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異世界クラウドファンディング 〜研究室の殺人事件から、舞台はドバイ、そして異世界へ〜  作者: 稲盛 皆藤


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第17話:ノイズの正体と、孤独な数学者

 アトラン国・魔導院。

 王都の知を司るその巨大な白亜の建造物の地下深くには、日の目を見ない

「異端」たちを幽閉するための、広大な地下書庫が存在していた。

 石畳を打つ足音の反響から、石黒賢治は空間の体積と構造を脳内で瞬時に

モデリングしていた。湿度七八パーセント、気温一四度。換気効率は劣悪であり、

大気中には古びた羊皮紙が酸化していく独特の刺激臭――セルロースの劣化に

伴う揮発性有機化合物の匂いが充満している。


「……ひえぇ、カビ臭いっすね先輩。

 ここ、本当に王都のエリート機関なんすか?」


 井口が鼻をつまみながら、薄暗い回廊を恐る恐る進む。


「エリートなどという非科学的な概念は捨てろ。

 ここは単なる『エラーデータの隔離領域』だ。

 既存の魔法至上主義(パラダイム)に適合しないバグを、

 物理的に見えない場所へ押し込めているに過ぎない」


 石黒の背後には、深いフードを被った少女――セレナが、寸分の狂いもない

一定の歩幅で追従していた。彼女の足音には、人間特有の体重移動による

「揺らぎ」が一切ない。生体増幅型自律人形(アンドロイド)である彼女の駆動系は、

極めて高いエネルギー変換効率を維持したまま、無音に近い静粛性で稼働していた。


「……マスター。前方二十五メートル、微弱な魔力波形を検知。

 同時に、一定の周期を伴う物理的摩擦音を観測しました」


 セレナの喉元、皮膚の下に埋め込まれた地球企業のロゴを持つ音声ユニットが、

抑揚のない声で報告する。


「ああ、聞こえている。

 粗悪な羊皮紙に、硬度の高いペン先を擦り付ける音だ。

 摩擦係数から推測するに、かなり力任せに書き殴っているな」


 石黒が歩みを進めると、書庫の最奥、魔導ランプの青白い光が不安定に

明滅する区画に、うずたかく積まれた書類の山が見えた。

 ランプの光は、およそ四五〇ナノメートルの波長帯を中心に発光しているが、

魔力供給のムラによって不規則な紫外線のスパイクが混じり、視神経にチカチカと

した不快なノイズを与えている。


 その書類の山の中心で、ひとりの魔導師が頭を抱えていた。

 インクの染みが無数に付着したローブを纏い、乱れた亜麻色の髪を振り乱す女性。

彼女の周囲には、幾何学図形や未完成の数式のようなものが書き殴られた紙屑が、

まるで雪のように散乱している。


「……違う! これでも波長が収束しない!

 なぜ……なぜ第7位相で魔力が『跳躍』するの!?

 これでは等式が成立しないわ……ッ!」


 彼女の名前はリディア。

「数秘の魔導師」と蔑称される彼女は、このアトラン国において、魔法という

神聖にして不可侵の神秘を、「数字と計算」という無粋な手段で解明しようと

した異端者だった。


「当たり前だ。お前の使っている数式は、

 時間の変数を一次元的にしか捉えていない。

 流体のように時間変化するエネルギー波形を、

 静的な幾何学で切り取ろうなどと……

 石斧でマイクロチップを彫ろうとするような無謀だ」


 石黒の冷徹な声が、湿った地下室の空気を切り裂いた。


「っ!? 誰よ!」


 リディアが跳ね起き、血走った目で石黒たちを睨みつける。

彼女の指先には警戒の証として、小さな火球が生成された。だがその炎は、

不完全燃焼を起こしているかのように赤黒く、チリチリとした不快な放電音を

伴って不安定に揺らいでいる。


「ひっ! せ、先輩、いきなり喧嘩売らないでくださいよ!

 相手、魔法使いっすよ!」


「騒ぐな井口。あんな熱変換効率の悪いプラズマ、

 俺の白衣の耐熱コーティングすら焦がせない」


 石黒はリディアの威嚇を完全に無視し、彼女の足元に転がっていた羊皮紙を

一枚拾い上げた。

 そこには、魔力の放出量を円や三角形の面積で強引に近似しようとした、

涙ぐましいほど原始的な計算式が並んでいた。


「お前がリディアだな。噂は聞いている。

 魔法を数式で定義しようとするそのアプローチ自体は、

 この前時代的な世界においては評価に値する。

 ……だが、絶望的に数学的素養(リテラシー)が足りていない」


「な、なによあなたたち!

 魔導院の人間じゃないわね!

 私の研究を馬鹿にする気なら、この『フレア』で……!」


「いや、馬鹿にはしていない。『哀れんでいる』だけだ。

 しかも、その魔法は『フレア』じゃなく、『ファイア』程度だろ」


 石黒は、懐からチタン合金製のタブレットを取り出し、電源を入れた。

暗い地下室に、液晶ディスプレイの純粋なバックライトが、極めて安定した

色温度で放射される。


「いいか、数秘の魔導師。

 俺たちがこれからやろうとしているのは、

 この街全体に張り巡らされた魔導回路――

 お前たちが『地脈』と呼んでいるもののハッキングだ」


「ハッ、キング……?」


「情報の簒奪と再構築だ。だが、問題がある。

 お前たちの魔法は、あまりにも『ノイズ』が多い。

 術者の感情、気温、周囲の魔力濃度……それら無数の不確定要素が

 混ざり合い、出力される波形はアナログの泥沼だ。

 これを俺のシステムで演算可能な『0』と『1』のデジタル信号に

 変換するためには、高精度なフィルター……すなわち、ノイズを

 切り分けて本質を抽出する『数式』が必要になる」


 石黒はタブレットの画面を操作し、リディアが指先で灯している不細工な火球に

向けた。

 タブレットのセンサーが火球の熱放射と電磁波スペクトルをスキャンし、画面上に

複雑怪奇に乱高下する「波形(グラフ)」を描き出した。


「見ろ。これがお前の魔法の『真の姿』だ。

 時間軸 t における魔力波形 f(t) だが……見ての通り、

 振幅も周波数もめちゃくちゃな合成波ゴミだ。

 お前はこれを、ひとつの現象として計算しようと

 しているから破綻する」


「……な、なにその板……。光って、

 それにその線は……私の魔法の、形……?」


 リディアは火球を消すことも忘れ、タブレットに表示されたカオスな波形に

釘付けになった。


「どんなに複雑で不可解に見える波形でも、

 それは複数の単純な波が足し合わされた結果に過ぎない。

 ……教えてやる。魔法という名のオカルトを、

 論理という名の真理へ引きずり下ろす、究極の解剖メスを」

 

 石黒の指が、仮想キーボードを高速で叩く。

 彼が入力したのは、地球の工学において信号処理の絶対的な基礎となる、

「フーリエ変換」のアルゴリズムだった。


「同期開始。

 解析プロトコル・フーリエ、展開」

石黒の言葉とともに、タブレットの画面に美しい数式が浮かび上がる。


 f̂(ξ) = ∫ f(t) e^(-i 2π ξ t) dt 【フーリエ変換の定義式】


「これは……?」


時間領域(タイムドメイン)で観測された複雑な波形を、周波数領域(フリケンシードメイン)へと

変換する魔法陣(数式)だ。どんなに醜悪なノイズであろうと、この式を通せば、

一定の周期を持つ美しい『正弦波(サインカーブ)』と『余弦波(コサインカーブ)』の集合体に分解できる」


 画面上で、先ほどまでカオスに乱高下していた一本のグラフが、まるで

奇跡のように解体されていった。

 荒れ狂う波は、大きなうねりを持つ基本周波数の波と、それに付随する小さな

倍音の波へと、レイヤーごとに分離されていく。複雑怪奇だった現象が、純粋で、

規則的で、一切の無駄がない「正弦波(サインカーブ)」の束へと姿を変えたのだ。


「……あ……」


 リディアの指先から、ポロリと火球が落ちて消えた。

 彼女の瞳孔が限界まで開き、眼球の毛細血管が充血していくのを、

石黒は冷徹に観察していた。心拍数が急上昇し、呼吸が浅くなっている。

過剰なアドレナリンの分泌による、典型的な「圧倒的認識のアップデート」

に伴う身体的ショック状態だ。


「この分解された波の中から、術者の感情や環境要因という

『高周波ノイズ』をカットする。

 そして残った純粋なエネルギーの波長だけを取り出せば……

 ほら、どうだ。お前が半生かけても辿り着けなかった

 『魔法の完全な等式』が、今ここにある」


 タブレットの画面には、一切のノイズを持たない、完璧な滑らかさで

連続するひとつの正弦波(サインカーブ)が、静かな鼓動のように脈打っていた。


「あ……ああ……あぁぁっ……!」


 リディアはその場に崩れ落ちた。

 インクまみれの両手で顔を覆い、彼女は嗚咽を漏らし始めた。

 それは悲しみの涙ではない。半生をかけて暗闇の中で泥を捏ねていた人間が、

突如として太陽の光と、完全な球体の美しさを見せつけられたことによる、

絶対的な「歓喜」と「敗北」の涙だった。


「美しい……。なんて、なんて美しいの……!

 一点の淀みもない、永遠に続く規則性……。

 私が見ていたのは、波の表面の泡立ちに過ぎなかったのね……。

 すべての魔法は、こんなにも美しい『円運動(サイクル)』の集合でできていたなんて……!」


 リディアはタブレットの画面にすがりつき、その冷たいガラスの表面に

頬をすり寄せた。彼女の脳内では、今まで理解できなかった無数の現象が、

石黒の提示した一つの数式によって次々と連鎖的に証明され、爆発的な

シナプス発火を起こしていた。


「……マスター。対象の心拍数が160bpmを突破。

 精神状態は極めて不安定ですが、脳波のパターンは

『極度の服従』と『畏敬』を示しています」

背後のセレナが、淡々と分析結果を告げた。


「エラーログの排出を止めるな、数学者」


 石黒はタブレットを無造作に取り上げ、呆然と、しかし歓喜に打ち震える

リディアを見下ろした。


「今のお前のシステムは、過去の非効率な演算処理(パラダイム)が崩壊し、

 深刻なオーバーヒートを起こしている。

 その不快なデバッグ作業(涙)を適切に完遂しろ。

 それがシステム復旧への最短ルートだ。

 俺は、この街の魔導回路をすべてこの美しいデジタル信号に変換し、

 俺の支配下サーバーに置く。

 だが、そのためには、魔法という物理現象の波形を直接感じ取り、

 俺のシステムへと繋ぐ『生きたインターフェース』が必要だ。

 ……お前を、俺のシステムのアナログ・デジタル変換器

 (A/Dコンバータ)第一号機として採用してやる」


「……やるわ。やらせて……!」


 リディアは泥だらけの床に這いつくばったまま、石黒の白衣の裾を両手で

強く握りしめた。彼女の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだったが、その目には、

真理を渇望する狂気じみた光が宿っていた。


「私の人生のすべてを捧げてもいい……!

 だから、もっと教えて! その『数式』の先にある、

 世界の本当の法則を……あなたの頭の中にある、

 その美しすぎる論理を……ッ!」


「勘違いするな」


 冷徹な声が、彼女の熱狂を物理的に遮断した。


「俺がお前の精神構造という『非公開パーティション』を

 勝手にフォーマットする権利はないし、同期するつもりもない。

 お前の人生は、どこまでも100%お前のものだ」


「え……?」


 リディアが涙の膜を通して石黒を見上げる。


「だが、お前の脳という『並列処理可能な魔力演算プロセッサ』

 の出力データには価値がある。お前の人生ではなく、その頭脳(リソース)

 だけを物理的に『取引』してやる」


「……ひぇぇ。先輩、

 またヤバい女の人を拾っちゃったんじゃないっすか……?」


 ドン引きする井口の言葉を、石黒は右から左へ受け流した。

 彼にとって、リディアの心酔や感情など、熱力学的に何の意味も持たない

ノイズでしかない。重要なのは、彼女の脳を確保したという事実だけだ。


「よし。これで翻訳機(インターフェース)は手に入った。次は、この膨大なデータを

同期させるための『心臓(クロック)』を手に入れる」


 石黒は、湿った地下書庫の天井――すなわち、この巨大な魔導院と、さらに

その上に広がる王都アトランの心臓部を見上げるように、冷たい視線を向けた。


「行くぞ井口君、セレナ、そして変換器(リディア)

 次は、伯爵の家宝を『解体』する時間だ」


 冷徹な科学者の足音が、再び一定のテンポで響き始めた。

それは、魔法という不確実な世界が、物理法則という絶対的な暴力によって

浸食され始める、最初のカウントダウンだった。

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