28.王の器
【ヴァンパイア城・最上層/玉座前】
石階段の終わり。
扉はない。
ただ、長い回廊がまっすぐに続いている。
赤い絨毯。
両脇に並ぶ、無数の燭台。
だが炎は揺れていない。
足音だけが響く。
コツ、コツ、コツ――
やがて回廊の先に、
巨大な空間が開けた。
【玉座の間】
天井は高く、
月光が割れたステンドグラスから差し込んでいる。
その中央。
赤い玉座。
片足を組み、
頬杖をついた男。
ヴァンパイア
「……遅かったね」
視線だけが動く。
ヴァンパイア
「キール」
次に。
ヴァンパイア
「そして――光雷」
拓弥の胸が、わずかにざわつく。
拓弥
「……待ってたのか」
ヴァンパイア
「もちろん」
微笑む。
ヴァンパイア
「君たちは、必ず来る」
玉座から、ゆっくりと立ち上がる。
外套が床を擦る音。
ヴァンパイア
「私の“願い”を邪魔するのは、
いつも君たちだからね」
キール
「その願いとやら、まだ諦めてねぇのか」
ヴァンパイア
「諦める?」
首を傾げる。
ヴァンパイア
「何百年も待ったんだ」
指先に、赤い光が宿る。
ヴァンパイア
「ようやく“杖”も手に入った」
拓弥
「……蘇りの杖」
ヴァンパイア
「そう」
優しく笑う。
ヴァンパイア
「だけど何も反応しない。ヨークめ謀ったな」
拓弥
「ヨーク?」
ヴァンパイア
「君には関係のない話だよ」
空気が、変わる。
重力が、わずかに沈む。
ヴァンパイア
「さて」
玉座の背後の闇が、揺らぐ。
ヴァンパイア
「二人だけで来たのは正解だ」
その瞳が、赤く灯る。
ヴァンパイア
「ここから先は――
本当に“死ぬ”からね」
沈黙。
月光が、三人を照らす。
キール
「相棒」
拓弥
「ああ」
二人が、並ぶ。
雷聖剣とソウル・リッパー。
対するは、吸血鬼の王。
静寂の中。
最終決戦の第一音が――
鳴る直前だった。
【ヴァンパイア城・下層部/水没大広間】
石槍が、水面を走る。
セイレーンの足元を突き上げる。
麻里奈
「今よ!!」
リーナ
「トライデント、返してもらう!!」
リーナが水を蹴る。
水が彼女を押し上げる。
まるで――
“道”を作るように。
だが……
セイレーン
「……渡さない」
その瞬間。
トライデントが、黒く脈打った。
水が、変質する。
蒼ではない。
濁った、深海の色。
麻里奈
「……色が変わった!?」
セイレーン
「海は優しくない」
声は冷たい。
セイレーン
「奪われ、踏みにじられ、沈められた」
水面が割れ、
巨大な“深海の影”が浮かび上がる。
セイレーン
「私は、その怒りそのもの」
トライデントが振り下ろされる。
⸻
《深淵断罪》
水が、重力を持つ。
圧がかかる。
床が砕ける。
麻里奈
「……っ、重い!!」
石が、潰れる。
リーナは水の中でもがく。
水が苦しい。
息が詰まる。
リーナ
「これ、あなたの怒りだよ」
セイレーン
「黙りなさい!」
水柱が、リーナを直撃する。
叩きつけられる。
床を滑る。
麻里奈
「リーナ!!」
⸻
セイレーンは、近づく。
水上を歩く。
セイレーン
「王は、守ると言った」
セイレーン
「だが守れなかった者の痛みを知らない」
トライデントを突きつける。
セイレーン
「私は知っている。海にも陸にも居場所のない苦しみを」
リーナ、ゆっくり立ち上がる。
額から血が流れる。
リーナ
「……あなたは、何を失ったの?」
セイレーン
「……すべてよ」
声が、わずかに震えた。
セイレーン
「だから王家を許さない。この槍を手放さない」
リーナ
「……違う」
セイレーン
「?」
リーナ
「王は、選んだりしない」
水が、微かに揺れる。
リーナ
「最後まで、諦めない。それが王だよ」
セイレーン
「うるさい!黙れ!黙れ!!」
トライデントが、悲鳴のように鳴る。
黒い脈動が、槍から腕へ。
腕から、全身へ。
水が、逆流する。
天井から、深海の圧が落ちてくる。
⸻
《深海王化》発動
銀髪が、水中で溶けるように広がる。
瞳が、蒼から漆黒へ。
背後に、巨大な深海の幻影が浮かぶ。
圧。
冷気。
暗闇。
麻里奈
「……これ、さっきとレベルが違う……!」
水が“海底”になる。
重い。
立つだけで、骨が軋む。
呼吸が浅くなる。
セイレーン
「守る? 諦めない?」
声が、二重三重に重なる。
セイレーン
「それで救えたの?!」
巨大な水腕が、横薙ぎに振り払われる。
ドォォォン!!
麻里奈が壁に叩きつけられる。
麻里奈
「……っ、がはっ!」
石の防御が、粉砕。
水圧が、鎧のように身体を押し潰す。
⸻
リーナは、膝をつく。
視界が揺れる。
耳鳴り。
海の底に沈む感覚。
リーナ(心の声)
(重い……)
祖母の声が、遠くで聞こえる。
“海は、怒る時もある”
“でも、怒りの奥には必ず理由がある”
⸻
セイレーンが、目前に立つ。
トライデントの先が、喉元に触れる。
セイレーン
「終わりよ」
リーナは――
その穂先を、素手で掴んだ。
セイレーン
「!?」
触れた瞬間。
――ドクン。
水が、逆流した。
⸻
水の記憶
世界が変わる。
深い蒼。
幼い少女。
波打ち際で、ひとり立っている。
銀色の髪。
まだ、笑っている。
その向こう。
若い人魚の王子。
優しい瞳。
その名は――
マウリス・エリート。
リーナ
「……お父さん……?」
記憶は続く。
王子マウリスが、人間の女性と出会う。
笑う。
手を取り合う。
海と陸の間で、密やかに育まれた恋。
だが。
禁忌。
王族と人間。
許されない。
引き裂かれる。
泣き叫ぶ母。
連れ戻される父。
そして――
生まれたばかりの赤子。
人魚と人間の血を持つ少女。
海にも陸にも属さない子。
捨てられた子。
⸻
リーナ
「……あなた……」
記憶の中の少女が振り向く。
その顔は――
セイレーン。
そして同時に、もうひとつの記憶が流れ込む。
マウリスは、王として海に戻った後。
別の女性との間に、もうひとりの娘を授かった。
その娘の名は――
リーナ。
⸻
現実に戻る。
圧の中。
リーナの手が、震えている。
トライデントを掴んだまま、離せない。
セイレーン
「見るな……!!」
リーナ
「あなた……お父さんの……」
喉が震える。
リーナ
「お姉ちゃん……?」
⸻
水が、大きく波打つ。
セイレーン
「……なんですって」
動揺。
初めて見せる、純粋な動揺。
セイレーン
「妹……? 私に……妹が……?」
だが次の瞬間、その表情が歪む。
セイレーン
「……嘘よ」
セイレーン
「父は王を選んだ……!」
声が、崩れる。
セイレーン
「私と母を捨てて、王家に戻った!」
水が黒く染まる。
セイレーン
「人魚は私を拒み!」
セイレーン
「人間は母を殺した!!」
深海の圧が、最大になる。
セイレーン
「それなのに……あの人は、別の家族を作ったっていうの……!?」
涙が、水と混ざる。
⸻
リーナの胸が締め付けられる。
父マウリス。
優しい父。
だが。
王として選択した。
海に戻り、新しい家庭を築いた。
捨てた子がいることを、知りながら。
⸻
リーナ
「……だから、怒ってるんだね」
セイレーン
「怒るなと言うのか!!」
リーナ
「違う」
圧の中で、立ち上がる。
リーナ
「怒っていい」
水が、揺らぐ。
リーナ
「悲しんでいい」
トライデントが、震える。
リーナ
「でも、それを全部背負って一人で王になろうとしないで」
⸻
セイレーンの瞳が、大きく揺れる。
セイレーン
「……何を……」
リーナ
「私も、王家の血を持ってる」
一歩、近づく。
リーナ
「あなたも」
水が、少し透明になる。
リーナ
「あなたは半端者じゃない」
リーナ
「お父さんの娘だよ」
⸻
深海の幻影が、ひび割れる。
黒い水が、蒼へ戻り始める。
セイレーン
「……私は……」
声が、幼くなる。
セイレーン
「……居場所が欲しかっただけ……」
⸻
麻里奈が、立ち上がる。
麻里奈
「だったら作りなさいよ!!」
二人を見る。
麻里奈
「一人で背負うから辛いのよ!!」
⸻
トライデントが、二人の間で強く光る。
黒と蒼が溶け合う。
圧が、消えていく。
深海が、静まる。
⸻
セイレーンの膝が崩れる。
漆黒だった瞳が、元の蒼へ戻る。
セイレーン
「……妹……?」
リーナ
「……うん」
涙が、水と混ざる。
セイレーンの瞳が、蒼へ戻りかけた――
その瞬間。
トライデントが、激しく震えた。
バキッ――
壁に、亀裂が走る。
麻里奈
「……え?」
深海の圧が、制御を失う。
水が暴走する。
セイレーン
「……っ、しまっ……」
轟音。
ドゴォォォォン!!!
城の外壁が、水圧で破壊された。
冷たい外気が、一気に流れ込む。
その向こうは
底の見えない奈落。
⸻
水が、一方向へと流れ出す。
吸い込まれる。
すべてを巻き込みながら。
麻里奈
「流される!!」
リーナ
「くっ……!」
二人の身体が、崖へと引きずられる。
足場は崩壊。
掴むものはない。
水は止まらない。
⸻
その時。
水が、逆らった。
荒れ狂う流れの中で。
ただ一部だけが、意志を持ったように。
セイレーンの声が響く。
セイレーン
「……まだ、終わってない」
水が渦を巻き、
二人の身体を包み込む。
優しく。
抱き上げるように。
麻里奈
「……!?」
リーナ
「お姉ちゃん……!?」
水は、二人を岸へ押し戻す。
セイレーン
「……妹が、出来るなんて」
かすかに、笑う。
麻里奈
「待って!!」
リーナ
「一緒に行こう!!」
セイレーン
「……私は」
水と共に、外へ放り出されるセイレーン。
セイレーン
「まだ、怒りを捨てきれない」
水が、最後の力を振り絞る。
二人を完全に安全圏へ押し出す。
セイレーン
「だから――今は」
セイレーン
「あなたが、王になりなさい」
投げ渡されたトライデントが、蒼い軌跡を描いてリーナの手に収まる。
セイレーンの姿は、まるで最初から泡だったかのように、白い霧の向こうへと消えていった。
荒れ狂っていた水が、嘘のように静まる。
崩れた外壁の向こうに、冷たい風。
麻里奈
「……行っちゃった……」
リーナ
「……うん」
トライデントが、静かに蒼く光る。
リーナは崖を見下ろす。
リーナ(心の声)
(終わってない)
風が、頬を撫でる。
まるで――
深海からの、微かな気配のように。




