水滴と波紋
翌日は曇り空だった。
いつもの廃墟でシェレンの調停者の服装を整えたわたしは、朝早くから、大きな河の中州にある歓楽街を回った。
ルフェーブルとガルグスタン。
どちらもずいぶんな悪党だ。自分の利権さえ守られるならば、他人の血が流れることなどすこしも気にしない。
そしてどちらも、相手の組織を邪魔に思っている。
ルフェーブルが別の組織のちからを借りようとしていることに、ガルグスタンは動揺していたけれど、わたしは知っている。ガルグスタンもまた、外国のチンピラたちのちからを借りようと接触している最中であることを。
つまりは近親憎悪なのでしょう。
彼らが“話し合い”をするということは、決裂次第に中州を真っ赤に染めると言うこと。一軒一軒回っては、そのことを教える。火でも使われたなら、離れた場所にいても危うい。
そして彼らは、敵を消すためならば手段を選ばない。
「建物の被害だけなら、のちにルフェーブル氏とガルグスタン氏が折半してくれることでしょう」
「お、おう。とりあえず何日かこの町からは出ておくわ」
「周りの人にもそうお伝えください」
抗争に巻き込まれたくない人々は逃げだして、昼前頃には無事に人払いは済んだ。
建物が破壊された場合は彼らが半々で保証する……という誓約書は、実際に昨日のうちにそれぞれから貰ってあった。
今後どのぐらい有効になる書類かは分からないけれど、信頼できる人に預けてあるし、無いよりもマシでしょう。
空をうかがう。
山の方角から灰色がかった雲が流れてくる。
「あまり早くから降って欲しくはないんですけれどねぇ」
リベルタスは現れなかった。
ほっとしつつも、どこか寂しいような気がする。
橋を渡ってくる集団。
互いを牽制して六人ずつ。これはわたしが、会話するのに支障のない数として指定した。
約束した時刻のほぼ同時に、彼らは現れた。
ルフェーブルが建てかけている石造りの酒場の前でわたしは微笑んだ。
「お疲れさまです。さぁ、たっぷりと話し合いをしましょう」
◆
話し合いを外にしたのは色々と理由はあるけれど、屋内で彼らが暴れはじめた時に巻き込まれたくない。というのは大きい。それに周囲の状況が把握できないのは恐い。
あまり早くに決裂して欲しくない。という気持ちはある。互いのののしりあいに近い“話し合い”に、ちょくちょく言葉を挟んで、冷ませたり煽ったりを繰り返した。
ぽつぽつと小雨が降ってきたけれど、頭に血が上った男たちは、気にする様子もなかった。手持ちぶさたな人間が出ないように、この人数にしたのだもの。
しかしさすがに疲れてきたのか、ルフェーブルが濡れた髪を掻き揚げながらこちらを向く。
「調停者の先生。こんなに降ってくるとは思いませんでした、そろそろ一度場所を変えて――」
なぜ、このタイミングで?
胸元で留めていたボタンが引き千切られた痛み。
わたしのマントが後ろから勢いよく引きはがされた。転びそうになる。もちろんフードも外されて、銀粉で染めた髪がこぼれ落ちた。
「ニセモノめ!」
下のほうから響いた、甲高い子供の声。
こちらを睨み上げてくる大きな目。体格に恵まれた太い手足。すぐさま飛び退いて、わたしのマントを奪われまいと抱え込んでいる。
わたしも荒くれ男たちも、いきなりの闖入者にあっけにとられた。子供はわたしを指さしてまた叫んだ。その顔が水滴で濡れている。
「ニセモノだ! そのちょーてーしゃはニセモノだ! オレずっとあと追いかけて見てた!」
ああ……この子は……わたしが川を枯らし、そして潤した村の、村長の息子だ。他の子に怪我をさせ、叱られて泣いていたあの子だ……。
あの日の孤児院の犬の吠え声が、耳によみがえる。
「ダメだ! ここから離れなさい!」
わたしは叫ぶ。
子供は跳ねるように後ずさり、弾劾を繰り返す。
「そいつはニセモノだ! 髪を洗って、銀色じゃなかった! オレ見てたんだ!」
「先生……あんた……」
周囲の男たちの声。
「おまえ……うちのメイドじゃないか!」
ルフェーブルの老執事の叫び。
「えっ、メイド? そうだ、その顔はうちを辞めたメイドだ!」
これはガルグスタンの誰かだろう。
雨が強くなっている。フードが取られ、わたしの髪の銀粉はとっくに流れ落ちているだろう。
そんなのは、どうでもいい。
わたしは舌打ちをして、子供を捕まえようと手を伸ばす。子供は逃げ始める。逃げるなら、さっさと階段を昇ってくれ!
「おまえは、何が狙いなんだ!」
男たちに腕を掴まれる。それを振り払う。おびえて立ち止まった子供だけが見えている。
「はやく逃げなさい!」
なぜ、こんなところに来るの。
ああ……もう遅い……。
ずっと、川の上流からごうごうと音が響いているのに。
誰も……ここにいる汚い男たちの他には誰も巻き込まないように周囲を離してきたのに……。
水の中に投げ捨てられた、義姉の仇を倒すために……。
雨は集まり川になる。
「もう……遅い……」
勢いよく水が溢れて一気に足下を濡らし、濁流が男たちの腰まで飲み込んだ。わたしは必死に走って腕を伸ばし、呆然としたままの子供を抱え込む。
最初から、自分も助かるつもりじゃ無かった。
でも、この子だけは何としてでも……。
わたしの視界が、荒れ狂う水に塗りつぶされた。
続く




