豪雨の中を
わたしはなぜか、水の流れを感じ取れる。雨が降るタイミングは二週間ほど前から察することができるし、森の中でも水の在処や地下の水脈が分かる。これは幼い頃に、山奥で数ヶ月間さまよった経験からなのだろう。
同じ孤児院で育った義姉は、わたしに、知識をつけることの大切さを教えてくれた。
わたしは知っていた。
数十年にいちど、このあたりには大きな嵐が来ることを。
秋になっても海が温かな時はとくに荒れやすく、いきなり大降りになることを。
ひどい嵐の前は、夕焼けがひときわ濃く真っ赤に染まることを。
わたしは知っていた。
姉の仇である豪商ルフェーブルは慎重な男で、護衛たちを周囲から離さないことを。
メイドとして屋敷に入り込み、友釣りするための囮として、同じぐらいのクズであるガルグスタンを選んだ。
その男のショバには、都合が良い土地があった。
彼らが管轄する土地だとは気付かれにくい飛び地で、しかも自然災害に弱い、大きな河の中州。わたしは、新しい店舗を出す候補の中に、その土地をさも美味しそうに書いて紛れ込ませた。
ここまで三年近くかかった。
そして――。
この低地の歓楽街には仮組みのような木製の建物しか無い。地盤が弱いからだ。
そこに、見栄っ張りなルフェーブルの酒場のように重い石組みの建物を築いたらどうなるのか――――。
濁流に崩れていく足元。
横殴りの雨の中、男たちが流れていくさまを見て、わたしは笑みを押さえきれなかった。
ざまあみろ。
「なんて時に笑ってるんですか」
横合いから、聞き慣れつつある声。
「……リベルタス?」
木に掴まったまま、激しい水流の中を苦労しながら振り返れば、見覚えがある男が水をかき分けてこちらに歩み寄ってくる。
「エレオノーラさんが笑うと、逆に怖いんてすってば」
あいかわらずひどい事を言う。
普通の町民の格好をした、癖っ毛の眼鏡男。……その髪の色は銀。この激しい雨の中でもその色は落ちていない。いや、元の赤っぽい金茶色が落ちたから?
彼の腰にはロープが結わえ付けられている。
わたしは抱え込んでいた子供を投げるようにして渡す。彼はきっと、そのために来たんでしょう。
両岸と、今にも流れ落ちそうな木の橋の上に、似たようにロープでつながった人々がうろうろしている。国の警邏隊の制服が目立つ。
作家のリベルタスという自己紹介は、嘘だったんだろうか。彼は硬直した子供を抱えて、もう片腕をこちらに差し伸べてくる。
中州を舐める川の水はどんどんかさを増してきている。
「エレオノーラさんも、手を伸ばして!」
「あいつらの不正の証拠を、あちこちに届けておいたから。あとはよろしく!」
わたしの叫び声は届いただろうか。
この歓楽街の建物損壊に対する保証の証文とともに、証拠の多くを信頼できる人に託してある。写しはマスコミや税務官宛てにも。そしてこの銀の髪の眼鏡男はシェレンの調停者……なのでしょう、たぶん。
わたしは騙されていた腹いせに、彼にとびきりの笑顔を向けてやった。
風雨はますます強く荒れ狂っている。
最後に心残りになっていた子供を、助けられて良かった。乱暴で生意気な子だけど、こんなことに巻き込みたかったわけじゃないから。
「ほら早く、その子を地上に届けなさいよ!」
わたしは岸を指さした。
水沿いの建物が壊れていく。私たちのほうに流れてきた柱を、蹴って遠ざける。バランスを崩して、わたしはそのまま水の中に沈んだ。
仇はとったよ……。
そして諍いごとも解決した。争う当事者たちが消え、石造りの店も更地に戻っていく。
心残りは、教会に残した血のつながらない弟妹たちぐらいだ。それもまた、出来るだけのお金は置いてきたのだけれど……。
わたしは濁流に飲み込まれた。
◆
「残念ながら、ルフェーブル本人は助かりました。しかしまぁ、殺人数件に賄賂に脱税をおこなってましたので、余生のほとんどはガルグスタンと仲良く牢屋でしょう。エレナさんが集めた証拠が効いて、親密にしていた貴族や役人たちからも切られたカタチですね」
淡々と報告をあげるリベルタスを、わたしは睨みつけた。
彼はもとの赤味がかった金茶の髪に戻っている。シェレンの調停者がすべて銀髪なわけではないけれど、小説で有名になったその描写を彼らは利用しているそうだ。
病院のベッドの上で、わたしは骨折した片腕を吊って座っていた。どんなルートなのか孤児にはふさわしくないほど立派な個室で、ふかふかのクッションが腰に当てられている。
あの鉄砲水の中をなぜ助かったのかというと、下流に網が張ってあったからだ。また、あらかじめ上流の水量を調整してあったということで、わたしが思っていたほどの奔流とはならなかったようだ。
「ぜんぶ、あんたの手の中だったの? 最初からニセモノだと分かっていて近付いたわけ?」
「ニセモノだと分かっていたのは、そうです。顔なじみの古書店の店主から連絡が入ったので、お待ちしていました。ああ、でも目的と手段に察しが付いたのは前日です。それでもまさか、あんな大型台風が来るとは思っていませんでしたけどね」
色々と対策はしとくもんですねー、と、にこにこ笑顔で言われる。
本物のシェレンの調停者の前で、調停者のフリをしていたのだ。……落ち込む。
「性格悪っ」
「根っからのただの善人に、調停者の前線はつとまりませんよ」
ため息がこぼれる。
「やっぱり、作家というのも嘘だったんだね。あんないっぱい書いてる有名な作家が、あんたみたいに若造のわけはないしさ。ルフェーブルの屋敷でサイン会どーのってのは、仕込み?」
あれでルフェーブルが信用してくれたのは、助かったけれど。
「ああ、僕は本物ですよ」
彼は自分を指した。
「僕は本物の作家、リベルタスです。正式にデビューしたのは十二歳の時でした。さいわい筆が早いので調停者としての“平和の啓蒙に役立ちそうな本”と、個人的な“趣味の本”を、交互に書かせてもらっています。僕の執筆能力は一種の精霊還りじゃないかって言われていますね」
「せいれいがえり」
読んだことはある。
この世界に魔法も精霊もない。
だけど稀に、特別な能力を持つ人が生まれるのだ。それこそ、遙か昔には精霊という存在があったかのように。
「エレナさんもそうですよね?」
「わたしが?」
「雨を察知する能力や、泉の底を杖で突いただけで水を導いて川を枯らせることが出来たのは、精霊還りじゃないと説明がつきません。その腕の細さや儚い見かけのわりに怪力ですし」
あいかわらず、ひどいことを言う男だった。
「で、わたしはこのあと監獄島送り?」
わたしは偽者だ。
調停者を名乗ることはどこの国でも重い罪になるけれど、この手段を選ぶことしか思いつかなかった。
重犯罪詐欺師は監獄島に送られるのだと言われている。
リベルタスは微笑んだ。
「そうですね、私利私欲で調停者を詐称するのは重罪です。僕らシェレンの信頼を傷つける行為ですし、それは、この世界を平和に導くための邪魔になります」
わかっていた。
「ごめんなさい――後悔はしていないけれど」
「なのでエレナさんは、調停者エレオノーラとして今後は僕のもとで働いてください」
……は?
「今後」
「そう、今後です」
……え?
「ずっと、問題処理能力を観察していましたが、エレナさんの仕事っぷりは僕たち調停者がしていることに沿っています。色々と足りない部分は僕が教えます。
それが、貴女を罪に問わない条件です」
「……だけど調停者って、この世界でもっとも古い血筋を持つ王家なんでしょ? それこそ、古書にも書かれているような」
「シェレンの外交官でもありますから、王族ではない調停者もたくさんいますよ?
たしかにうちの家系は代々子沢山ですけれど、王族であっても向き不向きはありますしね。調停者としてではなくうちの城で実務を取り仕切っている王子や姫もいれば、他国を巡って争いを収めている、血縁ではない優秀な調停者もいます」
それとも……。
と、リベルタスは面白がっている顔で小首をかしげた。
「それとも、僕と結婚して王族になります?」
わたしはよっぽどひどい顔をしたらしい。
リベルタスは傷ついた表情で引き下がった。
「……まぁ、先は長いですしね」
不穏な冗談はやめて欲しい。
助手といっても役人としての給料は出るそうで、新人なのに破格の金額が提示された。
「それに、あなたがいた孤児院もちゃんとこちらで管理いたしますよ。うちは辺境の貧乏国ですけれど、投資すべきところは分かっているつもりです」
病室にノックの音が響いた。
◆
「……お義姉ちゃん」
「エレナ……」
三年前に河に投げ捨てられた義姉が、目の前に立っていた。……足は、ある。杖を突いて片方をひきずるように歩いて、優しそうな男性が寄り添っているけれど。間違いなくあの、ずっと孤児院で一緒だった義姉だ。
ベッドからすべり降りてしがみつく。
「どこにいたの! 捜したんだよ!」
河の下流に向かってずいぶん捜したし聞き込みもしたのに。
さらに下流の海近くまで流されてこの男性に拾われ、そこでずっと療養していたのだと、義姉は告げた。
「それに隠れてたの。警邏隊に轢き逃げを訴えたら、命を狙われちゃって」
「……なんでそんなことに」
リベルタスは、わたしが、ルフェーブルたちの不正の証拠書類を預けた、中年の警邏官の名前を挙げた。
「中央にも顔が利く役職持ちは何人かいますが、エレナさんがこの人を選んだのはどうしてなのでしょうか? あまり良い噂は聞きませんでしたが……」
「あのおっちゃん、賄賂を断らないからねぇ。権力者に色々と融通を利かせたりもしてるし」
わたしはうなずく。
「でも、受け取った賄賂は町のみんなのために遣っているし、権力者と取り引きをして最終的にはこっちの言い分を通してたりするんだよね。あまりひどい犯罪は、周囲に影響が少ないようにしつつ上のほうから処分してるし。
あのおっちゃんなら、わたしが預けた証拠をもみ消すことなんてしないで、自分の名前が出ないようにしつつうまく断罪してくれるはず。……と、思ったんだ」
「若手の警邏官は?」
リベルタスは、中でもまじめで熱血と評判の、若い役職持ちの名前を挙げた。
「……あの人はなんか信用できない。言っていることは綺麗だけど、行動はわたしたちのほうを向いていないし。それに器が小さそうだから、あんな証拠書類を渡されても、書かれた本人に言いに行きそう」
「やはり、エレナさんは観察力がありますね」
姉が訴え出たのが、その若手の警邏官だったそうだ。
姉は自分の見る目のなさに落ち込んでいたが、隣の男性がそれをなぐさめていた。ふたりは結婚するそうだ。
「エレナたちに会わせてから……、と、思っていたの。祝福してくれる?」
「もちろんだよ!」
良さそうな男性だ。頭は良いのにお人好しで抜けがちな義姉を、ちゃんと支えてくれそうだ。
争いには四種類の解決法がある。
◆どちらも満足するほど、たっぷりと与える
◆得られなかった者に、同等の価値があるものを与える
◆有るだけを、どこから見ても公平に等分する
◆争いの原因を取り上げて消す
そもそもの『義姉の死』が消えて、三年前からずっとあった苦しみも溶けていった。
リベルタスを見やる。
「……その。……色々とありがとう。ルフェーブルを殺さなくて済んで良かった。村の子供を助けてくれたし、お義姉ちゃんに会わせてくれてありがとう」
彼は大きな目を見開いた。
「……エレナさんが笑ったのに、怖くない!」
なんだそれ。
ほんとに無駄な美形だなぁ。
「怖いのはエレオノーラさん? エレナさんだから怖くない?」
頭を抱え込んで、無駄なことで悩んでいる。
わたしは笑った。この変な雇用主に。
雇ってくれるなら、また演じてみよう“神秘の国シェレンの調停者”を。リベルタスから色々と学んで、昔のわたしたちのように困っている人がいたら、手をさしのべられるように。
了




