第10話:アトラン国第一歩~非効率な青の洪水~
アトラン国の石門をくぐり抜けた瞬間、石黒賢治の網膜を焼いたのは
眩いばかりの「青」の洪水だった。
そこは、これまでの旅で見てきた土埃舞う荒野や、素朴な獣人の村とは
完全に切り離された別世界だった。
道は滑らかに磨き上げられた白い大理石で舗装され、その継ぎ目には、
回路図を思わせる幾何学模様の溝が彫り込まれている。
そこを、魔力を帯びた淡い青色の液体が、脈動するように流れていた。
建物はどれも高く、天を突くような尖塔には巨大な魔石が据えられている。
それが太陽の光を増幅し、街全体を常に一定の光量で包み込んでいた。
「うわあ……すごい。完全に最新のFF……いや、
オープンワールドの重課金ステージって感じっすね。
NPCの服までポリゴン数多すぎでしょ、これ」
井口が呆然と口を開けて見上げている。彼の肩に左右からしがみついている
ミャオミャオとルルルも、見たこともない光景に猫耳を忙しなく動かし、
尻尾をピンと立てていた。
「……計算通りの『非効率』だな」
対照的に、石黒はチタン合金製のタブレットを片手で叩き、不機嫌そうに
鼻を鳴らした。
「街路の照明にこれほどの純度の魔力を消費させるとは。
熱力学の第二法則を無視したようなエネルギーの浪費だ。
井口、見ろ。あの浮遊している街灯、重心の制御を
すべて魔力による強制的な斥力に頼っている。
ジャイロ効果を利用すれば消費エネルギーを8割は
削減できるだろうに」
「先輩、入国第一声がそれっすか?
もっとこう、旅の情緒とか……」
「情緒で腹は膨れんし、研究予算も湧いてこない。
それより、井口。少し黙れ。
周囲の音を拾うのに邪魔だ」
石黒はバックパックのサイドポケットから、黒い耳掛け式の小さなデバイス
を取り出した。
ドバイの地下ラボで試作されていた、骨伝導レシーバー兼指向性マイクだ。
それを右耳に装着し、タブレットの画面上で「同期」のコマンドをフリック
する。
『――SERVER CONNECTED. DUBAI-MAIN CLUSTER LINKED.』
『NLP-AI (Natural Language Processing) : INITIALIZING...』
液晶画面に、複雑な波形データが猛烈なスピードで流れ始めた。
石黒は雑踏の中へと歩を進める。
アトランの市民たちは、石黒が予想していた通り、彫りの深い、エキゾチックな
顔立ちをしていた。古代ギリシャの彫像のような、数学的な均衡を持った美しさだ。
肌の色は陽光を浴びた小麦色から、貴族然とした透き通るような白まで様々だが、
共通しているのはその髪の色だ。
プラチナシルバー、アッシュグレー、あるいは深い琥珀色。
彼らは、旧アトランティスの末裔であることを誇示するかのように、精緻な刺繍が
施された絹のローブを纏っている。その布地は、光ファイバーを織り込んだような、
人工的で冷たい光沢を放っていた。
その優雅な市民たちが、石黒の「黒髪と黒い瞳」を見て、訝しげに、あるいは
不吉なものを見るような目で囁き合っている。
『解析率 45%... 68%... 92%... 完了。言語:アトラン標準語。
リアルタイム翻訳を開始します』
レシーバーから、合成音声特有の平坦な、しかし明瞭な日本語が石黒の脳に
直接響いた。
「――見て、あの黒い目。不吉だわ、
まるで『夜の底』から来たみたい」
「どこかの辺境の部族だろう。
最近は騎士団が密入国者に敏感だ、
関わらない方がいい」
「でも、あいつが持っているあの板……
魔力が全く感じられないのに、妙に
不気味な光を放っているわね」
石黒は口角を微かに歪めた。
「なるほど。この世界の住人にとって、
魔力を持たない物質は『死んでいる』
も同然というわけか」
「え、先輩? 今、誰と話したんすか?」
井口が不思議そうに首をかしげる。
「ああ、悪い。井口、お前の出番は終わった」
「は?」
「お前がこの一年間、タブレットを充電するたびに
自動転送されていた音声ログをドバイのメインサーバーで
ディープラーニングさせた。
アトラン語の文法構造、音韻体系、
そして特有の魔力共鳴による母音の変化。
すべてマッピング済みだ」
石黒は耳のデバイスを指差した。
「今、俺の耳には周囲の会話がすべて日本語で
入ってきている。そして俺が日本語で話せば、
このデバイスが指向性スピーカーから、
完璧なアトラン語のイントネーションで
音声を合成して出力する。
翻訳ラグは〇・〇二秒。
お前の拙い通訳を介すコストを完全に削減した」
「……俺の一年間の努力、AIに数秒で抜かれたんすか?
しかも俺の会話、勝手に学習データに使われてたし!」
井口がガックリと肩を落とすが、ミャオミャオたちが
「井口サマ、元気出すにゃ!」
「私たちがいるにゃ!」と慰めるのを見て、すぐに鼻の下を伸ばし始めた。
「……さて。観光は終わりだ。行くぞ、井口。
俺たちが最初に向かうべきは、この街の『胃袋』ではなく『心臓』だ」
「心臓? 王宮っすか?」
「違う。この世界の物理定数が、最も歪に捻じ曲げられている場所
――工房区だ」
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