第25話:パトロン失脚と論理の逆流
ヴァレリー伯爵邸を包囲した王立魔導憲兵隊の放った「資産凍結」
の結界は、物理的な壁よりもはるかに残酷な沈黙をラボにもたらした。
かつてカヤの魔法で美しく冷やされていた金色の配管からは冷却液が漏れ出し、
稼働を停止した魔導演算機からは、断末魔のような高熱が立ち昇る。
それは、石黒たちが心血を注いで構築した「合理的秩序」が、国家という
巨大な「旧弊」によって物理的に引き裂かれた瞬間だった。
「……嘘、だろ。全部、差し押さえ……?」
井口が呆然と呟く中、憲兵たちがラボ内に乱入し、魔法の刻印が押された
赤い封紙を次々と機器に貼り付けていく。
彼らが手にしているのは「異端審問状」――石黒の技術提供を、アトランの
伝統的な魔導秩序を破壊する「禁忌の術」と断定する、魔導師ギルドによる
死刑宣告に近い公文書だった。
「ヴァレリー伯爵。貴殿は禁忌を冒し、王国の経済を混乱に陥れた。
本日をもって伯爵位を剥奪、全資産を王宮の管理下に置く。
……抵抗は無意味だ」
老騎士の声に、かつての威厳を失った伯爵は腰を抜かして崩れ落ちた。
彼という「単一障害点」が崩壊したことで、
石黒たちの活動拠点、資金源、そして社会的地位は一瞬にして消滅したのである。
その混乱の最中、アキラだけは、驚くほど冷徹な手つきで自らの専用端末に
データを同期させていた。
「ケン、悪いな。
俺のルールでは『再起不能なリスク』が発生した時点で損切りだ」
「……分かっている。
あなたは資本家だ。沈没船と一緒に沈む義理はない」
石黒の言葉に、アキラは苦い笑みを浮かべ、ジャケットの襟を正した。
「地球側のラボの維持費は俺が持つ。
だが、この異世界セグメントの運用資金は、
伯爵の資産凍結と同時に底を突いた。
……悪いが、俺は一足先にゲートを抜けて地球に戻る」
アキラは王立魔導憲兵隊の魔法が完成する直前ギリギリで、懐から取り出した
緊急脱出用の転送魔導具を発動させ、眩い閃光と共に彼らを振り切り、一人で脱出した。
彼は最後まで徹底した「ビジネスマン」として石黒に背を向けた。
それは、リスクマネジメントという観点では正解だ。だが、その決断は、
異世界に残される地元採用組――リディア、ザック、エアリス、カヤ、
そしてメンテナンスを必要とするセレナにとって、文字通りの見捨てられた
死の宣告に等しかった。
「アキラさん! 待ってくださいよ、
俺たちはどうなるんっすか!?」
井口の叫びも虚しく、アキラの姿は光の中に消えた。最強の資金源を失い、
石黒の両手には、魔力を無効化する特殊な「沈黙の枷」が嵌められた。
王宮の地下深く、冷たく湿った石壁に囲まれた独房。
石黒は独り、暗闇の中に座っていた。
手首に食い込む冷たい枷の感触が、脳の奥底に封じ込めていた「忌まわしい記憶」
を呼び覚ます。
(……ああ、既視感があるな。この感覚)
石黒は目を閉じ、かつて日本で経験した「最悪の20日間」を思い出していた。
大西教授が急逝し、後釜に座った松本教授。あの、無能なくせにプライドだけは高く、
部下の研究を横取りすることしか考えていなかった男。
井口が異世界の向こう側へ行っている最中、実験室の電源を落とした松本の卑劣な笑い。
逆上して松本を殴り飛ばし、警察に連行されたあの日の夜。
取り調べ室のパイプ椅子。カツ丼など出るはずもない、殺伐とした24時間の尋問。
マスコミからは「大学内での殺人事件」として面白おかしく書き立てられ、
世間からは冷たい「人殺しの目」を向けられた。
井口の両親との修羅場のような喧嘩別れ。退学処分。無職。底を突いた貯金。
あの時も、自分は今の伯爵のようにすべてを失い、ただ一人、世界の敵として断罪
されていたのだ。
(……あの時は、クラウドファンディングすら失敗した。
俺の言葉は誰にも届かず、俺はただ『狂った殺人犯』として社会からパージされた)
だが、今の石黒は、あの時の無力な学生ではない。
独房の外から、複数の足音が近づいてくる。現れたのは、魔導師ギルドの長老たちと、
先ほどの老騎士だった。彼らの手には、ラボから押収された石黒の専用端末が握られている。
「……異邦の錬金術師よ。この『魔法の板』の呪文を教えろ。
さもなくば、貴様の仲間の獣人どもや司書の女がどうなっても知らんぞ」
かつての日本の警察官と同じような、権力に守られた高圧的な脅し。
しかし、石黒は暗闇の中で低く笑った。
「……勝手にしろ。ただし、それは呪文で動く魔導具ではない。
論理の集積体だ。……root権限のないお前たちに、
それが扱えると思っているのか?」
「ルート権限……? 何を戯言を!」
「お前たちが手にしているのは、ただのハードウェア……肉体に過ぎない。
その中を流れる『魂』の制御法を、お前たちは一生
かかっても理解できない。……今すぐその画面を閉じろ。
不用意な操作は、システム全体の破滅を招くぞ」
石黒の警告を無視し、長老が無理やり魔力を端末に流し込んだ。
その瞬間、端末から耳を劈くようなアラート音が鳴り響き、画面が真っ赤に染まった。
王都中の『iWand』が停止し、地脈の冷却システムがパニックを起こし始める。
遠く地上の方から、微かな喧騒が地下まで漏れ聞こえてきた。
「貴様……! 何をした! すぐに戻せ!」
「断る。……俺は一文無しの指名手配犯だ。
公務を執行する義理はない」
石黒は、自分から端末を奪い取ろうと躍起になる騎士たちを、憐れみすら含んだ
冷徹な目で見下ろした。
「……お前たちは、俺という『単一障害点』
を取り除けば、すべてが元の、お前たちの都合のいい世界に戻ると信じていた。
……だが、残念だったな。
俺が作ったのは、俺がいなければ動かない脆弱なシステムではない。
……俺が消えれば、世界ごと連動して止まるように設計された、共依存の生命体だ」
物理的な支援はすべて断たれた。パトロンは失脚し、アキラは地球へ逃げた。
石黒賢治は今、名実ともに「世界の敵」として、この冷たい石牢に独りきりだ。
だが、石黒は確信していた。
日本でのあの日、自分は誰とも繋がっていなかった。
だが今は違う。
井口が、サイダが、セレナが、そして『iWand』の便利さを知った民衆が、
ネットワークの向こう側にいる。
(……さて。井口、お前の『分散型逆襲』、見せてもらうぞ。
……俺を、二度も『敗北したエンジニア』で終わらせるなよ)
暗闇の中で、石黒は静かに目を閉じた。
アトラン・オンライン。
その真価が問われるのは、神(管理者)が死んだ後の、この混乱の中にこそあった。
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