五章 アイの興奮
空が高く澄んでいる。雲ひとつない青空を背に、俺は深い森に足を踏み入れた。
俺はワクワクと城に向かっていた。
理由は色々ある。
久々にニコスに会いたいというのもあったし、初めての場所を探索するのは楽しい。城に忍び込むなら魔の力で認識阻害の術を使う練習にもなる。
けれど、一番の理由は違う。師匠に城には近づいてはいけないと言われたから、俺は城に向かっていた。
ダメと言われるとやりたくなってしまうのはどうしてだろう。師匠が怒るのはわかっているのに、好奇心には勝てなかった。
足取り軽く歩いていると、城に到着した。
俺は何食わぬ顔で、城に入っていく。
可笑しな動きをしなければ、不信感を持たれることはない。
さて、どこに行こうかと廊下を歩く。ニコスの部屋に向かいたいけれど場所がわからない。
仕方がないので、その辺の人を捕まえて聞いてみることにした。
「あのぉ、第二王子の部屋ってどこですか?」
「あなたは……?」
「最近、登用されるようになりました!先輩に第二王子の部屋に行ってこいって言われたのに迷っちゃって……」
俯いてメソメソと言った。
相手は気の毒そうに俺を見て、親切に場所を教えてくれた。
なるほど、話しかけたくらいでは認識阻害は解けないと。逆に、名前すら名乗っていないのに不自然に感じないらしい。
魔の力ってすごいんだなあと思いながら、お礼を言ってニコスの部屋に向かう。
向かっていると、あの子の気配を感じて立ち止まった。
一年ぶりのあの子に会いたくなって、Uターンして気配を追いかけることにした。
気配を頼りに進んでいくと、どんどん城の奥に向かっていく。
あの子がどうしてこんなに奥にいるのだろうか。
まさか、捕まっている──いや、あり得ない。
質量のない悪魔を捕える方法なんて、ただの人間にはわからないだろう。もしかしたら、魔女なら出来るのかもしれないけれど。
不思議な気分で歩いていると、古びた扉の中にあの子がいるのがわかった。
俺はそーっと扉を押した。
蝶番がギィと軋むのを聞きながら中を覗くと、そこは物置のようだった。
俺はあの子を探して辺りを見回した。そして、印象に残らない風貌の人間とパチリと目が合った。
「なんでそんな変な格好してるの?」
「第一声がそれってどうなの?」
彼女は俺の気配を感じていただろうに、驚いたように俺を見ている。
「だって、普段そんな格好じゃないでしょ?もっとヒラヒラしてるもん」
「ヒラヒラってアンタ馬鹿なの?せめて可愛い格好って言って頂戴。大体、実体化した悪魔がそんな目立つ格好するわけないでしょう」
彼女はそう言って口を尖らせる。
確かにあの格好は可愛いと思う。魚の尾鰭みたいでついつい追いかけたくなる感じ。けれど、悪魔が真っ白を好むってどうなのだろう。
「聞いてる?……というか、アンタ何普通に話しかけてんの。私、アンタの寿命を喰ったのよ。怖がって逃げるくらいしなさい!」
「でも、師匠生き返らせてくれたし」
「はぁ。アンタがあんなことしなくたって、あの魔女の魂はまだ喰わなかったわよ。大体、あれは生き返らせたわけじゃないし」
彼女はやれやれと首を振っている。
どうやら盛大に俺を馬鹿にしているらしい。
けれど、きっとやり直しても自分の寿命を差し出して師匠をこの世に留め置かせたと思うので、馬鹿にされても痛くも痒くもなかった。
「俺にとっては今師匠がここにいるってのが大切なんだ。だから、別にいいんだ」
俺の言葉に彼女は気持ち悪いモノを見る目を俺に向ける。
結構いいことを言ったつもりだったのだけれど、どうやらお気に召さないらしい。
「ああ、もう!あの魔女、盛大に子育て失敗してるじゃない!魔の力を持ってるのにこの警戒心の無さはいっそ罪よ」
あーやだーと駄々っ子のように言う彼女に、ふと聞いてみた。
「どうして師匠の魂をまだ食べないの?」
「えぇ……。アンタ何も知らないのね」
「俺は魔女じゃないしね」
彼女は嫌そうに顔を引き攣らせて、話し始めた。
「あの魔女は特別なのよ」
「魔女の長だから?」
「逆よ。特別だから魔女の長なの。普通ならあんな若い魔女が長になんてならないわよ。いいように喰い物にされるからね。悪魔からも人間からも」
どうやら師匠はとてもすごい人だったらしい。
一緒に暮らしていると魔の力が強いだけの普通の人のような気がするのだけれど。
まあ、普通の人と関わりがほぼないので実際のところはわからない。
「その点あの魔女は上手いわ。まあ、自身の死が大切なモノを守ることに繋がるなんて予言されたら必死にもなるわよねぇ。ほんっと、哀れな魔女だわ。死のエネルギーがあれほど絡みついた魂は悪魔を執着させるには十分な美味しさなんだから」
彼女は蕩けるような笑顔を浮かべて恍惚と語っている。
じゅるりと唾液を啜る音が聞こえた気がした。
「なのに、狙ってるのは君だけなの?」
「ああ。あの魔女が産まれてから今まで多くの悪魔が多少無理してでもその魂を手に入れようとしたわ。それこそ一滴の血だけでもいいからって言ってたヤツもいたわね。けど、悪魔がこちらに深く干渉したらしっぺ返しを喰らうのよ。酷ければそのまま消えてなくなる。だから、今残ってるのであの魔女を狙ってるのは私だけ」
彼女は手の甲で口の端を拭ってから、ニタリと笑う。それは悪魔らしい笑みだった。
「だから、いくらだって待つわ。一番美味しい時に食べなきゃ勿体無いでしょう?」
彼女はどうしても師匠を食べたいらしい。
一番美味しい時とは一体いつなのだろう。出来ればずっと先であってほしい。独りになるのは嫌だし、何より師匠が自由に生きられるのは今だけだと思うから。
「ところで、名前つけてもいい?」
「はあ?ダメに決まってるでしょう」
「どうして?」
彼女は片手で頭を押さえて首を振る。
けれど、だって名前がないと困る。呼びかける時に悪魔と呼ぶわけにはいかないし、君とかあなたとかで呼ぶとなんだか気持ちが悪い。
「名前をつけるってことは契約するってことよ。しかも、私は力の強い悪魔だからあり得ないくらい多くの魔の力がいるわ。アンタみたいな中途半端が出来るわけないわよ」
「えー、じゃああだ名つけるのはいい?呼びにくいもん」
「……えぇ。好きにすればいいけど、悪魔にあだ名つけようなんて頭の可笑しい人間初めて見たわ。本能的に悪魔は避けるものなのよ」
呆れ返った彼女を尻目にあだ名を考える。
「うーん……そうだ!ルーシーにする」
「はあ!?悪魔に光だなんて名前つける馬鹿がどこにいるのよ!」
「だってぇ!好きにすればいいって言ったじゃん!」
ルーシーは項垂れている。
何が不満なのだろうか。可愛い名前だし、結構似合っているのに。
わからないので今度師匠に聞くとして、そろそろいかなければ帰るのが遅くなってしまう。
「あ、ルーシーはいっつもここにいるの?」
「……まあ、雑多な感じが落ち着くから。けど、基本は王太子のそばにいるわよ。早く魔女を食べたいからね」
「そっか!じゃあ、また来るね!バイバイ」
手を振って部屋を出た。
後ろでルーシーが何か言っていた気がするけれど、大切なことならば追いかけてくるだろう。
俺は満ち足りた気持ちで歩いた。ずっと気になっていた彼女の名前問題が解決したから。
気がつくと、家に帰ってきていた。
何かを忘れている気がしてムムムと考えていると、師匠と目が合った。
そこで、俺は思い出した。
「ニコスに会うの忘れた!」
俺の言葉を聞いた師匠は険しい顔をしている。
しまった。外出理由は適当に誤魔化すつもりだったのに、城に行ったことがバレてしまう。
俺は師匠のお叱りが飛んでくる前に、ごめんなさいと膝をついたのだった。




