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毒食みの令嬢と飢えた獅子の晩餐  作者: 宮野夏樹


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第6話 最強の毒と愛の毒見皿


 王妃と王太子が兵に引き立てられた、その瞬間だった。広間に、抗いようのない甘い香りが満ちた。それは花の蜜にも似て、だが死者の棺に供えられた香油のように濃密で、脳の奥底をゆっくりと麻痺させてくる。


「―――下がれ」


 レオナルドの声は鋼の刃のように響いた。だが、遅い。


 近衛兵のひとりが膝をつき、次の者が槍を落とし、三人目が言葉もなく崩れた。まるで見えぬ鎖に、魂ごと奈落へ引き摺り込まれたかのように。


 香りの中心に、一人の少年が立っていた。年の頃は十二、三。白い肌、白い髪、白い瞳。色を持たぬその存在は、呼吸のたび、口元から紫の霞を零している。それは霧ではない。物質を超越した、魔力そのものを腐食させ、溶かしていく「概念の毒」だ。


「……概念毒。完成してしまったのですね、父が封じた『未完成の禁忌』が」


 アリアが呟いた。レオナルドの逞しい腕が、守護の壁となって彼女を遮る。


「下がれ。あれは人間ではない。王家が造り上げた、歩く致死薬だ」

「ええ。ですが―――」


 アリアは少年を見つめた。恐怖ではない。憐憫でもない。それは、職人が一生に一度出会えるかどうかの「究極の素材」を目にした時の、純粋な探求の光だった。


「……命令。排除」


 感情の欠落した声。次の瞬間、紫の霧が膨張し、空間そのものが腐り始めた。レオナルドの魔力障壁が不快な音を立てて軋む中、アリアは美しく微笑んだ。毒を前にしたときだけ現れる、あの静かな恍惚の表情で。


「少々、下処理に手間がかかる食材なだけです。……私の料理に、不純物はいりません」


 そう言って―――彼女は一歩、死の霧の深淵へと踏み出した。

 紫の霧がアリアに触れた瞬間、彼女の白い肌に禍々しい毒の紋様が浮かび上がる。


「やめろ!!」


 レオナルドの叫びを背に、アリアは静かに霧を――吸い込んだ。肺へ、血へ、心臓へ。


「……なるほど。媒介は生命力。循環式。外部供給がないと自壊する欠陥設計。改良の余地しかありませんね。……不味い毒です」


 常人なら一瞬で魂ごと腐る猛毒を、彼女は体内で「吟味」していた。


「殿下、力を貸してください」

「好きにしろ、死ぬこと以外は何でもやる!」


 レオナルドの魔力がアリアへ流れ込む。彼女は父の形見である『ベルトランの聖草』を口に含み、自身の血と魔力を混ぜ合わせた。


 ドクン、と彼女の鼓動が炉の音を立てる。血が沸き、毒が回り、黄金の光が生まれた。毒を喰らい、分解し、再構成する―――魂の毒抜き。指先から生まれた黄金の雫を、彼女は自らの唇に含んだ。アリアは毒の中心へ歩み寄り、少年の細い体を抱きしめた。


「もう大丈夫ですよ。あなたは料理じゃありません。人です」


 少年の瞳が揺れる。アリアは黄金の雫を少年の口へ流し込んだ。

 光が弾け、紫の毒が音を立てて崩壊する。少年の体から黒い靄が抜け、本来の生の色が戻った。


「……あたたかい」


 それは少年が生まれて初めて覚えた、他者の温度――解毒の熱だった。


「アリア!!」


 駆け寄ったレオナルドが、彼女を壊れ物のように抱き締める。


「何をした! お前の体が、もし……!」

「少々、毒を飲み込みすぎて胸焼けがするだけです」

「笑うな!! 二度とこんな真似は許さない。お前が死ぬ可能性が一粒でもあるなら、俺は国ごと毒を飲み干してやる!」


 本気の怒りと、狂おしいほどの愛。アリアは「重症ですね」と瞬きをしたが、その腕の強さに、少しだけ頬を染めた。


「……あの」


 足元から、小さな声。少年がアリアの服を掴んでいた。


「ぼく……名前、ない。どうすればいい」

「ではリュシアン。光という意味です」

「リュシアン……」


 少年は自分の名を手繰るように呟き、そして真っ直ぐにアリアを見上げた。


「先生。ぼく、毒の使い方、教えてほしい。あなたの側で、今度は誰かを守るために」


 その日から、レオナルドにとって最大の「恋敵(弟子)」が誕生した瞬間だった。




 数ヶ月後。王宮の晩餐会は、今や「恐怖と歓喜の社交場」と化していた。貴族たちの前には、猛毒のトゲを持つ魚や、青く脈打つゼリーが並ぶ。


「……う、うまい。毒なのに、脳が痺れるほど生きる活力が湧いてくる……!」


 涙ながらに完食する貴族たちの背後で、一人の少年が影のように控えていた。成長し、洗練された執事服を纏ったリュシアンである。彼はアリアの教えを受け、食材の毒を一瞥で無害化し、かつ主であるレオナルドの「嫉妬」を華麗に受け流す、最強のボディーガード兼筆頭執事へと成長していた。


「先生、おかわりをお持ちしました。あちらの猛毒茸、完璧な温度で抽出しておきました」

「ありがとう、リュシアン。助かるわ」


 リュシアンが銀のトレイを差し出すが、それを横から奪ったのはレオナルドだ。


「リュシアン、アリアに近づきすぎるな。……アリア、お前もだ。こいつに毒の基礎を教える時に距離が近すぎる。耳元で囁くな」


 レオナルドはアリアを膝の上に拘束し、彼女の指先に残ったソースを食むように吸い上げた。


「姿勢が悪いですよ、殿下」

「嫌だと言っただろう。君の毒なら、俺は一生かかって喰らい尽くす。……それに君は、私の妃になるのだからな。逃がさん」

「それはお断りしましたけど? 私、毒出しの仕事が忙しいので」

「君に拒否権はない! 王宮まるごと君の厨房にしてやる!」


 レオナルドの琥珀色の瞳には、もう彼女以外の光は映っていない。それは飢えた獅子の執着であり、同時に唯一の救い主への盲目的な信仰でもあった。アリアはくすりと笑い、愛弟子のリュシアンに「次はもっと痺れるデザートを」と目配せを送る。


 毒と愛。どちらも致死量。だが、この幸せな監獄から抜け出そうとする者は、どこにもいなかった。

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