でも、玄関には洗濯物の袋がある。
洗濯ネットはない。
そして、左手には、洗濯物を握りしめてできた赤い跡が残っていた。
洗濯機の修理業者が来る予定だったので、壊れた洗濯機の中を空にしようとした。
脱水途中で止まったままの洗濯機。
昨日、全部コインランドリーへ持っていったはずだった。
中は空のはず。
私はふたを開けた。
そこに。
青い洗濯ばさみが一つ、入っていた。
濡れていた。
私は動けなかった。
洗濯槽の底。
青い洗濯ばさみ。
その横に、白い網の洗濯ネットがあった。
置いてきたはずのもの。
中身は見えない。
チャックは閉まっている。
網の向こうに、黒っぽい布が見える。
スマホの電源が勝手に入った。
通知が一件。
⸻
【ランドリーみずあめ】
11:12
お忘れ物をお届けしました。
⸻
私はしばらく、その画面を見ていた。
洗濯機の中から、ぽた、と水が落ちる音がした。
洗濯ネットの中で。
何かが、小さく動いた気がした。
私はふたを閉めた。
修理業者が来るまで、そのままにした。
業者の人は、洗濯機を見て首をかしげた。
「中、空ですね」
そう言った。
私には、青い洗濯ばさみも、洗濯ネットも見えていた。
でも、業者には見えていなかった。
私は何も言わなかった。
その日の夜、真依が来てくれた。
一緒に洗濯機を見てもらった。
真依にも、何も見えなかった。
ただ、真依は顔をしかめて言った。
「なんか、湿った匂いする」
私はその夜、洗濯機にガムテープを貼って、使わなかった。
次の日、洗濯機は買い替えた。
古い洗濯機は回収された。
業者が運び出す時。
中から、かすかに音がした。
ごうん。
ごうん。
電源は抜けている。
それでも、洗濯槽が回るような音がした。
業者の人は気づかなかった。
私は気づいた。
⸻
それ以来、コインランドリーには行っていない。
どうしても使う時は、昼間に行く。
人の多い店に行く。
一番奥の機械は使わない。
そして、十二番は避ける。
どこの店でも。
番号なんて関係ないのかもしれない。
でも、避ける。
今でも時々、部屋の中で音がする。
ちゃぽん。
濡れた布が動くような音。
洗濯機は新しい。
何も入っていない。
それでも、夜中に洗面所の方から聞こえる。
ごうん。
ごうん。
ごうん。
そのたびに、私は思い出す。
忘れ物ノートに書かれていた自分の名前。
青い洗濯ばさみ。
そして、あの女の人の言葉。
全部置いていくと、あなたが忘れ物になります。
この前、洗面所の棚を整理していたら、奥から白い洗濯ネットが出てきた。
買った覚えはない。
捨てた覚えもない。
チャックのところに、青い洗濯ばさみがついていた。
私はまだ、中を見ていない。
でも、たぶん。
中から私の名前を呼ばれたら。
今度こそ、返事をしてしまう気がする。
だから、それは今も、洗面所の棚の奥にある。
触らない。
開けない。
捨てない。
忘れたふりをしている。
でも。
忘れ物は、取りに来るまで。
ずっとそこにある。




