98. そんな世界
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_____いつだったろうか。『彼』にその気持ちが芽生えたのは。
『わたしは、フィア。あなたは、だあれ?』
1人の男の遠い記憶。そのほとんどを彩るのは、とある1人の女性の姿____。
『……綺麗なところ。こんなに素敵な場所があるのに、争いなんてしてはいけないわ』
『……大丈夫? 怪我はない?』
『あなたはやっぱり、もっと笑うべきよ。お腹の底から笑ったことってないのかしら?』
ある時は森の中。
またある時は洞窟の奥。
『いやー! 私も行くのー!』
その男が生きた証の隣には、いつだって『彼女』がいた_____。
『言葉が話せるなら、きっと分かってくれるわ。そのために言葉があるんですもの』
『ごめんなさい……! 私のせいで……』
『ふふっ。あはははは!』
『私は……この子の成長を見届ける事が出来ないのが____何よりの心残りなの』
『ね……みんな。最後は、笑って_______』
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「ぬぉあああああぁああっ!!!」
浮遊島が揺れる。
災害とも言えるレベルのその中心で、別世界にまで響き渡るような声が轟く。
『大魔王』サルタン_____。
彼の全てを賭した覚悟の姿が、その場にいる者の目に焼き付いていた。
「な……なんだこれは……」
炎にも似た禍々しい闘気のオーラが、まるで火山の噴火のようにサルタンから止め処なく溢れ出る。
創造神アドネーですら一歩たじろぐその光景には、最早何者も踏み込む事は出来ない。
『…………大魔王……!?』
レイドもアドネーと同様だった。
緑色の球体のお陰で動くことはかなわないが、身に感じる魔力の大きさに圧倒されている。
『猿鬼王尽』_____サルタンが解放したその力は、その姿は、レイドの見知ったそれとはおおよそかけ離れた、信じがたい代物だった。
その頭上に表示された、強さの数値____『218000』。
それまで負ったキズは塞がり、ドレッドヘアーだった髪は一本一本がほどけライオンのたてがみの様に逆立ち、2メートル程の巨体に相応しい剛腕には見る者を畏怖させる漆黒の毛を纏っている。
何より一番の迫力を感じさせるのは、口の両端、上下から覗かせる鋭利な4本の牙。
見たことはない。
だが、レイドは瞬時に察知していた。
それは、1000年前の姿。
争いが絶えず、混沌に満ちたかつての魔界での、頂点に君臨していたその姿……。『魔王サルタン』が、今ここに復活したのだ。
「素晴らしい……。まだこれ程の力を秘めていたなんて……」
浮遊島の揺れは収まり、サルタンから流れ出る闘気のオーラも収束する。
だがアドネーはそれでもブル、と震えを抑えきれないでいた。
それが『武者震い』なのか、『恐れ』によるものなのか____それを確認する術はない。
が。そこに『油断』は無かった筈。
しかしアドネーは、反応を遅らせた。
否、反応しきれなかったのだ。
「しゃあっ!!」
サルタンが迫り来る、その見たこともない超スピードに。
「!!」
一瞬の出来事だった。
サルタンは姿を消したかと思うと、次の瞬間にはアドネーの眼前に。
その首に迷うことなく噛み付き、喉笛を確実に捉えたのだ。
「!!? ッァ……!!」
言葉を発せられないアドネー。そして、その本能が判断する。『このままでは死ぬ』と。
「っ……__っカァっ!!」
余りにも突然、深刻な損傷に、アドネーは刹那思考を停止させるも、次の瞬間には黒く濁った白い目を見開いて、ありったけの魔力の塊をサルタンに向け噴出する。そうして魔力の大玉に直撃したサルタンを、無理やり引き剥がした。
仰け反りながも、魔力の大玉を受け流すサルタン。バッと再びアドネーに向き直ると、アドネーは左手で自分の首を抑えながら、右手をサルタンに向けて突き出していた。
「『……光槍』!」
辛うじて声を出せるアドネーの、掠れた声で発動する右手の槍攻撃。伸びて伸びて迫り来るそれを、サルタンは真っ向から立ち向かい、自らの拳をぶつけた。
「……オォォォォオ!!」
サルタンは拳を振り切る。その単純な力比べに負けたのは、アドネーの『スピア』____。
「_____なっ……!?」
『スピア』を破壊され残ったのは、右腕の壊滅的な損傷。後方へと押し戻された右腕に引っ張られるかの様に、アドネーは体勢を崩す。
そんな中で、再度迫り来るサルタンの巨体。彼自身の右腕も先程の『スピア』により大ダメージを受けているが、全くもって動じていない。理性すら失っているのではないかと感じられるその行動に、アドネーは確実に押されていた。
「くっ……『光銃___」
今の大魔王を、近づけさせてはいけないと。アドネーは思っているのだろう。だが、右腕のダメージ、バランスを崩されたことにより、狙いは定まらない。何より、今放とうとしている技の対処法は、サルタンに既に看破されている。
「がぁあああぁああーーっ!!!」
サルタンの周りに出現した幾つもの次元の穴を、サルタンは自前の『声』により破壊する。至近距離でその攻撃を受けたアドネーにも、勿論ダメージは及ぶ。
「っは___!」
耳から脳へと、甚大な衝撃を受けたアドネーは、正面に立つサルタンを防ぐ術なくさらなる追撃を許してしまう。
「だーーーーっ!!」
腹部を殴り上げ、アドネーを宙に浮かすサルタン。
「っっぁ…………!!」
「どりあぁぁ!!」
悶絶するアドネーを、更に殴って後方の瓦礫の中へと吹き飛ばした。
『…………!!』
全てが規格外の攻撃……。
あのアドネーが一方的にやられている。レイドはその光景を信じられないように見つめていた。
「どうじゃ……流石の貴様も、只では済むまい……!!」
おぞましい姿へと変貌したサルタン。だが、その心にはどうやら意識が残っているようだ。その言葉遣いには確かに、穏やかだったサルタンの面影が感じられる。
「アドネー。貴様はここで……倒す!」
『スピア』を破壊した右腕を果敢に前に突き出し、宣言をするサルタン。
その身体からは何やら白い煙のようなものが燻っており、圧倒的な強さの反面、異常な事態が発生しているようにも見て取れる。
「何故……! そこまでの力を持っていながら……今まで隠していた……!」
アドネーは自らにかかる瓦礫を蹴りどかしながら、血反吐を吐く。
サルタンの常軌を逸した力にも圧巻ではあるが、それを受け切りまだ意識があるアドネーも同等と言えよう。
流石の創造神と大魔王。闘いの次元が違っている。そしてサルタンは、アドネーの問いに燦然と答えた。
「言ったじゃろう。この命、全てを以て、貴様と共に消えゆくと!!」
アドネーはサルタンの言葉に合点がいくかのように、瓦礫に腰掛けたままニヤリと笑う。
「はっ……! 成る程、捨て身の技という訳か……!」
その力の意味を理解したアドネー。ただ1人分かっていないレイドは、サルタンに問うた。
『捨て身……!? どういう、事だよ……!』
いや____本当はレイドも分かっていたのかもしれない。だがそれを自分の胸の内だけで止めておく事が出来なくて____サルタンの口から、『そうではない』という事を言って欲しかったのだろう。
だが、サルタンは。
「今の儂の限界を遥かに超える、全盛期の力……! 恐らく、儂自身の身体が只では済まぬ」
何ひとつ包み隠さずに。
真実を告げた____。
「持ってあと『15分』……。それが過ぎれば儂は____死ぬ」
『……な……!?』
真実とは、時として残酷なものだ。
運命とは、どうしてこうも非情なのだろう。
大魔王が死ぬ。
いつだったか、レイドが倒した時とは違う____。
そしてそれを止める方法は、もう何処にも存在しないのだ。
「くく、驕ったか、大魔王! あとたったの15分で私を倒そうなどと!」
アドネーが身を埋める瓦礫に手を伸ばし、魔力を込める。
すると瓦礫は一瞬にしてボンと弾けとび、粉々に砕けチリと化した。
「倒してみせるさ。今の『俺』は、お前の力を超えている」
かたやサルタンに見られるのは、「姿」の変化。身に燻っていた白い煙がどんどん消えていくかと思うと、それに併せて少しずつ若返っていく。顔のシワが消え、目元がくっきりとし、先程までの禍々しい姿に加えて何処か威厳のある、若々しい魔王の____まさしく全盛期と呼ぶに相応しい姿がそこにあった。
タイムリミットは、15分。
しかし互いに逃げも隠れもしない。
「面白い……ならばやってみせろ!」
アドネーは地面に左手をつけたかと思うと、その場を中心にして大円の黒い魔法陣を展開する。
「『光魔召喚』!!」
黒い稲妻が轟き、魔法陣を貫いたその時____。ズズズ、と空間を裂くようにして漆黒の魔物が現れた。
『ジアァァァ!!』
全長5メートルを超える、鎌を持った巨大な鎧の魔物。感じる魔力は計り知れない。
「くくく……! この技は、私が創造した魔物『天魔』をこの場に呼び寄せる事もできる! そしてこいつは、2体いる最強の天魔のうちの1体! 『ディナミス』だ!!」
アドネーは得意げに手を掲げ、ディナミスに命を下す。
「さぁ行けディナミス! 大魔王を討ち取って____」
『ジア___ァポ』
だが、そこからディナミスの活躍が見られる事は無かった。
素っ頓狂な声を出したかと思うと、次の瞬間その魔物はふたつに分かれて倒れこみ____その鼓動を停止させた。
「____……!」
アドネーは驚愕していた。
勿論ディナミスはひとりでに『そう』なったわけではない。空高く飛び上がり手刀を振り下ろした____サルタンによって倒されたのだ。
「あと10分……。時間がねぇ。ガキの面倒みてる暇なんざねぇんだよ!!」
宙に留まっていたサルタンはフッと姿を消し、数メートル先のアドネーの前に再び現れる。そして無防備な右頬目掛けて、強烈な拳の一撃を繰り出した。
「がふっ……!!」
アドネーは倒れない。
なぜなら、サルタンが壊れた自分の右腕で彼の胸ぐらを掴んでいるのだから。
「アドネェェェ!!」
全身をぶん殴り続けるサルタン。これもまた一方的だ。だがサルタンは知っていた。
アドネーがこれしきの事で倒れる訳がないという事に。
「『……光調』」
ぶん殴られ続ける中、アドネーがポツリと、そう呟く。
するとどうだろう。今までアドネーがサルタンに負わされたキズと同じ箇所、同じダメージが、サルタンの身体にも現れる。
「っ!!」
「『光生』」
次いでアドネーは黒く濁った白い瞳を覗かせ、サルタンのダメージを倍増させた。
「……っ!!」
「どう、だ……。自分自身の攻撃をその身に喰らうのは……。これで貴様も……」
「____それがどうした」
サルタンはアドネーの言葉を遮り、ボロボロの右腕……その渾身の一撃を以て、アドネーを大地へと打ち付けた。
「っが……は、っっ……!!」
アドネーは大地を2バウンドし、横たわる。
互いの身体に刻まれた、かつてないまでのダメージ。それでもなお意識を失わないアドネーとサルタン。
「こんな力で争いあって、貴様はそれで満足か……? アドネー」
サルタンは拳に力を込め、震える声で言い放つ。
「意味もなく命を奪い合い、壊し喜ぶ事が! 貴様の愉悦なのか、アドネー!!」
「……随分と、的外れな事を……。だいぶ、あの女に毒されているようだな、お前たち悪魔は」
アドネーはよろりと立ち上がり、左腕を横に振り払った。
「私が『創造』したのだ! 悪魔を! 天使を、人間を! 『それ』がお前たちに眠る本能! 逃れられない事実なのだ!」
「違う!」
「違くないさ! 現にお前は何をしている!? 憎しみに満ちたその力を、今何に使っているというのだ!!」
「アドネー……!」
「私には、『創造』し、『破壊』する権利がある。『創造と破壊』……その2つがあってこそ、この世界は存在意義がある」
「そして……私の創造物であるお前が、私に逆らっていい道理など何処にもない!!」
そうしてアドネーは手をかざす。しかし、その矛先はサルタンではない。
アドネーの瞳の先にいるのは____。
「っ!!」
____勇者レイド。突然レイドを捕らえていた緑色の球体が光となって消滅し、レイドを解放したのだ。
「勇者……!」
サルタンは察する。今レイドを解放する事に何の意味もないことを。裏を返せば、アドネーが何の考えもなくレイドを解放するはずがない。つまりこれは____。
「見ろ……! 破壊とはこういう事だ」
アドネーが狂気に満ちた表情で、レイドに魔力の玉を放つ。
レイドは先の闘いにより重症。身動きひとつ取れない状態だ。そんな状態で攻撃を受けたりでもしたら____。
「くっ___」
レイドには、只迫り来る『それ』を睨みつけることしかできなかった。指一本動かすことも叶わず、『シーカー』も開けない。そして、レイドにその攻撃が当たった時____。
否。当たる寸前。
サルタンが身を挺して、動けないレイドの盾となった。
「…………がはぁっ!!」
高密度の魔力の玉を身に受け、吐血するサルタン。
「____だ、大魔王……!!」
レイドは驚愕して声を絞り出し、叫ぶ。
その光景に、アドネーは狡猾に笑った。
「くくく、こいつは思わぬ収穫だったな。そんな死に損ないを助けるなどと」
アドネーは初めから分かっていたのだ。
いざという時、サルタンはレイドをかばって盾になると。
その為にレイドを閉じ込め、利用したのだと。
「……あ……」
レイドは声にならない声を漏らす。
自分のせいでサルタンに余計なキズを負わせてしまったこと……。その事実が、レイドの心を侵食していく。
……だが、それでもサルタンは____。
「……すまんのう。こんな事に、主を巻き込んでしもうて」
恨むどころか負の感情ひとつ持ち合わせず、レイドに回復の魔法をかけた。
大魔王による回復魔法____。だがそれはあまり得意ではないのか、ほんの小さな弱い魔法。しかしそれにより、レイドは何とか立ち上がれるくらいまで回復する。
「……!」
レイドが立ち上がると同時に、サルタンは片膝をつく。だが何故か……サルタンはレイドにかけた魔法を自分には使おうとしない。
「なんで、だよ……! 大魔王……! なんで俺なんかを……!」
レイドが必死にそう問いかけると、サルタンはニコリと笑って口を開いた。
「のう、勇者よ。主は……魔界が好きか?」
「は……?」
「今日も……いい天気、じゃった。儂は、魔王城から眺める景色が好きじゃ。花も、木も草も……風も、皆と過ごす日々も……どうしようもないくらいに愛おしくて堪らん……。儂が……フィアが夢見ていたのは……今の魔界。そんな……世界じゃ……。」
「なんだよ……。なんだよ! なんでそんな事、俺に言うんだよ!」
分かっていた。
レイドは、その言葉の意味が。
サルタンの意志が。
目に涙を浮かべながら、それでもレイドは、自分を守ってくれたその大きな背中に、言葉をぶつけていく。
「なぁ……おまえ、死ぬなんて嘘だろ? どうせ、またいつもみたいにヘラヘラ笑ってんだろ? だってよ、俺に倒されたときだって……お前は無事だったじゃんか。最強の魔王なんだろ……!? お前は……!!」
「……時代というのは、移りゆく。儂の役目はもう、終わりなんじゃ……」
「そんな……んなワケ、ねぇだろ! ベゼルは……!? 他のみんなは! どーすんだよ! みんな、アンタの事頼りにしてんだぞ!!」
「俺だって、まだアンタを倒してねぇ! 言ったろうが、アンタは、俺が、俺が……」
「ふはは。アイツらなら、大丈夫じゃ。もう儂がいなくとも、やっていける……。そして、安心せい」
「勇者よ。主は儂より強くなれる。そして皆の未来は……儂が守る」
「……!!」
サルタンは振り返ると、笑った。
____心は、皆の所へ。
そして一歩、また一歩と踏み出し……。
最後の闘いへと、未来を守る闘いへと、勇ましく向かっていた。
「話は終わったか? 大魔王」
アドネーは黒い瞳を覗かせながら笑う。
「これが最後だな……。どちらかが死ぬまで終わらない。憎しみと怒りに満ちた、最後の勝負だ!」
「アドネェェェ!!」
2人は互いに取っ組み合い、力を拮抗させる。
憎しみと怒りに満ちた、最後の勝負____。だがその中でサルタンから出た言葉は、これまでの闘いを覆す、衝撃の一言だった。
「アドネー! 俺は確かにお前が憎い……! だがな、そんな事をしても、フィアは喜ばねぇ……」
「アドネー……! 俺はお前も救いてぇんだ……!」
「は……?」
「なぁ……。お前は『涙』を流した事があるか……?」




