苺ジャムの夕日
枯れた川を潤して、わたしたちは村から報酬をたっぷりもらった。さまざまな野菜とわずかなお金を両腕に抱えて、大きな町の方角に向かう。――たっぷりの報酬と言っても、本物のシェレンの王族にとってはミミズの涙のようなものだろうけれど、わたしには充分なものだった。
「では僕はこれで」
分かれ道で、同じく野菜を抱えたリベルタスが片手を上げた。彼はわたしと出会った、古書店がある町へと戻るらしい。
「そ、そうか。気をつけて!」
隠しきれない喜びを、懸命に抑え込む。
お土産もありますしねぇ、と、腕の中の籠をゆすってみせた彼は、続いて、こちらの希望を打ち砕くようなことを言ってのけた。
「で、明日はどこに行けばいいですか?」
これほど無駄な美形がいるだろうか。
「明日」
「そう、明日です」
……明日もくっついてくるのか……。爽やかな笑顔を浮かべた顔立ちの良さが、中身で打ち消されてマイナスだ。
わたしは色々とひどいめに遭ったせいか、人を見る目はある。これは嘘をついて適当な違う場所を指定したら、ずっと探し回ってくるタイプだ。本人も「良い小説が書けそうだと思ったら、手段は選ばないんです」と、たいそう迷惑なことを言っていたし。
髪の銀色の染め粉を落として、シェレンの調停者エレオノーラではなく、教会に住む孤児のエレナに戻ったなら、彼には気付かれないとは思うけれど、まだわたしは調停者としての目的を達成していない。
そろそろあの男の耳にも、このあたりのいくつかの町に調停者が姿を見せていることが聞こえているはずだ……。
考えてみれば、誰でも知っているような有名な小説家が取材していれば“本物の調停者”ということにならないだろうか?
わたしは何度目かのため息をついて、あの男がいる町を指定した。
町の実力者で、名士の顔をしながらも半身を闇に染めている、薄汚い中年男。三年前に、わたしの義姉を殺した奴だ。
◆
廃墟の井戸で、髪の染め粉を落とす。
教会の孤児院に調停者が出入りすれば噂になってしまう。
「ただいま」
裏口のガタつくドアを開けて入ると、奥からうちの子供たちが飛び出してきた。
「お帰りエレナ」
「そのお野菜、どうしたの?」
「夕食もうすぐ出来るよー」
十三を頭に最年少は七歳。
末のマリーアはぬいぐるみを抱きしめて、奥から出てきた。教会を取り仕切っていた義理の姉がいなくなってから笑顔をめったに見ないけれど、それでも小声で
「……お帰りなさい」
と、言ってくれた。
貰ってきた野菜も、食卓に並んだ。
「明日からまた、しばらく出稼ぎに行ってくるね」
スプーンを握った手を止めて、大切な弟妹たちが不安そうに見てくる。
「無茶してない?」
「大丈夫だよ。ちゃんと稼がないとね」
みんなの不安が移ったのか、庭で飼っている犬が吠える声が聞こえた。
◆
翌日。なかなか栄えている大きな町。昼間だというのにどことなく荒んだ雰囲気で、目つきの悪い男たちや蓮っ葉な女性の姿がちらほら見える。
女の子たちが笑いさざめいておしゃべりしている。
「今日は暖かいねぇ」
「昨日海に行ったけど水がまだ温かったよ」
今年は湿度が高くて夏が長い。本によると、こんな天候の秋は数十年に一度ぐらいだそうだ。
指定した噴水のところに、リベルタスはのんびりと座っていた。服装は昨日と大差ない格好だけれど、大きなカバンを斜めにかけている。おなかが痛くなったとかで休んでくれればいいものの……。
「来たのだな」
「もちろん来ますよ、こんな面白そうな取材! エレオノーラさん、今日はどこに行かれるんですか?」
「それは……」
すでに考えてあったが、それを実行することは無かった。制服を着た男たちが現れて、頭を下げたからだ。離れた場所に馬車も控えている。
「調停者さま、御足労をおかけしますが、我が主人の屋敷にお越しいただけませんでしょうか?」
豪商ルフェーブル。
わたしが待っていた相手だった。
「商売敵から恐喝されている」
妙に薄暗く感じる書斎。やつれた中年男が机の向こうに座り込んでいる。
金茶の髪のこめかみに白髪は混じっているが、若い頃の風采の良さがまだ残った端正な顔立ちだ。服はいかにも高級そうで、しゃんとして笑顔だったなら、さぞかし御婦人に人気だろう。
後ろには目つきが悪い護衛の男たちと、老齢の執事がひかえている。わたしは灰色のフードを深くかぶりなおして、うつむいた。
「お相手に心当たりは?」
「……金持ちは誤解されやすいからな。新しい店舗を出すところで対立……誤解されてしまった。ガルグスタンの奴らに、嫌がらせをやめるように交渉して欲しい」
これが調停者の仕事かどうかは知らないけれど、予想されていた内容だった。
いわゆる、マフィアの抗争だ。相手のショバに酒場を出せば反発を受けて当然だろう。飛び地のようなホームに気付かず、中立地帯だと思ったほうが悪い。
さらにこの男は権力に弱くミーハー。
裏社会では、相手が話を聞いてくれないぐらいに人望が無い以上は、交渉に「たまたま近くにいた」シェレンの調停者が呼ばれることは予想していた。
争いには四種類の解決法がある。
◆どちらも満足するほど、たっぷりと与える
◆得られなかった者に、同等の価値があるものを与える
◆有るだけを、どこから見ても公平に等分する
◆争いの原因を取り上げて消す
一番と二番は、逆に自分のショバにガルグスタンの酒場を建てるのを許容するなど。
三番は、共同経営として相手にも噛ませる。
四番は、
「店舗を引き上げることは?」
「そんなことをしたら舐められる」
そんな発言をしてから、顔色をうかがうようにわたしの連れに視線をやる。
「先生、ここで見聞きしたことは書かないでくださいよ?」
「そのまま書くことはありませんよ」
カバンから取り出したノートに万年筆を走らせていたリベルタスは安請け合いした。
私は古書店の店長に言われたから信じているだけだったが、このルフェーブル卿の使いの中に作家のファンがいて、遠い首都のサイン会にも行ったとかで大喜びで身元を保証してくれたのだ。
……巻き込むことになってしまったことに心が痛んだけれど、彼のすました顔を見ているうちに「ま、いいか」という気持ちになってきた。
「では、まずはトップ同士で話し合いのテーブルにつくことですね」
「その交渉をおまかせしても?」
「もちろんです」
秘書が出してきた敵対組織の情報と建設中の店舗の資料を受け取り、わたしは重々しくうなずいた。
「ルフェーブルさんは、この建設中の店舗を実際に御覧になったことは?」
彼は思いもかけなかったことを言われたかのように目を瞬かせて、首を横に振った。
「完成してない建物を見て、何が楽しいんです?」
そうだと思った。こいつは前からそういう男だ。
「そうですね、いまあなたがこのあたりに現れれば、あちらを刺激してしまうでしょうし」
◆
「昨日も言いましたが――」
「あなたのすることに口出ししない。ただ観察をするだけ」
出来れば観察もしていただきたくないんですが……。
屋敷を出たわたしたちは河へと向かった。このあたりは豪商ルフェーブルのショバだ。昨日小さな村を流れていた川とは比べものにならない水量で、対岸もずいぶんと遠い。
この河が……。夜明け直後の朝もやの中で義姉が落とされた光景が脳裏によみがえる。あいつの馬車がバランスを崩し、仕事帰りの義姉をはねた。まだ意識があるようだったのに何を恐れたのか部下に命じて義姉を橋から投げ捨てたのだ。そして霧の中を逃げていった。
川沿いから見ていたわたしが追いかけても間に合わず、水面を流れていった義姉を捜しても見つからなかった。
それが三年ほど前のこと。
「厳しい顔をしていますね」
!
「何でもありません。問題の店舗は、この少し上流の町にあります。確認に行きましょう」
とりつくろうように微笑みかけると、リベルタスは驚いた顔を見せた。
「エレオノーラさんが笑ったのを初めて見ました」
そうかもしれない。
「なんか、新鮮すぎて逆に怖いですね」
なんだと?
睨みつけるとケラケラと笑われた。
ふと、顔を上げる。
水の匂いがする。
川沿い……というか、川に挟まれた町。中州のような位置に橋で行き、変わったデザインの階段を降りていく。店の多くが床を高めにしてあり、木を組んで水の上にまで建物を伸ばして涼やかにしている。
この異世界観が人気の歓楽街だった。
元は食い詰めた人々が流れ着いた場所だということで、まだまだ掘っ建て小屋も見え、貧しい人の姿もちらほらしている。
「変わった町ですね。ずいぶん低い場所に土地がある」
その中にひとつだけ石造りの派手な建物が、木の橋の上からまでよく見えた。まだ建設中なのは「嫌がらせ」のせいだろうか。組みかけの石が横に積んであった。
「もしかしてあれが……」
リベルタスが指さした先に、わたしはうなずいた。
「そうです、あれが今回のルフェーブルが建てた酒場です」
確認に来ないものだから、周囲からずいぶん浮いたものになってしまう。確かにここは“最近人気の歓楽街”川向こうにあるガルグスタンのショバとは少し離れた飛び地だが、彼の母親がここの生まれということで、あちらはここを気にかけている。ここまで発展したのも彼のおかげだ。
そこに、こんなこれ見よがしの建物を建てたらそりゃあ刺激するに決まっている。
「それでは、このままガルグスタンのところに行きましょう」
空には夕闇が迫ってきていた。
「こんなに真っ赤な空はめったに見ませんねぇ」
リベルタスが感嘆の声を上げる。
わたしも、苺をドロドロに煮詰めて空に伸ばしたかのような夕焼けを見上げて、
「急がなければなりませんね」
と、うながした。
ガルグスタンはブルドッグのような顔の男だ。激怒していたけれど、話し合いの場を設けるのには同意した。
闘争的な男にはよくあることだ。
反射的に威嚇しあいながらも、だんだん長引いてくると疲れ果てて「誰か終わらせてくれ」と、内心では願っている。
しかもこの男もまた、非道な手段をためらわないタイプだった。本気で動いたなら町が血に染まってしまう。それは本人たちすら望むことではないだろう。
そこまで旨味がある問題ではないし、それぞれのショバの外には、外国の勢力も含めて、土地を狙っている組織がいくつもある。共倒れは避けたいところだ。
「早いほうがよろしいので、明日の昼過ぎにしましょう。例の争点となっている店舗の前で」
「ずいぶん性急だな」
「ルフェーブル氏の性格から言って、長引くとややこしいことになりますでしょう。……たとえば、別の町の組織を引き入れようとするとか」
ガルグスタンは隠しもせずに立ち上がり、テーブルに両腕を突いてわたしを睨みつける。一歩下がってフードを深くしたわたしに、うなるように問いただしてくる。
「何かご存知なので?」
「ほんのわずかだけ。情報はちからですから」
知識はあって損は無い。
文字の読み書きや算術とともにそれを教えてくれたのは義姉だった。
◆
「リベルタスさん、また明日」
「……エレオノーラさんは、何を狙っているのですか?」
彼は立ち止まっていた。
赤味がかった金の癖っ毛が遠い街灯にわずかに照らされて、黒髪のようにも見える。昼間なら深い緑の瞳が見えるはずの眼鏡の奥は、影に塗りつぶされていた。
わたしは微笑んだ。
「何を? って、解決を。調停者は正義の味方ですから」
すくなくとも、本や劇の中ではそうなっている。
リベルタスさんは首をふった。
「僕はエレオノーラさんの考え方だけを聞いています。……やりかたは……そう、手段はかなり他の調停者たちに似ています。でも、目的が違う」
やはり彼は、元から調停者を知っていたらしい。高名な、取材を好む作家なのだからそういうこともあるだろう。
「大丈夫。今回の案件はちゃんと解決いたしますよ。ただ、あなたは明日は来ないでください。――邪魔です」
わたしは身を翻して、駆けだした。
続く




