2話:混乱と異世界
「んう……」
心地よい暖かさと、ふんわりとした少しの圧迫感を肌に感じて、私は瞼を開いた。頭はぼーっとしていて、目に映る情報をそのまま受け止めようとする。
視界に入ったのは、白を基調とした、上品なデザインの天井。ひし形などの図形が金のラインで様々重なるように描かれていて、特定のパターンを形成している。
上体を起こして周りを見回すと、今度は薄い青色に金のラインが入った壁が目に入った。窓からレースカーテン越しに差し込む光が、綺麗に室内を彩っている。
ほかにも、壁に掛けられた絵画に、西洋レトロというのだろうか、そんな少し古めかしいデザインの棚。それらが視界に入ってきた。
ぐっすりと寝たのか、体は軽く、目覚めもいい。
「は……?」
けれどそれらを確認して、まず浮かんだのは疑問と困惑だった。思考が冷やされたみたいに固まる。
ここは一体どこだろう。こんな綺麗な部屋は、私の記憶には存在しない。テレビや映画、ゲームとかの媒体の中でなら見たこともある風景ではある。けれど当然、リアルではこんなところは知らない。私はなんでこんな部屋で寝ていたんだ。
身に着けている衣服だっておかしい。滑らかな感触がすると思って確認すれば、白く薄いワンピースのような、シンプルなドレスのような、そんなものをまとっていた。こんな衣服は持っていない。私の好みでもないし。
というか、私はどうしたんだっけ——。
状況を理解しようと、思考を逡巡させる。突拍子のない事態に混乱は加速するが、意識はしっかりしている。大良とともに恵さんの墓参りに行って、帰りのバスに乗って、それから——。
「あー……まじか」
思い出したと同時に、体に覚えた鈍い痛みと、額の熱さがフラッシュバックして、背筋がゾクッとした。
そうだ、私は事故に遭ったんだ。帰りのバスで、多分車に横から激突されて。
そうして怪我をして意識を失って、そこからは——。
「病院……とは思えないんだけど」
改めて周りを見回す。一瞬病室かとも思ったが、殺風景なそれとは違い、小奇麗で西洋感のあるこの部屋は、病室とは思えない。
体に怪我はない。怪我はない——?
それだっておかしい。私は体中を激しく打って重傷を負っていたはずだ。意識が朦朧とするくらい。
血だって流していた。額に感じたあの熱さは、出血していたからだろう。手を顔に当ててみる。別になんともなかった。
事故なんてなかったかのように、どこをとっても健康だ。傷なんて微塵もない。けれどそれが逆に不気味だった。
病室とは思えない部屋に、傷ひとつない体。
一体何が起こっているのだろうか。困惑は加速し、戸惑うことしかできない。夢でも見ているのだろうか。でも、この現実感は偽りとは思えない。
部屋には私しかいない。扉があったが、出ようにも鍵が掛かっていた。どうやら外側から掛かっていて、ノブ周りに鍵穴はらしきものは見当たらない。
なぜ外から、なんて考えるが、こんな謎だらけの状況で、下手に外に出るのもなんとなく嫌な予感がして。
根拠のない直感と、困惑する頭に振り回されながら、それでもとりあえず落ち着くのが最優先と、私は深呼吸をした。
まあ結局、落ち着けたかというと微妙なところではあるけれど。
ふと頬に爽やかな風があたる。視界を上げると、窓際のレースカーテンがなびいていた。
そういえば、外はどうなっているのだろうか。気持ちの良い風が、窓の隙間からすうっと流れ込んできている。それに引かれるように窓際へと近づいた。
そうして窓の外を見て、私はもっと混乱することになった。
ここは高層のようで、眼下に景色が広がっている。
遠くまで見えるのは、馴染みのないデザインの建造物たち。これもまた、西洋のお屋敷と言われればしっくりくる外観をしていた。もちろん私の頼りない知識のイメージでしかないが、そんな建物が複数、目に見える向こうまで広がっていた。視線を動かせば、教会のようなデザインの建物も見えた。空はどこまでも晴天で、相変わらず心地よい風が入ってくる。
全然思考はまとまってくれない。むしろ視界の情報が、困惑をさらに加速させる。
こんな場所はやっぱり知らない。というより、この風景はまるで——。
「失礼いたします。ナナセ様」
それこそまるでファンタジーだ。なんて考えたタイミングで、背後から声がした。凛とした、芯のある女性の声。
はっとして私は振り返る。いつの間に鍵を開けたのか、扉のそばに、女性が立っていた。
背の高いその女性は、白黒のエプロンドレスを身に着け、明るい茶髪をキャップにしまっている。青く切れ長の瞳が、私の目と合う。
「あら、驚かせてしまいましたなら申し訳ございません」
表情を変えずに軽いお辞儀だけをして、彼女は謝罪する。その所作は慣れているみたいで、自然な滑らかさを感じ取れた。
「だれ、ですか……」
私の表情も今は固く無表情だ。彼女のそれとは恐らく違って、緊張と警戒からくるものだったけれど。
「申し遅れを。わたくしはフライヤ。この宮廷に仕えるメイドです」
変わらない無表情で彼女は名を名乗った。
フライヤ——。まるで外国人のような名前。
いや、いい加減私も感づいていた。理解はできても受け入れられないだけで。
もうわかっている。ここは日本じゃない。そして、おそらく地球でもない。ゲームとか物語でこういう世界観があるのは知っている。私だって中学生のころに現実だったらいいのになんて考えたことがある。とはいえ、確信ができなかった。だってそんなの、いざそうなっても頭が追い付かない。
警戒しつつも、彼女に言葉を返す。
「……私の知ってる世界じゃ、ないんですよね」
その発言に対して、彼女が少し目を見開いたように見えた。すぐに無表情に戻ったけれど。
「ええ、ご理解が速くて助かります。この世界はナナセ様の居た地球ではございません。そうですね、ナナセ様の認識からすると、異世界とお伝えするのが手早いでしょう」
フライヤが嘘を言っているようには感じられない。そして現実味のあるこの感覚は事実で、けれどやっぱり、気持ちが受け入れられなかった。御伽噺でも、そういう話はあるけれど。
ともかく、どうやら私は異世界転移してしまったらしい。




