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異世界クラウドファンディング 〜研究室の殺人事件から、舞台はドバイ、そして異世界へ〜  作者: 稲盛 皆藤


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第13話:黄金の欠陥と論理の暴力

 アトラン国の貴族街。ここは、物理法則が魔法という名の「装飾」によって

凌辱された、不自然な美の集積地だ。


 石黒賢治は、背後に怯えるルルルとミャオミャオを従え、ヴァレリー伯爵邸

の門を潜った。


 石黒の半歩後ろには、重い観測機材を恭しく(実際には腰を引かせながら)

抱えた井口が続く。その様は、主人の気まぐれに付き従う忠実な、あるいは

無能な執事そのものに見えただろう。


 門番たちの視線が、石黒の白衣を通り抜け、背後の姉妹に注がれる。

 この世界の貴族にとって、希少な獣人を連れ歩くことは、ステータスシンボル

に過ぎない。怯える彼女たちの様子は、彼らの目には「よく調教された、

あるいは野性を残した愛玩用の護衛奴隷」という、極めて「趣味の良い」

コレクションとして映っていた。


「……おい、井口。ここの連中の視線、不快指数が閾値を越えているぞ」


「せ、先輩、声がデカいっすよ!

 ほら、ルルルちゃんたちも震えてるじゃないっすか……。

 俺ら、完全に『ヤバい奴隷商人とその一行』だと思われてますって!」


 石黒は鼻で笑い、邸宅の奥へと歩を進めた。

 彼にとって、彼女たちは「観測対象」であり、井口は「予備の演算資源

(雑用)」に過ぎない。他人の目にどう映ろうが、その解釈に一円の価値

も認めていなかった。


 邸宅の中へ案内されると、外の喧騒が嘘のように静まり返った。

 だが、その静寂は安らぎではなく、魔法による強制的な「熱の抑制」

によって生まれた、人工的なデッドスペースだった。


 道は滑らかに磨き上げられた偏光ガラスで舗装され、その継ぎ目には

回路図を思わせる幾何学模様の溝が彫り込まれている。

 そこを、魔力を帯びた淡い青色の液体が、脈動するように流れていた。

 建物はどれも高く、天を突くような尖塔には巨大な魔石が据えられている。

それが太陽の光を増幅し、邸宅全体を常に一定の光量で包み込んでいた。


「……吐き気がするな」


 石黒は、邸宅の中へ足を踏み入れた瞬間、こみ上げる不快感に眉をひそめた。

彼の網膜は、不自然な高周波の光スペクトルにさらされ、警告を発している。


「邸宅全体の照明、特定の波長のエネルギーを強制的に励起させている。

 これでは、網膜の疲労が激しく、熱放射によるカルノーサイクルの現実を

 覆い隠しているだけだ。

 ……井口、お前もこの光を『美しい』などと思うな。

 これはただの、エネルギーの垂れ流しだ」


 邸宅の奥、豪華絢爛なサロンの、黄金と白銀で装飾されたソファに、

一人の男が座っていた。

 男は、古代ギリシャの彫像のような、数学的な美を持った顔立ちをしていた。

プラチナシルバーの髪は陽光を弾き、琥珀色の瞳は、生まれた時から「魔力」

という万能の接着剤に浸りきってきた、傲慢な意志を湛えている。

 彼の纏う絹のローブは、光ファイバーを織り込んだような人工的で冷質な光沢

を放ち、その表面には、複雑な魔法陣が刻印されている。


 男――ヴァレリー伯爵は、手元の黄金の羅針盤からゆっくりと視線を上げ、

石黒とその背後に控える一行を値踏みするように見つめた。


「ようこそ。希少な獣人姉妹と、重そうな荷物を持たせた

 従者(井口)を連れた客人が来たと聞いてね。

 その珍しい黒髪といい、他国から参られた同好の士かと

 お見受けする。

 私はヴァレリー伯爵。……して、貴公の爵位と家名は?」


 伯爵は、石黒を「珍しい奴隷と優秀な執事を連れた風変わりな貴族」

だと信じて疑わず、傲慢ながらも歓迎の笑みを浮かべた。


「……爵位などない。俺は石黒賢治。

 工房区で研究をしている、ただの科学者だ」


 石黒は伯爵の愛想笑いを一秒で切り捨て、サロンの中央へと無遠慮に

歩み寄った。

 その漆黒の瞳は伯爵ではなく、部屋を飾る黄金の魔導具たちに向けられている。


「……は? 爵位がない? 工房区の……?」


 伯爵の顔から、優雅な笑みがサッと消え失せた。

 代わりに浮かび上がったのは、靴底にこびりついた汚物を見るような、

純粋な嫌悪と侮蔑の色だった。


「……何の用だ、下民」


 伯爵の声の温度が、氷点下まで下がる。


「珍しい獣人を連れているから同類(きぞく)かと思えば、ただの平民か。

 よく見ればその奇妙な白衣(コート)も、随分と薄汚れているではないか。

 私の美しきコレクションを前にして、工房区の泥の中に住む者が

 そのように無作法に振る舞うなど……不遜にも程があるぞ」


 先ほどまでの慇懃な態度は欠片もなく、底なしの階級主義が剥き出しになる。

伯爵にとって、石黒はすでに「言葉を交わす価値もないゴミ」に成り下がっていた。


 伯爵の冷酷な態度を、石黒は鼻で笑い飛ばした。

 彼は懐から無機質な金属板――タブレットを取り出すと、迷いなく画面を

スワイプした。


「不遜? いや、慈悲だ。伯爵、貴公のそのコレクション……。

 科学の視点から見れば、ただの『金のかかった巨大な粗大ゴミ』

 に過ぎない。これを見ろ」


 石黒が指を弾くと、空間に青白い光の数式が浮かび上がった。


      TL

  η = 1 - ---

      TH


「……な、なんだ、その不気味な光の文字は!?」


「熱効率(η)は、1から『高温熱源に対する低温熱源の温度比』

 を引いたもの……すなわち、系全体の温度差がなければ、

 そこから有効な仕事は一切取り出せない。

 『カルノーの定理』だ。理解できるか? できないだろうな」


 石黒は、混乱する伯爵をあざ笑うように、さらにホログラムのグラフを重ねて

展開した。そこには、サロンを飾る黄金の魔導具から漏れ出る「無駄な熱」が、

ドロドロとした赤いノイズとして可視化されていた。


「貴公が誇るこのコレクションは、その美しさの裏で、

 周辺環境に膨大な『死んだエネルギー(エントロピー)』

 を撒き散らしているに過ぎない。

 エネルギー変換効率は、計算上わずか3%以下。

 残りの97%は、ただのゴミとしてこの部屋の空気を汚している」


「ご、ゴミだと……!? これはアトランの至宝、王家より賜った――」


「王家がゴミを配っているのか、それとも貴公の頭がゴミなのか。

 どちらにせよ、この黄金の塊は、薪を燃やす焚き火よりも効率が悪い。

 ……伯爵、貴公はこれまで、この『金色の暖房器具』を維持するために、

 どれほどのマナと金をドブに捨ててきた?」


 石黒の漆黒の瞳が、伯爵の琥珀色の瞳を射抜く。

 それは感情的な怒りではなく、「正解を知る者」が「間違いを犯し続ける者」

に向ける、絶対的な選民意識だった。


「……私の……私の誇りを、数式ごときで……!」


「……ふん。数式が信じられないか。ならば、貴公が今その手で慈しんでいる

『玩具』がいかに醜いか、その目で拝ませてやろう」


 石黒は冷ややかに言い放つと、井口が抱えていたケースから、

一つの小さな物体を取り出した。それは黄金の装飾も、宝石の埋め込みもない、

無機質な漆黒の塊――セラミック製の軍用コンパスだった。


「……なんだ、その煤けた石の塊は。

 そんなものが、私の至宝に勝るというのか?」


「黙って見ていろ。井口、水平を出せ」


 石黒は、伯爵が大事そうに抱えていた黄金の羅針盤のすぐ隣に、その黒い

コンパスを置いた。

 伯爵の羅針盤の針は、豪華な魔力の脈動を受け、常に微細に、落ち着きなく

震えている。それはこの世界では「魔力が満ちている証」として尊ばれる挙動

だった。


 だが。石黒の置いた黒いコンパスの針は違った。

 内部を満たす特殊なオイルの制動(ダンピング)により、その針は一瞬の迷いもなく真北を指し、

石像のようにピタリと凝固した。


「……止まった? いや、違う。……震えていないのか?」


 伯爵が、思わず身を乗り出した。

 自分の羅針盤が「魔力の波」に翻弄され、右往左往するノイズにまみれているの

に対し、石黒のコンパスは、この邸宅を満たす強大な魔力の影響を一切無視し、

ただ一つの「真理」だけを射抜いていた。


「貴公の羅針盤は、マナという不確かなノイズに踊らされている。

 だが、これは違う。セラミックという非磁性・高剛性の筐体、

 そして粘性液体による完璧な制動(ダンピング)

 ……これは、魔法という『嘘』に一切耳を貸さない。

 ただこの星の地磁気という、絶対的な『秩序』だけを写し取っている」


 石黒はコンパスの文字盤に刻まれた、暗闇で青白く自発光するトリチウムの

光を指差した。


「見ろ、この静寂を。魔法の(ともしび)のように揺らぐこともない、

 安定した放射性崩壊による発光だ。

 伯爵、貴公が一生をかけて集めてきたのは、真理の抜け殻に過ぎない。

 俺が今見せたのは、その殻の中に宿るべき『確定した論理(ロジック)』そのものだ」


 伯爵は、自分の羅針盤と、石黒の黒いコンパスを交互に見た。

 一度その「微動だにしない絶対的な精度」を知ってしまった彼の目には、

自分の至宝が、単なる「落ち着きのない、金のかかったゴミ」にしか見えなかった。


「……ああ。なんと、静かな……。これが、本物の『正解』の姿だというのか……」


 伯爵の琥珀色の瞳に、狂気にも似た独占欲が宿る。

 石黒は無造作に、そのコンパスをケースの中に仕舞い込んだ。


「……あ、待て! 行かないでくれ……!」


 伯爵が、まるで命綱を奪われたかのような悲鳴を上げた。


「安心しろ、伯爵。俺がそのゴミを、本物の『装置』に変えてやる。

 貴公の無駄に余った資金と、その歪んだ収集癖を、

 俺の研究リソースとして提供するならな」


「……いくらだ。いくら出せば、その『真理』の続きを見せてくれる!?

 金か、マナか、それとも私の爵位か!? 望むものを言え!

 ただし……あの輝きを、私以外の誰にも見せるなッ!」


 もはや交渉は終わっていた。

 石黒は、震える膝をつく伯爵を冷徹に見下ろすと、唇の端をわずかに吊り上げた。


「……貴様、一体、何者だ」


 伯爵が、うわ言のように零した。

 自分の信じてきた世界を数式で破壊し、未知の美を提示してみせた「下民」の

はずの男。その得体の知れない存在感に、伯爵は恐怖を通り越し、一種の畏怖を

抱いて問いかける。


「魔法も使わず、ただの石ころで世界を止めてみせた……。

 貴様、本当は何者なんだ……!?」


 石黒は一度言葉を切り、タブレットを無造作にポケットへねじ込んだ。

 そして、眼鏡の奥の漆黒の瞳を伯爵に向け、短く言い放つ。


「石黒賢治。……只の科学者さ」


 石黒は伯爵から視線を外し、呆然と立ち尽くす井口を振り返った。


「交渉成立だ。……おい、井口。

 いつまで見惚れている。機材を片付けろ。

 これからはここが、俺の第一ラボだ」


「ひ、ひえぇ……! 了解っす、先輩!

 伯爵様、顔、顔が完全に『信者』のそれっすよ……!」


 豪華絢爛なサロンの中、石黒の漆黒の瞳と、タブレットの青白い光だけが、

獲物を罠に嵌めた蜘蛛のように、静かに、しかし確かな支配の意志を持って

輝いていた。

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