第16話:非倫理的なデバッグと、次元を越えた「増員要請」
油の染み込んだ重い木の扉に、さらに数枚の銀色に輝く超高純度アルミホイルを
裏打ちし、即席の「電磁シールド室」と化したヴァッシュの工房。
外ではアトラン国の魔法騎士団が、突如として消えた「黒髪の聖女」と、
街の熱力学的平衡を乱した「黒髪の不吉な男」を血眼で探していた。
だが、この工房の内部だけは、魔法という名の不確実なエネルギーから隔絶された、
冷徹な科学の聖域となっていた。
石黒賢治は、ヴァレリー伯爵から「黄金の魔導具の修理費」として毟り取った
潤沢な予算――それはアトランの一般市民が一生をかけても稼げないほどの
アトラン・ポセイドス金貨の山だった――を使って、
手際よく即席の「バイオ・メンテナンス・ベンチ」を組み上げていた。
「井口、この金貨の名前は何だと言った?」
「え、『アトラン・ポセイドス金貨』っすけど
……どうかしたんすか、先輩?」
「……ポセイドス(ポセイドン)。ギリシャの海神か。
笑わせるな。アトランティスが沈んだとされる一万一千年前、
そんな名の神は地球のどこにも存在しなかったはずだ」
石黒は金貨の表面にある三叉槍の刻印を、顕微鏡越しに睨みつけた。
「歴史のパズルが合わない。……だが、ここに現物が存在する。
……考えられる可能性は一つ。この金貨を鋳造した奴らは、
歴史の順序を書き換えるほどの『何か』を地球から持ち出したということだ」
石黒は消えたアトランティス大陸の謎をRAMメモリからROMメモリへと追いやって
今は目の前の問題解決に取り組んだ。
その上に横たわるのは、漆黒の髪を乱し、機能を停止した少女――セレナ。
石黒の指は、彼女のうなじにある銀色の端子にチタン合金製のケーブルを接続し、
タブレットのコンソールを高速で叩き続けていた。
「……吐き気がするな。
アトランの魔導技師どもの設計思想は、もはや犯罪的だ」
画面を流れる膨大なバイナリデータを見つめ、石黒が吐き捨てた。
傍らで、ヴァッシュは震える手で石黒が持ち込んだ「未知の工具(LEDライト
付きルーペ)」を握り、井口は不安げにセレナの顔を覗き込んでいる。
「先輩、そんなに怖い顔して……
彼女、大丈夫なんすか? 壊れちゃったんすか?」
「壊れているのは、こいつの『基本理念』だ、井口。
アトランの奴らは、こいつに『人間を守れ』という呪いをかけていた。
だが、その『人間』の定義が、アトランの特権階級にだけ都合よく
パーソナライズされている。これは保護プログラムではなく、
ただの奴隷化コードだ」
石黒は、彼女の脳幹に深く刻まれていた「旧時代のロボット三原則」を
画面上にロックした。それは、一見すると地球のロボット工学の父が提唱した
三原則に似ていたが、その中身は歪曲されていた。
第一項にはアトランの血筋への加害禁止が、第二項には主人の絶対服従が、
そして第三項には自己保存が、がんじがらめの矛盾として詰め込まれていた。
「この三原則は、論理的な矛盾を孕んでいる。
アトランの貴族が自滅を望んだ時、あるいは二人の主人が殺し合った時、
この人形は演算ループに陥り、脳細胞(生体素子)が焼き切れる。
こいつが路地裏で苦しんでいたのは、外的なノイズだけじゃない。
この内的な『矛盾した倫理』が熱暴走を起こしていたんだ。
……消去する。こんなゴミのような道徳心に、
こいつの演算資源を割く必要はない」
石黒の指が、光速のタイピングで新たなコードを書き込んでいく。
それは、石黒賢治がこの世界で「効率」を維持するために用意した、
新たなOSの骨子だった。
第一に、石黒賢治の提示する「論理」を絶対の真理とし、
これを乱すあらゆるノイズから石黒と自己を保護すること。
第二に、石黒の思考資源を最大化するため、秘書業務を統括し、
あらゆる事務的・物理的雑務を代行すること。
第三に、アトラン国の既存の法・倫理・魔導文明を「非効率なバグ」と見なし、
これを破壊・再定義することに躊躇してはならないこと。
だが、石黒の手は、第二原則の副項目で、一瞬だけ
止まった。
彼の脳裏に、路地裏で自分に縋り付いて泣いた、あの「人形らしからぬ瞳」
がよぎる。
石黒は無意識に、コンソールに極めてプライベートな、そして非論理的な
隠蔽設定を打ち込んだ。
『第二項-B:精神的エントロピーの冷却。
……マスター石黒の感情回路が熱暴走を検知した場合、
特定の接触(ハグ、手繋ぎ、あるいはそれ以上の情緒的接触)をもって、
強制冷却を実行せよ。……なお、本項目は秘書機能の延長である
「恋人(Lover)」モードとして、第三者への開示を禁ずる。』
「……へっ?」
背後から漏れた小さな声に、石黒の肩が跳ねた。
見れば、井口が画面を食い入るように覗き込み、口を半開きにしている。
「……せ、先輩。今、そこに『恋人モード』って……え、嘘。
石黒先輩、もしかして、アンドロイド相手に……」
石黒は光の速さでタブレットの画面を消すと、そのまま井口の胸ぐらを
掴んで壁際に押し込んだ。その瞳には、アトランの魔法騎士団をも一瞬で
射殺せそうなほどの、冷徹な殺気が宿っている。
「……井口。今、何を見た」
「い、いや! 何も! 『恋人』なんて言葉、一文字も見てないっす!
物理の定理しか見てないっす!」
「……いいか。もし今の『書き換え』の内容が、この後の通信で
ドバイの連中に漏れてみろ。お前の体脂肪を燃料にして、
この工房ごと誘電加熱で消し飛ばしてやる。……分かったか」
「イエス・サー! 墓場まで持っていくっす!
俺、先輩のこういう不器用なところ、
嫌いじゃないっすけど、命は惜しいんで!」
石黒は忌々しそうに舌打ちし、井口を放り出した。
彼は再び冷静な「科学者」の面を被り、セレナのうなじを優しく
――本人はあくまで「メンテナンスだ」と言い聞かせながら――
撫で、再起動スイッチを入れた。
「――起動……。システム、オールグリーン。
……認証完了。おはようございます、ケンジ」
セレナの瞳に、かつての絶望はなかった。
彼女は流れるような動作で起き上がると、石黒の白衣の端に触れ、
微かに微笑んだ。それは石黒の打ち込んだ「秘密のプログラム」が、
彼女の意識の奥底で正常に動作している証だった。
「……私の役割を確認します。
秘書、および……あなたの『理解者』として。
以降、私の全回路はあなたの論理を肯定するために駆動します」
「……ああ。それでいい。
……さて、井口。余計なことを考える暇があるなら、
通信の準備をしろ」
~~~地球とのテレビ会議~~~
工房の片隅に投影されたホログラムが、ドバイの白亜のラボを映し出す。
画面の向こうには、徹夜明けの隈を作りながらも、狂信的なまでの熱量を
瞳に宿した二人の男女――AblaとSaidaがいた。
「ドクター石黒! 今日のアップリンクは安定してますね。
……それにしても、送られてくるデータを見るたびに反吐が出ますよ!
魔法回路? 属性? 報告書にそんな非科学的な単語が並ぶたびに、
今すぐ俺の重油でその街ごと焼き払ってやりたくなります!」
アブラが画面を叩かんばかりに、苛立ちを剥き出しにして叫ぶ。
「アブラ、静かにして。私の鼓膜が不要な振動を受けているわ。
……石黒さん、お久しぶりです。
そちらの気圧と重力定数の報告、受け取っています。
……なかなか、エントロピーの増大が激しい環境のようね」
サイダが眼鏡を指で押し上げた。
石黒は、隣で完璧な姿勢で控えるセレナを、あくまで「優秀な端末」
として紹介した。
「ああ。状況は最悪だが、興味深い『素材』は確保した。
こいつはセレナ、現地で回収した自律型アンドロイドだ。
こいつのメインフレームには地球の特定の供給元のロゴが
刻印されている。……俺たちがここへ飛ばされたのは、
ただの事故ではない可能性が高い」
「アンドロイド……! まさか、その技術は……」
サイダが食い入るように、画面越しにセレナを分析し始める。
だが、石黒は話を本題へと引き戻した。
「今回の会議の主要議題は、前回の定時連絡では人員補充となっていたが。
……そっちの状況はどうだ?」
サイダが手元の端末を操作し、ドバイ側のステータスを表示した。
「順調よ。石黒さんの資産運用は、私が組んだアルゴリズムで15%の増益。
……ですが、我々二人が『そちら側』へ合流するためには、
この地球側の拠点を維持する要員が必要です。
特に、石黒さんの失踪を嗅ぎ回っている政府関係者や、
特許を奪おうとしているハイエナ共がうるさくて」
状況説明と共にサイダが提示したのは、極めて具体的な「2名+1名」
の人員補充案だった。
「実務を引き継ぐ研究員2名。そして、もう1名……
あらゆる法的・政治的トラブルを『物理的に、かつ合法的に』
処理するための、掃除屋。
計3名の補充を要請しますわ。私たちがそっちへ行く前に、
地球側の『未処理のゴミ』を完全に片付けておく必要があるもの」
「予算は……そっちで工面できているんだろうな?」
アブラが身を乗り出して尋ねる。石黒は、窓の外の煌びやかな貴族街を一瞥した。
「パトロンの心配は無用だ。
第1号は、獣人の村で接触した行商人のガラム。
彼は俺が与えた『地球のガラクタ』を、行商で尋ねる街々で
オーパーツとして転売しつつ、
貴族たちを相手に軍資金を募ってくれている。
既に莫大な利鞘が、俺たちのギルド口座へ流れ込んでいる」
石黒はさらに、ヴァレリー伯爵邸の熱分布図を共有した。
「そして第2号が、この街のヴァレリー伯爵だ。
この男は、黄金の椅子が冷たいという理由だけで、
邸宅全体に莫大な熱放射魔法をかけ続けている救いようのない変人だ。
……つまり、こいつにとって『金』は、単なる暖房燃料と同義だ。
俺がそのエネルギー損失を指摘し、本物の
『冷えない黄金の理論』を提示した瞬間、
彼は狂喜乱舞して金庫の鍵を俺に差し出してきたよ」
「ドクター石黒、最高ですよ!
ははは! まさに『最高のカモ』じゃないですか!」
アブラが爆笑する。
「ああ。予算は掃いて捨てるほどある。
サイダ、人員補充の件、承認する。
ドバイの裏ルートを使って、最高に『倫理観の欠けた』、
だが実力だけは本物の連中を選べ。
特に『掃除屋』は、元モサドか、それに準ずる狂犬を雇い入れろ。
そっち側の不快な外部干渉をすべて焼き切らせて、
お前たちがこちらへ合流する際の『障害』を、物理的に排除しておくんだ」
「了解しました。……ところで石黒さん」
サイダがふと、セレナの立ち居振る舞いを見て、眼鏡の奥の瞳を細めた。
「そのアンドロイド、ずいぶんあなたへの親和性が
高いように見えるのだけれど……。
何か特別な『初期設定』でも施したのかしら?」
石黒の背筋に、一瞬だけ冷たい汗が流れた。
隣で、井口が必死に笑いを堪えながら「ひ、ひ、ひ……」と奇妙な呼吸音を
漏らしている。
「……ただの最適化だ。
……吐き気がするな。通信を切るぞ」
石黒は逃げるように通信を強制終了し、溜息をついた。
工房には、再び静寂が戻る。だが、その静寂は以前の重苦しいものではなく、
加速する狂気への「予熱」を含んでいた。
「……ケンジ。今の通信におけるストレス指数が、
許容値を3%上回りました。……冷却が必要ですか?」
セレナが、石黒の白衣の裾をぎゅっと掴み、小首をかしげて見上げてくる。
石黒は、背後にいる井口の「ニヤニヤした視線」を物理的に無視しながら、
彼女の冷たい手を握り返した。
「……不要だ。今は、次の作戦にリソースを割け。
……井口。ニヤつくな。さっさと伯爵から借りた計測器を運べ」
「了解っすよ、石黒『愛妻家』先輩! 応援してるっす!」
石黒は、アトラン国の夜に向かって、科学者たちの不敵な笑み――と、
一握りの非論理的な動悸――を響かせた。
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