岡田屋旅館の若旦那
駅から岡田屋旅館までの道のりは約10分。車中で詩音は、先日の電話で気になっていたことを聞いた。
「もうすぐ卒業式を迎えるこの時期にどうして1カ月も帰ることになったの?」
「そうっちゃね、ふつうそう思うよな。実は親父の調子がようなかと」
「え? おじさんどこか悪いの?」
「腎臓がかなり弱っとって、来年摘出手術を受ける予定らしいんよ」
神妙な面持ちで尚斗はこたえ、さらに続けた。
「1カ月半ほど前の話になるんやけど、俺一応実業団からスカウトの話がきとって、入るかどうかずっと迷うとった。そげん時、おふくろから電話もらって、親父が倒れたってきかされて、正直安心したんよ。そりゃやりたい気持ちはあるけど、悔しいけん俺レベルの選手なんて他にもいっぱいおる。入団してもきっとパッとしないまま埋もれていくんやろうなって。それで旅館ば継ごうって決断したったい」
「尚斗はそれで後悔しないの?」
「このままバレー続けていくのは並大抵の努力ではやっていけん。一時は全日本も夢見たけんが、そげん甘い世界じゃなか。それにほら、今のこの恰好だって結構似合うとるじゃろ?」
「自分でそう決めたなら、私はもちろん応援する。それならこの先もまだ私の大好きな岡田屋旅館は安泰ってことになるね」
「俺にできるか不安やけど」
「相手の攻撃を瞬時に研究するのが尚斗の強みなんでしょ?今のままでも十分素晴らしい旅館だけど、私はもっともっと輝けると思うの。これまでに培われた岡田屋の趣は残しつつ、尚斗の天才的な直感を活かして、現代のニーズに合った新しい岡田屋を創ってよ」
「新しい岡田屋かぁ。今は全くイメージが湧かんけんが、おとの言うことも一理あるけん頑張ってみるばい」
蚊も殺せなかったあの泣き虫尚斗が、数年先には一国一城の主になろうとしている姿が、うらやましくもあり、眩しく思えた詩音であった。
「ところで、旅館に着いたらちょっと時間あるかな? 相談したいことがあるんだけど」
「相談? よかよ。あっでも修行中の身やけん、空いても30分くらいやけど」
「うん、それだけあれば十分だよ。ありがとね、尚斗」
「じゃあ手空いたら連絡するけん、また後でな」




