84. 『ジン』
天界側。
アドネーの宮殿に身ひとつで殴り込みに来た、大魔王サルタン。
その手に持った天使兵をひょいと端っこに放り投げて、準備運動もさながらに首をゴキゴキと鳴らす。
「やっと『本物』に会えて嬉しいわい……のう、アドネー」
宮殿にいるのは、アドネー、ツヴァイ、そしてサルタンの3人。他にも数名ほどサルタンによってのされた天使兵が付近に倒れこんでいるのだが……それはこの際関係ないだろう。
「ふふ……そうだね、大魔王。それにしてもまさか1人でここまで来るなんて……君ってやつは、そこまで死にたがりだったかな?」
アドネーは自らの質問に、思い出しかのように笑って自答する。
「あぁ、そうか……。悪魔には『死』に対する恐怖が無かったんだったね。私がそう『造った』んだ」
冷酷な笑みを浮かべながら、意地悪くサルタンを見やるアドネー。
「…………」
サルタンは握りこぶしを静かに固める。
ただそれは、アドネーの言葉に挑発されたからではなく、次なる攻撃に備えての構えに見て取れる。
両者の間は僅か2メートル程度。場の雰囲気は、すぐにでも闘いが勃発しそうな一触即発の状態。
しかし意外にもその火蓋を切って落としたのは、アドネーの側に仕えるツヴァイだった。
ツヴァイはサルタンに向けて剣を薙ぎ、サルタンを後方へと退避させる。
「おっと……」
「アドネー様から離れろ……!」
今の一撃は当てるつもりもない牽制の一撃。その口ぶりから、『気安く神に近寄るな、無礼者め』とでも言ったところだろうか。
サルタンの後方には小さな段差があったため、それを飛び降りての必然的に、アドネーたち2人を見上げる状態となる。
「なんじゃあ、この若造は……!」
眉をひそめ、初めて見る鎧の騎士にサルタンは目を向ける。アドネーは玉座に腰掛けたまま淡々と答えた。
「紹介するよ。私の右腕のツヴァイだ」
1000年前には居合わせなかった顔……。しかし今の剣技と、先程のサルタンの目にも留まらぬ高速パンチを容易く受け止めた事から、相当の手練れである事が伺える。
その鎧により全身を覆われ素顔を見る事はかなわないが、しかし唯一隙間から覗かせる真っ白な瞳からは、この世の全てを否定するかの如く、冷え切った意志が感じ取れる。
そしてツヴァイの攻撃はそれだけでは終わらなかった。
アドネーの元を離れツヴァイはサルタンに向けて走り出し、姿勢を低く構えながらの剣撃を繰り出した。
重そうな鎧を身に纏っているとは思えない程の高速の剣技。しかし次々放たれる激流のような連撃をサルタンはひらりひらりと躱し、最後の一撃を腕でガードする。
「……!?」
これにはツヴァイも驚く。
そもそも鋭利な刃物を腕でガードするなど常人には不可能だが、それは大魔王。まるで頑丈な小手でも装備してるんじゃないかと錯覚に陥るようだ。
剣を受けながら、サルタンはとある疑問を浮かべる。そして腕を振って剣を弾き、そのまま豪腕を振り下ろした。
だがそれもまた、ツヴァイは剣の腹で受け止める。
ギチギチと両者の力が拮抗する中、サルタンは独自の感覚を持って確信を抱いた。
「……この感じは……! お主、まさか人間か?」
「答える義務はない」
そう言ってツヴァイは剣を引き、一歩飛び退く。それによりサルタンの拳は行き場を失い、サルタンも拳を下げた。
岩山のようにズッシリと佇むサルタン。それに対してツヴァイは再び剣を構え間合いを取る。
「下がれ、ツヴァイ」
だがそれは、アドネーの一声によって中断された。
「しかし……」
剣を構えたまま、視線をサルタンに向けたまま返すツヴァイ。アドネーの今の言葉を聞き入れきれないからだろう。もしくはサルタンから目を離す訳にはいかないからだろうか、そこに「闘いたい」という意思を明確に示す。
しかし、アドネーの意図は全く別にあった。
「ふふ、なぁに、大丈夫。それよりも試したいことがあってね」
試したいこと……それを聞いたツヴァイは暫し考えた後、やむなくという風に渋々剣を納める。そうしてアドネーの元へ戻ったところで、アドネーは言葉を続けた。
「大魔王……君にはこれから、『コイツ』と闘ってもらう。一筋縄じゃあいかないよ……? せいぜい喰われないように気をつけることだね……」
頬杖をつきながら、アドネーは笑う。
だが先ほども言った通り、宮殿内にはアドネー、ツヴァイ、サルタンの3人しかいない。
アドネーの言う『コイツ』とは一体……サルタンがそれを口にしようとした時だった。
「何を……っ____!?」
突然背後から迫り来る、1つの邪悪な気配。
サルタンが振り向くと、そこには____鋭い獣の眼光を有した見慣れぬ男が、彼の右腕に向けて大口を開けて突撃してきていた。
「シャアアーーーー!!」
男は奇声を発しながら、サルタンの右腕にかぶりつく。
「!? ぬん!」
予期せぬ事態に驚きながらも、しかし次の瞬間サルタンは反射的に、右腕を振り下ろして男ごと地面に叩きつけた。
「!! ギャア……っ!!」
野生児のような男はその衝撃をまともにくらい、サルタンの右腕から牙を抜く。そして一旦退避するように地面をゴロゴロ転がり、バッと立ち上がった。
突然現れたその男____。
ライオンの毛色に似た長い髪を背中まで垂らし、上半身は裸、下半身は____茶色の獣の姿をした男。鋭利な牙と爪を持ったその姿は……明らかに『異形』だった。
「さすがの反応だ。やっぱり君は強いね、大魔王」
アドネーは余興でも見るかの様に拍手をしながら、満足そうに笑う。
「やかましいわい。次から次へと新手を出してきおってからに」
サルタンは噛まれた右腕に触れ、異常がないかを確かめる。
特に毒などもなく、ただただ鋭い『牙』。取り敢えずサルタンはそう判断した。
「へぇぇ、テメェが大魔王さんかい……」
立ち上がった男はニヤリと牙を見せ、血を拭う。
「なんじゃ、喋れるんかお主」
男が言葉を発した事により、先程までの野性味の印象がサルタンから払拭される。
そうは言ってもその見た目からは多大なる『獣』の印象を受けるのだが、人としての理性を持ち合わせている事を知れば、幾らか闘いやすくはなるものだ。何を考えているのかわからない敵ほど、怖いものはない。
「やっぱりテメェについて来て、間違いは無かったみてぇだな。ククク……まさか大魔王と闘えるなんてなぁ」
男はアドネーをチラリと見、再びサルタンに視線を戻す。アドネーを『テメェ』呼ばわりした事にツヴァイはピクリと反応するが、アドネーはそれを手で制した。
「キサマは……」
その口ぶり、声色から、サルタンにふと疑問が生まれる。
「気づいたかい、大魔王。そいつは『抜け殻』____レイドの内なる闇の心から生み出された、悪そのものさ」
アドネーの口から発せられた言葉。
サルタンは知る由も無かった。
この獣の男は、人間界でレイドから出てきた『瘴気の男』そのものなのだ。
彼はゼットカリバーによるキズを修復するために、アドネーにより新しい肉体を賜ったのである。
そして、今。
こうしてアドネーの命を受け、サルタンと対峙しているというわけだ。
「ほう、道理で……。何処かしら雰囲気が似てると思うたわ」
サルタンは顎髭に触りながら、ジロジロと獣の男を見やる。
「ケッ! ウルセェぞ、俺はアイツの抜け殻なんかじゃねぇ!」
その視線とアドネーの言葉に煩わしさを感じたのか、男は会話を遮ってサルタンに突然をした。
申し分ないスピード_____そのまま男は馬鹿正直にサルタンの上空へと飛び上がる。
「俺は……俺自身だ!」
荒くれのように両拳を合わせ、サルタン目掛けて振り下ろす。
その動きは単調。だがサルタンは避けなかった。
「!! ぬぅ、動きは素早いようじゃが____まだまだじゃのう!!」
男の攻撃を右腕で受け、お返しとばかりにフリーの左腕でぶん殴る。
「なっ……ぐあぁ!!」
衝撃が男を襲う。それは一度だけではなく、二度、三度と。
サルタンは一瞬のうちに三度男を殴り、数メートル先の宮殿の壁へと男を吹っ飛ばしたのだ。
男は壁まで一直線に飛んでいき、轟音とともに破壊する。
パラパラと砂煙が立ち込める中で、当のサルタンは不思議な違和感に包まれていた。
「ふむ、硬い……。一体どういう構造しとるんじゃ、此奴は」
男を殴った左手を開けたり閉じたりしながら、サルタンは考える。
「今までに殴ったことのない感触じゃ……。何かしらの魔法かのう? いずれにせよ、只の身体ではなさそうじゃ」
相手の能力、魔法は未知。それ故に、サルタンは慎重に攻める選択肢を選んだ。
「ククク……効かねぇなぁ、全然」
サルタンの思った通り、男はほぼ無傷で立ち上がる。邪魔な瓦礫を手でどかし、スタスタと歩いて行く男。
それを見て、アドネーは機嫌をよくした。
「はは、凄いじゃないか。大魔王の攻撃を受けて立っていられるなんて」
依然として頬杖をついたまま、アドネーは深い笑みを浮かべる。
「そうだ……お前は、大魔王を足止めするために生まれてきたんだ。人でも悪魔でも天使でもない……。レイドの抜け殻、では確かに失礼だな」
新しく加わった、レイドの抜け殻という戦力。その思った以上の潜在能力に相応しい名前をと、アドネーは数秒目を閉じる。そうして頬杖をとくと、その指を3本開き、それぞれの指先に青い炎を灯していく。その炎は徐々にアルファベットの文字になり、獣の男の名を浮かび上がらせた。
『J』、『I』、『N』。
指先に浮かび上がったのはその3文字_____。
「_____『ジン』。お前をそう名付けよう。そして大魔王を打ち倒して見せてくれ」
名前を授かった男____ジンはそれを聞いた後、小さく笑う。そして舌なめずりをして、再度サルタンに立ちはだかった。
「ククク……。なァ、大魔王さんよ。アンタを倒せば、俺ァ『大魔王』になれんのかい?」
サルタンはそれに対して、ほっぺたをポリポリと掻く。
「こいつはちょっとばかり厄介じゃのう……。じゃが_____」
そこで言葉を切った時。
ジャストタイミングと、サルタンは何かを感じ取った。
「!! アドネー様」
そしてそれは、ツヴァイも同様だった。感じる『異変』、迫る『魔力』。ツヴァイは意識を宮殿の天井へと向けた。
「……どうした、ツヴァイ」
上機嫌だったアドネーが、一転して興味なさそうに尋ねる。
いや、本当はアドネーも気づいているのかもしれない。だがあえて、その詮索をツヴァイに任せているかのようにも見える。
「この『魔力』……。間違いありません、『奴』が来ました」
ツヴァイがそう言うと、やがて徐々に『声』が聞こえ始める。
「…………ぇぇ……!!」
宮殿上空から聞こえるそれは、この場にいる誰のものでもない。しかし、確かにここへ向かって聞こえている。
「ねぇ……ぇぇ……!!」
声はどんどんと大きくなっていき、感じ取れる魔力も膨大になっていく。
「すぐ……そこまで!」
ツヴァイがほんの少し声を荒げる。
それは紛れもなく、彼が想像していた人物だったからに他ならない。
そして……ついに。
「アドネェェェーー!!」
宮殿の屋根をかち割り、叫びながら降ってきた男_____。その男がやって来た。
間違いない。それは『勇者』。
勇者レイドが、闘いの場にやって来たのだ。
「ふははは。相変わらずじゃのう。……待っておったわい。勇者よ」
サルタンが髪をかき上げながら上空のレイドを見やる。
「やれやれ……。勇者など、大した問題じゃあないというのに」
アドネーは宮殿に降り立ったレイドに、冷たい視線を送って呟いた。




