第20話 上級受付嬢イゾルデ 後篇
ぶおん、と風の音をまとった戦槌が目の前に振り下ろされた。
私の頭と変わらないサイズの鉄塊が、カウンターを激しく叩く。ギルドの象徴であり、受付嬢の相棒とも呼べる木製のカウンターは、その一撃で粉々に砕かれる──ことはなく、ただ衝撃だけが伝わってびりびりと全身を震わせる。
「──成程」
小さく呟いて戦槌を引きながらカウンターを離脱する重戦士アーベル。入れ替わるように彼が立っていた空間をクロエの投擲したナイフが切り裂く。
「対抗戦正式ルールの最後には、こうありました。設備の損壊および参加者の負傷については運営が保障する。ゆえに、存分に全力で戦われたし──」
そう、この記述の意味が不明確だった。金銭的な補償があるのだとして、壊れたものは完全に元通りには戻らないし、参加者の負傷も重いものであれば治癒し切れるとは限らない。
けれど今の戦槌の一撃でだいたい理解できた。明らかに威力が抑制されている。そうでなければカウンターが無傷で済むはずはない。
「──保障とはつまり、あなたの魔力による保護を意味する。ルールに武器や防具の魔効が基本無効化されるとあったのも、その影響ですか?」
ベアトリスの問いかけに、イゾルデは首を縦に振る。
『そう。受付ロビーの中にいる限り、参加者全員が私の庇護下にある。とは言え戦槌の一撃はきっと無傷じゃ済まないし、喰らったら一発脱落扱いにするから気を付けて』
なるほど。彼女の対抗戦における役割は、審判よりも管理者と呼ぶべきものかも知れない。
「あら、それなら手加減無用ね」
「それはこっちも同じだよ!」
ロビー中央、激しく双剣と戦斧をぶつけ合っていたゾーラとライザが、それぞれ口にして不敵に笑う。同時に、二人の間から響く金属音の大きさと速さが一段と上がった。
彼女らよりカウンター寄りの位置取りで戦うクロエは、おそらく最初から手加減はしていない。両手からナイフの斬撃と投擲を変幻自在に繰り出しているけれど、戦槌をぶん回しながら冷静に動きを見極めてくるアーベルを攻めあぐねていた。
しかし、それは相手にとっても同じこと。クロエを自由にすれば、魔術師の呪文詠唱を妨害されるだろう。そしてアーベルを自由にすれば、さきほどのように私──蒼星石を狙われる。
ピッ、ピィーッ
膠着した戦況を切り裂くように、アーベルが口笛を鋭く二回吹き鳴らした。
「──セシル、下に!」
同時にベアトリスの切迫した声。彼女は隣の席の椅子から転がり落ちるように、私の腕を掴んでカウンターの影へと身を屈ませていた。
その頭上を風切り音が通り過ぎる。後方の棚に当たって床に落ちたのは、鉄の鏃の付いた一本の矢だった。
『攻撃側、資格者二名追加』
「ぬおおおおおおおッ!」
イゾルデの声をかき消すように、誰かの雄叫びが響く。聞き覚えのある声だ。
『防衛側、資格者一名追加』
続いて重い何かがぶつかり、折り重なって床に倒れるような音。
「このっ!」「のわっ!?」「ぐえっ」
いったい何が起きているのか。真横のベアトリスと顔を見合わせる。
「ごめんなさい、セシル。どこか痛いところはありませんか?」
「ううん、おかげで助かった。ありがとう」
「アーベルがカウンターを壊そうとしたから、遮蔽物をなくした上で飛び道具を使う作戦だと思って。南ギルドには凄腕の狙撃手もいますから」
彼女が休憩中、ヨモギさんに借りた集団戦術に関する本を読み込んでいたのは知っていたけど。いま少しだけ、彼女の国の王太子の気持ちがわかった気がする。本当に、彼女が東ギルドの仲間でよかった。
『防衛側、一名脱落』
「──え!?」
イゾルデの宣言に驚いた私とベアトリスは、並んでカウンターから顔半分出して状況を確認する。
相変わらず激しく刃を交わすライザとゾーラ、牽制しあうクロエとアーベルの向こうで、武装した男たちが、何やら複雑に絡み合い折り重なって倒れている。それぞれの手には、弓と槍と剣が見えた。
『攻撃側、二名脱落』
さらに続くイゾルデの宣告。
「くっ、体が……」「動かん……」
どうやら脱落になった参加者は、彼女の魔力によって拘束されるようだ。
「弓の人は、やはりマクガインですね。『百発百中』の狙撃手。もうお一人はお顔が見えませんが、南ギルドの槍使いなら『烈槍』のファルケンでしょう。どちらも相当の凄腕……のはずです」
入口からギルド内に足を踏み入れて即、私の胸元の蒼星石を狙い矢を放った弓使い。その護衛の役割であろう槍使い。その二人を道連れにしたのが、東ギルド五人目の資格者──われらが剣士アルバートだ。
彼はヨモギさんが最良を見計らって参戦させることになっていた。見事にその役割を果たしてくれたわけだ。
「見てくれたかいベアトリス!? 俺の雄姿をっ!」
斜め上の天井を見ながらアルバートが嬉々とした大声で問いかける。真横に顔のある弓使いがうるさそうに顔をしかめていて、同情を禁じ得ない。
対してベアトリスは眉根を寄せながら「どういたしましょう」と小声で私に問いかける。さすがに「ぜんぜん見てなかった」とは言いづらい空気を払ってくれたのは、敵である水の魔術師マリウスの穏やかな宣言だった。
「──それでも、僕らの勝ちだよ」
詠唱していた呪文が完成してしまったらしい。燐光をまとった長杖を頭上に掲げると、その先端から溢れ出した圧倒的水量の奔流が、蛇行しながらロビー全体の上空を覆ってゆく。
顕現したのは青く巨大な蛇体の水龍──まさしく達人級の大魔法だ。
『残念ながら、この魔法は私の庇護範囲を超える。防衛側には降伏を推奨します』
イゾルデがご丁寧におすすめしてくれる。同時に後方で固唾を飲んで戦いの行方を見守っていた観客たちに『あなたたちも危険だから下がりなさい』とひと言。
そして片手を振ると、観客全体がカウンターから見えなくなるまで、おそらくは休憩スペースの奥まで押し下げられた。
確かに、こんな圧倒的な魔力と物量の塊に暴れられたら、ギルドの建物自体どうなってしまうかわからない。けれど。
「いいえ、降参はしない。だってその龍は模造品でしょう?」
見上げる私の視線の先、逆巻く水流の角を生やした水龍の頭上に、ちょこんと小さなふわふわの白い毛玉が乗っている。
ピチチ
微かにキュートな囀りが聞こえ、青い蛇体は一瞬で真っ白に染まる。魔術士が呆然と見上げる中、「ぱん」と乾いた音とともに龍の巨体は砕け散り、粉雪になってロビー全体に降り注いでいた。
「──すまん、やられた」
『攻撃側、一名脱落』
「まったく勘弁してくれ、何が初心者向けギルドだ」
イゾルデの声に重戦士のぼやきが重なる。粉雪に紛れ背後に回り込んだクロエが、彼の喉元にナイフの刃を押し当てていた。
参加者によって飼従された飼獣は、一人一体までの参戦を許可する(ただし飼者の脱落時はこれに従うこと)──分厚い正式ルールの冊子が届いたとき、この条項を真っ先に確認した。私ではなくベアトリスが。
ひと仕事を終えて私の肩に舞い降りた愛しの毛玉ちゃん──本物の雪輝龍である白いもふもふの小鳥を指先で撫でる。
まだ舞い降る粉雪の中を、ゾーラと間合いを取ったライザが、その手の戦斧を雪化粧したカウンターの上にどんと置いた。
「あれをお願い」
彼女の言葉の意味を一瞬で理解する。
黒鋼の一体成型、名匠の業物に右手を添え、込められた先祖代々の祈りに向かって呼びかける。
──あなたたちの娘に、加護を。
手を放す。一瞬だけ斧を包んだ発光は、気のせいにも思えるほど微かだった。
「武器の強化魔法は、魔効と一緒で無効化されるんじゃないか?」
粉雪の向こうから悠然と歩み寄るゾーラに、『そうなります』と短く答えるイゾルデ。
「いいの、これはただのお祈りだから」
応じながら踏み込むライザの赤毛の一本三つ編みが、まるでサソリの尾に見えた。
唸る戦斧を双剣で受けるゾーラ。ここまで幾度となく繰り返されてきた応酬と同じはずの一撃は、しかしこれまでとは異質に鋭い金属音を響かせて、彼女の体勢を崩していた。
「──急所撃ちッ!?」
力と角度、衝点と重心、呼吸と鼓動──攻守のあらゆる瞬間が偶然一致したとき、いかに堅固な防御も突き通す一撃が生まれる。
初心者でも熟練者でも関係なく、戦士を続けていれば一度は経験する幸運の一撃。それは決して狙って放てるものではないという。
「そう!」
短く答えてさらに追撃する戦斧。溶け出した粉雪のせいで体勢を立て直せないゾーラ。つん裂く金属音が再び響き、双剣の片方は床にたたき落とされていた。
「なッ!? また!?」
驚愕するゾーラのがら空きの胸元で揺れる紅星石を、ライザの伸ばした左手がつかむ。褐色の筋肉が盛り上がる。
バギン
彼女がそっと手のひらを開くと、仄かに紅く光る欠片が白い雪に混じってパラパラと舞い落ちた。
『紅星石の破壊を確認。防衛成功、対抗戦第一試合は東ギルドの勝利──』
イゾルデが淡々と宣言する。未だ舞う粉雪と同化しそうに白い、推定年齢四百歳超の上級受付嬢は、ひと呼吸おいてこう続けた。
『──お見事です』




