17【後】王太子ジェームズ
──甲高い金属音が、続けざま鼓膜を叩く。
冒険者の男が袖口から放ったのは無数の投擲用ナイフ。二歩も離れない近距離からジェスターを襲ったそれらは、しかし一本たりとも本懐を遂げることなくギルドの床に転がっていた。
「ご無事ですか、ジェスター様」
メイドさんが変わらず淡々とした口調で確認する。彼女がエプロンの内側から取り出した銀色のお盆で、襲いかかる凶刃のことごとくを弾き、叩き落とすのを、私はこの目で見た。
「ああ、おかげで何ともないよグレース」
変わらず軽い調子で応えるジェスター。対して冒険者──刺客の男は、カウンター越しのベアトリスの無防備な喉元に片腕を伸ばす。まずい、彼女を人質に取る気!?
そのとき私の目の前を高速で横切ったのは、クロエの獣耳だった。よく磨かれたカウンター上を膝立ちのスカート生地で滑走して間に割り込んだ彼女は、刺客の腕をがっしり掴んで同僚を守る。
「──ごめん。怪しかったけど、見抜けなかった」
先刻の彼女の冷たく鋭い視線は、ジェスターではなく冒険者に向けられていたのだろう。
掴まれた腕を振り払い跳び退いた冒険者の姿は、空中で『特徴のない軽装の冒険者』から、暗殺者然とした細身の全身黒装束に変じて受付フロアの中央に音もなく着地する。
その口元は黒い覆面で覆われ、両手では新たなナイフの刃が黒光っていた。
クロエの腕には、彼のまとっていた灰色のマントだけが残されている。彼女の目さえ欺く、かなり高位の認識阻害魔効が付与されたもの。
「ワガママを言うが、彼からはいろいろ話を聞いてみたいな」
軽薄なまま声色をワントーン落とすジェスター。生け捕りにしたい、という意味だろう。もしかすると、それこそが今日の『視察』の真の目的だったのかも知れない。
「ワガママですね。なら、ご自分の身はご自分でお守りください」
「善処するよ」
ジェスターが腰の剣に手をかけ、メイドさん──グレースはゆっくりお盆を胸の前に構える。
いや、よく見るとそれはお盆にしては厚みがあり、裏側に持ち手も付いていた。
「あれ、円形盾ですね」
小声で指摘するベアトリスに、カウンター上で片膝を突いたままのクロエがうなずく。
なるほど。言われてみれば確かにそれは盾、それも王太子付きの近衛騎士が全身鉄鎧と共に装備している銀の円盾にそっくりで──
「──って、鉄騎乙女?」
思わず口走ってしまう。その本人が盾を刺客に向け投擲し、刺客が黒衣の両腕を交差させてナイフを宙に放ったのと、ほぼ同時に。
盾は回転しながら飛翔する途中でナイフの一本を弾き、そのまま刺客の胸部に炸裂する。細身の体はくの字に折れ曲がって後方に吹き飛ばされ、入り口横の壁に叩きつけられて、力なくずり落ちた。
もう一方のナイフは私に飛来していた。けれど、再びカウンター上を滑走して割り込んだクロエが振るったナイフは、空を切る。
それはジェスターがぶんぶん振り回す長剣──鞘に入ったままのその先端が掠って軌道が変わり、カウンター正面に突き刺さっていた。
おそらくあの剣が王家伝来の、真の勇者しか抜刀できない『抜けじの聖剣』だろう。……やっぱり、抜けないんだ。
「申し訳ありません、ジェスター様」
そこにグレースの謝罪が聞こえる。盾を回収した彼女の足元で、刺客の手からコトリと小さな空瓶が床に転がる。ずらされた覆面の下から覗く顔立ちは、まだ少年と呼べるくらい幼くて、その蒼白い肌は見る間に紫色に変じていく。
暗殺者ギルド所属の刺客は、守秘義務を守るため躊躇なく自らの命を絶つ。ナイフは二本とも、毒薬を飲む隙を作るための牽制だった。
──いいえ。そんなこと、許さない。
「クロエちゃん!」
私の声を聞くまでもなくカウンターから跳び出していた彼女は、倒れた刺客の細身を肩に担ぎ上げると、そのまま私の前まで運んでカウンターに寝かせていた。
肌が紫に見えるのは、浮かび上がる血管の色。全身をめぐっていく魔毒の色だ。
黒衣の胸はまだ微かに上下している。そこに私は両手を重ねる。
「残念だけれど、魔法毒には治癒魔法も解毒魔法も……」
やるだけ無駄です。そう続くだろうグレースの言葉を、ジェスターが手で制する。
確かに彼女の認識は正しい。刺客の彼が飲んだのは、魔法薬ならぬ魔法毒。同じ呼び方なのは、その原理がほぼ同じだから、らしい。
魔法の進歩に伴って魔法薬同様に効果を増したそれは、体内に入ればあらゆる回復手段を超えた凄まじい速度で全身を蝕み、命を刈り取る。
それでも私は、ただ祈る。おそらく物心ついた時から──いま彼の傍ら無言で見守るクロエと同じように──人殺しの道具として育てられただろう彼の奥底から、生きたいという人として当たり前の『願い』を掬いあげて、繋ぎとめる。
──静かに流れた時間は、それほど長いものではなかったと思う。
じわじわと彼の肌から紫が引いていく。
重ねた手のひらから漏れる淡く白い光の下で、その胸はゆっくり力強く上下しはじめる。
目を見張るグレースとは対照的に、微笑みながらジェスターが言った。
「きっと不良品の魔法毒でも掴まされたのだろう。運が良かったよ、彼も、余も」
その後、意識を取り戻した彼は、駆けつけた警備兵たちによって王城へと連行されていった。最初は怯えて嫌がったけれど、クロエが耳もとで何か囁くと、静かにうなずいて従ってくれた。
「約束しよう、彼のことは悪いようにはしない」
ジェスターの言葉は相変わらず軽薄に聞こえたけれど、目が真っ直ぐだったから、きっと嘘ではないだろう。そして去り際、思い出したように彼はポンと手を叩いた。
「そうだ、余が専属冒険者になってやろう」
「え!? いえいえそんな畏れ多いので……」
──文武両ダメで『暗君まっしぐら』の王太子ジェームズ。それがおそらく王弟派に対する偽装であることは、彼の言動の端々から察することが出来た。
とは言え何がどこまで偽装なのか掴めない。放蕩は素に見えるし、何よりベアトリスがめちゃくちゃ嫌そうな顔してる。
「遠慮するな、今ならグレースも付けるぞ」
「是非ともよろしくお願いします!」
はっ! 思わず即答してしまった。むしろグレースさんだけ欲しい。鉄騎乙女は王国騎士団最強クラス、戦力として申し分ない。
「あの、セシル? 残念ながら、王国の公職である騎士は専属冒険者にはなれません」
「えっ……そうなの……」
ギルドに関わるあらゆる規則を記憶しているベアトリスが、遠慮がちに教えてくれた。
「では余だけだな」と笑う後ろから、メガネ越しに私をじっと見詰める本人と目が合う。
「ええと、メイドさんとかやらされて、ご苦労様です……」
「お気になさらず、これは趣味です。衣装も私物です」
淡々と語られたまさかの事実に、言葉が詰まる。
「それにしても、ずっと思っていたのですが……」
彼女の氷蒼色の瞳が、値踏みするように細められた。
銀縁メガネをクイッと直してレンズに陽光を反射させ、さらに淡々とした早口で続ける。
「受付嬢の制服ってすごく可愛いですよね。特に、甘すぎず華やかすぎず地味すぎもしない絶妙な東のデザインが至高です。お給料とか要らないので、非番の日に見習い受付嬢やらせてもらえませんか?」
……は!?
「……ベアトリス?」
「はい。無償なら公的奉仕活動扱いで行けます。勤務実態さえあれば、受付嬢としてギルド対抗戦に参加可能です」
対抗戦開幕前夜。我ら東ギルドは、まさかの形で最強の味方を得たのだった。
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