52. 勇者の決意③
「……に、人間界に……?」
突然の言葉に、少しばかり不安げにレイドを見上げるのはベゼル。
「ああ。俺と一緒に人間界へ来てくれる奴はいるか?」
食堂のテーブルの上に片手をそっと添えながら彼らと向かい合うレイドの顔は、とても冗談を言っているようには思えない。その後ろでアルフは、テーブルに頬杖をつきながら口角をやや上げ、状況を観察していた。
「ハイ! 質問!」
その状況でこれまた突然に、ビシッと手を上げるのはウル太郎。
「なんだウル太郎」
「なんつーか、ヤケに急じゃねーか。人間界に用事でもできたのか?」
確かにウル太郎の言う通りだ。
あれだけ人間界を嫌っていたレイドが、人間界に帰るだなんて言い出す時点でおかしい話である。
帰らなければならない程急な用事でもできたのか、それとも本当に魔界が嫌になったのか。
「ああ。まあそんなところだ」
特に理由を述べるでもなく、レイドは左小指で耳の穴をほじりながら目線を少し上に向けて答えた。
「ふーん……」
それを見てウル太郎は考える素振りを見せたかと思うと、
「それなら俺は行くぜ、人間界!」
その後でやけにあっさりと答えを出した。
「う、ウル太郎さん……!」
リリが小さく、焦り口調で呟く。が、周りには聞こえていない。
「なんとなく楽しそうな匂いがするからな。退屈しなさそうだぜ」
後頭部で腕を組み、楽観的なウル太郎。
「……そーかい。じゃあウル太郎は決まりだな」
レイドは呆れを含みながらも嬉しそうに頬を軽く緩め、周りを見回して続ける。
「あとは誰かいるか?」
一時、静寂が訪れる。
レイドが人間界に行くにあたり魔界の者たちを募る理由は定かではないが、ここではっきりしておきたい問題がひとつあった。
「勇者……アナタ、本当に帰ってくるんでしょうね? 本当は人間界にそのまま帰るつもりじゃ……」
それをズバリ勇者に問いかけたのは、キレ女エリスだ。
「そんなわけないだろ。心配すんな、すぐ魔界に戻ってくるよ」
穏やかにこれを否定するレイドの表情に嘘偽りはない。当たり前のように彼はそう返した。
「そ、そう……」
それを聞いてエリスは安心したのか、声を少し落ち着かせる。
「じゃあ私はここに残るわ。その代わり勇者……。帰ってこなかったら、タダじゃおかないわよ」
この言葉に含めた想いというものは、誰も分かり得ない。が、それを推測して茶化す、という者は必ずいる。
「エリスさん、勇者のことスキなんすか?」
ウル太郎は能天気にエリスにそう尋ねるが、当然エリスはこれを否定する。
「ちっ、違うわよ! 勇者が帰ってこなかったらベル様が悲しむでしょ何言ってんのアンタ!」
若干焦り口調になっていたのは図星であるからか、はたまたそうでないのか。だがベゼルが悲しむ、というのは紛れもなく真実だろう。
「ベル様……」
エリスの言葉を聞いて、ぽつりと呟いたのはリリだ。そして、全員の視線がベゼル本人へと集まる。
「ベゼル、お前はどうする?」
レイドはその場から動かずにベゼルに問いかけた。
「僕は……」
ベゼルはレイドと顔を見合わせたまま言葉を詰まらせる。そんな中で、エリスが横槍を入れてベゼルを説得した。
「ベル様、人間界は危険な所ですよ。私達悪魔を蔑み、忌み嫌う者共の巣窟なのです。そんな場所に行く必要はありません。だから私と一緒に魔界に残って……」
いつもなら、こういう場面ではおどおどして周りの助けを求めようとするベゼル。だが今回は違った。
「ううん。僕、人間界に行ってみたい」
エリスの言葉を遮り、真っ直ぐ自分の意見をぶつけたのだ。
「ベ、ベル様……!?」
予想だにしない反応に戸惑うエリス。
「ちょっとこわいけど……勇者がうまれたところなんでしょ? それなら、行ってみたいな」
淡々と言葉を連ねていくベゼルの瞳には、確かな意志が宿っているかのよう。そしてレイドにもそれは伝わっていた。
「そうか。……おし、なら決まりだな」
二人はお互いにニッと笑う。だが、エリスは納得いかない表情だ。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 私は反対だわ! ベル様の身に何かあったら……」
エリスが若干キレながら異論を唱えようとするが、今度はウル太郎に斬り返される。
「大丈夫スよ。俺も行くんだから。それにベル様が行くんならリリさんも行きます。ね、リリさん?」
ウル太郎はそう言ってリリの方を見やる。しかしリリは何か考え事でもしていたのかボーッとしていた様子で、話を振られてようやく言葉を発した。
「え……ええ。もちろんです」
「……?」
レイドはリリのその様子を少し疑問に思うが、この場では深く追求しなかった。
話は戻り、誰が魔界に残るか、である。
「ってことで留守番頼むっス、エリスさん」
ベゼルの意思を尊重しようとするウル太郎。しかしそうなれば、エリスからしたら非常に面白くない、いや、最悪のパターンになってしまうわけだ。
「ぬぬぬぬぬ……!!」
念のためこの場でもう一度述べるが、エリスはベゼルを溺愛している。それこそ今回、レイドを含むお付きの者全員が、ベゼルを残して人間界へ暫く滞在する事になれば、必然的にベゼルを独り占めできると彼女は思っていたからである。
だがしかし。
肝心のベゼルが人間界に行くとなってしまっては、この計画は根元から破綻する事になる。
それ故に、彼女は苦渋の決断をした。
_____ベル様が人間界に行きたいと言っている以上、やはり引き止めるのは……!
ああでも! そうなると私の計画が……!
でもやっぱり仕方のないこと……。ぬぬぬぬぬ、それならば_____
「あ、あー! なんだか私も人間界に急に行きたくなったわー!」
やや棒読み気味で目線をそらすエリス。ベゼルと一緒にいたいという、その魂胆は見え見えだ。
「はァ? いっスよ、来なくても。人数足りてるんで」
「うるさいわね! 行くったら行くのよ!」
一向に終わらないこの2人の論争。レイドは呆れながら、その間に割って入った。
「あぁもう、わかったから。じゃあエリスも来るってことで、あとは……」
大方、この場に居合わせたほぼ全員からの返事を聞き、最後の1人に目を向ける。その視線の先にいるのはゾン吉だ。
気づけば最初から今まで一言も言葉を発していないゾン吉だが、ようやくここで口を開いた。
「あ、すいやせん。あっしは遠慮しときやす」
「ゾン吉……なんか用事でもあるのか?」
レイドは軽くその理由を問いかける。
「いえ、そういうわけじゃあないんですが……ただ……」
「ただ?」
ここでゾン吉は俯き、重苦しく溜め息をついて返答した。
「また人間たちに悪口言われたら立ち直れそうにないんで……」
そういえばそうだった、とレイドは思い返す。
人間界で初めてゾン吉と会って闘った時、悪口を言っただけで勝利してしまったことを。
ゾン吉というゾンビは、ガラスの心どころか、いわば紙の心。すぐにクシャッとボコボコに丸まってしまう、ペーパーハートの持ち主なのだ。
「そ……そうか。つくづく大変だな、お前も」
「えぇ、すいやせんね」
さすがのレイドもこれにはかける言葉がない。むしろ下手になにか言って傷付けるよりは、なにも言わない方がマシだと思ったのだろう。
だがここでまたしても口を挟むのは、空気を読めないウル太郎である。
「相変わらずメンタル弱えなゾン吉。もっとシャキッとしねーと、その内死んじまうぞ」
「もう死んでやすよ、あっしは……」
またも溜め息をつくゾン吉。
「まあそういう事なんで、皆さんで観光楽しんでくだせえ。お土産は水飴でいいですから」
続けて言われたその言葉に、レイドは苦笑いしながら小さく頷いた。
「ところでいつ出発すんだ、勇者?」
ようやく人選……もとい悪魔選が終わり、ウル太郎が伸びをして切り出した。
「んー……3日後、かな」
少し考えた後でレイドは答える。その言葉に、リリはやんわりと反応した。
「3日後ですか……。結構のんびりなんですね」
「まあな。ちょっとした準備もあるし」
「準備、ですか?」
「ああ」
レイドはこれ以上深くは話さず、そらすように次へと進めた。
「そんじゃあ、もう一度確認すんぞ。人間界に行くのは、俺、ベゼル、ウル太郎、リリ、エリスでいいな?」
「うん!」
「いいぜー」
「はい」
「しょうがないわね……」
口々に返事をする悪魔たち。レイドも頷いた。
「よし。それと後はアルフと……」
だがここで、『あの人物』がヌッと登場する。
「ふははは、なにやら面白いことを話しておるな」
聞き覚えのある笑い声と共に現れたのは、勿論あのお方。大魔王サルタンだ。
「だ……大魔王」
レイドは一瞬、口ごもる。どうやらサルタンが現れるなど予想していなかったようだ。
そしてあろうことか、さらにサルタンは衝撃の一言を付け加えた。
「人間界……興味があるわい。儂も一緒に行ってよいかのう?」
全員が沈黙する。
一斉にその視線をレイドに集中させ、返答を待っていた。
「え、マジ……?」
だがレイドは、素でそう呟くだけであった。




