18.親友
【1671年 朝の丘】
冷たい雨が降りしきる。
城門から遠く離れた丘の上、少年ベルはひとり立ち尽くしていた。
全てを失い、怒りも涙も出なかった。ただ、胸の奥だけが空っぽだった。
ベル「……俺は……何のために、生まれたんだ……」
その声をかき消すように、雷鳴が轟いた。
そして――その雷光の中から、ひとつの影が現れる。
イフリート「なんだお前。……初めて人殺したって顔してんじゃねーかよ。」
ベルが顔を上げる。そこにいたのは、かつて彼を圧倒した紅き炎の男――イフリートだった。
イフリート
「吐きそうか?」
ベル
「……別に」
イフリート
「そうか」
イフリートは笑った。
イフリート
「なら合格だな」
ベル
「……何がだ」
イフリート
「俺は言ったはずだぜ」
炎が揺れる。
イフリート
「お前は俺たちの仲間になれるってな」
イフリート「そうだろガキ!いやエクストラ・ベル。」
ベル「その名前は……捨てた…」
イフリート「そうか」
イフリートはゆっくりと歩み寄り、手を差し出す。
イフリート「来い。お前に新しい居場所をくれてやる。
お前のその憎しみと力を――生かせる場所だ。」
ベル「……居場所……?」
【1671年 ヴァンパイア城】
イフリート「――ここだ。」
重厚な扉が開くと、冷たい闇の気配がベルの肌を撫でた。
黒曜石の床に赤い絨毯が敷かれ、奥の玉座には一人の男が座している。
その瞳は全てを見透かすような目をしていた。
イフリート「久しぶりだな、ドラキュラート。」
ヴァンパイア「イフリート様……お久しぶりです。」
イフリート「百五十年経っても、例の“杖”は見つからねぇようだな。」
ヴァンパイア「……ええ。」
イフリート「まぁいい。今日は別の用件だ。――こいつを預ける。」
イフリートの隣に立つ少年。
ベル――その瞳には、もはや光など残っていなかった。
代わりに宿っていたのは、濃く、深く、底の見えない闇。
ヴァンパイア「……誰です?」
イフリート「名も、家も、すべて捨てた男だ。」
ヴァンパイア「キール」
キール「……あぁん?オレは部下も手下もいらねぇぞ。」
ヴァンパイア「そうか。なら――ナイトメア。」
ナイトメア「……私が引き取ろう。」
闇の奥から、一歩踏み出す影。
その存在だけで、空気が重く沈む。
ヴァンパイア「頼んだ。」
ナイトメア「……名は、まだ無いのか。」
ナイトメアは低く笑い、ベルの胸元に手をかざす。
掌から赤い光が漏れ出し、闇を押し返すように広がった。
熱が走り、少年は息を詰める。
ナイトメア「名を与えよう。闇に堕ち、雷に選ばれし者――」
胸に、紅い紋章が刻まれる。
それは焦げつくような痛みとともに、確かな力の脈動を残した。
ナイトメア「今日からお前は、“光雷”だ。」
少年の瞳が開かれ、瞳が赤く染まっていく。
その中に宿ったのは、絶望でも怒りでもない――
決して消えぬ雷光のような、闇の決意。
ナイトメア「立て、光雷。
お前の眠りは終わった。
これから見るのは夢ではない――悪夢そのものだ。」
闇がゆっくりと渦を巻き、少年の輪郭を包み込んでいく。
その瞬間、ベルという名は完全に消え去った。
新たな名――光雷が、生まれた
【1672年 荒廃した街】
瓦礫の山の上に、ひとりの青年が立っていた。
黒い外套をまとい、周囲には焦げた大地と、崩れ落ちた建物。
空はどす黒く濁り、雷鳴だけがその沈黙を裂く。
――光雷。
かつてベルと呼ばれた少年の名は、今や恐怖とともに語られる。
彼が現れるところ、すべてが灰となった。
その異常な力は、怒りや憎しみを超え、もはや災厄そのものだった。
【ヴァンパイア城・再訪】
黒い城門の前に立つと、かつて感じた冷たい気配が懐かしく思えた。
あれからほんの数ヶ月。光雷は幾つもの街を滅ぼし、その力を恐れられる存在となっていた。
ナイトメア「私はヴァンパイアと話してる間、自由にしておけ」
光雷「分かりました。」
重い扉が閉じる。
冷たい空気の中、光雷は無言のまま廊下を歩き出した。
――その背後から、軽やかな声が響いた。
キール「へぇ、随分と活躍してるみたいじゃねぇか。」
光雷は一瞥もくれずに歩を進める。
キール「おいおい、無視かよ。オレ様がわざわざ話しかけてやってんのに。」
光雷「……俺には興味がない。」
短く、冷たい声。
キール「じゃあ、無視できねぇようにしてやるよ――《デッドリー・ライブ》!」
赤黒い閃光が走る。
刹那、光雷の足元の床が爆ぜた。
しかし光雷は、一歩も動じずにその攻撃をかわす。
外套が風に揺れ、瞳が雷光を帯びた。
光雷「……仕掛けたのは、そっちだからな。」
低く、静かな声。
次の瞬間、雷鳴が廊下を裂いた。
光雷「――《サンダー・ボール》!」
幾つもの雷球が宙に生まれ、キールを包囲する。
轟音と共に炸裂する稲妻が、床石を溶かしていく。
キール「おぉっと、やるじゃねぇか!」
軽口を叩きながら、キールは背後に手を回す。
次の瞬間――黒い布の中から、巨大な大鎌が現れた。
刃が月光のように輝き、闇を切り裂く。
キール「――《リーパー・スウィング》!」
円を描くように振り抜かれた大鎌が、雷球を次々と切り裂いていく。
雷と金属の衝突音が響き、廊下全体に火花が散った。
光雷「……面白いな、その武器。」
キール「気に入ったか? こいつは“魂喰いの鎌”。
お前みたいな雷野郎にも、少しは通じるだろ?」
言葉と同時に、大鎌の刃が赤黒く脈動する。
光雷「……試してみるか。」
雷鳴が轟き、雷光が光雷の全身を包む。
地を蹴る瞬間、床が砕け、ふたりの姿が霞のように消えた。
――雷と鎌。
刹那の交錯が、まるで光と闇の舞踏のように廊下を切り裂く。
【ヴァンパイア城・戦闘回廊】
轟音と閃光。
雷と刃が交差するたび、空気が震え、壁が崩れ落ちる。
光雷の拳が稲妻を放ち、キールの大鎌がその光を切り裂く。
互いの動きは、もはや目で追えない。
稲妻が走る。鎌がうねる。
廊下は一瞬ごとに焼け焦げ、壁は砕け散る。
キール「ははっ!やっぱりヤベぇな、お前の雷は!」
光雷「アンタこそ……ただの傭兵じゃねぇな!」
キール「初めてだよ、オレを傭兵呼ばわりする奴なんて!」
キールが床を蹴る。黒い外套が舞い、鎌の刃が紅に染まる。
キール「――《デス・サイクロン》!」
紅い残光が旋回し、闇の渦が廊下を飲み込んでいく。
光雷は咄嗟に腕を突き出した。
光雷「――《サンダー・クラッシュ》!!」
放たれた雷撃が爆ぜ、渦とぶつかる。
轟音と閃光。視界が白に染まり、すべての音が消えた。
爆風が吹き荒れ、二人の身体が床に叩きつけられる。
瓦礫が降り注ぎ、炎の粉塵がゆらめく。
煙の中から、二つの影がゆっくりと立ち上がる。
キール「……やるな……本気で殺られるかと思ったぜ。」
光雷「……お互い様だ。少しでも気を抜けば、死んでた。」
ふたりはしばらく見つめ合い――やがて、同時に笑った。
キール「いいな……オレ、こういうの好きだぜ。
次は本気の戦場でやろうぜ、光雷。」
光雷「……次はお前が先に倒れる番だ。」
再び雷鳴が轟く。
その音は、まるでふたりの出会いを祝福するように響いていた。
――こうして、破壊の化身・光雷と
死神の戦士・キールの友情が始まった。
【ヴァンパイア城】
キール「そうだ! 光雷、迷いの森の主を知ってるか?」
光雷「……は? 知らねーよ。そもそも“迷いの森”ってどこだよ。」
キール「お前マジかよ? グリフォニア王国の南にあるだろーが。」
光雷「……レバンハールのことか?」
キール「ああ、それそれ。なんだ、あの森、名前あんのか。ま、どうでもいいけどよ。
とにかく、そこの怪物倒しに行こうぜ! 会える確率はかなり低いらしいけどな。
俺も何度か行ったんだけど、結局30日も彷徨って、成果ゼロだったぜ。」
光雷「(30日も……?)」
少しだけ呆れたように眉をしかめるが、どこか楽しそうでもある。
光雷「……まあ、いいけど。」
キール「おっしゃ、じゃあ行こう!」
光雷「……え、今から!?」
キールはすでに外へ向かって歩き出していた。
まるで空が落ちても止まらないような、その背中に、
光雷は一瞬だけ、言いようのない“気楽さ”を感じた。
光雷(……こんなやつと旅するのも、悪くねぇかもな)
⸻
――こうして、二人は“迷いの森”へ向かい、
聖獣フンババを討ち倒したのだった。
【焚き火の夜】
夜の森は静かだった。
風が木々を揺らし、遠くで梟の声が響く。
焚き火の炎だけが、ふたりの顔を照らしていた。
ぱち、ぱちと薪が弾ける音の中、キールが口を開く。
キール「……なぁ、光雷。」
光雷「なんだ。」
キール「お前さ、死んだらどうなると思う?」
光雷「……は?」
キール「魂の話だ。天に行くのか、地に落ちるのか、それとも――何も残らねぇのか。」
光雷「……俺は…………いやなんでもない……分からないな。」
キール「……そっか。」
キールは微笑む。だがその笑みは、どこか寂しげだった。
光雷「お前、まるで“死”を見てきたみたいな言い方だな。」
キール「……見てきたさ。
俺は“死神族”だからな。」
光雷の表情がわずかに動く。
焚き火の光がキールの横顔を照らし、影を濃くした。
キール「死神族の寿命は短い。長くても三十。
だから結婚も早いんだ。……俺は十二の時に、妹と婚約させられた。」
光雷「……妹?」
キール「ああ。血を濃くして“魂の器”を強めるってのが理由だった。
でも……子どもながらに、俺はおかしいと思った。」
キールの手が、焚き火の明かりの中でわずかに震えた。
キール「婚礼の儀で使う“ソウル・リーパー”。
それは俺の一族に代々伝わる宝剣だった。
俺は……その宝剣を盗んで逃げようとした。」
光雷「……逃げたのか。」
キール「逃げようとしただけさ。
でも、見つかってな。父に止められて――気づいたら、あの大鎌で……父を斬ってた。」
沈黙。
焚き火がひときわ大きくはぜた。
キール「死神族にとって“殺し”は最大の罪だ。
魂を導く者が魂を奪うなんて、あってはならねぇ。
だから俺は、族の掟からも、生き方からも外れた。」
光雷「……それで、家を出たのか。」
キール「ああ。あの鎌と一緒にな。
いろんな世界を渡り歩いて気がつけばこの世界にいた。
強い奴を見つけちゃ、戦って……負けたこともねぇ。」
キールは炎の中の火を見つめる。
その瞳は、まるで遠い過去を映していた。
キール「そして、寿命はとうに過ぎてた。
……でも、死ななかった。
そのとき気づいたんだ――俺は“奪った命のぶん”だけ、生かされてるって。」
光雷「……命を、喰って生きる……か。」
キール「皮肉なもんだよな。
死神のくせに、人間よりよっぽど“生きる”ことに必死なんだ。」
焚き火の火がゆらぎ、二人の影が地面に重なった。
光雷「……お前、後悔してるのか?」
キール「さぁな。
でも、俺はあの夜、確かに“生きたい”と思った。
それが罪でも、偽りでも――まだ、消えちゃいねぇ。」
光雷はゆっくりと視線を落とした。
それは、自分の過去を重ねるようでもあった。
光雷「……お前、変な奴だな。」
キール「お前ほどじゃねぇさ。」
二人は小さく笑う。
夜風が吹き抜け、焚き火の火の粉が空へと舞い上がった。
【焚き火の夜・後編】
森の夜はもう冷え始めていた。
木々の隙間から吹く風が、焚き火の炎を細く揺らす。
赤くはぜる火だけが、二人の輪郭を浮かび上がらせていた。
しばらく沈黙が続いたあと、キールがふいに口を開いた。
キール「……なぁ、光雷。」
光雷「なんだ。」
キール「お前さ。なんでそんなに“戦うこと”に迷いがねぇんだ?」
光雷「……急になんだよ。」
キール「いや、単純な興味だよ。
オレは……生きるために、もう引き返せねぇところまで来ちまった。
でもお前の目はそれとも違う。“守る”って目だ。誰を守りてぇんだ?」
光雷は、すぐには答えなかった。
焚き火の光が、彼の横顔に揺れて映る。
迷いというより、覚悟の固さを確かめているような沈黙だった。
光雷「……一つだけ、本当のことを言っとく。」
キール「ほう。」
光雷「“光雷”って名前は、ナイトメアから貰った名前だけど。
俺の本当の名前は――ベル・エクストラ。」
キールの指が、ほんのわずかに止まった。
火の粉がぱちりと弾ける音が、やけに大きく響く。
キール「……エクストラ?」
光雷「昔、俺には国があった。エクストラ王国っていう、小さな国だ。
父は王で……母も兄貴も、みんな優しかった。
けどある日、全部、消えた。」
キール「……消えた……」
光雷「ああ。
何者かに襲われた。国が炎に包まれて……
気がついたら、全部壊れてた。父も母も、帰らなかった。」
光雷の声は静かで、どこか諦めを含んでいた。
光雷「誰がやったのか、今でもわからねぇ。
ただ……あの日の炎の匂いと、空っぽになった心は、今も覚えてる。」
キールの喉が、ごくりと動いた。
指先が僅かに震える。
キールは何も言わず、ただ火を見つめた。
光雷「……兄貴は国を立て直した。
あいつは立派な王になったよ。だから、もう俺の出番はねぇ。
俺は……この名前も、過去も捨てて、ただの戦士として生きるって決めた。」
その横顔はどこか吹っ切れていて、悲しみよりも静かな覚悟を湛えていた。
光雷「……それでも、あの日の夢はまだ見る。
焼けた街と、父と母の死
……多分、あの時の俺は、“守れなかった”ってことをずっと引きずってるんだと思う。」
キール「…………」
キールは、ゆっくりと息を吐いた。
罪が胸の奥を締めつける。
“守れなかった”――いや、“奪った”のは自分だ。
(言えねぇ……言えるわけがねぇ……)
焚き火が揺れ、影が二人を包む。
キールはそれを見つめながら、ゆっくりと呟いた。
キール「……お前の父さん、きっと誇りに思ってるさ。」
光雷「……そう思うか?」
キール「ああ。
国を守れなくても、お前みたいな息子が生きてるなら、それで十分だ。」
その言葉に、光雷はわずかに笑った。
けれど、キールの声の奥に滲む痛みに、気づくことはなかった。
光雷「キール……意外と優しいな。」
キール「死神族はな、死人の顔を何千と見てきた。
だから、生きてる奴を見ると……妙に、放っとけねぇんだよ。」
光雷「……ふん、変な理屈だな。」
キール「そういうこった。」
二人は短く笑い合う。
風が吹き、火の粉が空へ舞い上がった。
キールはその光を見上げながら、心の中で小さく呟いた。
(――今度こそ、守る。奪う側じゃなく、守る側で。)
その決意だけが、彼をこの夜に縛りつけていた。
そして、二人の間にあった沈黙は、もはや“距離”ではなかった。
罪と喪失を抱えた者同士の、静かな約束だった。
【夜明け】
夜が明ける頃、森の空気はひんやりと澄んでいた。
東の空がわずかに白みはじめ、霧がゆっくりと木々の間を漂っている。
焚き火はほとんど燃え尽き、灰の中に小さな赤い火だけが息をしていた。
キールはその前に座り、何も言わず灰を見つめていた。
隣では光雷が、木の根にもたれて眠っている。
頬に当たる朝の光が、わずかにその寝顔を照らしていた。
無防備な顔だった。
怒りも憎しみも、何もない。
まるで少年のように静かに眠っている。
キールはふっと息を漏らした。
キール(……変な奴だよ、本当に。)
彼の胸の奥が、妙に温かい。
それが罪悪感なのか、救いなのか、自分でもわからない。
ただひとつ確かなのは――
この男を、もう誰にも傷つけさせたくないという思いだけだった。
キールはゆっくり立ち上がると、焚き火の残り火に靴の先で灰をかけた。
ぱさり、と音がして、赤い火が小さく沈む。
キール「……行くか。」
呟いた声は、眠っている光雷にも聞こえないほど小さかった。
彼は背を向けて歩き出そうとして――立ち止まる。
後ろで、かすかに衣擦れの音がした。
光雷「……起きてるよ。」
キールが振り返ると、光雷は半分目を閉じたまま、焚き火の灰を見つめていた。
光雷「キール、先に行くつもりだっただろ。」
キール「……起こしちゃ悪いと思ったんだよ。」
光雷はゆっくりと立ち上がり、伸びをひとつした。
まだ眠気の残る声で、それでもどこか穏やかに言う。
光雷「行こうぜ、キール。」
キール「ああ。」
二人は並んで歩き出した。
霧の中、足音がしずかに草を踏む。
まだ朝日は低く、森全体が淡い青に染まっていた。
遠くの空では、雲の切れ間から一筋の光が差し込む。
それはまるで――新しい日を告げる鐘のように、静かに地上を照らしていた。




