第5話 断罪の晩餐会と真実を暴く白銀のスープ
王宮の重厚な門が、地響きと共に開いた。その瞬間、支配の均衡が崩れ、空気が目に見えて揺れた。並び立つ近衛兵も、着飾った貴族も、息を呑む侍女も、誰一人として声を出すことができない。
死んだはずの第二王子が、そこにいた。否、ただ生き延びたのではない。彼は「支配者」として、かつてない覇気を纏って帰還したのだ。
レオナルド・ル・グランバルトは、王城の長い回廊を、玉座の主のような確信に満ちた歩みで進む。その真横には、アリアがいた。彼女は場に飲まれることもなく、いつものように市場の掘り出し物を探すような、淡々とした目つきで周囲を眺めていた。
玉座の間。玉階の上で、老いた王が震える手で肘掛けを掴み、立ち上がる。
「……レオナルド、か」
老王の声は微かに震えていたが、レオナルドは跪きもしない。不敵な笑みを浮かべ、琥珀色の瞳をぎらつかせる。
「ご心配なく、陛下。私の命を繋ぎ、その魂までをも作り替えた、最高の料理人を連れて参りました」
静かな、だが確かなざわめきが波紋のように広がる。
「本日、この場で王家の不和を解消する和解の晩餐会を開きたい。……宜しいですね?」
その言葉を聞いた瞬間、王妃の唇がわずかに歪み、王太子の瞳が冷酷に細まった。毒を盛る好機。仕留め損ねた獲物が、自ら皿の上に首を差し出しに来たのだ。拒む理由などない。
「……良いでしょう。和解は、尊きことですもの」
王妃の声音は蜜のように甘く、その底は奈落のように暗かった。王宮厨房。王国最大の熱量を誇る、機能美の極地。磨き上げられた銅鍋、整列する香辛料、そしてプライドの高い白衣の料理人たち。その中央に、港町の看板娘がポツリと立っていた。
「ここが、王宮の調理場ですか。……火力が少し、上品すぎますね。これでは毒の『声』が聞こえません」
アリアの呟きを、料理長が鼻で笑う。
「小娘が、ままごとなら裏庭でやれ」
侮蔑と失笑が厨房を満たす。だが、次の瞬間、すべての音が消失した。
アリアが包丁を握り、振り下ろしたからだ。刃が空を裂く。銀の閃光。次の瞬間、まな板の上にあった猛毒食材が、細胞一つ分も潰れぬ均一な断面で整列していた。誰も瞬きができず、誰も呼吸を思い出せない。
アリアの周囲で、淡い紫の霧が揺れている。立ち上る毒素。死の香り。それを彼女は――愛おしい我が子に触れるように、素手で優しく撫でた。霧が懐く。指先に絡みつく。まるで調教された獣のように。
「温度が足りません。これでは、この毒が拗ねてしまいます。……いい子ですから、最高の味になりなさい」
静かな、抗いようのない宣告。誰も逆らえなかった。王宮の料理人たちは、ただの観客へと成り下がった。鍋が火にかかる。中で蠢くのは、漆黒。
王妃が料理に仕込んだ本物の禁忌毒『冥府の溜息』。アリアは調理の過程で、それらを磁石のようにすべて拾い上げ、一つの鍋へと集約させていた。禍々しい泡。死そのものの匂い。そこへ―――。
「真実を、ご覧ください」
白銀の塩が、ひとつまみ投じられた。瞬間、激しい反応が起きた。毒素が急速に結晶化し、黒い澱となって鍋の底へと沈殿していく。あとに残された上澄みは―――宝石のように澄み渡り、月光を煮詰めたかのような輝きを放つ。
『白銀のスープ』。毒の記憶(成分)をすべて引き受けつつ、その害を完全に超越した真実の雫。
晩餐会。重苦しい静寂が支配する長卓。レオナルドはただ一人、悦びに満ちた顔で座っていた。彼の視線は、料理など見ていない。
―――アリアだ。
獲物を見つめ、信仰を捧げ、誰かに奪われることを本能で拒む、狂気を含んだ独占欲。彼の琥珀の瞳は、今やアリアという名の毒に完全に冒されていた。
アリアがスープを注ぐ。王妃の前にも、王太子の前にも。王妃は確信していた。さらなる毒を自ら足したのだ。この一口で、王子は今度こそ死ぬ。彼女は優雅に微笑み、スプーンを口に運んだ。
飲んだ、瞬間。
ガシャン、と銀のスプーンが皿に落ちた。王妃の顔から血の気が失せる。彼女の喉元が、ぼんやりと紫に発光し始めたのだ。指先も。隠し持っていた毒瓶のある袖口も。
すべてが「白銀のスープ」に反応し、その汚らわしい在り処を雄弁に物語る。
「……毒抜きではありません」
アリアの静かな声が、広間に響き渡る。
「これは、毒の『告発』です。体内に宿した悪意が、光となって貴女を裁くのです」
王宮の重い扉が閉ざされた。レオナルドの魔力が空間を封鎖し、逃げ場を消し去る。王妃が悲鳴を上げ、立ち上がる。だが、兵が動くより早く、魔力の檻が彼女と王太子を拘束した。
沈黙の中、レオナルドが立ち上がる。彼はアリアの手を取り、王の隣という最も高い場所へ彼女を導いた。
「彼女こそが、この国の闇を払い、私を救った唯一の女性だ」
声が落ちる。
「私の命を欲する者は、彼女という『盾』の前に、自らの毒を喰らって果てよ。これよりこの国は、彼女が許した食餐のみで回る」
連行される王妃が、突然、甲高い声で笑い出した。狂気の笑み。
「呼びなさい……あの子を……。まだ最強の『毒』が、残っているわ……」
濁った瞳。不気味な余韻を遺して、王妃は闇へと消えた。
静まり返った広間の中心で。レオナルドはアリアを、折れんばかりの力で抱き寄せた。王族も貴族も、すべてを無視して。
「もう二度と、私の側を離れるな」
返事など求めていない。唇が触れた。深く、逃げ場を与えないほどの熱量。衆目の中で交わされるそれは、誓いであり、呪いでもあった。彼の琥珀色の瞳は、周囲の誰一人にも向いていない。ただ、自分を生かしたこの「美しい怪物」を、永遠に自分だけの檻に閉じ込めることだけを、その魂に刻んでいた。




